BR 栽培日記 2024

バーズレストランの栽培日記です

気づきのプロセス

2012-03-25 19:38:35 | 日記・エッセイ・コラム

考えてみると、今私が(人が)生きてここに存在しているという事は実に不思議な事だ。

勿論、前世や今世での人生の目的・使命について、はっきり覚えたままで生まれてくる人もたまにはいるが、普通は忘却と言うブロックがしっかりと掛けられているので、まったくの無明の闇の中から人生を出発しなければならないケースがほとんどだ。

生まれ、長ずる中で、家庭・学校・社会、やがて結婚と、様々な経験を重ねていく。そして、皆が充実した幸せな人生を送ることが出来たなら、何も言う事は無いのだけれど、そうではないケースも多いような気がする。

一番辛いのは、社会に組み込まれて生きていかざるを得ないと言う宿命だろう。今のこの社会の有り方が結構エゴい。利益を追求する会社活動はその最たるものだ。個人の人間性などはまったく考慮されることなく、ひたすら利益追求の為にこき使われてしまう。うつ病になるのは当たり前だ。過労死、自殺。私も20年もサラリーマン生活をしたから、追い込まれてしまう人の気持ちは良く解る。私もあのままサラリーマン生活を続けていたら、心臓発作でとっくに死んでいただろう。金を稼いで生きていくというのは実にプレッシャーのかかる作業なのである。

リストラ、というと、首になったというマイナスイメージがまとわり付くが、本来は、リ・コンストラクション、再創造という意味だ。一度壊して更地にし、その上にまったく新しい建築物を建てていくという、未来志向型の、明るいエネルギーを伴う言葉なのである。もし、リストラにあった人がいれば、これをチャンスと捕らえよう。自分の人生を再創造する又とない機会だ。私も40歳でリストラされたが、そのおかげで今がある。

自分から会社を辞めるという決断はなかなか出来ない。妻子がいれば更に難しいだろう。家族の生活が掛かっているのだから、会社を辞めて路頭に迷うという選択はできる筈がないのだ。だからこそ、リストラには恐怖が伴う。恐怖が伴うビッグチャンスなのだ。

これを機に、勇気を振り絞って、迷いの多い俗世間からはおさらばしよう。再び会社という経済機構に巻き込まれて苦しむことはない。具体的には、自分が好きな事・やりたい事を決定してそれをとことんやり抜こう。あとは、それを如何にして仕事にして金を稼ぐかを考え工夫すればよいのだ。こうすればライクワークが金を伴い、ライフワークとなり、ライトワークになる。ここまでくればしめたもの。人生の車輪が確実に回りだす。この時、あらゆる束縛、呪縛から解き放たれ、絶対的な自由を獲得する。何者にも縛られない清々しい生活が実現する。

ならば、いよいよ人生の創造に取り掛かろう。あらゆる幻想を打ち砕く意識的な存在の有り方だ。意識こそが究極の存在へと導く唯一のツールのような気がする。


冬に逆戻り

2012-03-25 18:10:34 | 日記・エッセイ・コラム

326 3261

連日の大雪。朝起きたら20cm位積もっていました。すっかり冬に逆戻りです。早速除雪作業にとりかかりましたが、しかし、3月も末だというのに、この時期に除雪した記憶はありません。全国的に春の訪れが一週間ほど遅いようですが、北海道は一週間程度では収まりそうもありません。10日から二週間程度は覚悟しなければならないかもしれません。春の訪れが遅くて、以後の季節の巡りがどうなるのかは、まったく予測不能です。2012年にふさわしく、今年は激動の一年になるのかもしれません。


春まだ遠し 春の雪

2012-03-24 18:46:42 | 日記・エッセイ・コラム

3241 だいぶ暖かくなってきた北海道ではありますが、今日は朝から雪の一日でした。

この時期は、雪が降ったり融けたりを繰り返す時期ではありますが、まだ根雪が完全には融けていませんので、黒い土が見えるのはまだまだ先のようです。

四月まではあたり一面真っ白の白銀世界が続きます。内地に暮らす人にはなかなか想像できないでしょうね。


幻想に導くもの

2012-03-23 16:23:24 | 日記・エッセイ・コラム

普段、本は箱に入れて保管してあるのだが、昨日探していたらクリシュナムルティの英知の教育が出てきた。今、久しぶりに読み返していますが、読み終わったら改めてご紹介したいと思っています。

さて、この幻想がどこから来るのかについてちょっと考えてみたい。

そもそも社会が、形ある世界こそが真のリアリティだと言う物質思考のみで成り立っている。そしてこの思想教育が、家庭・学校・社会(会社勤め)を通して徹底的に叩き込まれる。 そして幻想に過ぎない形の世界が唯一の実体だと思い込まされるようになる。

人の本質は命である霊・魂であると言っても、この世ではあくまでも肉体を持った存在なのだから、この物質思考を否定しては、この世で生きて行く事は出来ない。 迷いの多い親であっても、長ずるまでは家庭を飛び出して生きて行く事はできないし、くだらない学校教育であっても、高校卒位までは我慢しないと就職は出来ない。ここでじっと机に座って、ひたすら我慢と忍耐を叩き込まれるのである。勿論就職したら、会社の意向に反したら給料はもらえない。生存の為には、ひたすらこの物質思考に馴染んでいくしか方法はないのである。そして、人はこの幻想の中でひたすら生きていくようになるのである。

しかし、幻想は何時までも何処までも幻想であって、人に真の幸福はもたらさない。全ての悩み苦しみは全て、幻想を真実と間違って認識する事から発生する。勿論、この相対世界に於いては、全てを忘却して生まれてくると言うのが大原則であるから、誰もが幻想というスタートラインに立たねばならないのである。だから、この幻想を見破るというのはとても難しい。勿論、人々を導く教師は沢山いるが、今までは特に、ほとんどが宗教団体になってしまっていて、まったく役に立たない。これが混乱に更に拍車を掛けている。真実を語るはずの宗教(もと教え)が人々を更なる幻想へと導いてしまうのである。どうすればいい?

以前にもちょっと紹介しましたが、沖縄の産婦人科医師、稲福薫先生の「こころの苦しみの完全解消法」というサイトがあります。私の想いというコーナーから、少しだけ引用させて頂きます。

すべてはうまくいくことになっている(その265)
なぜ集団に組してはいけないの   平成24年3月11日
集団には「うざさ」がある。
どんな集団でもそうである。
集団に組すると
自分を集団に合わせようと必死になる。
そして、
いつのまにか、
集団の維持が最大目標になってしまう。
あるいは
どれだけたくさんの人を集めたかが
最大目標になる。
そこでは、「個」が完全に抜け落ちる。
宗教集団がそうであり、平和集団、政治集団、ボランテイア集団
すべてがそうである。
ここに直感的な「うざさ」を感じる。
この世界を本当の意味で浄化するには、
自分の浄化から始めないといけないのではないか。
一人の意識は世界の意識そのものであり、
だから、
自分自身の意識の浄化をすることが何より必要ではないだろうか。
宗教団体に限らず、どんなに素晴らしい理念を持つ団体・法人でも、いざ実際に属してみると、何故か居心地の悪い不調和を感じてしまう。何故モヤモヤ感を感じてしまうのだろう? と、この一年間位、ずっと考えてきました。目指す方向が同じであれば、一緒にやって行けば良いのではないか、と単純に考えるわけですが、向こうはどうもそうではなくて、会の方針に従ってくれる仲間を集めたがっている様なふしがある。法人であれば当然にそうなるのかもしれないが、これでは幻想を打破する事はできない。

それともうひとつ、これは私の推察だが、思考にはブーメラン効果と言うものがある。これは難しい概念なので、私も十分には理解できていないが、人が善なる思考を発すると、宇宙の創造機構に乗って、大きな善となって還ってくる。同時に、その大きな善は、等量のマイナスを伴って還ってくる、というものである。この相対世界はプラスとマイナスが等量でバランスをとって成り立つ形の世界だ。すべてが善であり、すべてが愛であるという現象は成り立たない。あまりにも素晴らしい理想は、(いのちをかけて世界を救う等) 、等量のマイナスをも引きつける。結果、もたらされるものは、バランスを欠いた不調和波動なのである。それが人に悲しみと息苦しさ苦しみをもたらしてしまうのである。

人は世のため人の為に尽くさなければならない、命は光、光は一つなのだから、みんなの幸せを考えなければならない、この世の唯一の実在は愛なのだから、全てのものを慈しみ愛さなければならない・・・・。例えば、こう考える人は、考えるがゆえに、悲しみと苦しみの支配する幻想から目覚めることはできないでしょう。幻想がもたらすトリックは実に深いと言わなければなりません。

意識的に、自らの思考をコントロールする事。創造の源は全て思考です。一人ひとりが、これに気づくこと、これしかないのかもしれません。