がん(骨肉腫)闘病記

抗がん剤治療、放射線治療、人工関節置換手術、MRSA感染、身体障害者となっての生活の記録を残します。

岩崎宏美 テレビ局に要望「秀樹が病気になってからの映像は控えて」

2018年05月19日 | Weblog
2018年05月19日 20時51分22秒

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180517-00000068-tospoweb-ent


東スポWeb 5/17(木) 21:59配信


「亡くなった西城秀樹さん(享年63)の訃報を受けて、かつて所属した事務所「芸映」の後輩で歌手の岩崎宏美(59)が17日、都内のテイチクレコードで会見した。

 取材を受ける予定の新聞社で訃報を聞いた岩崎だが、実感がない様子で「まだ全然ピンときてなくて、最近はしばらくお目にかかってなかった」と切り出した。

 芸映スタッフの葬儀の場で顔を合わせたのが最後だったが、そのときはほとんど会話を交わしていないという。体が不自由になってからは、音楽番組「ミュージックフェア」で共演。「最後にみんなで壇上で歌を歌うとき、秀樹は一人で歩けなかったので『一緒に行こうよ』と言ったんですけど『僕は大丈夫』と言って客席にいた。そのとき和田アキ子さんが『秀樹! こっち行こうよ!』と迎えて壇上に上がった思い出がある」

 淡々と受け答えしていた岩崎が唯一感情的になったのは、残された家族に触れたときだった。「子供たちがいくつになったのか。それだけが気がかりで。無念だろうなと思ってます」と声を詰まらせ、「体が不自由になってからのフィルム(映像)はマスコミのみなさんには使わないでほしいと思う」と語った。

 この要望については、別の場面でも「今も訃報のニュースを見るけど、病気になって不自由になってからの映像は控えてもらいたいなと思いました。私たちの中には元気な西城秀樹の印象がたくさんあるので」と口にした。会見の数時間前には、フジテレビ系「グッディ!」が西城さんの“復活”に密着した過去の映像を放送して、キャスターの安藤優子らが涙を流していた。西城さんを「いつもすごく元気がよくて、明るい人」と評する岩崎にとって、先輩を思う切なる願いなのだろう。

 岩崎は会見で西城さんを「秀樹」と読んだ。2人は当初「西城さん」「宏美ちゃん」と呼び合う仲だったが、「自分が年を重ねた」こともあって、いつのまにか呼び方が変わったそうだ。

 会見の最後には「63歳なんて、私も今年60歳になるのでね。全然ピンとこなくてね。あと自分の命が3年しかないなんて思ったら、本当にどんな気持ちだったのかな。倒れられてからの秀樹の気持ちっていうのは『いつ自分が』ってことと背中合わせで歌ってきたと思う。そういうことを考えると切ないですね」とつぶやくように語って故人をしのんだ。」


「病気になって不自由になってからの映像は控えてもらいたい」tという点については反対。


西城秀樹自身がステージに立った以上、そこには、歌手として復活したいという思いや、歌手としての姿を子供達に見せたいとか、自身で思うところがあったはずで、それを無かったことにするようなことは、西城秀樹の本意ではないと思う。