がん(骨肉腫)闘病記

抗がん剤治療、放射線治療、人工関節置換手術、MRSA感染、身体障害者となっての生活の記録を残します。

ホントお前らよく言えんな2

2007年09月25日 | Weblog
2007年09月25日記載

丁度、今日の読売新聞に省庁が財団法人に金を流し込む手口が紹介されているのでご参照頂きたい。(URLは http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070925it01.htm )

今回はたまたま郵政公社だが(前身は郵政省)どの省庁も同じことをやっている。

ホントお前らよく言えんな

2007年09月25日 | Weblog
2007年09月24日記載

誰がって、厚生労働省の小役人どもである。

まず、2007年9月5日の読売新聞の記事を一部抜粋する。

「政府・与党が2009年度までに目指す基礎年金の国庫負担の2分の1引き上げが09年度以降も実現しない場合、公的年金の財政は49年に事実上破たんすることが4日、 厚生労働省の試算で明らかになった。

公的年金加入者に関係する基礎年金は、現在、3分の1強が国庫負担だが、04年の年金改革関連法で、09年度までに2分の1に引き上げることが明記された。 必要な財源は、消費税で1%分に相当する2・5兆円で、年末の税制改正で財源の確保策を議論する必要があるとされる。

厚労省の試算は、仮に2・5兆円の財源が確保できず、現状のまま年金を運営した場合を想定。その結果、現在は約150兆円ある年金積立金が49年にはゼロになり、現在20歳前後の人が本来もらえるはずの年金額が大幅に毎年減っていく事態となる。」



いやいやホントにありがたいですな、犯罪者集団の厚生労働省のお役人様達におかれましては。

年金を横領したり、タクシーチケットを不正利用したり、親戚から金品貰って補助金交付したりでお忙しい中、国民のためにわざわざ上記のような試算までして頂いて。



年金制度は5年毎に見直しがなされることになっている。前々回は平成11年、前回は平成16年であったので、今度は平成21年である。そして上記読売新聞の記事にある通り、平成16年の見直しの際に、次回の見直しの際に基礎年金部分の国庫負担を2分の1にまで引き上げることとなった。それは確かであり、私も異論はない。むしろ、基礎年金部分は全額国庫負担、即ち税金で賄うべきだと思っている。

しかし、それを犯罪者集団の厚生労働省の小役人には言われたくない。しかも、「破綻しますよ」との脅しつきで。

小役人どもはよくこういう手を使う。国民に負担を強いる時に「このままいったら大変なことになりますよ」とそれっぽい数字を使って国民を脅すのである。

近い所では、財務省が借金時計をホームページに掲載したことがそれにあたる。借金時計というのは、我が国がどれだけの債務を負っているのかを時々刻々示す時計であり、ジャーナリストの財部誠一氏のホームページにあるものが有名である。(参照URL http://www.takarabe-hrj.co.jp/clock.htm )借金時計は、民間の人間が我が国政府がどれだけ放漫な財政運営をしているかを批判する意味を込めて使用するのが正しい使用法である。

放漫財政の責任の一端を負っている財務省自らが行うことではない。現在、財務省の借金時計は「負荷がかかるため」という屁理屈をとってつけて閲覧不可能な状態にある。(参照URL http://www.mof.go.jp/oshirase.htm )一時停止などと言っているが、再開することはないと私は思っている。行政機関は姑息に自らに不利な情報を隠蔽する。上記の厚労省の試算も厚労省のホームページでは見つけられない。実にこすっからい奴等である。



財務省の前身である大蔵省は、旧郵政省にあった郵貯・簡保の資金約350兆円を財政投融資という形で自由気儘に使っていた。第二の予算とも言われたが、正式な予算と違う大蔵省にとっての最大のメリットは国会の議決が必要ないこと及び決算報告をしなくていいことであった。

それをいいことに、あらゆる特殊法人・財団法人・社団法人に金を流し込んだ。そういった特殊法人・財団法人・社団法人にはありとあらゆる省庁の小役人どもが天下っている。また、特殊法人は、その公益的な性格から、利益を出してはならないことになっていたため、特殊法人自体は赤字にするが、その下に公団ファミリーと言われる子会社・孫会社集団を作り、そこにも天下り、それらの会社と市場価格よりも著しく高い金額で随意契約を結び、そこに公金を流し込み、掠め取った。日本道路公団がその典型であるが、全ての特殊法人が同じ構図で金を掠め取っていた。

郵貯・簡保の金は国民の大切なお金である。特殊法人には税金が投入されていた。これまた国民の大切なお金である。



それでは何故政府・自民党がそのような悪しきシステムを改善しようとしなかったか。答えは簡単である。天下り小役人のいる法人から政治献金を受け、パーティ券を買ってもらっていたからである。政府・自民党にとっても「おいしい」システムだったのである。政官癒着である。

こうして我が国は歪められ、無様な姿をさらしている。上記のような問題に無関心であった国民にも責任はあるが、国民は最終的には自らが責任を負うことになるのでまだ仕方ない。

許せないのは、国民の金を掠め取るだけ掠め取って、国民の財産を毀損しながら、何等の責任も取らず、ご託宣を垂れてる政府・与党、とりわけ小役人どもである。


ご参考

2007年09月24日 | Weblog
2007年09月22日記載

読売新聞の本田麻由美記者が、がん患者やその家族にとって興味深い記事を書いている。YOMIURI ONLINEでも読めるので、興味のある方はご覧になってみられたら如何であろうか。URLは http://www.yomiuri.co.jp/iryou/medi/gantowatashi/20070921-OYT8T00087.htm

「がん」とは

2007年09月24日 | Weblog
2007年09月23日記載

そもそも「がん」とはなんぞや、ということを書いていなかったので、遅ればせながらここに記したい。

「がん(=悪性腫瘍)」は「癌」と漢字で呼ばれる上皮性細胞でできるものと、造血器でできるものと、非上皮性細胞からなる「肉腫」と呼ばれるもの、の3種類の総称である。

癌(=上皮性の悪性腫瘍)には、肺癌、乳癌、胃癌、大腸癌、子宮癌、卵巣癌、喉頭癌、咽頭癌、舌癌などがある。

造血器でできる悪性腫瘍としては、、白血病、悪性リンパ腫、骨髄腫などがある。

肉腫には、骨肉腫、ユーイング肉腫、軟骨肉腫、横紋筋肉腫、平滑筋肉腫、線維肉腫、脂肪肉腫、血管肉腫などがある。

ここで、悪性腫瘍細胞の特徴について説明する。

悪性腫瘍細胞には、正常細胞とは異なる3つの特徴がある。不死・増殖・転移である。

正常細胞は、一定の役割を終えれば死滅するが、悪性腫瘍細胞は死滅せず、周囲の正常細胞を特殊な酵素で溶かす等しながら自律的に増殖し、他の臓器へと転移する。

良性腫瘍は、増殖をするだけで転移せず、また、増殖のスピードも遅いため、経過観察となることが多い。

悪性腫瘍細胞は、外部から何等かの攻撃が加えられなければ無限に増殖し、やがて人を死に至らしめるので、何等かの手段を講じなければならず、現時点でその手段としてエビデンス(=evidence=現代の科学において相当程度に確からしい根拠があるもの)のあるものは、手術・抗がん剤・放射線である。

以上が「がん」とはなんぞやということについての私なりの説明であるが、違った説明をする立場もあり、また、上皮性の悪性腫瘍である「癌」をひらがなで「がん」と言うこともある。現状、言葉は厳密に区別して使われていないことを予めご承知おき頂きたい。


Boys ,be ambitious.(少年よ、大志を抱け)

2007年09月18日 | Weblog
2007年09月17日記載

タイトルに記載したのは、クラーク博士が言ったといわれる有名な言葉である。この言葉には以下の言葉が続くとされる。

Be ambitious not for money or for selfish aggrandizement, not for that evanescent thing which men call fame.

Be ambitious for the attainment of all that a man ought to be.

(少年よ、大志を抱け。金や利己的な栄達、人々が名声と呼ぶ儚いもののためではなく。

少年よ、大志を抱け。人としてあるべき姿の実現のために。)

クラーク博士は青年に向かって言ったようだが、私は、小役人どもに聞かせてやりたい。

全く心に響かないだろうが・・・。

医師法第一条

2007年09月16日 | Weblog
2007年09月15日記載

戦後制定された法律には、第一条に当該法律の制定目的が規定されている。医師法第一条には「医師は、医療及び保健指導を掌ることによつて公衆衛生の向上及び増進に寄与し、もつて国民の健康な生活を確保するものとする。 」と定められている。

果たして我が国国民の健康な生活は確保されているであろうか。否である。

妊婦が受け入れ拒否をされ流産したり、死亡したりする不幸な事例が後を絶たないが、これらの責任は医師にあるのであろうか。これまた否である。

それでは誰に責任があるか。自らが不幸に直面するまで無関心でいる、換言すれば、自らのことだけを考える、思考停止した、盲目的幸福に浸かっている国民である。

そういう人達に共通するのは、自らが不幸に直面するまでは社会的問題に無関心であったくせに、自らが不幸に直面すると声高に誰かしらを、何かしらを非難することである。こういう国民が多いうちは我が国国民の健康な生活は守られない。

解決する方法は一つである。国民が医療制度をはじめとした社会的問題に可能な限りの関心を寄せ、自らの考えに近い議員を選出し、当該議員を通じて行政機関の人間を監視することである。診療報酬は不当に引き下げられていないか、勤務医・看護師は充足しているか、厚生労働省の病床削減策は正しいのか、そういったことを国民一人一人が考えることによって、少しずつ少しずつ社会は前進していく。

そんなことは面倒臭くてやってられないという人は、自分の家族が病院をたらい回しにされ亡くなっても、自分の子供が高熱を発し、肺炎を併発し、亡くなっても、老いた後、病院を放り出され、最低限の医療も受けられず、苦しみぬきながら亡くなることになっても、絶対に文句を言ってはならない。絶対に言わせない。


邂逅(笑)

2007年09月15日 | Weblog
2007年09月14日記載

明日は20年来の友人3人と会う予定である。皆仕事が忙しく、家庭もあるので、滅多に会うことができない。明日会えるのは非常に楽しみである。

20年来の友人に会うとき、私は、人工関節の入っている右足を押さえながら「足が痛い。ひょっとしてひょっとするとがんかもしれない。」という自虐的なボケをかます。「がんだし!」と突っ込むのは中学の時に同じ野球部でともに汗を流した親友Hである。

親友Hも最初はなかなか突っ込みづらかったようである。それはそうだろう。実際に骨肉腫となった私のことをよく知り、、両松葉の私を送り迎えしてくれたりし、私の辛さを共有してくれているのだから。

しかし私が執拗に自虐的なボケを繰り返すので、なんとか笑いにするしかないと突っ込みを入れてくれている。



私がなぜそんな自虐的なボケをかましているかの理由は、自分の中でもはっきりしないが、もう笑うしかないというか笑ってもらうしかないという開き直りのようなものなのかもしれない。

中学の部活では、私はピッチャーで4番でキャプテン、親友Hはファーストで5番、結構近い距離に居て、楽しく、かつ、一生懸命野球に打ち込んでいた。

その頃からは全く想像もつかなかった今を生きている。それを無理にでも笑い飛ばそうとしているのかもしれない。そんな私の「もがき」に付き合ってくれている友人にはただただ感謝である。


多事争論

2007年09月15日 | Weblog
2007年09月14日記載

筑紫哲也氏は、現在がん闘病中のためNEWS23に姿を見せていない。

しかし、大きな出来事があった場合には声だけの出演をする。先般の参院選の際にも安倍総理に鋭く切り込んでいた。流石、自分の名前を冠したニュース番組を持つキャスターだなと感心した。(その際、TBSの杉尾秀哉
氏も出演していたのだが、筑紫氏が鋭く切り込んでいる所に、的外れな質問を挟み、筑紫氏の追及を邪魔してしまった。現在は、TBSテレビの報道本部担当局次長をしているようだが、あんな質問をしているようでは、報道の責任者にはなり得ないのではないだろうか。筑紫氏の著作や、筑紫氏が読んできた本を教えてもらって、もう少し勉強し直した方がいいと思う。杉尾秀哉氏のことは、ニュースの森のキャスターをしていた頃から存じ上げていて、性格は誠実そうだと思っているが、民主主義に対する理解や歴史の知識が不足しているように感じる。総理に切り込む質問をするのであれば、もう少し識見を深めなければならないと思う。)

現在、NEWS23のWEBサイト(URLは http://www.tbs.co.jp/news23/ )では、安倍総理の辞任について「多事争論」中で筑紫哲也氏が意見を述べている。聞くに値する意見である。皆さんにも是非聞いて欲しい。

筑紫キャスターの復帰を心より願う。

安倍総理辞意表明

2007年09月12日 | Weblog
2007年09月12日記載

「遅きに失した」の一言である。参院選後、これまでの時間は何だったのか。日本国民にとって、とても不幸な1ヵ月半であった。参院選後すぐに辞意表明をしていれば安倍総理の未来もあっただろうが、このような形で政権を投げ出した以上、安倍総理に政治家としての未来はない。政治家を辞めた方がいいのではないだろうか。

国民にとって一つ収穫があったとすれば、国民の明確な意思表示があれば、政権を打倒することも可能だということが改めて認識できたということである。国民の信任を得ていない政権は民主主義国家においては存続し続けることはできない。逆に言うと、国民の投票行動は時の政権を存続させることも可能であり、打倒することも可能な非常に重たい責任を伴った行動だということである。

国民は時の政権が何を目指し、それに対しどう考えるのかを明確にし、投票行動に臨まなければならない。

その投票行動の累積がこの国の形を作っていく。

ところで、本日21時からNHKで、広田弘毅元総理に関するプログラムが放送される。総理たるものはどうあるべきかを考えるよい機会である。ご覧になっては如何であろうか。


疑問

2007年09月12日 | Weblog
2007年09月11日記載

学生の頃からずーーーーっと思っていることなのだが、なぜマスコミは、犯罪の嫌疑をかけられている者を「容疑者」と言い、起訴された後、「被告」と呼ぶのだろう。

「容疑者」は、正しくは「被疑者」であり、「被告」は、正しくは「被告人」である。刑事訴訟法にも、どの刑事訴訟法の本にも、検察官の作成した書面にも、裁判官の判決文にもそう書いてある。「容疑者」や「被告」などと言っているのは、マスコミとその悪影響を受けた人達だけである。

言葉が時代の変化に伴って変化していくことは日常用語ではあり得ることだが、刑事法に関する言葉については厳密に用いる必要がある。なぜなら、身体の拘束や刑事罰を受けること(死刑の場合には生命を奪うこと)という人権の制限・剥奪に繋がる可能性を持っているからである。

私だけかもしれないが、「容疑者」と言うと、既に悪いことを行ったという印象を与え、「被疑者」と言うと、疑惑をかけられているという、やや被害者的な印象を与えるように思う。

私の持つ印象がどの程度共感されるものなのかはわからないが、マスコミには、正確な言葉遣いを心掛けてもらいたい。正確な文章を書くには、まずは正確な用語の理解・使用が必要であり、それが、内容の正確な記事へ繋がると思う。


頂いたコメントについて18

2007年09月12日 | Weblog
2007年09月10日記載

頂いたコメントについて言及する。頂いたコメントは以下のとおり。

「いつまでも♪

お誕生日おめでとうございます♪

観たいな~その画像。

今だに上手くできないの。

指導乞う。」


ありがとうございます!

動画、お見せしたいのはヤマヤマなんですが、私の名前がはっきり出ちゃってるもので、お見せできないんですよお。100人見たら100人に「かわいい」って言わせる自信があるんですけど。(この時点でパーフェクトなおじ馬鹿です・笑)


かわいい姪っ子・甥っ子に出会えました。


今日は私の誕生日2

2007年09月12日 | Weblog
2007年09月10日記載

甥っ子と下の姪っ子からお祝い動画が届きました二人揃ってのお祝いメッセージと小島よしおの物真似付き誕生日のお祝い動画に「そんなの関係ねえ」と言われるのは複雑ですが(笑)とてもかわいらしい動画でした。

いつまでお祝いしてもらえるのかなあ。


今日は私の誕生日

2007年09月12日 | Weblog
2007年09月10日記載

上の姪っ子からお祝いデコメが届きました上の姪っ子はもう高校生。時の流れは速いな~。

上の姪っ子が小さい頃はにいに(私)の似顔絵を書いてファックス送ってくれたんだよな~。

今日のメールでは「体調の方は大丈夫ですか?」ってにいに心配されてる。嬉しいような、情けないような複雑な心境ホントはにいにの方が色々してあげなきゃならない立場なんだけどな。

上の姪っ子にも甥っ子にも下の姪っ子にもしてあげられることが凄く少なくなっちゃった。おじさん残念。

でも、皆、教えなくても出来ちゃう感じなんで、大丈夫かな。


朝青龍問題

2007年09月12日 | Weblog
2007年09月10日記載

もうよくねえ?精神疾患は外部の人間にはわからないんだから、温泉に入るだとか入んないだとか、追っかけまわしたってしょうがねえだろ。どんだけマスコミ暇なんだよ。もっと時間を割いて論じなきゃならない問題いくらでもあんだろ。

身から出た錆ってのはわからなくもないけど、相撲協会の対応もまずかったし、少なくとも医師が精神疾患らしいと診断してるんだから、そっとしといてやれよ。またサッカーやってたら除名すればいいだけの話じゃねえの?仮にうつ病だったとして、追っかけまわして自殺したらどう責任とんだよ。まあ、取らないんだろうけど、日本のマスコミは。

暇だよな~日本のマスコミ。

城山三郎さんの遺した言葉

2007年09月08日 | Weblog
2007年09月08日記載

尊敬する城山さんは、個人情報保護法成立に強く反対していた。城山さんや他の作家、ジャーナリストが集まって記者会見をした時の城山さんの言葉が強く印象に残っている。(一部失念のため一部不正確。仰りたかった趣旨は合っているはず。)

「何百万人もの日本人が亡くなり、残してくれたものは何だったのかと考えると、こんなにも高く、澄んでいる空だ。この空が二度と戦闘機が飛び交い、硝煙に包まれるようなことがあってはならない。」

城山さんは時の総理だった小泉純一郎に直接会い、中曽根元総理や宮沢元総理に手紙を出し、なんとか個人情報保護法案を廃案に追い込もうとした。そしてその時は個人情報保護法は成立しなかった。(しかしその後成立してしまった。そして行政機関は個人情報保護法を盾に取って、行政機関の情報を隠匿しようとしている。)



私も退院した時、空がこんなに綺麗なものなのかと思った。木々の緑がなんと気持ちを癒してくれるものなのかとも思った。小さな部屋で、低く白い天井を見つめながら、毒ガス兵器由来の抗がん剤を打ち込まれ、感染症に罹り、何度も体を切り刻まれた。隣の病室や向かいの病室に入院していた人達の断末魔の叫びも聞いた。一歩廊下に出れば、足を落とした人、腕を落とした人がそこかしこに居た。戦場に居たと言っても言い過ぎではないだろう。



私が退院した時の心境と、戦争が終わった時の城山さんの心境は似たようなものだったのではないだろうか。

私はこのブログを、同病ないしは同系統の病気を患っている10代・20代の人達が読んでくれていると思いながら書いている。それら「戦友」達には、退院して「空がこんなにも青く、高いものだったのか。」と感じてもらいたい。退院した時に医療制度や雇用制度が半歩でも前進していると実感してもらいたい。

城山さんには遠く及ばないが、生き残った者として、言うべきことは言い、するべきことはしていきたい。