BR 栽培日記 2024

バーズレストランの栽培日記です

エゴスキュー

2012-02-27 12:54:41 | 日記・エッセイ・コラム

2/25、アドバンス講習。2/26、姿勢分析講習がエゴスキュー名古屋セラピースタジオであり、二日間の講習に参加してきました。 さすがに名古屋は暖かい。前日の24日の夕方の飛行機で名古屋に行きましたが、ホテルの部屋が暑くて寝付かれなかったほどです。夜もジャンバーなしで普通に歩けますしね。気温差が10度以上はあるので仕方ない事ですが、体感温度は北海道の5月始め頃の気候に感じました。 帰り、空港から家までの道路は雪だらけ。20cm位積もっていましたので、今日は除雪作業からスタートしました。一度も除雪しない年もあるくらいですから、今年は異常に雪の多い年です。今年はどんな季節の巡りになるのでしょうか・・・。

さて、エゴスキューですが、とても効果のあるエクササイズですので、皆さんも是非どうぞ。体験会が各地で開催されていますので、一度体験してみてください。


無双原理・易 桜沢如一著

2012-02-21 22:35:43 | 日記・エッセイ・コラム

1931年(昭和6年)にパリで刊行された「無双原理・易」という本がある。桜沢如一先生が書かれた本です。副題に、「マクロビォティックの原点」とあるように、食養・玄米正食の分野で有名な人です。いままで名前を聞いても本を読んだ事がありませんでしたが、今回「無双原理・易」を読んでビックリしました。健康のために玄米を食べましょうという程度の内容ではなく、将に無双・他に比べる事の出来ない、宇宙の原理を解説した本でした。

原理の中の原理 「宇宙万物は陰陽よりなる、これが万有無双原理である」

定理一、陰陽を生じるものは実有(じつう)である。

定理二、陰陽は実有より不断に派生し、分極し、相関往来し、栄盛し、不断に実有に帰入消滅する。この実有は、大極、無極、空、虚空、無限、絶対、永遠などと呼ばれる宇宙万物の本質である。この実有が陰陽を生じる現象を、分極作用と呼ぼう。

定理三、陽は求心、圧縮の性を有し、陰は遠心、拡散の性を有し、おのおのその性は反対である。陽の求心圧縮力は、自然の結果として、音、熱、光、重さという現象に現れる。陰の遠心拡散力は、寒さという現象、軽さという現象において見られる。

定理四、陽は陰を、陰は陽を互いに牽引する。

以下、定理十二まであり。

今、易(えき)と聞くと、占いの類かな、という認識しかないのが普通だと思うけれど、今から五千年も前に伏義(ふっき)によって完成された「宇宙のあらゆる現象と転換を説明し、予言する無双の公理」の事である。日本においても、その脈略は「四書五経」の素読という形で受け継がれてきたが、近代になってそれも捨てられてしまった。明治時代にこれを復活させたのが桜沢如一先生である。今は東洋思想を学ぶ機会もないので、これほど素晴らしい原理を知る機会が無いのは、実に勿体無い話だと思う。 ここ数日かけて「神との対話・三部作」を読み返していたが、易の内容は神からのメッセージと同じである。現代にもう一度解りやすく易を解説してくれたのが「神との対話」という本であるような気がする。


みかん

2012-02-19 18:07:35 | 日記・エッセイ・コラム

219 これは福岡県の北原農場さんから送ってもらったみかん。北原さんは赤嶺さんのお弟子さんだ。百姓塾でおやつに頂いたみかんがとても美味しくて、まだ在庫があるというので注文して送ってもらったものだ。これが甘さにコクがあってとても美味しい。毎日食べているがまったく飽きない味だ。みかんは年末に毎年買うが、結構はずれが多くて、ここまで美味しいみかんは滅多にない。満足感を味わえるみかんである。


陰陽ことはじめ

2012-02-17 11:32:12 | 日記・エッセイ・コラム

兎龍都(うだつみやこ)さんが書かれた「陰陽ことはじめ」という本が株・なずなワールドから出版されています。70ページの小冊子で薄くて読みやすい本です。

陰陽とは、よく聞く言葉ですが、今から五千年前の中国人・伏義(ふっき)が、この世の中のすべてのものは反対のものが一つとして存在している事に気がつきました。それが陰と陽です。そしてこの陰と陽が一緒になったもの、つまり陰陽が生まれる前の一つの無限の力(世界)がある事を発見して、それに太極と名前をつけました。 この太極から大きな正反対の一対のエネルギーが生じて(陰と陽)、その二つが更に二つずつ分かれて四つになり、それが更に二つずつに分かれて八つに変化するものを記号でまとめました。これが八卦・易であり、本にまとめたものが「易経」です。

この世のすべては陰陽のエネルギーのバランスによって動かされている事を知ることが「陰陽入門」の第一歩になります。 物質は陽で精神性は陰です。現在は、目に見える物質(陽)に心を奪われ便利快適、経済・お金を優先して陰陽のバランスが大きく崩れています。眼には見えない精神性や魂のあり方はとても大切であり、「物心の調和・陰陽の調和」こそが全ての原点であり、宇宙の秩序です。

「神との対話」を読んでいたら、同じような記述がありました。

深く探ってみれば人間の行動には二つの動機しかない。不安か愛か。 じつは感情の源もこの二つだけだ。魂の言語にはこの二つの言葉しかない。この二つは私が宇宙を創造し、あなた方が住む世界を創造した時に生み出された二つの極なのだ。これらが「相対性」というシステムを可能にする二点、アルファでありオメガだ。この二点、ものごとに対するこの二つの思考がなければ、他の思考は存在し得ない。人の思考も行動も全て、愛か不安か、どちらかを根拠としている。

愛は究極の現実だ。それが唯一であり全てだ。至高の真実の中では、存在するすべては愛であり、存在した全て、これから存在するであろう全ても愛である。絶対の領域に入るとき(光の世界・魂の世界)、あなた方は愛の中へ歩み入る。 相対性の領域は(物質世界)、わたしが自らを体験するために創り出したものだ。だからと言って、相対性の領域が現実になるわけではない。それはあなた方とわたしが自分を体験的に知るために工夫した、そしていまも工夫し続けている、創られた現実だ。だが、この創られた現実はほんとうに現実的に見える。現実的に見せてほんとうに存在すると思わせるのが目的だからだ。この方法によって、神は自分以外の「別の何か」を考案した。別の何か、つまり相対性の領域を創造することで、わたしは、あなたがたが神であるといわれるだけなく、神である事を選択できる環境を創り出した。その領域で、あなた方は概念ではなく創造行為として神格を体験できる。不安や恐れは愛の対極である。これが第一の両極。 相対性の領域を創った私は、まず自らの対極を創り出した。さて、あなた方が暮らす物質的な領域には、二つのあり方しかないと言った。不安と愛である。不安に根ざした思考が、ひとつの物質的な場を生む。愛に根ざした思考がもうひとつの場を生む。

地球に生まれた「マスター」たちとは、相対性の世界の秘密を発見した人たちである。そして、それが現実だと認めなかった人たちである。ようするに「マスター」とは、常に愛だけを選択したひとたちである。

人間の本質とは魂であり霊です。神の分け御霊である人間の魂が、何故、光の世界(絶対領域)から出て、この不自由な物質的三次元世界・地球に、肉体を持って生まれてこなくてはならないのか? 神が創造した物質宇宙(相対領域)に何故神とは思われない悲惨・貧困・苦しみ・悲しみが満ち溢れているのか? 常に疑問に思いながら暮らしてきましたが、やっと、この創造の仕組みが府に落ちた感じがします。だからこそ、人生とは創造のプロセスそのものなのですね。