『シルバーバーチのスピリチュアルな生き方Q&A』(ハート出版)を読んだ。言葉がすんなり身体に溶け込んだ。まるで古代アメリカの呪術師が語ったように思われた。
シルバーバーチは、グレートスピリッツ(大霊)を執拗に語っている。バーバネルに降るまでに、インディアンの霊に語らせたのは、昔、古代アメリカにでもいたからではなかろうか。
生まれたことに感謝はしているが、たまに逆に思うこともある。苦しみのない状態が好ましいのならば、最初から生まれなければ良かったのではないかとか…。
シルバーバーチは語る。
そもそも死というものは、少しも怖いものではありません。死は大いなる解放者です。死は自由をもたらしてくれます。
みなさんは、赤ちゃんが生まれると喜びます。が、私たちの世界では、これから地上へ誕生していく人を泣いて見送る人が大勢いるのです。
同じように地上では誰かが死ぬと泣いて悲しみますが、こちらではその霊を喜んで迎えているのです。
なぜならば、死の訪れは、地上生活で果たすべき目的を果たし終えて、次の霊界が提供してくれる莫大な豊かさと美しさを味わう用意が、その霊に備わったことを意味するからです。
次のことをぜひ理解してください。死は死んで行く者にとっては悲劇ではなく、後に残されたものにとっての悲劇に過ぎないということです。
暗黒から光明へと赴くことは悲しむべきことではありますまい。悲しんでいるのは、実は、その人に先立たれた自分のことであって、肉体の束縛から解放されたその人のことを悲しんでいるのではありません。
その人はより幸せになっているのです。もう肉体の病に苦しめられることがなくなったのです。激痛にさいなまれることがなくなったのです。天賦の霊的資質が発現し、何の障害もなくそれを発揮し、援助を必要としている人のために役立てることになるのです。
毛虫が美しい蝶になったことを悲しんではいけません。鳥かごが開け放たれて小鳥が大空へ飛び立ったことをなき悲しんではいけません。
肉体を離れた魂が自由を獲得したことを喜び、そしてあたかも大霊(グレートスピリッツ)から授かった能力を発揮すれば、その魂が味わっている美しさと喜びを幾らでも知ることができることを知ってください…
まるで神殿で生贄を捧げる神官のような言葉である(『煙る鏡』で最後にテスカトリポカが似たようなことを語っている?!)。
やはり大地でに合わせてっている肉体は、暗黒世界の中で足掻いているのだろうか。
宇宙で輝くを見つめ、瞑想すると、
大霊から発する光明が、うっすらと見えてくる(プチ覚醒)
大宇宙にはない善悪が、この大地で覆い尽くされている。
人間社会の中で、それぞれ魂を持った個体が、試練にぶつかる。
グレートスピリッツが、それぞれに艱難辛苦を与えている。
嘆き悲しみ、魂の琴線に触れ、浄化される。
う~ん、超人的ヒーラーが、カルマ的病気をぱっと治すのは良くないということか…
それぞれの段階に応じて、人間は努力し、苦しまなければならないということか。苦しむ原因は、きっと自分がつくっているのだろうが。
なお、シルバーバーチの、大自然や動物に対する考え方は、何かしらインディアンのシャーマニズムを髣髴させる。
問い 「動物にも、高等・下等の差別があるのでしょうか?」
シルバーバーチ 「ありません。それぞれの動物に、たどるべき進化の道程があります。生あるものは霊であるがゆえに生きているのです。霊は生命であり、生命は霊です。ですから、創造されたもの――小鳥も魚も花も木も果実も、全て霊なのです。
高等・下等の問題ですが、これは無数の声明形態の中の他の生命と比べて、進化のどの段階にあるかの差に過ぎません。たとえば人間は、魚に比べれば高い段階にあるかもしれませんが、霊界の上層界に比べれば低い段階にあることになります。」
…大半の人間は、自分たちが、万物の霊長であると信じていながら、だからこそ、他の生き物に対して責任があることに気づいていません。高い段階にいる者が、低い段階にいる者に手を差し伸べるべきなのです。
今回はこれぐらいで(次回に続く)
シルバーバーチは、グレートスピリッツ(大霊)を執拗に語っている。バーバネルに降るまでに、インディアンの霊に語らせたのは、昔、古代アメリカにでもいたからではなかろうか。
生まれたことに感謝はしているが、たまに逆に思うこともある。苦しみのない状態が好ましいのならば、最初から生まれなければ良かったのではないかとか…。
シルバーバーチは語る。
そもそも死というものは、少しも怖いものではありません。死は大いなる解放者です。死は自由をもたらしてくれます。
みなさんは、赤ちゃんが生まれると喜びます。が、私たちの世界では、これから地上へ誕生していく人を泣いて見送る人が大勢いるのです。
同じように地上では誰かが死ぬと泣いて悲しみますが、こちらではその霊を喜んで迎えているのです。
なぜならば、死の訪れは、地上生活で果たすべき目的を果たし終えて、次の霊界が提供してくれる莫大な豊かさと美しさを味わう用意が、その霊に備わったことを意味するからです。
次のことをぜひ理解してください。死は死んで行く者にとっては悲劇ではなく、後に残されたものにとっての悲劇に過ぎないということです。
暗黒から光明へと赴くことは悲しむべきことではありますまい。悲しんでいるのは、実は、その人に先立たれた自分のことであって、肉体の束縛から解放されたその人のことを悲しんでいるのではありません。
その人はより幸せになっているのです。もう肉体の病に苦しめられることがなくなったのです。激痛にさいなまれることがなくなったのです。天賦の霊的資質が発現し、何の障害もなくそれを発揮し、援助を必要としている人のために役立てることになるのです。
毛虫が美しい蝶になったことを悲しんではいけません。鳥かごが開け放たれて小鳥が大空へ飛び立ったことをなき悲しんではいけません。
肉体を離れた魂が自由を獲得したことを喜び、そしてあたかも大霊(グレートスピリッツ)から授かった能力を発揮すれば、その魂が味わっている美しさと喜びを幾らでも知ることができることを知ってください…
まるで神殿で生贄を捧げる神官のような言葉である(『煙る鏡』で最後にテスカトリポカが似たようなことを語っている?!)。
やはり大地でに合わせてっている肉体は、暗黒世界の中で足掻いているのだろうか。
宇宙で輝くを見つめ、瞑想すると、
大霊から発する光明が、うっすらと見えてくる(プチ覚醒)
大宇宙にはない善悪が、この大地で覆い尽くされている。
人間社会の中で、それぞれ魂を持った個体が、試練にぶつかる。
グレートスピリッツが、それぞれに艱難辛苦を与えている。
嘆き悲しみ、魂の琴線に触れ、浄化される。
う~ん、超人的ヒーラーが、カルマ的病気をぱっと治すのは良くないということか…
それぞれの段階に応じて、人間は努力し、苦しまなければならないということか。苦しむ原因は、きっと自分がつくっているのだろうが。
なお、シルバーバーチの、大自然や動物に対する考え方は、何かしらインディアンのシャーマニズムを髣髴させる。
問い 「動物にも、高等・下等の差別があるのでしょうか?」
シルバーバーチ 「ありません。それぞれの動物に、たどるべき進化の道程があります。生あるものは霊であるがゆえに生きているのです。霊は生命であり、生命は霊です。ですから、創造されたもの――小鳥も魚も花も木も果実も、全て霊なのです。
高等・下等の問題ですが、これは無数の声明形態の中の他の生命と比べて、進化のどの段階にあるかの差に過ぎません。たとえば人間は、魚に比べれば高い段階にあるかもしれませんが、霊界の上層界に比べれば低い段階にあることになります。」
…大半の人間は、自分たちが、万物の霊長であると信じていながら、だからこそ、他の生き物に対して責任があることに気づいていません。高い段階にいる者が、低い段階にいる者に手を差し伸べるべきなのです。
今回はこれぐらいで(次回に続く)
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