いま、ここで、最高にしあわせになる
だから、道端で咲いている花を見て「きれいだね」とか、人と会ったら「楽しいね」とか。それと、人に親切にしよう、って。
人に自分ができる無償の愛を出す、人に親切にする、って、霊格うんぬんの以前に楽しいよね。だって、みんなに喜ばれるじゃない。
人に喜ばれる自分でいられる、それって、最高だよね。
それでね。不思議なんだけど、親切にしようと思っていたら、神さまがそういう場面を作ってくれるんだよ。だから、オレは、今、恵美ちゃんに一生懸命親切にしているんだよ。だけど、この電話を切って、誰かに会ったら、その人に親切にしてる。そうやって一日が終わるの。
で、また明日になったら、神さまが親切にする人を出してくれるから、その人に対して自分ができる範囲の親切をする。この世の修行で、それ以上のものって、ないの。
そんな事をやりながら、「この世は楽しい、楽しい」って。精一杯、今、ここで楽しむんだよ。
それを、自分は悟りを開いて、死んだらもう、この世には生まれてきたくないです、とかって。(笑)。そんなのは、悟りとはいわない。
死にたくない、って言えなきゃ、悟りじゃない(笑)。っていうのが一人さん流なんだよ。
だって、死にたくないぐらい、この世を楽しんでいたら、招待した神様が喜ぶんだよね。
それを、この世にあるもの、あれを否定し、これを否定してね。「やがて肉体はなくなって、アストラル体になって、どうのこうの」とかって言うけど、それがなんなんだ(笑)。
そんなことばっかり考えて、本当に楽しいんですか?
自分は悟って、もう生まれてきません、って言ってる人、ホントに「今、ここ」を楽しんでいるの? この世は苦しいと思っているから、死んだらこうなってああなって、霊格がどうのこうの、って。
この世にいるときは、向こうのことより「今、ここ」なの。
向こうに行った時のステータスがどうだこうだ、そんなことより「今、ここ」を精一杯楽しんで、最高にしあわせになりな。天を喜ばしなよ、って。
人に親切にするのも楽しいよ。みんなの笑顔を見たり、好きな人と手をつないだって楽しいよ。そうやって、今、自分がもっているもの、周りにあるものを全部つかって、「楽しいね、楽しいね」って。そしたら、最高にしあわせなんだよ。ずっと、ここにいたい、なんだよ。
オレはね、死が怖くて言っているんじゃないの。あの世があることも知っている。向こうにいい世界があることも知ってるの。だけど、今、オレたちが生きているこの星は、素晴らしい星なんだよ。水があってね。緑があって、花があってさ。鳥が飛んでて、蝶が飛んでて、って。こんな素晴らしい星、他にないんだよ。それに、オレ、ここで大切な仲間と出会った。友達もいるしね、人助けもできて、楽しいこと、いっぱいあるんだよ。そういうこの世に、神さまのご招待できてるんだよ、みんな。
ホントにね、オレたち、「今、ここ」で最高にしあわせにならなきゃいけない。しあわせとは権利じゃなく、義務なの。オレたちが生まれてくるとき、「しあわせになります」と言って生まれてきているんだよ。
この環境でしあわせになります、この性格でしあわせになります、って、神さまと約束してきてるの。だから、この性格でね、あなたの人生の中で、しあわせになって、最高にしあわせにならなきゃいけない。それで、しあわせというのは与えられるものじゃないの。勝ち取るものなの。
考え方で、自分の考えを好転させて、好転させて、好転させてね。
それと、人に親切にしよう、という思い。どんなに悟りを開いても、人に親切ができなかったら、しょうがないんだよ。滝に打たれようが、なにしようが、そんなもん関係ないよ(笑)。
滝に打たれて、悟り開いたらなにするんですか? 人に無愛想にするんですか、不親切にするのかい。違うだろ、人に親切にするしかないんだよ。
別に、滝に打たれなくたって、自分にできる親切ってあるんだよ。愛のある言葉をしゃべったり、困っている人に宇宙エネルギー送ってあげたりね。そうやってたら、楽しい、しあわせな人たちに囲まれて、ずっと、ここにいたい、最高にしあわせなの。
オレ、みんなにも、そうなって欲しいの。
「そうなってほしいのは、なんでですか?」って、オレに聞いてちゃダメだよ。
それより、自分がしあわせになることやんなきゃなんない。
「ずっと、ここにいたい、ぐらい、しあわせです」って、言えなきゃいけないんだよ。
だから、道端で咲いている花を見て「きれいだね」とか、人と会ったら「楽しいね」とか。それと、人に親切にしよう、って。
人に自分ができる無償の愛を出す、人に親切にする、って、霊格うんぬんの以前に楽しいよね。だって、みんなに喜ばれるじゃない。
人に喜ばれる自分でいられる、それって、最高だよね。
それでね。不思議なんだけど、親切にしようと思っていたら、神さまがそういう場面を作ってくれるんだよ。だから、オレは、今、恵美ちゃんに一生懸命親切にしているんだよ。だけど、この電話を切って、誰かに会ったら、その人に親切にしてる。そうやって一日が終わるの。
で、また明日になったら、神さまが親切にする人を出してくれるから、その人に対して自分ができる範囲の親切をする。この世の修行で、それ以上のものって、ないの。
そんな事をやりながら、「この世は楽しい、楽しい」って。精一杯、今、ここで楽しむんだよ。
それを、自分は悟りを開いて、死んだらもう、この世には生まれてきたくないです、とかって。(笑)。そんなのは、悟りとはいわない。
死にたくない、って言えなきゃ、悟りじゃない(笑)。っていうのが一人さん流なんだよ。
だって、死にたくないぐらい、この世を楽しんでいたら、招待した神様が喜ぶんだよね。
それを、この世にあるもの、あれを否定し、これを否定してね。「やがて肉体はなくなって、アストラル体になって、どうのこうの」とかって言うけど、それがなんなんだ(笑)。
そんなことばっかり考えて、本当に楽しいんですか?
自分は悟って、もう生まれてきません、って言ってる人、ホントに「今、ここ」を楽しんでいるの? この世は苦しいと思っているから、死んだらこうなってああなって、霊格がどうのこうの、って。
この世にいるときは、向こうのことより「今、ここ」なの。
向こうに行った時のステータスがどうだこうだ、そんなことより「今、ここ」を精一杯楽しんで、最高にしあわせになりな。天を喜ばしなよ、って。
人に親切にするのも楽しいよ。みんなの笑顔を見たり、好きな人と手をつないだって楽しいよ。そうやって、今、自分がもっているもの、周りにあるものを全部つかって、「楽しいね、楽しいね」って。そしたら、最高にしあわせなんだよ。ずっと、ここにいたい、なんだよ。
オレはね、死が怖くて言っているんじゃないの。あの世があることも知っている。向こうにいい世界があることも知ってるの。だけど、今、オレたちが生きているこの星は、素晴らしい星なんだよ。水があってね。緑があって、花があってさ。鳥が飛んでて、蝶が飛んでて、って。こんな素晴らしい星、他にないんだよ。それに、オレ、ここで大切な仲間と出会った。友達もいるしね、人助けもできて、楽しいこと、いっぱいあるんだよ。そういうこの世に、神さまのご招待できてるんだよ、みんな。
ホントにね、オレたち、「今、ここ」で最高にしあわせにならなきゃいけない。しあわせとは権利じゃなく、義務なの。オレたちが生まれてくるとき、「しあわせになります」と言って生まれてきているんだよ。
この環境でしあわせになります、この性格でしあわせになります、って、神さまと約束してきてるの。だから、この性格でね、あなたの人生の中で、しあわせになって、最高にしあわせにならなきゃいけない。それで、しあわせというのは与えられるものじゃないの。勝ち取るものなの。
考え方で、自分の考えを好転させて、好転させて、好転させてね。
それと、人に親切にしよう、という思い。どんなに悟りを開いても、人に親切ができなかったら、しょうがないんだよ。滝に打たれようが、なにしようが、そんなもん関係ないよ(笑)。
滝に打たれて、悟り開いたらなにするんですか? 人に無愛想にするんですか、不親切にするのかい。違うだろ、人に親切にするしかないんだよ。
別に、滝に打たれなくたって、自分にできる親切ってあるんだよ。愛のある言葉をしゃべったり、困っている人に宇宙エネルギー送ってあげたりね。そうやってたら、楽しい、しあわせな人たちに囲まれて、ずっと、ここにいたい、最高にしあわせなの。
オレ、みんなにも、そうなって欲しいの。
「そうなってほしいのは、なんでですか?」って、オレに聞いてちゃダメだよ。
それより、自分がしあわせになることやんなきゃなんない。
「ずっと、ここにいたい、ぐらい、しあわせです」って、言えなきゃいけないんだよ。