インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

ブログは終わりに…

2011-09-12 06:33:57 | 映画や小説、テレビなど
 昨日は真夏日だった。今日も夜が恐ろしいが、気温差が激しく、体調管理に気を付けたいところだ。

 さて、最近、めっきりとブログの更新回数が減ったが(やはりアクセスも減ったが)、かといって物書きゲームを止めているわけではなく、パソコンで原稿を書いたりしている(フィクションだ)。アルファポリスとかに展示してあるのが陳腐化したため、新しいのを展示しようという意味もあるが、妙な色気(野望?)がないわけでもない(控えめに言っておこう)。

 ブツ切れで、その時の感情に支配され、支離滅裂にもなっているブログよりも、何か物語を書く方が首尾一貫していて、書いていて面白みがある。ブログであるが、もはや書きまくったので(979記事目!)、もはや目的は達成され、また原点に戻って、フィクションに集中すべきなのかもしれぬ。

 ブログではもはや書くことがなくなったというわけでもないが、ブログなどいくら頑張ってもフィクション小説よりも売れる可能性が低いわけで、所詮、日記、備忘録でしかないのかもしれない。いや、フィクション小説も売れるわけがないのだが、こっちは「まさか」という可能性がある。

 いくらブログで昨日見た夢を語ろうとそれは「個人的な夢」にすぎないが、小説化すれば(上手い具合に物語化すれば)、それは「社会共通の夢」になるかもしれない。

 もっとも、作家志望者は多く(これを見ているあなたもですか)、これは並々でない修練やらエネルギーを必要とする。『ミレニアム』という映画化された小説を書いたスウェーデンの作家スティーグ・ラーソンなど寿命を縮めて心筋梗塞で死んだほどだ(映画で観たが…、ハチャメチャであった。あれぐらい主人公は個性的でないとだめか)。

 ブログにしろ、小説にしろ、根っこの部分は同じだが、フィクションの場合は、登場人物の心理描写やらリアリティが要求される(それ以外にもいろいろありすぎる)。小説を買って読むたびに、あまり面白くないので(ページが捲られず)、自分ならばもっと面白おかしく書けるのにな、と思ったりするわけで、それならば実際に挑戦すればいいわけである。

 これまで膨大にブログにエネルギーを注ぎ過ぎ、これだけ書かねば何か別のことが出来たのでは?と思われてならない。別に後悔はしてはいないが、それに気づいた以上、方向転換してみる方が良いのかもしれない。

 朝の一時間とか、寝る前には必ず執筆し、飯を食べたり、風呂に入っている間も小説について考えたなら、二か月ぐらいで物語が一本ぐらいは出来上がるだろうと思われる。もう既にワードを立ち上げ、その上でブログを打っているのだが…

 こんなことをしていると頭が混乱してくるわい(ブログモードは鎮めねば)


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