インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

プラス世界への壁(なかなか面白いマイナス思考の男物語)

2008-02-16 00:40:01 | 苦しみを分かち合う
  真剣に生きる…。頭ではわかっていても、つい好い加減になってくる。「明日は明日の風が吹く」「なるようになる」と一日一日を大切に生きていないからかもしれない。

 もう若くはないが、まだ人生はあると思っているからかもしれない。もし「癌で余命1年」と宣告されれば、真剣に生きるようになるだろう。軽かった一分一秒が、死へのカウントダウンとして重くなってくる。「死ぬ前に自分は何をすべきか」徹底的に考えることになるだろう。悩んだところで、どうなるわけでもないが。

 もしインディオが「余命半年」と宣告されれば、「もうじたばたしても仕方がないや」と開き直っていられるか。いや、激痛との闘いでじたばたするだろうが、これだけはどうしようもない。やっぱ、このままの人生テンポで全うするのだろうか。

 残された時間が少なければ、人生は変えようがない。

 人は誰でも「自分を(良い方向に)変えたい」と思うが、良い方向というのは、多分「お金持ち」であったり「希望した職業に就く」、あるいは「幸せ家族を作る」、「頭を良くする」といった内容だ。それらは全てリンクしていて、プラスの世界に入る壁を打ち破れば、面白いように到達できるだろう。しかし後半年の命、最後の段階になって壁を打ち破っても、なんだか空しい。もう少し命があったらと嘆くようになるだろう。

 人生が後20年あったとして、そこでプラスの世界に入ることが「絶対に」良い方向であるかどうかは、これもどうも疑わしい。プラスの世界は、マイナスの世界があって初めて成り立つ。大勢の低賃金の労働者の上に高給取りが乗っかり、大勢の愚かな者の上に賢者が君臨する。マイナスの世界は居心地は良くはないが、それはそれで現実の世界なのだ。

 仏陀が「生=苦」と悟ったように、現実の世界はマイナスの世界なのかも知れぬ。プラスの世界は幻想の世界で、砂上の楼閣なのかも知れぬ。今億万長者の社長であったとしても、10年後はどうなっているかわからない。ホームレスかも知れぬ。

 壁を破ってプラスの世界にいる者は磁石のごとくマイナスの世界に誘われる。マイナスの世界にいればプラスの世界に憧れる。物質は行ったり来たり。安定していない。

 やはり精神面、心の安定を求めるべきだろうか。ただ心の安定のためには少なからぬ経済的保障が必要だし、そんな精神力があるなら富を軽く築いているだろうから、やはり壁をぶち破るべきか。壁、壁といっても、生れ落ちた運命によって壁の厚さは異なるだろう。1メートルの人もあれば、10メートルの人もある。壁が厚い方が苦しいには違いないが、薄い壁だとマイナスの世界にすぐに引き戻されるような気もする。

 皆と同じように、インディオの壁も結構厚いかも知れぬ。一生マイナス世界に閉じ込められる宿命なのかも知れぬ。まあ、それはそれで仕方がない(諦める)。プラスへの壁というのは、無理をして、腕力を持って、打ち破れる代物ではない気もする。就職試験における、面接のような壁か? 相手は人間のように意識していて、こいつはプラス世界に来るに値する奴だから入れてやろうかって感じかな(妄想)。ちょっと取り繕って、本来の自分と違う姿を見せたら、相手は神のような存在だからシャットアウトされるような気がする。


(面接壁ものがたり)
面接壁 「あなたの生まれた場所や時代背景はこうでしたか」

  「親の影響はこうで、あなたはこういうことを受け継いでいるのですね」

 「あなたはどんな努力をし、何を得ましたか」

  「あなたにはまだ経験が足りませんね」

 「工夫もぜんぜん足りません」

インディオ(余りの厳しさに絶句)「う、うう…」

面接壁 「もっともっと真剣に生きてもらわないと、この壁を通過させるわけには行きません」

インディオ 「あのぅ、壁の長さは後どれぐらいあるのですか?」

面接壁 「あなたの場合、100メートルはありますね」

インディオは諦めた(開き直った)。

悩んでも何も解決しない。ただ自分らしく、力を抜いて、自然体で生きよう。


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