兎龍都(うだつみやこ)さんが書かれた「陰陽ことはじめ」という本が株・なずなワールドから出版されています。70ページの小冊子で薄くて読みやすい本です。
陰陽とは、よく聞く言葉ですが、今から五千年前の中国人・伏義(ふっき)が、この世の中のすべてのものは反対のものが一つとして存在している事に気がつきました。それが陰と陽です。そしてこの陰と陽が一緒になったもの、つまり陰陽が生まれる前の一つの無限の力(世界)がある事を発見して、それに太極と名前をつけました。 この太極から大きな正反対の一対のエネルギーが生じて(陰と陽)、その二つが更に二つずつ分かれて四つになり、それが更に二つずつに分かれて八つに変化するものを記号でまとめました。これが八卦・易であり、本にまとめたものが「易経」です。
この世のすべては陰陽のエネルギーのバランスによって動かされている事を知ることが「陰陽入門」の第一歩になります。 物質は陽で精神性は陰です。現在は、目に見える物質(陽)に心を奪われ便利快適、経済・お金を優先して陰陽のバランスが大きく崩れています。眼には見えない精神性や魂のあり方はとても大切であり、「物心の調和・陰陽の調和」こそが全ての原点であり、宇宙の秩序です。
「神との対話」を読んでいたら、同じような記述がありました。
深く探ってみれば人間の行動には二つの動機しかない。不安か愛か。 じつは感情の源もこの二つだけだ。魂の言語にはこの二つの言葉しかない。この二つは私が宇宙を創造し、あなた方が住む世界を創造した時に生み出された二つの極なのだ。これらが「相対性」というシステムを可能にする二点、アルファでありオメガだ。この二点、ものごとに対するこの二つの思考がなければ、他の思考は存在し得ない。人の思考も行動も全て、愛か不安か、どちらかを根拠としている。
愛は究極の現実だ。それが唯一であり全てだ。至高の真実の中では、存在するすべては愛であり、存在した全て、これから存在するであろう全ても愛である。絶対の領域に入るとき(光の世界・魂の世界)、あなた方は愛の中へ歩み入る。 相対性の領域は(物質世界)、わたしが自らを体験するために創り出したものだ。だからと言って、相対性の領域が現実になるわけではない。それはあなた方とわたしが自分を体験的に知るために工夫した、そしていまも工夫し続けている、創られた現実だ。だが、この創られた現実はほんとうに現実的に見える。現実的に見せてほんとうに存在すると思わせるのが目的だからだ。この方法によって、神は自分以外の「別の何か」を考案した。別の何か、つまり相対性の領域を創造することで、わたしは、あなたがたが神であるといわれるだけなく、神である事を選択できる環境を創り出した。その領域で、あなた方は概念ではなく創造行為として神格を体験できる。不安や恐れは愛の対極である。これが第一の両極。 相対性の領域を創った私は、まず自らの対極を創り出した。さて、あなた方が暮らす物質的な領域には、二つのあり方しかないと言った。不安と愛である。不安に根ざした思考が、ひとつの物質的な場を生む。愛に根ざした思考がもうひとつの場を生む。
地球に生まれた「マスター」たちとは、相対性の世界の秘密を発見した人たちである。そして、それが現実だと認めなかった人たちである。ようするに「マスター」とは、常に愛だけを選択したひとたちである。
人間の本質とは魂であり霊です。神の分け御霊である人間の魂が、何故、光の世界(絶対領域)から出て、この不自由な物質的三次元世界・地球に、肉体を持って生まれてこなくてはならないのか? 神が創造した物質宇宙(相対領域)に何故神とは思われない悲惨・貧困・苦しみ・悲しみが満ち溢れているのか? 常に疑問に思いながら暮らしてきましたが、やっと、この創造の仕組みが府に落ちた感じがします。だからこそ、人生とは創造のプロセスそのものなのですね。