2013年10月19日 21時59分01秒
http://mainichi.jp/select/news/20131017mog00m040014000c.html
2013年10月17日
[「認知症の高齢者が線路内に入り、列車にはねられて死亡した徘徊(はいかい)事故。遺族に厳格な見守り義務を認め、賠償金支払いを命じた今年8月の名古屋地裁判決をどう考えればいいのか。介護、運輸安全対策、法律の専門家に問題点や課題を聞いた。【浦松丈二】
<事故・裁判の概要>
2007年12月7日、愛知県大府(おおぶ)市のJR共和駅構内の線路上で、重い認知症の男性(当時91歳)が列車にはねられて死亡した。JR東海は男性を在宅介護していた遺族に対し、列車遅延による損害賠償720万円を請求。名古屋地裁は8月に「注意義務を怠った」として遺族に全額賠償を命じた。遺族は控訴した。
◇判決は在宅ケアの流れに逆行--東洋大准教授・柴田範子さん
判決は「民間のホームヘルパーを依頼したりするなど、父親を在宅介護していく上で支障がないような対策を具体的にとることも考えられた」として、家族の過失を認定した。だが判決の事実認定をみると、長男の妻がわざわざ介護のために転居するなど家族は献身的に介護しており、一時的に目を離したことを過失とされたのでは、在宅介護が成り立たなくなる。
認知症の人が外に出るのは何かをしたいからで、本人の気持ちが背景にある。このため、どれほど家族が注意しても徘徊は起きる。私たちが運営する施設に通う70代の認知症女性も現金を持たずにJR川崎駅の改札をすり抜け、立川駅まで行ってしまったことがある。この時は女性が間違えて息子の靴を履いていたため、駅員が認知症を疑って声をかけてくれた。徘徊は認知症の特性であり、地域全体で見守っていくしかない。
厚生労働省は今年度から「認知症施策推進5カ年計画(オレンジプラン)」をスタートさせた。病院や施設中心の認知症ケアを、できる限り住み慣れた地域で暮らし続けられるように在宅介護にシフトさせる内容だ。その柱の一つ、認知症の人と家族を支援する「認知症サポーター」養成講座の受講者はすでに400万人を超え、全国レベルの取り組みが始まっている。
ところが今回の判決は、地域で認知症の人と家族を見守っていこうという時代の流れに逆行するものだ。男性の外出を検知する玄関センサーをたまたま切っていたことや、男性の妻(当時85歳)が短時間まどろんだことなどから、見守りを怠ったと判断したことは大変な誤りだ。
公共性の高いJR各社や裁判所などの公的機関は認知症の特性をよく理解して対応してもらいたい。徘徊を前提とした見守りができるよう、超小型の全地球測位システム(GPS)の開発なども求められている。
◇事故防止は鉄道会社の責務だ--関西大教授・安部誠治さん
認知症の男性をはねたJR東海について、判決は「線路上を常に職員が監視することや、人が線路に至ることができないように侵入防止措置をあまねく講じておくことなどを求めることは不可能」として、注意義務違反を認めなかった。しかし、ただ免責するだけでは事故の教訓は生かされない。ホームや踏切など施設の安全性を向上させていく鉄道会社の社会的責任を指摘すべきだった。
JR東海は決して余力がない赤字企業ではない。旧国鉄から東海道新幹線という「ドル箱」を引き継ぎ、巨額を投じてリニア中央新幹線を建設しようとする超優良企業だ。収益の一部を既存路線の安全性向上に投じ、施設改善を図る十分な財務基盤がある。JR西日本は05年の福知山線の脱線事故の後、ATS(自動列車停止装置)を大量に導入している。
事故現場の駅は、ホームから簡単に線路に下りられる構造だったという。同じような構造の駅は多数あり、それだけで過失だとまでは言えない。しかし、JR東海に認知症の人が時に予測不能な行動を取り、線路に入ってしまうという認識があれば、重い認知症の人の遺族に損害賠償訴訟を起こすという対応はなかったのではないか。
JR東海は、事故の直接的な責任者を追及していく旧国鉄時代からの「責任事故」という考え方に縛られているようだ。線路上に本来いないはずの人がいたために事故が起きた。その人は認知症で責任を問えない。ならば見守りを怠った家族の責任だ、と人的ミスを次々に追及する論理だ。
人的ミスは根絶できない。だから人的ミスを追及していくだけでは事故はなくならない。認知症の高齢者が急増しているという背景にこそ目を向けるべきだ。認知症の高齢者の事故をどう防ぐかは、安全性向上を責務とする鉄道各社共通の課題だ。事故原因を人的ミスだけに帰し、責任者を追及するだけでは社会的責任を果たしたことにならない。
◇家族に厳密な見守り義務ない--早稲田大教授・田山輝明さん
この判決の影響は極めて深刻だ。判決によると、認知症の親を積極的に介護した者は重い責任を負うことになる。これでは誰も介護できない。
まず第一に、判決は、死亡した認知症の男性の子どものうち長男だけを「法定監督義務者や代理監督者に準ずる者」として、親を監督する義務を負わせた。「法定監督義務者」とは例えば未成年の子どもに対する親権者だ。また「代理監督者」は子どもを預かった保育園の保育士さんに相当する。
しかし、高齢の親に対し、非常に厳密な見守り義務や介護の義務を家族に負わせる法律は日本にはない。従って今回のケースでは、認知症男性の法定監督義務者は存在せず、当然、その代理もいないと判断するのが妥当だ。確かに、兄弟姉妹や直系血族は互いに扶養義務を負ってはいるが、可能な範囲で経済的な支援をすればいいことになっている。認知症の父親を24時間、厳密に監督して、その行動に全責任を負う義務も「準じた義務」もなく、判決の論理は法律上、無理がある。
第二に、判決は認知症の男性が財産の管理能力を失っていたことから「本来は成年後見の手続きが取られてしかるべきであった」と指摘した。だが成年後見人になることは義務ではない。成年後見人にならない選択も許されると理解すべきだ。
判決に従えば、成年後見人を引き受けた場合、被後見人に対して厳密な見守り義務を負うことになる。認知症の高齢者は今後急増が予想され、精神障害者や多重債務者の一部にも成年後見人の制度は必要なのに、このような判決がまかり通れば、成年後見人のなり手がいなくなり、制度の存続すら危ぶまれる。
成年後見人には被後見人の財産管理と適切な見守りをお願いすべきだ。被後見人により第三者が被害に遭った場合のために、保険会社が徘徊事故についての損害保険を開発したり、限定的な公的補償制度も検討すべきだろう。
■人物略歴
◇しばた・のりこ
1949年生まれ。介護サービスの特定非営利活動法人「楽」理事長。著書に「介護職のためのきちんとした言葉のかけ方・話の聞き方」など。
………………………………………………………………………………………………………
■人物略歴
◇あべ・せいじ
1952年生まれ。NPO・鉄道安全推進会議副会長。公益事業学会前会長。著書に「鉄道事故の再発防止を求めて」など。
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■人物略歴
◇たやま・てるあき
1944年生まれ。東京・多摩南部、杉並区の成年後見センター理事長。早稲田大学前副総長。著書に「成年後見読本」など。」
http://mainichi.jp/select/news/20131017mog00m040014000c.html
2013年10月17日
[「認知症の高齢者が線路内に入り、列車にはねられて死亡した徘徊(はいかい)事故。遺族に厳格な見守り義務を認め、賠償金支払いを命じた今年8月の名古屋地裁判決をどう考えればいいのか。介護、運輸安全対策、法律の専門家に問題点や課題を聞いた。【浦松丈二】
<事故・裁判の概要>
2007年12月7日、愛知県大府(おおぶ)市のJR共和駅構内の線路上で、重い認知症の男性(当時91歳)が列車にはねられて死亡した。JR東海は男性を在宅介護していた遺族に対し、列車遅延による損害賠償720万円を請求。名古屋地裁は8月に「注意義務を怠った」として遺族に全額賠償を命じた。遺族は控訴した。
◇判決は在宅ケアの流れに逆行--東洋大准教授・柴田範子さん
判決は「民間のホームヘルパーを依頼したりするなど、父親を在宅介護していく上で支障がないような対策を具体的にとることも考えられた」として、家族の過失を認定した。だが判決の事実認定をみると、長男の妻がわざわざ介護のために転居するなど家族は献身的に介護しており、一時的に目を離したことを過失とされたのでは、在宅介護が成り立たなくなる。
認知症の人が外に出るのは何かをしたいからで、本人の気持ちが背景にある。このため、どれほど家族が注意しても徘徊は起きる。私たちが運営する施設に通う70代の認知症女性も現金を持たずにJR川崎駅の改札をすり抜け、立川駅まで行ってしまったことがある。この時は女性が間違えて息子の靴を履いていたため、駅員が認知症を疑って声をかけてくれた。徘徊は認知症の特性であり、地域全体で見守っていくしかない。
厚生労働省は今年度から「認知症施策推進5カ年計画(オレンジプラン)」をスタートさせた。病院や施設中心の認知症ケアを、できる限り住み慣れた地域で暮らし続けられるように在宅介護にシフトさせる内容だ。その柱の一つ、認知症の人と家族を支援する「認知症サポーター」養成講座の受講者はすでに400万人を超え、全国レベルの取り組みが始まっている。
ところが今回の判決は、地域で認知症の人と家族を見守っていこうという時代の流れに逆行するものだ。男性の外出を検知する玄関センサーをたまたま切っていたことや、男性の妻(当時85歳)が短時間まどろんだことなどから、見守りを怠ったと判断したことは大変な誤りだ。
公共性の高いJR各社や裁判所などの公的機関は認知症の特性をよく理解して対応してもらいたい。徘徊を前提とした見守りができるよう、超小型の全地球測位システム(GPS)の開発なども求められている。
◇事故防止は鉄道会社の責務だ--関西大教授・安部誠治さん
認知症の男性をはねたJR東海について、判決は「線路上を常に職員が監視することや、人が線路に至ることができないように侵入防止措置をあまねく講じておくことなどを求めることは不可能」として、注意義務違反を認めなかった。しかし、ただ免責するだけでは事故の教訓は生かされない。ホームや踏切など施設の安全性を向上させていく鉄道会社の社会的責任を指摘すべきだった。
JR東海は決して余力がない赤字企業ではない。旧国鉄から東海道新幹線という「ドル箱」を引き継ぎ、巨額を投じてリニア中央新幹線を建設しようとする超優良企業だ。収益の一部を既存路線の安全性向上に投じ、施設改善を図る十分な財務基盤がある。JR西日本は05年の福知山線の脱線事故の後、ATS(自動列車停止装置)を大量に導入している。
事故現場の駅は、ホームから簡単に線路に下りられる構造だったという。同じような構造の駅は多数あり、それだけで過失だとまでは言えない。しかし、JR東海に認知症の人が時に予測不能な行動を取り、線路に入ってしまうという認識があれば、重い認知症の人の遺族に損害賠償訴訟を起こすという対応はなかったのではないか。
JR東海は、事故の直接的な責任者を追及していく旧国鉄時代からの「責任事故」という考え方に縛られているようだ。線路上に本来いないはずの人がいたために事故が起きた。その人は認知症で責任を問えない。ならば見守りを怠った家族の責任だ、と人的ミスを次々に追及する論理だ。
人的ミスは根絶できない。だから人的ミスを追及していくだけでは事故はなくならない。認知症の高齢者が急増しているという背景にこそ目を向けるべきだ。認知症の高齢者の事故をどう防ぐかは、安全性向上を責務とする鉄道各社共通の課題だ。事故原因を人的ミスだけに帰し、責任者を追及するだけでは社会的責任を果たしたことにならない。
◇家族に厳密な見守り義務ない--早稲田大教授・田山輝明さん
この判決の影響は極めて深刻だ。判決によると、認知症の親を積極的に介護した者は重い責任を負うことになる。これでは誰も介護できない。
まず第一に、判決は、死亡した認知症の男性の子どものうち長男だけを「法定監督義務者や代理監督者に準ずる者」として、親を監督する義務を負わせた。「法定監督義務者」とは例えば未成年の子どもに対する親権者だ。また「代理監督者」は子どもを預かった保育園の保育士さんに相当する。
しかし、高齢の親に対し、非常に厳密な見守り義務や介護の義務を家族に負わせる法律は日本にはない。従って今回のケースでは、認知症男性の法定監督義務者は存在せず、当然、その代理もいないと判断するのが妥当だ。確かに、兄弟姉妹や直系血族は互いに扶養義務を負ってはいるが、可能な範囲で経済的な支援をすればいいことになっている。認知症の父親を24時間、厳密に監督して、その行動に全責任を負う義務も「準じた義務」もなく、判決の論理は法律上、無理がある。
第二に、判決は認知症の男性が財産の管理能力を失っていたことから「本来は成年後見の手続きが取られてしかるべきであった」と指摘した。だが成年後見人になることは義務ではない。成年後見人にならない選択も許されると理解すべきだ。
判決に従えば、成年後見人を引き受けた場合、被後見人に対して厳密な見守り義務を負うことになる。認知症の高齢者は今後急増が予想され、精神障害者や多重債務者の一部にも成年後見人の制度は必要なのに、このような判決がまかり通れば、成年後見人のなり手がいなくなり、制度の存続すら危ぶまれる。
成年後見人には被後見人の財産管理と適切な見守りをお願いすべきだ。被後見人により第三者が被害に遭った場合のために、保険会社が徘徊事故についての損害保険を開発したり、限定的な公的補償制度も検討すべきだろう。
■人物略歴
◇しばた・のりこ
1949年生まれ。介護サービスの特定非営利活動法人「楽」理事長。著書に「介護職のためのきちんとした言葉のかけ方・話の聞き方」など。
………………………………………………………………………………………………………
■人物略歴
◇あべ・せいじ
1952年生まれ。NPO・鉄道安全推進会議副会長。公益事業学会前会長。著書に「鉄道事故の再発防止を求めて」など。
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■人物略歴
◇たやま・てるあき
1944年生まれ。東京・多摩南部、杉並区の成年後見センター理事長。早稲田大学前副総長。著書に「成年後見読本」など。」