日高見国とは、『高い太陽を見る国』と言う意味で、縄文・弥生時代、それは東北関東地方を指す緩やかな連合国家であり、それが日本国成立の起源となったと言うのが田中先生の説です。とても説得力のある合理的な説明ですので、興味のある方は実際に本を読んで頂くとして、その中から幾つかピンポイントで紹介して置きますね。
『日本の中心は日高見国として、関東・東北にありました。高天原は関東にあり、アマテラスは関東を本拠とする太陽神であり、国譲りは関東勢力による統一事業であり、天孫降臨は関東から西国に向けて行われた遠征事業であり、神武天皇の東征は九州を起点とする戦略をとった関東勢力による再統一事業と思われます。』
その根拠として幾つかあるのですが、まず、縄文・弥生時代の人口分布の推移から。
縄文時代を通じて、日本列島の人口は、その九○パーセントが関東・東北に集中していたこと。発掘される縄文遺跡はほとんどが東北、関東に集中しますが、そもそもその当時、九州・近畿にはほとんど人が住んでいなかった為です。
古く神宮は、伊勢、鹿島、香取の三つだけ。
鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)、香取神宮(千葉県香取市)の創建は伊勢神宮より遥かに古く、神武天皇の頃とされています。
既に近畿に中心が移っていた大和朝廷の時代に、伊勢と並んで関東の2つの社が神宮の格を持っていたのはとても興味深いですね。
地図で見ると、鹿島神宮と香取神宮は、霞ヶ浦を挟んでとても近くにあります。
ここから船で、九州へと向かったのでしょう。
この間を伝える歴史書にホツマツタヱがあります。
神武以前、神代の巻きとして神話として伝えられて来た物語は、それ以前数千年に渡って続いて来た日高見国の実際の歴史だったと言う事です。
簡単に言うと、縄文前期(東北中心)一日高見国(東北・関東中心)一大和朝廷(近畿中心)一現代へと続いて来たと言えるでしょう。
縄文時代を仮に13,000とすれば、西暦2,000年をプラスして、実に一万五千年、日本と言う国は連綿と続いていると言う事になります。凄いですね~。
悠久の昔から続く日本と言う国に生まれて、私達は日本人として生きています。
そう思うだけで、足から根が出てしっかり大地に食い込む感じがしませんか?
この歴史認識を、民族の根と言います。幾多の先人達の努力・苦労・防衛の賜物あって現代の日本の繁栄があります。その感謝の思いを胸に、しっかりと大地に根を張って生きて行く、そんな私達で有りたいと思います。
『日本の中心は日高見国として、関東・東北にありました。高天原は関東にあり、アマテラスは関東を本拠とする太陽神であり、国譲りは関東勢力による統一事業であり、天孫降臨は関東から西国に向けて行われた遠征事業であり、神武天皇の東征は九州を起点とする戦略をとった関東勢力による再統一事業と思われます。』
その根拠として幾つかあるのですが、まず、縄文・弥生時代の人口分布の推移から。
縄文時代を通じて、日本列島の人口は、その九○パーセントが関東・東北に集中していたこと。発掘される縄文遺跡はほとんどが東北、関東に集中しますが、そもそもその当時、九州・近畿にはほとんど人が住んでいなかった為です。
古く神宮は、伊勢、鹿島、香取の三つだけ。
鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)、香取神宮(千葉県香取市)の創建は伊勢神宮より遥かに古く、神武天皇の頃とされています。
既に近畿に中心が移っていた大和朝廷の時代に、伊勢と並んで関東の2つの社が神宮の格を持っていたのはとても興味深いですね。
地図で見ると、鹿島神宮と香取神宮は、霞ヶ浦を挟んでとても近くにあります。
ここから船で、九州へと向かったのでしょう。
この間を伝える歴史書にホツマツタヱがあります。
神武以前、神代の巻きとして神話として伝えられて来た物語は、それ以前数千年に渡って続いて来た日高見国の実際の歴史だったと言う事です。
簡単に言うと、縄文前期(東北中心)一日高見国(東北・関東中心)一大和朝廷(近畿中心)一現代へと続いて来たと言えるでしょう。
縄文時代を仮に13,000とすれば、西暦2,000年をプラスして、実に一万五千年、日本と言う国は連綿と続いていると言う事になります。凄いですね~。
悠久の昔から続く日本と言う国に生まれて、私達は日本人として生きています。
そう思うだけで、足から根が出てしっかり大地に食い込む感じがしませんか?
この歴史認識を、民族の根と言います。幾多の先人達の努力・苦労・防衛の賜物あって現代の日本の繁栄があります。その感謝の思いを胸に、しっかりと大地に根を張って生きて行く、そんな私達で有りたいと思います。