インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

睡眠薬代わりのヘミシンクか

2014-04-10 20:47:15 | 身の回り
  電気圧力鍋にサツマイモを放り込み、雅太はブログを書き始めた。元々物書きを志すほど文を書くことが好きなのだが、実際には野球小僧が壁にボールをぶつけて悦に入っているようなもので、グラウンドに立たなければプロとはいえぬ。ただ、現代ではネットがある故に、壁にぶつけている野球小僧にさえ、見物人が現れるわけで、ブログでも閲覧数が弾き出されるが、書けば書くほどアップしてくるものである。

 そこで雅太は、奮発し、思いついたことを次から次へと書きなぐることにした。そもそも人が他人のブログを読むというのも、世の中つまらないことだらけで、何か面白いことが無いかと血眼になって探しているからかもしれぬ。そういう雅太も、仕事が終わってから温泉サウナばかりでは飽きがくるわけで、かといって健康志向の雅太が飲み屋やタバコ充満するパチンコ店や雀荘に行くわけも無く、あとは怪しげな書物をめくったり、夢見のためのトレーニングに励むわけであった。

 そういえば、古本屋に寄って、『アセンションの超しくみ』なる本が気になり買ってしまった。108円で叩き売られていたこともあるが、著者のサアラ(ワンダラー・覚醒した宇宙人)なる女性の途方もない発想、これがただ刺激になったからであって、読むかどうか分からぬが、素うどんを食べるような日常では、良いスパイスになるであろう。きっとまともな人間も、こういうスパイスを求め、怪しげな宗教団体やらクラブに出入りするのかもしれぬ。

 そういうわけで、雅太はゲートウエイエクスペリエンスの扉を再び開けたのであった。もちろんCDはオデッセイまでの6巻そろえてあり、テキストとしては、モンローの著作3作もカスタネダの横に並んでいる塩梅である。個人的には、カスタネダの精霊の世界観の方が好きであるし、集合点の操作、エネルギー体の操作という考えの方が、Focus10やら12よりも馴染んでいる。だが、カスタネダの場合「呪術の世界は学校の勉強とは違う」とあるのに対し、モンローの場合は「努力次第で学習できる、能力が向上できる」とあるので、雅太はコツコツとこっちに手を染めてみようかと思いはじめた。

 体外離脱は出来たものの、思うように行かないというのは、方法が間違えているのかもしれない.ベクトルやらリモート・ビューイングやら具体的に色んな概念が飛び交っており、利用できるものは何でも利用してやろうと、雅太は考える.まさに、自我流で直球しか投げてこなかった野球小僧が、指導書を読み、カーブやら変化球を覚えるような感じかもしれぬ。

 さっそく雅太はエナジーツールバーを自分の右手にしようかとか、いや、左手が良いかとか、試してみるのであった。