がん(骨肉腫)闘病記

抗がん剤治療、放射線治療、人工関節置換手術、MRSA感染、身体障害者となっての生活の記録を残します。

がんと就労 塚本泰史 右足の闘い(1) 大好きなサッカー続けたい

2011年07月28日 | Weblog
2011年07月25日 21時29分43秒

http://www.asahi.com/health/ikiru/TKY201107200231.html?ref=reca



「プロサッカーJ1大宮アルディージャの本拠地NACK5スタジアム(さいたま市)。10日のガンバ大阪戦も、スタンドはチームカラーのオレンジ色の横断幕や旗で埋まった。この日もひときわ目立っていたのが、この1年半、試合に出ていないDF塚本泰史(26)へのエールだった。

 「思いはひとつ! 泰史とともに!」「泰史 共に闘おう」

     □

 2010年2月、塚本は記者会見に臨んだ。右ひざが痛み、検査をすると、大腿(だいたい)骨に骨肉腫があると診断されたと発表した。骨肉腫は骨のがんだ。悪い部分を骨ごと切り取り、ひざを人工関節に換えると説明した。

 「サッカーは無理だと言われました」。そう口にした瞬間、涙がこみ上げた。

 「復帰は難しいのか」。メディアからの質問に、同席したチームドクターの池田浩夫(いけだ・ひろお)医師(51)が「激しい運動は好ましくない」と答える声が聞こえた。隣で、泣きじゃくりながら絞り出すように誓った。「大好きなサッカーを、選手として続けられるようがんばりたい。同じ病気の人に勇気を与えたい」

■ひざに痛み、相談せず試合に出続けた

 三つ上の兄を追うように幼稚園からボールを蹴り始めた。大宮入団後の背番号は「2」。精度の高いフリーキックが持ち味で、右足から繰り出す「無回転のブレ球」のキレはチーム1。周囲の期待も高かった。

 3年目に入った10年正月3日。出身高校のサッカー部で初蹴りがあり、紅白戦の最中に右ひざに痛みを覚えた。夜になっても、痛んだままだった。前年の夏から痛みはあったが、つかみかけたレギュラーの座を失いたくなかった。だれにも相談せず、試合に出続けていた。

 翌日、Jリーグの選手登録に必要な健康診断を受けた。その後、「ひざが……」とチームドクターの池田医師に相談した。

 池田医師が右ひざに触ると少し腫れていた。MRIを撮るとひざの上の大腿骨に細長い楕円(だえん)形の黒い影が写っていた。「骨肉腫かもしれない」。そう疑ったが、塚本には黙っていた。

 すぐに、提携先の東京医科歯科大(東京)の整形外科助教で、骨肉腫に詳しい阿江啓介(あえ・けいすけ)医師(43)に、画像をメールで送った。

 「詳しく調べるべきだ」。画像を見た阿江医師は、池田医師の電話に答えた。3日後、訪ねてきた塚本に「慢性骨髄炎の可能性が高いが、骨肉腫の可能性もある。細胞を取って検査する必要がある」と話した。

 塚本は、骨肉腫という病気を、その時、初めて知った。

■骨肉腫で人工関節に

 1月22日、最終的な病理検査の結果が出た。「悪性度の低い骨肉腫」だった。翌23日、塚本は両親、兄、チームドクター、トレーナーらと診察室に呼ばれた。阿江医師の暗い表情に不安を覚えた。

 「骨肉腫でした」

 骨を切り取るので、ひざを人工関節に換える必要があること、激しい運動をすると、つなぎ目で折れたり、骨が削られて人工関節が緩んで早く再手術が必要になったりする可能性があるといった説明が続いた。

 「サッカーは、もうだめですか」。そう尋ねるのがやっとだった。しかし、返ってきたのは「ゼロに近い。プロとしては難しい」という言葉だった。

 「俺の足は移植できませんか。俺の骨をあげたい」。とっさに社会人サッカーで活躍する兄・浩史(ひろし=29)が尋ねたが「無理です」との答えだった。

 サッカーができなくなるなんて、考えもしなかった。「夢じゃないのか」。塚本はシャツを頭上にたぐり寄せて泣いた。その後のことは、覚えていない。

 177センチの体を兄に預け、肩を抱かれながら診察室を後にした。診察室を出ると、母・正美(まさみ=56)は待っていた姉と抱き合って泣いた。父がトイレで泣いていたことは、後から知った。=敬称略(前田大輔、寺崎省子)

    ◇

 つかもと・たいし プロサッカー選手。1985年、埼玉県生まれ。駒沢大学時代に頭角を現し、大学選手権優勝などに貢献。ユニバーシアード代表候補にも選ばれた。2008年、J1大宮に入団。主なポジションは右サイドバックで、リーグ通算成績は27試合出場で2得点。」



がんと就労 塚本泰史 右足の闘い(2) 気持ち切り替え手術決意



http://www.asahi.com/health/ikiru/TKY201107210258.html?ref=reca



「2010年1月下旬、サッカーJ1大宮の塚本泰史は右大腿(だいたい)骨の骨肉腫と診断された。がんを骨ごと取り除き、ひざは人工関節に換える治療が必要で、もうサッカーはできないと医師に告げられた。ショックで、ただただ、泣くばかりだった。

 東京医科歯科大の阿江啓介医師は、納得して手術できるよう、他の病院でも話を聞くことを勧めた。「どれくらい時間の余裕はありますか」。父・繁(しげる)(56)の問いに、「3月中旬ぐらいまで」と話した。

 検査で入院していた塚本は、家族と埼玉県川口市の実家に戻った。家に着いても、誰も一言も話さなかった。「どう慰めていいのか」。繁は、言葉が見つからなかった。

 その夜。「大丈夫だ。なんとかなるよ」。リビングに戻ってきた塚本が、自らに言い聞かせるように口にした。繁は、つかの間だが救われる思いがした。その一言で少しずつ、家族に会話が戻った。

 次の日から、みんなで別の治療法を探した。インターネットで病院を検索し、電話をかけた。診断書や画像を手に、一緒に群馬や東京など4~5カ所の医療機関を回った。姉の恭代(やすよ)(31)は、専門外だが著名な脳神経外科医のサイトを見つけ、メールで相談した。

 しかし、いずれも答えは「手術し人工関節に」だった。2月5日、都内の別のがん専門病院を最後に、塚本は心を決めた。

 決断を前に、兄の浩史が話したことがあった。「人工関節でのプレーは、俺も危ないと思う。でも、夢を追い続けたからこそプロになれた。あきらめないでほしい」

 社会人サッカーのクラブチームでプレーする自分だけが、分かってやれると思ったからだ。「結果的に無理だったとしても、ここまで頑張ったという気持ちになれるなら、再びピッチに立てる可能性が1%でも、0.5%でも応援し続けるよ」

 塚本は気持ちを切り替えた。「無理だと言われても、やってみないと分からない。人工関節でピッチに立った前例がないなら、自分が最初になろう」

 3月、全国最多クラスの骨肉腫の治療経験がある、がん研有明病院(東京)での手術が決まった。=敬称略





がんと就労 塚本泰史 右足の闘い(3) 説得され、抗がん剤治療



http://www.asahi.com/health/ikiru/TKY201107220321.html?ref=reca



「右大腿(だいたい)骨に骨肉腫が見つかったプロサッカーJ1大宮の塚本泰史は2010年3月10日、がん研有明病院(東京)で手術を受けることになった。

 主治医の下地尚(しもじ・たかし)・整形外科副部長(48)のチームは、手術前の検査で肺などへの転移がないことを確認した。骨肉腫は最長で16センチにわたった。転移を防ぐため、数センチ余裕を持たせて大腿骨を切断した。すねの骨の上部も切り、ひざを金属製の腫瘍(しゅよう)用人工関節に置き換えた。

 術後の病理診断の結果には2、3カ月かかる。MRIの画像などから、悪性度が高い可能性も捨てきれない。下地医師は「念のため、抗がん剤治療をした方がいい」と提案した。

 1年から1年半かけて、計6~9回の抗がん剤治療を行うという。「年末の契約更改までに復帰のめどが立てられない」。塚本は断った。

 下地医師は説得を続けた。「とりあえず3回やろう。検査で悪性度が低いと確認できたらやめる」。塚本の思いをくみ、通常2カ月おきの間隔を1カ月半に短縮することに。塚本も「命にかかわることだから」と折れた。手術の1カ月後、最初の抗がん剤治療が始まった。

 6月末、病理診断の結果が出た。一部に悪性度の高いがん細胞が見つかった。下地医師は、予定より、さらに3回多い抗がん剤治療が必要だと告げた。

 「終わったら12月だ。間に合わない」。拒む塚本を、下地医師は諭した。「サッカー選手である前に、病気に打ち勝つことが君の使命だろう」。追加の抗がん剤治療が始まった。

 1回約10日。通常1種類を塚本は2種類。毎日2~3時間、時に1日かけて点滴した。激しい吐き気とだるさに襲われた。

 支えになったのは、毎日病室を訪ねてくれる家族だった。そして、病室の壁を埋めた大宮の仲間やサポーターのメッセージが書かれた旗やユニホーム、3万羽以上の千羽鶴を見て、弱る気持ちを元気づけた。

 12月。通常1年はかかる抗がん剤治療を9カ月間で終えた。だが、松葉杖で歩くのがやっと。「契約更新はないだろう」。半ばあきらめかけていた。

 年が明けた1月、大宮の鈴木茂(すずき・しげる)社長(58)と会い、契約について話す日が来た。=敬称略 」



がんと就労 塚本泰史 右足の闘い(4) 年内の練習復帰が目標



http://www.asahi.com/health/ikiru/TKY201107230282.html?ref=reca



「右大腿(だいたい)骨骨肉腫と診断されたプロサッカーJ1大宮の塚本泰史は、2010年12月、通常は1年以上、時間をかける抗がん剤治療を9カ月間で終えた。

 がん研有明病院の主治医・下地尚医師から人工関節に換えた右ひざを使う本格的なリハビリを許された。ただ、「プロアスリートの激しい動きは難しい」とも言われた。

 「やっと、リハビリができる」。けれど、塚本の心は晴れなかった。Jリーグでは通常、12月初旬までに翌シーズンの契約を結ぶかどうかが決まる。それなのに杖無しで歩くこともままならない。「契約はダメだろうな」。あきらめかけていた。

 大宮の鈴木茂社長は契約更改を前に主治医らの意見を幹部を通じて聞いていた。「完璧な治療。人工関節も骨にしっかりなじんでいる」との報告だった。「塚本選手がチームに復帰できれば、他の患者も頑張って治そうという気持ちになる」と主治医が話していたとも聞いた。

 12月23日、鈴木社長が塚本の実家を訪れ、両親に伝えた。「もう1年契約します」。両親から聞いた塚本は、うれしくてたまらなかった。

 今年1月、さいたま市内の事務所で、鈴木社長は塚本と二人きりで会った。「治癒したとチームとして確認できたので契約する。かわいそうだからではない。戦力として考えている」

 けれども、次の言葉で塚本の顔から笑みが消えた。

 「ただし選手登録はしない」

 塚本は食い下がった。「戦力として考えているなら、選手登録をして下さい」。チームには感謝してもしきれない。ただ、選手として登録され、チームの一員として気持ち良くリハビリに臨みたかった。

 社長は、がん告白後、全国から支援を受けた塚本に「甘え」が出てはいないかと案じていた。チームとして練習環境は整える。しかし、自分をベストな状態に持って行くリハビリや練習は、だれも助けてやれない。鈴木社長はそう考えていた。

 「治療より厳しいだろうが、頑張って年内にチーム練習に復帰して欲しい。そうしたら選手登録をする」と約束した。

 塚本は、社長をまっすぐ見つめた。「分かりました。リハビリを頑張ります」=敬称略 」



がんと就労 塚本泰史 右足の闘い(5) 亡き少女に励まされ



http://www.asahi.com/health/ikiru/TKY201107240157.html?ref=reca



「骨肉腫の治療で、右ひざを人工関節に換えたプロサッカーJ1大宮の塚本泰史は、2011年1月、チームと契約を更新。新たなシーズンに入った。

 4月から、運動量を徐々に増やした。体重は88キロと15キロ以上増えたが、全身の筋肉は落ちていた。金属製の人工関節は重さ約2キロ。初めは重く感じ、ゴリゴリッという音が気になった。脚力を鍛えるマシンで、1キロの重りも上げられなかった。

 「何で、こんなこともできないんだ」。ピッチに立っていたころを思い出し、なぜ骨肉腫なんかに、なぜ足にと、色々な感情がこみあげ、涙が出た。

 そんなときは、がん研有明病院のリハビリ室で出会った、同じ病と闘う子どもたちを思い出し、心を奮い立たせた。

 その一人が、阿部香奈(あべ・かな)だ。

 中学校でバスケットボール部だった。3年前の夏、2年生で右大腿(だいたい)骨に骨肉腫が見つかり、人工関節にした。しかし翌秋再発し、足を切断。高校入学後の昨夏には、両肺への転移と2度目の再発が見つかった。

 それでも、昨春の出会いから笑顔が絶えなかった。「つらいはずなのに、弱みを見せないなんて」。塚本は胸を打たれた。

 「退院したら、もう一度、車いすでバスケットをするんだ」。夢を語る彼女に、塚本は「じゃあ、俺はもう一度ピッチに立つよ」と約束した。しかし今年1月、香奈は息を引き取った。まだ、16歳だった。

 6月、定期検診で、がん研を訪れた。主治医の下地尚医師に改めて「プロとしての運動は難しい」と言われた。だが「納得できるまで、やってごらん」と励まされた。

 いま、河川敷を自転車で約1時間走り、チームの練習場で汗を流す。右足のマシンの重りは14キロに増え体重も75キロとほぼ戻った。右足で踏ん張れないが軽いパス交換はできる。40秒軽く走り、20秒歩き、40秒軽く走る。走る練習も始めた。あと一歩。でも、その一歩が遠い。

 契約更改まで半年を切った。「下部リーグでもいい。再びピッチに立ちたい」と思う。

 「頑張ることは生きること」。香奈が、大好きな歌手への手紙で打ち明けていたと知った。その言葉を胸に、トレーニングに励み続ける。=敬称略 」



地元さいたま市に本拠地のあるサッカーチームの選手が骨肉腫と診断されたということで、塚本選手の病気には当初より注目していた。



しかし、当ブログでこれまで取り上げてこなっかったのは、メディアの報道の仕方、とりわけスポーツマスコミの報道の仕方に疑問を持っていたからである。



私が理解している範囲で言えば、人工関節置換をした人間がプロサッカー選手として活躍することはおよそ考えられない。



しかし、塚本選手の記者会見を受けたスポーツマスコミは、さもプロサッカー選手として復帰することが可能であるかのように報道していた。(ここで誤解して欲しくないのは、病気になった本人が目標・希望を持つことは全く否定されるべきではないということである。塚本選手自身が再びピッチに戻ることを夢見ることによって闘病・治療を頑張れるということは、良いことである。)



美談を作り上げるというのは、スポーツマスコミがよく採る手法であるが、そのような行為は弊害が多い。人工関節を入れたとしても、従前と同じ足の機能を保てるという誤解を与えてしまう。

今回の朝日新聞の記事にあるように、医学的に見れば「プロとしての運動は難しい」こと、「激しい運動をすると、つなぎ目で折れたり、骨が削られて人工関節が緩んで早く再手術が必要になったりする可能性がある」ことも併せて報道するべきである。



また、「塚本選手がチームに復帰できれば、他の患者も頑張って治そうという気持ちになる」との医師の発言も、塚本選手の治療経過と合わせて見ると、問題があるように思う。



骨肉腫患者に限らず、ほとんどのがん患者にとって一番重要なことは、完治させることである。一通りの治療が終わり、治ったように見えて現場に戻ることではない。



塚本選手個人にとっては、もう一度プロサッカー選手としてピッチに戻れることが最も重要なことなのかもしれないが、多くの骨肉腫患者・がん患者は、完治し、命が長く続くことを最も重要なことと考えている。家族ももちろんそれを望んでいる。



しかし、朝日新聞の記事中にある治療経過を見ると、塚本選手はサッカー選手であることを優先させるために、いくつか問題のある治療経過を辿っているように思える。



まず、1月下旬に診断がついているにも関わらず、他の治療の選択肢を探して1ヶ月以上を費やしている。

がんは、小さければ小さいほど治り易い。可能な限り早めの切除が望ましい。しかも、若年の骨肉腫である。1ヶ月の時間の経過は、一般的に言えば、問題がある。(塚本選手のような、どうしても優先したいことがある場合は勿論自身の判断で時間を費やすことは自由である。)



また、記事からすると、術前補助抗がん剤治療は行わず、術後補助抗がん剤治療も、サッカー復帰との兼ね合いから、可能な限り絞り込んだように見える。これも、私には問題があるように見える。



通常は、術前補助抗がん剤治療を行い、効果判定を行ってから人工関節置換術に臨む。抗がん剤が効いていれば切除範囲が狭まるし、抗がん剤が効けば、より早く全身のがん細胞を叩くことが出来る。術後補助抗がん剤治療に使う抗がん剤を有効に選択することも出来る。それがあるべき治療経過であると思う。(ご参考 http://www.jfcr.or.jp/cancer/type/neoplasm.html  )



繰り返しになるが、塚本選手がどのような治療を行うかは、彼の自己決定の問題なので、どういう治療を行おうと自由である。

ただ、それが報道され、そのような治療方法で構わないという認識が広がることを私は恐れている。命以上にどうしても優先したい何かがないのであれば、完治の確率を上げる治療法を可能な限り追求していくべきである。



そのためには、術前補助抗がん剤治療を行い、その後可能であれば切除手術を行い、最後に術後補助抗がん剤治療を行う。



そして、人工関節が足に入っていて、再手術や感染症を避けたいと考えている人は、足に過度に負担がかからないよう留意して暮らす。(運動をするなら水泳。趣味を持つならスキューバダイビング。これは私が入院している時に主治医を含め複数の医師から実際に言われた言葉である。)



それが推奨される暮らし方だと思う。



3 コメント

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んーーー (え?)
2016-04-14 12:06:32
なんか違和感のあるブログだった。

このページしか読んでないので
あなたの事がよく分かりませんが、

あなたは・・・・・


偉い人なんですか?
何様なんですか?


推奨される暮らし方?

どうしてあなたがそんな事を
言えるんですか?


沢山の症例からもとずいて
標準治療というものが出来上がったというのは
十分に分かっています。

でも、標準治療というものが大切なら
医者なんていらなくないですか?

マニュアルをしっかり全部覚えて
間違いなく行動に移せる人ならだれでもいいと
思うのですが。

誰からのコメントも掲載されていませんね?
なぜですか?



『私には問題があるように見える』

あなたは偉い人なんですか?
誰なんですか?
返信する
何を言いたいのですか? (当ブログ管理人)
2016-04-19 23:27:39
偉そうだな、と批判がしたいですか?私の本名が知りたいですか?

「標準治療というものが大切なら医者なんていらなくないですか」

全く理解出来ません。標準治療が大切だとなぜ医者はいらないのですか?理由が書かれていないので、わかりません。
標準から外れた治療を行わなければならないケースもあるので医師は必要です。
また、標準治療をより良いものにしていくためにも医師による臨床データの積み重ねとその検証は不可欠です。
あなたの考えが間違っていると思います。

あなたは、本音で議論を重ねた経験が少ないように見えます。議論をしたいのなら、それなりの準備をして議論を投げかかてください。

「お前偉そうだな」と言いたいだけなら、時間の無駄なので、今後同じIPアドレスからのコメントは公開しません。

他のコメントも公開していますよ。よく見てください。

「推奨される」という言葉に引っかかっているようですが、私が医師から推奨されているから、「推奨される」と言っています。
それは、私のブログの最初の方の記事をいくつか読んでもらえればわかります。

自分が偉いと思ったことはありませんが、そう受け取るのはあなたの自由ですので、どのように私の人物像を想像してもらっても構いません。

時間がたくさんあるようで、うらやましい限りです。
返信する
何を言いたいのですか?2 (当ブログ管理人)
2016-04-19 23:54:02
「標準治療というものが大切なら
医者なんていらなくないですか?

マニュアルをしっかり全部覚えて
間違いなく行動に移せる人ならだれでもいいと
思うのですが。」

例えば、骨肉腫にも標準治療と呼ばれるものはありまして、それは術前にシスプラチン・アドリアマイシン・イフォマイドを投与し、腫瘍部を縮小させ、患肢や体幹部であればその周囲組織を出来るだけ温存し、術後のQOLを高めようとします。
その際、抗がん剤は効いているのか、腎機能、肝機能、骨髄機能はダメージを受けていないか、様々なことを頻回の血液検査結果、画像データから判断します。
それがマニュアルで出来ると思いますか?あなたは血液検査結果から腎臓・肝臓・骨髄の状態を読み取れますか?抗がん剤が効いた骨肉腫のレントゲン画像がどのようなものであるか読み取れますか?

あなたは医師の仕事を舐めてますし、そもそも高度の学問をした経験もないのでしょう。
医学の基礎となる学問には、生物学・化学・物理学・数学等がありますが、あなたはそのいいずれも深く学んだことがないのでしょう。

医師・医療を舐めるな!と言いたいですね。マニュアルで出来るようなことではありません。それは多少の知識があれば、説明など必要もない自明のことです。

あなたが誰かにマニュアルを作ってもらってがん治療でもしたらいいんじゃないですか。

出来るもんなら。
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