がん(骨肉腫)闘病記

抗がん剤治療、放射線治療、人工関節置換手術、MRSA感染、身体障害者となっての生活の記録を残します。

本日のテレビ朝日-サンデープロジェクト

2009年04月19日 | Weblog
2009年04月19日 12時23分記載

以下は番組HP(URL http://www.tv-asahi.co.jp/sunpro/ )より。

「痴漢容疑で最高裁が異例の逆転無罪判決!



3年間の冤罪が晴れた大学教授の心中は?



2年前、周防正行監督が痴漢冤罪をテーマにした映画
「それでもボクはやっていない」が、話題になった
映画の結論は、「有罪」だったが、
「それでもボクはやっていない」を上回る判決が
14日、最高裁で言い渡された

電車内で、女子高生に痴漢をした罪に問われた
防衛医科大教授に対する無罪判決だ
裁判では、1審2審とも1年10月の実刑判決が言い渡された
ところが最高裁は、痴漢事件としては初めて弁論法廷を開き
1・2審を覆す逆転無罪の判決を出した

この事件の構図は、被害者の証言だけで、他に証拠がないと
いう部分で、特別なものではなく、多くの痴漢事件と同じだ
ようやく無罪となった当のご本人は、「これで有頂天になる気分でない」
「ヤミの部分で泣いている人や家族が多くいる」と、「痴漢冤罪」は、まだあることを訴えている

大学教授から一転、被告人として濡れ衣を3年間も着させられた
教授を支えたものは何だったのか?
何故、わざわざ最高裁法廷が開かれ、新たな証拠が見つかったわけでもないのに
有罪から無罪に判断が変わったのか?
       
映画「それでもボクはやっていない」のモデルのひとりで
元裁判官でもある主任弁護人の秋山賢三さんと
無罪となった防衛医科大教授の名倉正博さんに
田原総一朗が聞く!



<<出演>>

名倉正博(防衛医科大教授)

秋山賢三(弁護士)」



現在の最高裁の構成は、



第一小法廷-・涌井紀夫(裁判官)・金築誠志(裁判官)・甲斐中辰夫(検察官出身)・桜井龍子(行政官出身)・宮川光治(弁護士出身)



第二小法廷-竹崎博允(裁判官・長官)・今井功(裁判官)・古田佑紀(検察官出身)・竹内行夫(外交官出身)・中川了滋(弁護士)



第三小法廷-堀籠幸男(裁判官)・近藤崇晴(裁判官)・藤田宙靖(学者出身)・那須弘平(弁護士)・田原睦夫(弁護士)



冒頭の逆転無罪判決を下したのは第三小法廷。個人的には、第三小法廷でなかったら有罪判決が下されていたと思う。名倉さんにとっては、第三小法廷での審理となったことが命拾いになったと思う。



本記事では、当該逆転無罪判決(参照URL http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20090414170745.pdf )における那須裁判官及び近藤裁判官の補足意見を掲載しておく。刑事裁判をどう考えるべきか、勉強になる意見である。



「裁判官那須弘平の補足意見は,次のとおりである。

1 冤罪で国民を処罰するのは国家による人権侵害の最たるものであり,これを防止することは刑事裁判における最重要課題の一つである。刑事裁判の鉄則ともいわれる「疑わしきは被告人の利益に」の原則も,有罪判断に必要とされる「合理的な疑いを超えた証明」の基準の理論も,突き詰めれば冤罪防止のためのものであると考えられる。


本件では,公訴事実に当たる痴漢犯罪をめぐり,被害を受けたとされる女性(以下「A」という。)が被告人を犯人であると指摘するもののこれを補強する客観的証拠がないに等しく,他方で被告人が冤罪を主張するもののやはりこれを補強する客観的証拠に乏しいという証拠状況の下で,1審及び原審の裁判官は有罪・無罪の選択を迫られ,当審でも裁判官の意見が二つに分かれている。意見が分かれる原因を探ると,結局は「合理的な疑いを超えた証明」の原理を具体的にどのように適用するかについての考え方の違いに行き着くように思われる。そこで,この際,この点について私の考え方を明らかにして,多数意見が支持されるべき理由を補足しておきたい。


2 痴漢事件について冤罪が争われている場合に,被害者とされる女性の公判での供述内容について「詳細かつ具体的」,「迫真的」,「不自然・不合理な点がない」などという一般的・抽象的な理由により信用性を肯定して有罪の根拠とする例は,公表された痴漢事件関係判決例をみただけでも少なくなく,非公表のものを含めれば相当数に上ることが推測できる。しかし,被害者女性の供述がそのようなものであっても,他にその供述を補強する証拠がない場合について有罪の判断をすることは,「合理的な疑いを超えた証明」に関する基準の理論との関係で,慎重な検討が必要であると考える。その理由は以下のとおりである。

ア混雑する電車内での痴漢事件の犯行は,比較的短時間のうちに行われ,行為の態様も被害者の身体の一部に手で触る等という単純かつ類型的なものであり,犯行の動機も刹那的かつ単純なもので,被害者からみて被害を受ける原因らしいものはこれといってないという点で共通している。被害者と加害者とは見ず知らずの間柄でたまたま車内で近接した場所に乗り合わせただけの関係で,犯行の間は車内での場所的移動もなくほぼ同一の姿勢を保ったまま推移する場合がほとんどである。このように,混雑した電車の中での痴漢とされる犯罪行為は,時間的にも空間的にもまた当事者間の人的関係という点から見ても,単純かつ類型的な態様のものが多く,犯行の痕跡も(加害者の指先に付着した繊維や体液等を除いては)残らないため,「触ったか否か」という単純な事実が争われる点に特徴がある。このため,普通の能力を有する者(例えば十代後半の女性等)がその気になれば,その内容が真実である場合と,虚偽,錯覚ないし誇張等を含む場合であるとにかかわらず,法廷において「具体的で詳細」な体裁を具えた供述をすることはさほど困難でもない。
その反面,弁護人が反対尋問で供述の矛盾を突き虚偽を暴き出すことも,裁判官が「詳細かつ具体的」,「迫真的」あるいは「不自然・不合理な点がない」などという一般的・抽象的な指標を用いて供述の中から虚偽,錯覚ないし誇張の存否を嗅ぎ分けることも,けっして容易なことではない。本件のような類型の痴漢犯罪被害者の公判における供述には,元々,事実誤認を生じさせる要素が少なからず潜んでいるのである。


イ被害者が公判で供述する場合には,被害事実を立証するために検察官側の証人として出廷するのが一般的であり,検察官の要請により事前に面接して尋問の内容及び方法等について詳細な打ち合わせをすることは,広く行われている。痴漢犯罪について虚偽の被害申出をしたことが明らかになれば,刑事及び民事上の責任を
追及されることにもなるのであるから(刑法172条,軽犯罪法1条16号,民法709条),被害者とされる女性が公判で被害事実を自ら覆す供述をすることはない。検察官としても,被害者の供述が犯行の存在を証明し公判を維持するための頼りの綱であるから,捜査段階での供述調書等の資料に添った矛盾のない供述が得られるように被害者との入念な打ち合わせに努める。この検察官の打ち合わせ作業自体は,法令の規定(刑事訴訟規則191条の3)に添った当然のものであって,何ら非難されるべき事柄ではないが,反面で,このような作業が念入りに行われれば行われるほど,公判での供述は外見上「詳細かつ具体的」,「迫真的」で,「不自然・不合理な点がない」ものとなるのも自然の成り行きである。これを裏返して言えば,公判での被害者の供述がそのようなものであるからといって,それだけで被害者の主張が正しいと即断することには危険が伴い,そこに事実誤認の余地が生じることになる。


ウ満員電車内の痴漢事件については上記のような特別の事情があるのであるから,冤罪が真摯に争われている場合については,たとえ被害者女性の供述が「詳細かつ具体的」,「迫真的」で,弁護人の反対尋問を経てもなお「不自然・不合理な点がない」かのように見えるときであっても,供述を補強する証拠ないし間接事実の存否に特別な注意を払う必要がある。その上で,補強する証拠等が存在しないにもかかわらず裁判官が有罪の判断に踏み切るについては,「合理的な疑いを超えた証明」の視点から問題がないかどうか,格別に厳しい点検を欠かせない。


3 以上検討したところを踏まえてAの供述を見るに,1審及び原審の各判決が示すような「詳細かつ具体的」等の一般的・抽象的性質は具えているものの,これを超えて特別に信用性を強める方向の内容を含まず,他にこれといった補強する証拠等もないことから,上記2に挙げた事実誤認の危険が潜む典型的な被害者供述であると認められる。
これに加えて,本件では,判決理由第2の5に指摘するとおり被害者の供述の信用性に積極的に疑いをいれるべき事実が複数存在する。その疑いは単なる直感による「疑わしさ」の表明(「なんとなく変だ」「おかしい」)の域にとどまらず,論理的に筋の通った明確な言葉によって表示され,事実によって裏づけられたものでもある。Aの供述はその信用性において一定の疑いを生じる余地を残したものであり,被告人が有罪であることに対する「合理的な疑い」を生じさせるものであるといわざるを得ないのである。
したがって,本件では被告人が犯罪を犯していないとまでは断定できないが,逆に被告人を有罪とすることについても「合理的な疑い」が残るという,いわばグレーゾーンの証拠状況にあると判断せざるを得ない。その意味で,本件では未だ「合理的な疑いを超えた証明」がなされておらず,「疑わしきは被告人の利益に」の原則を適用して,無罪の判断をすべきであると考える。


4 堀籠裁判官及び田原裁判官の各反対意見の見解は,その理由とするところも含めて傾聴に値するものであり,一定の説得力ももっていると考える。しかしながら,これとは逆に,多数意見が本判決理由中で指摘し,当補足意見でやや詳しく記した理由により,Aの供述の信用性にはなお疑いをいれる余地があるとする見方も成り立ち得るのであって,こちらもそれなりに合理性をもつと評価されてよいと信じる。
合議体による裁判の評議においては,このように,意見が二つ又はそれ以上に分かれて調整がつかない事態も生じうるところであって,その相違は各裁判官の歩んできた人生体験の中で培ってきたものの見方,考え方,価値観に由来する部分が多いのであるから,これを解消することも容易ではない。そこで,問題はこの相違をどう結論に結びつけるかであるが,私は,個人の裁判官における有罪の心証形成の場合と同様に,「合理的な疑いを超えた証明」の基準(及び「疑わしきは被告人の利益に」の原則)に十分配慮する必要があり,少なくとも本件のように合議体における複数の裁判官がAの供述の信用性に疑いをもち,しかもその疑いが単なる直感や感想を超えて論理的に筋の通った明確な言葉によって表示されている場合には,有罪に必要な「合理的な疑いを超えた証明」はなおなされていないものとして処理されることが望ましいと考える(これは,「疑わしきは被告人の利益に」の原則にも適合する。)。
なお,当審における事実誤認の主張に関する審査につき,当審が法律審であることを原則としていることから「原判決の認定が論理則,経験則等に照らして不合理といえるかどうかの観点から行うべきである」とする基本的立場に立つことは,堀籠裁判官指摘のとおりである。しかし,少なくとも有罪判決を破棄自判して無罪とする場合については,冤罪防止の理念を実効あらしめるという観点から,文献等に例示される典型的な論理則や経験則に限ることなく,我々が社会生活の中で体得する広い意味での経験則ないし一般的なものの見方も「論理則,経験則等」に含まれると解するのが相当である。多数意見はこのような理解の上に立って,Aの供述の信用性を判断し,その上で「合理的な疑いを超えた証明」の基準に照らし,なお「合理的な疑いが残る」として無罪の判断を示しているのであるから,この点について上記基本的立場から見てもなんら問題がないことは明らかである。



裁判官近藤崇晴の補足意見は,次のとおりである。


私は,被告人を無罪とする多数意見に与するものであり,また,多数意見の立場を敷衍する那須裁判官の補足意見に共鳴するものであるが,なお若干の補足をしておきたい。


本件は,満員電車の中でのいわゆる痴漢事件であり,被害者とされる女性Aが被告人から強制わいせつの被害を受けた旨を具体的に供述しているのに対し,被告人は終始一貫して犯行を否認している。そして,被告人の犯人性については,他に目撃証人その他の有力な証拠が存在しない。すなわち,本件においては,「被害者」の供述と被告人の供述とがいわば水掛け論になっているのであり,それぞれの供述内容をその他の証拠関係に照らして十分に検討してみてもそれぞれに疑いが残り,結局真偽不明であると考えるほかないのであれば,公訴事実は証明されていないことになる。言い換えるならば,本件公訴事実が証明されているかどうかは,Aの供述が信用できるかどうかにすべてが係っていると言うことができる。このような場合,一般的に,被害者とされる女性の供述内容が虚偽である,あるいは,勘違いや記憶違いによるものであるとしても,これが真実に反すると断定することは著しく困難なのであるから,「被害者」の供述内容が「詳細かつ具体的」,「迫真的」で「不自然・不合理な点がない」といった表面的な理由だけで,その信用性をたやすく肯定することには大きな危険が伴う。この点,那須裁判官の補足意見が指摘するとおりである。また,「被害者」の供述するところはたやすくこれを信用し,被告人の供述するところは頭から疑ってかかるというようなことがないよう,厳に自戒する必要がある。


本件においては,多数意見が指摘するように,Aの供述には幾つかの疑問点があり,その反面,被告人にこの種の犯行(公訴事実のとおりであれば,痴漢の中でもかなり悪質な部類に属する。)を行う性向・性癖があることをうかがわせるような事情は記録上見当たらないのであって,これらの諸点を総合勘案するならば,Aの供述の信用性には合理的な疑いをいれる余地があるというべきである。

もちろん,これらの諸点によっても,Aの供述が真実に反するもので被告人は本件犯行を行っていないと断定できるわけではなく,ことの真偽は不明だということである。
上告裁判所は,事後審査によって,「判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認がある」(刑訴法411条3号)かどうかを判断するのであるが,言うまでもなく,そのことは,公訴事実の真偽が不明である場合には原判決の事実認定を維持すべきであるということを意味するものではない。上告裁判所は,原判決の事実認定の当否を検討すべきであると考える場合には,記録を検討して自らの事実認定を脳裡に描きながら,原判決の事実認定が論理則,経験則等に照らして不合理といえるかどうかを検討するという思考操作をせざるを得ない。その結果,原判決の事実認定に合理的な疑いが残ると判断するのであれば,原判決には「事実の誤認」があることになり,それが「判決に影響を及ぼすべき重大な」ものであって,「原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認めるとき」は,原判決を破棄することができるのである。殊に,原判決が有罪判決であって,その有罪とした根拠である事実認定に合理的な疑いが残るのであれば,原判決を破棄することは,最終審たる最高裁判所の職責とするところであって,事後審制であることを理由にあたかも立証責任を転換したかのごとき結論を採ることは許されないと信ずるものである。」

田原総一朗 × 田勢康弘(2) 検察からアメリカ発 金融危機までを語る

2009年04月15日 | Weblog
2009年04月15日 18時54分記載

URL http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20090414/146367/?ml



「(前回記事はこちら )

 連載100回目を迎えた田原総一朗氏の「政財界 ここだけの話」。日経新聞客員コラムニストの田勢康弘氏を迎えた100回記念対談の第二弾をお届けする。小沢代表の秘書逮捕・起訴に踏み切った検察から、アメリカ発の金融危機までを自由に語ってもらった。


田原 今回、小沢さんの秘書が逮捕された事件では、いろいろなマスコミが検察のリークをそのまま新聞やテレビで流しています。裏も取らずに。いや、取れるはずがないのですが…。しかし、裏も取らずに検察のリークをそのまま載せてしまうということが、なぜ起きるのでしょう。

田勢 もう何十年も、検察の一方的なリークで新聞やテレビのニュースがつくられたりしているわけですが、思い出すのは、リクルート事件です。ニューヨークタイムスが「prosecutors' leaks」と書きました。これにはもう拍手してしまいましたよ。日本の新聞が「関係者の話で明らかになった」とか書く場合、主語が全くないでしょう。



「関係者」とは?




田原 今回の小沢事件の報道では、「検察関係者」と書かれています。「名前くらいは明らかにしろ」と思いますね。その「検察関係者」の言葉が、そのまま見出しになるわけです。田勢さんは新聞記者をされていましたが、今、新聞あるいは新聞記者の能力、または取材力が落ちているということを感じますか。

田勢 ニュースソースと取材側の関係で「ギブ・アンド・テイク」が全く成り立っていないのが、司法ジャーナリズム、検察担当記者と検察の関係だと思います。

田原 向こうからのギブばかりで、記者側からのギブがないと。

田勢 ええ。そこで人間関係が断ち切られると、原稿一本書けなくなるわけです。ですから、記者たちの関心は、検察の誰それがどの部署から回ってきたとか、司法試験に何年に受かったとかで、そうしたことは、自分の会社よりもよっぽどよく知っている。つまり、あの世界にどっぷりと浸かって価値感を共有しているけれど、情報操作をされているという自覚があまりないのではないでしょうか。

田原 今回の事件でも、小沢さんの元秘書で現議員の石川さん(石川知裕衆議院議員)が事情聴取を受けましたが、報道では受ける前からまるで犯人扱いですよ。がーっと書く。しかし、その次に元秘書で元議員だった高橋さん(高橋嘉信氏)が事情聴取を受けたときは、どこも書かなかった。それで私がいくつかの新聞やテレビに、なぜこんなに差があるのかと聞くと、実は検察が書くなとブレーキをかけたと言うのです。つまり、検察が書けと言えば裏を取れなくてもガンガン書く、書くなと言われるとパンとやめてしまう。こういうことは、司法記者の特徴で、ほかの政治部や経済部にはないのですか。

田勢 あんなことは、もうないですよね。検察の場合はルールがあって、特定された担当の幹部がいて、それ以外に取材に行くと記者クラブから除名されるとか、出入り禁止になるのです。つまり、皆、同じ人から同じ話を同じタイミングで聞いている。というよりは、聞かされていることになるのですね。それで事件が作られていきますから、裁判の結果に関わらず、(書かれた人は)そこで社会的なペナルティを受けてしまうわけです。

田原 これはもう言ってもいいのだと思うのですが、サンデープロジェクトにも出てくださった元検事の郷原信郎さんが「司法記者の友人が全く来なくなった、前はいっぱい来ていたのに」と言っています。どうしてかと聞くと、検察が「郷原のところにはもう行くな」と言っていると。言うことをよく聞くんですねえ。

田勢 それは、談合と同じですね。

田原 ええ。まさに談合です。

田勢 談合の取材をしている側が、談合しているというわけですか。最もかたくなにシステムを守っている、それが司法ジャーナリズムということですねえ。

(以下省略)」



調書漏えい、鑑定人の精神科医に有罪判決…奈良地裁

2009年04月15日 | Weblog
2009年04月15日 18時43分記載

URL http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090415-OYT1T00518.htm?from=nwla



「奈良県田原本町で2006年6月に起きた医師宅放火殺人を巡る調書漏えい事件で、加害少年(19)(中等少年院送致)の供述調書などを漏らしたとして、秘密漏示罪に問われた鑑定医の崎浜盛三被告(51)の判決が15日、奈良地裁であった。

 石川恭司裁判長は、崎浜被告に懲役4月、執行猶予3年(求刑・懲役6月)の有罪判決を言い渡した。

 最高裁によると、同罪での司法判断は、記録が確認できる1978年以降で初めて。

 公判で、崎浜被告は調書をフリージャーナリストの草薙(くさなぎ)厚子さん(44)に見せたことは認めたが、犯罪の成立要件を争い、無罪を主張した。

 秘密漏示罪は、医師や弁護士など特定の職業(身分)の人が、正当な理由なく業務上知り得た秘密を漏らした場合に適用される。

 精神鑑定が医師の業務かどうかについて、弁護側は「治療を目的としない精神鑑定は医師の業務にはあたらない」と争っていたが、石川裁判長は判決で、「精神鑑定は医師の業務にあたる」と認定した。

 漏えい行為に正当な理由があったかどうかについても判断。石川裁判長は「少年の利益を図るためのものとは言えず、取材に対する協力としても『正当な理由』があるとは認められない」とし、「少年がはられた『殺人者』というレッテルをはがすことや、少年の抱える広汎性発達障害に対する世間の認識と理解をただすためだった」などとする弁護側の主張を退けた。

 奈良地検は当初、草薙さんについて、崎浜被告の了解を得て本を出版した「身分なき共犯」にあたるとして捜査。しかし崎浜被告には、調書がそのまま出版される認識はなく、共犯関係が成立しないとして草薙さんを不起訴(嫌疑不十分)とした。

 公判では、草薙さんや講談社の幹部も証人として出廷し、証言が波紋を広げた。

 ◆調書漏えい事件の判決骨子◆

 ▽被告は「医師」で、精神鑑定は「業務」にあたる

 ▽供述調書などは保護される「秘密」にあたる

 ▽調書漏えいに「正当な理由」は認められない

 ▽少年と父親の告訴は有効

(2009年4月15日13時17分 読売新聞)」


報道機関が「奈良地検は当初、草薙さんについて、崎浜被告の了解を得て本を出版した「身分なき共犯」にあたるとして捜査。しかし崎浜被告には、調書がそのまま出版される認識はなく、共犯関係が成立しないとして草薙さんを不起訴(嫌疑不十分)とした。」なんて、検察の弁明みたいなことを書いてやる必要があんのかね。

内容にも疑問があって、崎浜被告人に調書がそのまま出版される認識があろうがなかろうが秘密漏示罪は成立するんであって(だから今日崎浜被告人には有罪判決が下されている)、正犯が成立するのに共犯は成立しないなんてのはおかしな話。草薙さんを奈良地検が起訴しなかったのには別の特別な理由があるはず。(少なくともジャーナリストだったらそう考えるべき。)


報道機関なら、地検の代弁なんかするべきじゃない。


調書漏えいの崎浜被告「後悔しない」、草薙さんは姿見せず

2009年04月15日 | Weblog
2009年04月15日 17時55分記載

URL http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090415-OYT1T00639.htm?from=nwla



「加害少年のプライバシーが記載された調書をジャーナリストに見せた行為に、有罪判決が出た。

 2006年の奈良県・医師宅放火殺人事件を巡る調書漏えい事件で、奈良地裁は15日、鑑定人で医師の崎浜盛三被告(51)に懲役4月、執行猶予3年を言い渡した。

 判決前、崎浜被告は「有罪になっても後悔しない」と語ったが、判決は「正当な理由は認められない」と指摘。調書を自著に引用したフリージャーナリストの草薙厚子さん(44)は法廷に姿を見せなかった。

 「草薙さんにだまされたという思いはあるが、調書を見せたことは間違っていない」。15日午前、京都市内の自宅を出た崎浜被告は淡々と話した。

 06年夏、草薙さんから「調書を見せてほしい」と持ちかけられた時、返事をためらった。ただ、精神鑑定した少年は「殺人者ではない」と確信し、少年へのレッテルをはがすため、広汎性発達障害を社会に理解してもらいたいと考え、調書を見せたという。

 しかし、調書がそのまま引用された本を見た時、「あぜんとした」。表紙に使われていたのは、少年がカレンダーに書いた「殺害計画表」。少年に殺意がなかったと強調したかったのに、逆の内容になっていた。公判では、「少年の更生に支障があるようなら残念だ」と述べた。

 崎浜被告は今も勤務先の民間病院で診療を行っているが、有罪が確定すれば医師免許を取り消される可能性もある。「それでも仕方ない。後悔はしていませんよ」と語り、奈良地裁へ向かった。

 一方、草薙厚子さんはこの日、判決は傍聴せず、記者会見を開く予定もない。

 草薙さんは捜査段階では情報源を明らかにしなかったが、今年1月の公判で「情報源は崎浜先生です」と認めた。理由について「事実関係を明らかにすることが崎浜先生の利益になると思った」と述べたが、ジャーナリストが取材源を明らかにするのは極めて異例で、波紋を呼んでいた。

(2009年4月15日15時39分 読売新聞)」


草薙さんが情報源を明らかにした時、読売は厳しく草薙さんを批判していたけど、バンキシャが誤報絡みで取材源を明らかにした時は批判してなかったね。バンキシャはジャーナリズムじゃないってことなのかな。

防衛医大教授に逆転無罪=電車内痴漢「慎重な判断を」-事件捜査に影響も・最高裁

2009年04月14日 | Weblog
2009年04月14日 17時57分記載

時事ドットコム配信記事(URL http://www.jiji.co.jp/jc/c?g=soc&k=2009041400531 )



「電車内で女子高校生に痴漢行為をしたとして強制わいせつ罪に問われ、一、二審で実刑とされた防衛医科大学校の名倉正博教授(63)=休職中=の上告審判決で、最高裁第三小法廷(田原睦夫裁判長)は14日、「被害者の証言は不自然で、信用性に疑いがある」として、逆転無罪を言い渡した。教授の無罪が確定する。五裁判官のうち三人の多数意見。
 判決は「客観証拠が得られにくい満員電車内の痴漢事件では、特に慎重な判断が求められる」とした。同種事件の捜査や裁判に影響を与えそうだ。
 同小法廷は、手に残った繊維の鑑定などの裏付け証拠がないことから、唯一の証拠である被害者の証言について、慎重に判断する必要があるとした。
 その上で、痴漢被害を受けても車内で逃れようとせず、いったん下車した後も車両を変えずに再度教授の近くに乗ったとする女子高生の証言を、不自然で疑問が残ると指摘。全面的に証言の信用性を認めた一、二審の判断を「慎重さを欠いた」と退けた。(2009/04/14-17:33)」



同じことを読売が伝えると。(URL http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090414-OYT1T00669.htm?from=top )



記事タイトル:物証・目撃なし「痴漢」防衛医大教授に逆転無罪・・・最高裁



「東京都内の電車内で女子高生に痴漢をしたとして強制わいせつ罪に問われ、1、2審で実刑判決を受けた防衛医科大の男性教授(63)(休職中)の上告審判決が14日、最高裁第3小法廷であった。

 田原睦夫裁判長は「被告を有罪とした1、2審判決には重大な事実誤認がある。検察官による犯罪の証明は十分ではない」と述べ、懲役1年10月とした1、2審判決を破棄し、無罪を言い渡した。男性の逆転無罪が確定する。

 男性は2006年4月18日朝、東京・世田谷区を走行中の小田急線の電車内で、女子高校生(当時17歳)のスカートの中の下着に手を入れるなどしたとして逮捕、起訴された。

 男性は一貫して容疑を否認し、物証や目撃証言もなかったが、1審・東京地裁判決、2審・東京高裁判決は、いずれも女子高生の供述を信用できると判断していた。

(2009年4月14日16時49分 読売新聞)」

第179回:複雑怪奇な平日の高速道路料金に隠された陰謀

2009年04月13日 | Weblog
URL http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/o/179/



Author 経済アナリスト 森永 卓郎氏 2009年4月7日



「景気対策の柱の一つとして、3月28日から高速道路料金引き下げが始まった。今後約2年間にわたって実施されるものだ。その目玉商品とされるのは、「休日の乗用車は、どこまで行っても1000円」という点だろう。もっとも、ニュースではその点ばかりを報道しているから気がつかないかもしれないが、実は今回の割引はもっと広範囲に及んでいる。

 本当に影響が大きいのは、平日の料金体系だろう。当然ながら、休日よりも平日のほうが日数は多い。では、地方部の平日割引の内容がどうなっているかというと、その内容は実に複雑怪奇なのである。

  0時~4時 5割引(深夜割引)
  4時~6時 3割引(平日夜間割引)
  6時~9時 5割引(通勤割引)
  9時~17時 3割引(平日昼間割引)
  17時~20時 5割引(通勤割引)
  20時~24時 3割引(平日夜間割引)

 おそらく、どこかの交通経済学者が助言をして、「こうすれば渋滞が緩和できる」という机上の計算をしているに違いない。だが、この6区分を一度に覚えられる人は、そうそういないだろうし、まるで景気対策をおもちゃにしているようにも感じられる。そして、わたしには、何よりもこの複雑な料金体系の裏に、国土交通省の思惑が透けて見えてしかたがないのである。



なぜ分かりやすい割引料金体系にしないのか



 複雑怪奇なのは、時間帯ごとに異なる割引率だけではない。この6区分だけでも覚えきれないというのに、さらに適用条件が複雑に絡んでいるのだ。

 例えば、9時~17時の平日昼間割引については、走行距離が100キロ以内でなくては割引が適用されないことになっている。つまり、100キロを超えそうになったら、いったんインターを降りないと割引にならないのだ。これは、従来の休日昼間割引制度と同じである。そして、1日の平日昼間割引適用は2回までとされている。7月からは、インターを降りなくても100キロまでの割引が適用になるそうだが、1日に2回までという条件はそのまま継続される。「何がなんだか分からん!」と叫びたくなるのは、わたしだけではないだろう。

 わたし自身も、従来の休日昼間割引を利用して、少しでも高速道路料金を節約しようと試みたことが何度もある。だが、この100キロ制限の壁は厚い。かえって、時間と費用を無駄にしてしまうことも少なくなかった。

 なにしろ、目的地が100キロ以上先にあるときは、100キロ未満でインターチェンジをいったん降りなくてはならない。当然のことながら時間が余分にかかる。それでも、すぐにUターンできればいいが、センターラインがガードで仕切られていて戻れなくなることもしばしばである。いったん一般道に出て途方にくれながら、また入り直さなくてはならないのだ。

 こんな時代だから、少しでも節約したいという人は多いだろうが、誰もがこんなことをすれば、無用な渋滞も起きるだろうし、そもそも危ない。

 しかもこれで確実に節約できるという保証はない。高速道路に入るたびに、ターミナルチャージという、料金所の維持管理費が加算されるからだ。これは、電車やバスでいう初乗り運賃に当たるもので、これがあるために、途中で降りる回数が増えるほど、割高になってしまうわけである。

 つまり、昼間割引を受けるためには、どこのインターチェンジで途中下車するのが有利なのか、事前に徹底チェックしてから出かけなくては損をしてしまうことになる。

 国民のことを思って、高速道路料金の値下げをしてくれるなら、平日でも乗用車に限らず、一律に終日3割引とか4割引といった分かりやすい割引制度にしてもいいではないか。



民主党政権をにらんでETCの普及率を過半数に



 ではなぜ、わざわざ面倒な割引制度を平日に導入したのだろうか。わたしには、そこにこそ国土交通省の意図が隠されていると感じられるのだ。つまり、この割引制度は、初めからETCを普及させることありきで考案された仕組みではないのか。

 現在のETCの普及率をご存じだろうか。確かに、料金所を通過する車に対してのETCの普及率は7割を超えている。しかし、自動車全体に対する普及率は現在27%に過ぎない。つまり、4台に1台しか付いていない計算になる。理由は簡単なことで、高速道路をよく使う人はETCを付けているが、めったに使わない人はETCを取り付けていないというわけだ。

 一方、民主党が掲げている景気対策の一つに、高速道路の無料化という政策がある。もし、これが実現したらETCはどうなるか。いうまでもなく、ETCのシステムはすべて不要になってしまう。仮に、4台に1台しか付いていない状態で民主党が政権をとったら、国民の大多数は「たとえETCが無駄になっても、無料化したほうがいいじゃないか」ということになるだろう。これでは、ETC推進派は困ってしまうわけだ。

 わたしは、ETCに関する利権がどこにあるのか知らないが、ETCを推進してきた人にとって、民主党の政策は許しがたいものであるに違いない。その気持ちを代弁すると、「ふざけるんじゃない。ここまで苦労してきてETCのシステムをつくってきたのに、ここで廃止をされてはたまらない」という感じだろう。

 だが、現実問題として、民主党が次回の総選挙で政権をとる可能性はまだかなり高い。それに対抗するためには、今のうちにETCの普及率を一気に上げるしかないのである。

 そこで、今のうちに割引制度でドライバーをたきつけて、ETCの普及率を過半数まで持って行く。そうすれば、民主党中心の政権になったとしても安心だ。せっかく導入したETCを全部捨てろという議論にはなりにくい。

 もし、民主党がそういうことを言い出したら、「せっかく利用者が金を出して買ったものを、すべて無駄にするのは暴論だ」「税金の無駄遣いだ」とかなんとかいって反論すればいいわけだ。利用者側からしても、「せっかくETCをつけたのだから、廃止するのはもったいない」という意見が多数を占めるだろう。そこが狙いなのではないか。



高速道路は無料にするのが景気対策には一番



 もし、料金体系をシンプルにして、一律3割引とか4割引にしたら、ETCがなくても計算や処理はそう難しくない。そうなったら、「ETCがない車にも割引をすべきだ」という議論がいずれ巻き起こるに違いない。ETC推進派にとって、それはとてもまずい事態だ。

 しかし、ここまでばかげた複雑怪奇な料金体系になると、これは人知を超えている。コンピューターがなければ、とてもではないが処理できない。

 ついでにいえば、時間によって割引率を変えるとなると、どこを通過した時点で高速道路に出入りしたかを、秒単位で厳密に計測しなければならない。実は、その基準が、道路によってそれぞれ違うという。例えば、首都高は料金所通過、阪神高速は入口通過というように、さらにわけが分からない。

 これを人間の力でやることは不可能である。こうしてETCがないとどうしようもない状況に追い込んでおいて、一気に普及を図るということが、今行われていることなのではないか。休日1000円という超目玉商品をつくってメディアに取り上げてもらったのも、ETC車載器の取り付けに5250円の補助金を出そうというのも、すべてがETCの普及率を一気に上げてしまおうという国土交通省の戦略だとすれば分かりやすい。

 わたし自身は、高速道路を走ることも多いのでETCを取り付けているが、本当にETCがいいのかどうか、よく分からない。分かりやすい料金体系ならば、ETCがなくてもいいと思う。

 従来からわたしが主張しているのは、高速道路は道路特定財源を使って無料化したほうがよいという意見だ。少なくとも、それが景気対策にはもっとも効果がある。

 わたしは、道路特定財源を一般財源にすることには反対である。高速道路料金は、ドライバーだけに選択課税しているのだから、ドライバーに還元しないと筋が通らない。もちろん、道路特定財源が無駄な公共工事の温床になっているのは事実だが、使い道についてはまた別のレベルで議論すべき問題である。」



なるほどね。

深尾光洋の金融経済を読み解く──マイナス金利政策を検討せよ

2009年04月13日 | Weblog
2009年04月13日 18時16分記載

URL http://bizplus.nikkei.co.jp/colm/jcer02.cfm



「世界的な金融危機の影響を受けて日本経済は急激に冷え込んでおり、不況が長引く場合には、日本経済が危機的な状況に陥る可能性もある。

 金融政策面からは、日銀は量的緩和や企業債務の直接買い入れを行うことで、現状以上の景気下支えがある程度可能であるが、効果は限定的である。巨額の赤字を抱える財政にも景気を支える余力はあまり残っていない。為替相場の円安誘導についても、海外からは近隣窮乏化政策として強い非難を浴びる可能性が高く、採用は無理であろう。

 それでは、全く打つ手はないのか。金利をマイナスにできれば、景気を刺激できるはずだ。しかし単に日銀がマイナス金利で銀行や企業にお金を貸し出しても、効果はあまりない。これは現金という、ゼロ金利のきわめて安全な資産が大量にあるからだ。日銀からマイナス2%でお金を借りられるのであれば、銀行は借りられるだけ借金をして現金で積んで置くだけで、努力無しに2%の利ざやが確実に得られる。

 しかし課税をうまく使うことで、実質的に金利をマイナスにすることは可能であり、以下では「マイナス金利政策」と呼ぶ。



金融資産課税によるマイナス金利



 マイナス金利を実現するためには、政府が価値を保証している金融資産に対して、デフレによる実質価値上昇分を課税すればよい。たとえば、2010年4月1日時点で、国債、預金、現金などに対して、2%の税率で課税するのだ。同じ金額の現金を持っていても、デフレにより購入できる財やサービスの量が増加するので、その増加分を担税力と見なして課税するのだ。政府は将来デフレが続く限り、たとえば2年ごとにデフレ幅に見合った課税をすると宣言する必要がある。

 課税対象は日本政府が直接、間接に元本を保証する円建ての金融資産であり、国債、地方債、預金、現金などである。現金は、色を変えるなどして新券を印刷し、旧券と交換するとき手数料を取ればよい。現在流通している大量の銀行券を短期間で入れ替えるにはコストも高く時間もかかるため、新券として10万円札と5万円札を導入することで、銀行券の物量を減量してはどうか。銀行券製造費、鑑査費用、運搬費用、金庫スペースなどを考慮すると、高額券を導入することは、日銀の業務の合理化とコスト削減にも有用だ。コインに対する課税は、手間がかかるため課税から除外するのが合理的だろう。その場合には比較的高額の500円コインが課税逃れのために退蔵される可能性があるが、税率が低ければ退蔵は限定的だと考えられる。

 このようなマイナス金利政策を国レベルで実施したことは例がないため、政治的にも実現には大きな困難が伴う。しかし大恐慌以来の厳しい不況が現実のものとなる場合には、いわばデフレ退治の劇薬であるマイナス金利政策が必要になるだろう。

 マイナス金利政策を実施すれば、課税対象の安全資産から、株式、社債、外貨預金、耐久消費財、不動産などのリスクを伴う資産へと資金がシフトし、円安、株高を招いて景気は刺激される。政府が「デフレが続く限り繰り返し課税を行う」と明確に発表すれば、将来予想される安全資産の利回りがマイナスになるため、日銀が市場金利をマイナスにするのと同等の効果が期待される。たとえば、デフレが年率1%であれば、名目金利をマイナス1%に誘導するのに近い消費や投資を拡大する景気刺激効果をもつと考えられる。

 マイナス金利政策は、銀行による貸し出しや企業間信用の拡大を刺激する効果もある。銀行は課税される日銀当座預金の保有を減らして貸し出しを増加するだろう。また企業は売掛金を回収して預金で保有すると課税されるため、売掛金の回収を先延ばしするので、企業間信用の拡大による金融緩和効果も期待できる。

 予想される税収は、税率2%で約30兆円と巨額である。この税金は、安全資産を保有する金融機関や法人、個人に対して課される。個人資産の保有高は、一般に所得分配よりも不平等度が高いため、所得税以上に累進的な課税になる。しかし老後の資金として多額の貯蓄を持つ退職した高齢者にも重い負担になるという問題点がある。また多額の国債を保有する銀行や保険会社にも大きな負担となる。このため、税収の相当部分を、マイナス金利政策に伴う副作用の除去に用いる必要がある。




政策の副作用を除去



 小額の財産に課税される個人に対する対策としては、預金や国債の保有額が500万円以下の国民には税負担がなくなるように、合法的に日本に居住する人全てに10万円の給付金を支給してはどうか。この場合に必要な財政支出は13兆円程度である。なお金額が大きいため支給漏れや二重払いは大きな問題になる。そこで納税者番号を導入して銀行口座の登録を義務づけてはどうか。高齢者に対しては、基礎年金を一時的に上乗せして給付することが考えられる。

 実績配当の投資信託については、特別な措置は必要ない。しかし銀行、生命保険会社については、保有国債に対する残高課税は非常に大きな負担になる。こうした金融機関に対しては、預金保険料や保険契約者保護機構への拠出金を割り引くとともに、割引額相当分を資産課税による税収から預金保険機構などに払い込んではどうか。しかし金融機関に対して貸し出し増加を促すためには、課税を帳消しにするような割引措置を導入してはならない。」

骨折、感染症 大幅に減少

2009年04月02日 | Weblog
2009年04月01日 18時10分記載

URL http://www.yomiuri.co.jp/iryou/medi/saisin/20090327-OYT8T00610.htm

「骨のがん 凍結治療

 石川県内に住む男性(62)は3年前、近くの病院で、太ももの骨のひざ関節部分に13センチの大きさのがんが見つかった。金沢大病院(金沢市)を紹介され、がんのある骨の部分を切断して体外に取り出し、低温でがんを死滅させた後、元の場所に戻す「凍結処理法」の手術を受けた。6週間で普通に歩けるまでに回復し、がんの再発もない。(科学部 本間雅江)

 骨のがんは、ひざなどの関節部分にできることが多く、手術でその部分の骨を切り取り、代わりに金属の人工関節を埋め込む治療が一般的だ。しかし、変形性ひざ関節症などの人工関節手術に比べ、大きく骨を切断することから、関節の動きが制限されるうえ、感染にも弱い。

 がんのできた骨の部分を体外に切り出し、約130度の高温で、がんを死滅させた後、骨を元の場所に戻す方法もある。しかし、熱のために骨のたんぱく質成分が変化し、骨がもろくなるのが弱点で、手術から5年以内に約70%の患者が骨折や感染症などを起こしている。

 凍結処理法は、これらの弱点を補う方法として、金沢大整形外科准教授の土屋弘行さんらが開発した。骨のたんぱく質は、凍結しても性質が変わらないことに着目。骨をマイナス196度の液体窒素に浸すことで、熱で骨をもろくすることなく、がんを死滅させる。

 マイナス196度の低温では、がん細胞だけでなく骨の正常な細胞もすべて死ぬ。しかし、骨を作るもとになるたんぱく質は壊れずに残るため、それを足がかりに新たな血管が生まれ、骨の細胞が再生する。

 手術は、がんのある部分の骨を切って取り出し、液体窒素に20分間浸した後、ぬるいお湯などでゆっくりと常温に戻す。取り出した骨が折れないよう金属の棒を中に通して補強。再び元の場所に戻して、筋肉や腱()を縫いつける。

 がんのできた部位によっては、骨を体から完全には切り離さず、一部を露出させて液体窒素に浸す方法も行っている。骨を切って取り出す方法よりも体への負担が少なく、回復が早い。

 1998年にこの手術を始めた金沢大病院では、これまでに80人以上が凍結処理法の手術を受けた。土屋さんによると、がんの再発はゼロで、骨折や感染症などの発生率も15%程度と、大幅に減った。

 ひざのように負担がかかる場所のがんでも6週間程度、部位によっては手術から1、2週間後には歩ける。土屋さんは「まずは、自分の骨を残せる凍結処理法を試してほしい。万が一、再発しても、人工関節に変える手術は可能」と説明する。

 ただし、がんが進行し、元の骨自体がもろくなっている場合は、凍結処理法は受けられない。

 同大などでは、一部に保険が適用される先進医療に認められている。金額は施設によって異なり数十万円程度かかる。(2009年3月27日 読売新聞)」

患者つめはがし、元看護課長に有罪 福岡地裁支部判決

2009年04月02日 | Weblog
2009年03月30日 11時41分記載

URL http://www.asahi.com/national/update/0330/SEB200903300003.html



「北九州市の北九州八幡東病院で07年、認知症の入院患者2人の足のつめをはがしてけがをさせたとして、傷害罪に問われた元看護課長上田里美被告(42)=同市八幡西区=に対する判決公判が30日、福岡地裁小倉支部であった。田口直樹裁判長は、「患者にとって必要なケアだった」という弁護側の無罪主張を退け、上田被告に懲役6カ月執行猶予3年(求刑懲役10カ月)を言い渡した。

 判決によると、上田被告は07年6月、同病院の療養病棟に入院していた当時89歳と70歳の女性患者2人の足のつめ計3枚の大半をつめ切り用ニッパーなどで切り、出血させた。

 上田被告は福岡県警に逮捕された後の取り調べ段階では容疑を認めたが、公判では起訴事実を否認。弁護側は、患者のつめは厚く変形して皮膚から浮いており、シーツなどにひっかけてけがをする恐れがあったとして、「危険な状態だった部分を丁寧に切除するつめのケアだった」と無罪を主張した。

 検察側は、上田被告が職場の人間関係や仕事上のトラブルに煩わしさを感じ、患者のつめをはがす行為に没頭して現実逃避し、その行為を楽しんでいたと指摘。「患者に苦痛を与え、皮膚を傷つける危険は明らかで、看護師ができる療養上の世話にはあたらない」と主張していた。 」