BR 栽培日記 2024

バーズレストランの栽培日記です

新説・明治維新

2017-01-22 19:53:18 | 2016年の栽培

スタンフォード大学フーヴァー研究所教授 西鋭夫(にしとしお)先生の講演録冊子、今なら送料のみで送ってもらえるので、興味のある方は取り寄せて読んでみてください。為になりますよ。

イントロダクション 「イギリス大英帝国と麻薬の不都合な関係ーこれを知ると、明治維新の本当の姿がみえてくる。この講演録を読み終わった後には、あなたの明治維新のイメージは全く変わっているはずだ。そして、歴史の見方そのものまで変わっているだろう。
歴史の真実は、小説のように簡単で美しいものではない。本当に歴史を動かしている存在は、決して表舞台には登場しないからだ。歴史には裏があり、それは現代でも変わらない。
歴史を見抜く眼を養うには、現在進行形で起きている出来事に対する思考力や見抜く力を身につけることだ。 美しい、憧れの明治維新ーその真実の姿を、本書を読んで、ぜひあなた自身で判断して頂きたい。」


近代以降の歴史について学ぶ機会はほとんどない。高校の日本史の授業も、近代前でほとんど終わりだ。NHKの大河は私も良く見るが、戦国時代は、ほとんどが国内の国取り物語で終わってしまう。イギリスの産業革命後に始まった15世紀の大航海時代は、征服される側にとっては、将に血塗られた歴史そのものであった。アジアで植民地化を免れたのは、タイ王国と日本の二カ国しかない。世界は植民地政策の元で苦しみに喘いでいたのだ。

戦国の英雄、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康、この三英傑が国内を統一したのは決して偶然の賜物ではなかったと思う。秀吉の頃にはすでにキリシタン大名が存在し、欧米の魔の手はすぐそこまできていたのだ。国内を統一し、キリシタンを追放し、鎖国する、と一連の政策のおかげで、その後江戸時代という、250年に渡る平和な暮らしが実現し、見事な江戸文化の華が開いたのだ。明治維新以降は、将に戦争の歴史でした。明治以降の歴史は、欧米列強の中で翻弄された日本国、という視点で物事を見て理解していかないと、物事の理が良く理解できません。

一般の報道、教育には、この国際情勢の中の日本という視点がまるで欠けています。意図して隠しているというのが真実かもしれません。意図してカモフラージュされた歴史をまるでそれが真実であるかのように信じ込まされている、と言って良いかもしれません。知る事によって霧は晴れます。知る事です。


希勢の里関、優勝おめでとう。遅咲きの横綱ですが、来場所は大いに盛り上がるでしょうね。辛抱して、辛抱して、やっと掴んだ優勝と横綱ですから、本人だけでなく、周りも大喜びだと思います。我慢した分、喜びも大きいですね。頬を伝う涙に感動しました。


白老町

2017-01-17 18:23:15 | 2016年の栽培

昨日は胆振の白老町に行ってきました。車で二時間ほどの距離にあります。社会福祉法人ホープが農業法人を設立するので、参加してくれないかとの話があり、現地を見に行ってきました。土地は原野ですが、全部で5haあり、広さ的には十分です。


すぐ南に海岸があり、樽前山系の山がすぐ近くなので、春頃は霧が発生しやすい土地柄なので、気象的には厳しい面があるかもしれません。


白老町の主産品は、白老牛・鶏卵・しいたけ、で、水田はなく、畑物には向かない気象だといわれていますが、街中にはいたるところにソーラーパネルがあります。日照量は多いようです。
ただ、土地はながく放置されてきた原野なので、土壌改良には数年を要するので、難しい案件かもしれません。

自分を満たす

2017-01-13 09:24:30 | 2016年の栽培
生きる覚悟を強くもつ ゆっくりと息を吸ってゆっくりと吐く。「生きる、生きる」とつぶやきながら、生きている今の自分に意識を集中する。

生きるとは万物との交流 すると、息をするというのは、空気との交流であることに気づく。水を飲むのは水との交流、食べることは動植物との命の交流だ。食べ物となってくれる動植物は、地球である地と、太陽からの熱と光(火の働き)がなければ育たない。四大元素である、地・水・火・風(空気)の恩恵があって、人も地上で生きていける。有るのが当たり前という感覚に慣らされてしまっているが、「生きて在る」という感覚に意識をフォーカスしないと、なかなか感謝の思いは溢れて来ないような気がする。

万物との交流があって、人も生きていけるわけだが、これらの四大は、天然の自然要素であるから、交流には何の問題もない、自然は宇宙の法則そのままに在るものだから、自然との交流は人が生きて在ることの根源的な意識を呼び覚まさせてくれる。
問題が湧きやすいのは「人との交流」だ。
自分軸をしっかりと保っていないと混乱する。

自分を満たす 私たちの主、本質である魂にとって、人生とは生きることそのものだ。制限の在る物質世界での生きる体験・感情の感覚を求めていると言って良い。なので、生きていけば良いのだが、進んでいく方向性がある。
何が自分を満たすのか、これは自分でなければ解らない。自分を満たすものに向って進んでいく。最初は物質的な状況を整える、という方向に向うかもしれないが、やがて、魂の覚醒へと進んでいく、こころからの充足を求めるようになるからだ。

思考が魂の領域(五感では捕らえられない本質の部分)に入りだすと気づくことがある。変性自我、物質界で生きること、生き残っていく事を志向している脳の理性の部分をいかに支配していくかと言う点だ。(変性自我とは、時間・距離・分離という幻影に従ってものを見る自分のこと) 勿論、人としてこの物質世界で生きていかなければならない生身の存在であるので、変性自我をゼロにするというのは不可能だ。生きて行く為に大切なエゴの部分であり、否定すべきものではない。それがあるままで、在る意識へと入っていく。生きて在る、ただそれだけでありがたい、という意識状態に到達すれば、もう何があってもヘイチャラだ。世の物事にいちいち心を悩ます事もなくなるだろう。

人生とは、多分これの繰り返しなのだ。何度も生まれ変わっては人生ゲームに挑戦する。その為に神様が、この宇宙を作り、星を作り、生きていく舞台を提供してくれているのだ。人生って、ほんと楽しいよね。


北の縄文人

2017-01-08 17:50:37 | 2016年の栽培
秋に農作業が終わり、11月からの発送作業も終わると、特にすることもない農閑期に入ります。今は、朝早く起きても寒いだけなので、8時~9時頃のんびりと起きて、のんびりと一日を過ごす毎日が続いています。
幸せとは、この自由感を感じられることかなーと思います。勿論、生きていくには様々な縛りがあるので、゛~しなければならない゛という状態から脱するには結構な時間がかかる、とは思います。何物にも縛られず、死んでよし・生きてよし、どこへ行く事もなく、しなければならない事もなく、自由な存在である事を実感できる事が幸せへの第一歩なのかな。

もちろん、自由である為にはそれを支える豊かさが必要です。「自由・豊かさ・楽しさ」この三つが幸せのキーワードだと思っていますが、何も心配が無く、自由であったとしても、楽しさが伴わないと、なんとなくつまらない感じになってしまいます。この場合の楽しさとは、希望の事かな。常に向上していく喜びがあれば、心も楽しく感じるものです。

はるか昔、日本列島には縄文人が住んでいました。私たちの遠い祖先です。
北海道は、明治以降の開拓ですが、そのずっと前から、縄文人の流れを汲む、アイヌ民族が住んでいました。全てを精霊として捉え、神としてあがめ、自然と共に暮らすアニミズム文化が、つい150年前まで、北海道で続いていたのは驚異的な事だと思います。

先住民族は、アイヌに限らず、北米のインディアン、アマゾンのヤノマミ族、オーストラリアのアボリジニ、全てが農耕をしない、狩猟採取が生活の基本です。そこにあるものを自然から頂く生活ですから、要は仕事をしない、働かない、ということです。それでちゃんと生活して生きていけるわけですから、天地に感謝したくなるのは当然の事だと思います。ですから、先住民には、高い精神文化が花開きます。生きる事にあくせくしなくて良い、という余裕が心を深める時間にあてられて行くからだと思います。

産業革命以後の近代化の波は、同時に世界全体で先住民族が滅びていく歴史でもありました。
地球の人口が多すぎる、と思います。
日本の縄文時代の人口はどれ位でしょう? 一万人か、多くてもせいぜい数万人程度だったろうと思います。であれば、好きな所に住み(土地の所有権なんて無いのだから)、漁業権なんて無いのだから、海から貝や魚を好きなだけ取り、海の幸・山の幸だけで食べきれないほどの食料が確保できたと思います。江戸時代で一千万人程度と言いますから、今はそれの12倍。狭い国土で1億二千万はさすがに多すぎると思います。7~8千万人程度でも十分多い数だと思います。
北海道は広いと言われますが、どこに行っても、山の奥でも人が居て住み着いています。過剰な人口が様々な軋轢を生んでいる原因の一つになっているように思えます。

勿論、こんな状態では、かっての狩猟採取民族の様な生き方をしていく事は無理ですね。
皆、生きて行く為には働かざるをえず、この仕事が大きな縛りになってしまいました。
皆が宝くじに憧れる気持ちも良く解ります。
最近、やっと「働き方改革」が話題になっていますが、どうなるでしょうか。
良い流れだとは思いますが・・。

仕事をしないでいかに生きていくか?
勿論、何もせずブラブラしている事が目的ではないので、好きな事をしてそれを仕事にしていくという工夫をするしかないのかな、と思いますが、かって日本列島に実在していた縄文文化の在り方に少しでも近ずく事ができれば、平和で幸せな社会の実現に近ずくのではあるまいか、と考える今日この頃です。

朝の太陽

2017-01-06 08:52:05 | 2016年の栽培

朝8時の太陽です。冬至の日に比べると、昇る位置が少し左にずれ、日中の高さも少し高くなってきました。日没も少しずつ遅くなってきましたね。

日はこれからも少しずつ長くなっていきますが、北海道の寒さはこれからが本番です。1月の末から2月の初旬に底となり、それ以後少しずつ暖かくなってきます。

本来ならば、熱と光の供給源は太陽にあるので、冬至・夏至と季節が一致するのが本当と思いますが、実際はそうなりませんね。今年の夏至は6/21日ですが、この日が一番暑くなるわけではありません。季節と気温が、太陽との位置関係だけで決まるわけではない、という事実はとても興味深いですね。