がん(骨肉腫)闘病記

抗がん剤治療、放射線治療、人工関節置換手術、MRSA感染、身体障害者となっての生活の記録を残します。

「すべての政治家と有権者へ~総選挙を実りあるものとするために」

2007年12月29日 | Weblog
2007年12月29日 23時40分記載

21世紀臨調が掲題の件について見解を披露している。是非参照頂きたい。(URL http://www.secj.jp/ )



どこかの誰かのように、大連立を模索し、総選挙を先延ばししようというのは「馬鹿の戯れ言」ということがよくわかる。 


抗がん剤の起源とその後の展開

2007年12月29日 | Weblog
2007年12月29日 00時21分記載

抗がん剤開発のスタートは、第一次世界大戦に遡る。第一次世界大戦では塩素、ホスゲンなどの窒息性ガス、青酸などの血液ガス、イペリット、ルイサイトなどのびらん性ガスが毒ガス兵器として使用された。それら毒ガス兵器の殺細胞効果をガン細胞撲滅に使えないかと研究が始まった。



そして、1927年、ロックフェラー財閥とドイツのイーゲーファルベンという巨大化学産業トラストが手を結ぶことにより本格的な抗がん剤開発がスタートする。



ロックフェラー財閥が医薬品業界に進出したのは次の3つの理由からであると言われている。1つは、巨額の利益を上げ続ける同財閥への批判をかわすため。もう1つは、ロックフェラー財閥の創始者であるジョン・デイヴィソン・ロックフェラーの父が医師であったこと(一説には薬の行商人)。そして何より、製薬事業が今後もっとも儲かる分野と考えたためである。



その巨額資本を投下できるロックフェラーと第一次大戦で毒ガス兵器を製造した経験を持つイーゲーファルベンが手を組むことにより、抗がん剤開発は静かにではあるが、着実に発展していく。その主要な舞台は、ロックフェラーが1927年に買収したニューヨークにあるメモリアル病院である。(メモリアル病院の前身は19世紀末に設立されたニューヨーク・ガン病院で、アメリカで初めて設立されたガン治療を主たる目的とした病院である。)



この後、抗がん剤開発は1939年に勃発した第二次世界大戦により中断を余儀なくされたかに見えた。メモリアル病院のローズ院長が陸軍化学兵器局代表者に引っ張られてしまったからである。

しかし、戦争は大規模な人体実験を躊躇なく行わせる格好の舞台でもある。第二次大戦までに、イペリット(=マスタードガス)には抗ガン効果があることが確認されていた。このマスタードガスの構造式中の硫黄を窒素に置き換え、マスタードガス特有のからし臭さを除いたナイトロジェンマスタードが開発された。

このナイトロジェンマスタードをローズ院長・陸軍化学兵器局代表者は、160人のがん患者に投与するという人体実験を行い、抗がん効果を確認した。最初の抗がん剤「ナイトロジェンマスタード」の誕生である。しかしこれは、軍事機密に属し、ナイトロジェンマスタードの存在が公にされたのは戦争が終わった1946年になってである。



ナイトロジェンマスタードはアルキル化剤に分類される。アルキル化剤は、蛋白質やDNAの窒素と反応し(これをアルキル化反応という)、その構造を変化させたり、DNAのアルキル化により遺伝子を傷つけたりすることで殺細胞効果を発揮する。このアルキル化剤を先頭にその後続々と抗がん剤が開発されていくことになる。



1947年にはアミノプリテンが、その後、アメトプリテンが、代謝拮抗物質と呼ばれる抗がん剤として登場する。そして更に、現在でも使われる5-FUが続いた。



また、抗ガン作用を持つ抗生物質探しも熱心に行われた。1958年にマイトマイシンCが、1963年にブレオマイシンが開発された。



1971年12月、ニクソン大統領が連邦ガン法に署名し、ガン克服国家戦略がアメリカでスタートしたことにより抗がん剤開発は更に加熱する。

同年、アドリア海の浜辺で発見された微生物から生成されたことからアドリアマイシンと名付けられた抗がん剤が、1978年には、白金に抗ガン作用があることがわかったことから白金製剤シスプラチンが開発された。



日本政府が本格的なガン克服に乗り出すのは1980年代に入ってからである。医療分野に限らないが、我が国の重い腰は、欧米に遅れること10年で上げられることがほとんどである。この時もアメリカのニクソン政権を中曽根政権が真似しただけである。



おおよそ上記のような経過を辿り、現在も微生物、化学物質、レアメタル等、ありとあらゆる物質がその抗ガン性の有無を確認されている。








今回この記事を書いたのは次の内容を伝えたかったがためである。



抗がん剤は、その起源を毒ガスに持ち、その毒ガスと同程度に細胞を殺傷する能力を持つ物質であるということであり、外見からはごく普通に生活しているように見えても、抗がん剤の投与を受けた者はその心身に大きなダメージを負っている。周りに抗がん剤の投与を受けた人が居る方々は、その人は戦場で毒ガス兵器を浴びてきたのと同様の状態であり、出来るだけ労りの気持ちを持って接してあげて欲しい。(別に自分にそうしてくれと言っているわけではない。)



そういう目に見えないものを感じ取り、思いやれる社会となってくれることを切に願う。