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私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

またまた合田一道節に酔う

2014-10-25 22:25:29 | 大学公開講座
 受講するのは今回で何回目だろうか?今年もまた札幌学院大学のコミュニティカレッジにおいてノンフィクション作家・合田一道氏の「古文書に見る歴史の変換点」を受講した。何とも心地良い合田節を聴きながら日本の歴史の一コマに思いを馳せた。 

 今年のコミュニティカレッジ「古文書に見る歴史の変換点」は、10月9日、16日、23日の3回にわたって開講された。
 その3回の内容は次のようなものだった。
 ◇10月 9日(木) 「会津戦争と集団自決を読み解く」
 ◇10月16日(木) 「『雨窓紀聞』を用い箱館戦争を読み解く」
 ◇10月23日(木) 「『大津事件』から大津事件を読み解く」
というものだった。

 「会津戦争と集団自決を読み解く」では、白虎隊の集団自決から唯一生き残った飯沼貞吉が事件後に話した内容を報じた官許新聞「天理可楽怖(テリガラフ)」第3号と、会津家老西郷頼母が書き残した「栖雲記(せいうんき)-一名雨の名残‐」を用いて、事件の真相に迫った。
 なお、飯沼貞吉はその後、札幌郵便局の工務課長を務めたということだ。私たち札幌人には不思議な因縁を感じるエピソードでもある。

               
               ※ 白虎隊で唯一生き残った飯沼定吉翁です。

 「『雨窓紀聞(うそうきぶん)』を用い箱館戦争を読み解く」では、旧幕府脱走軍の榎本武揚に仕えた小杉雅之進が投降後に獄中で綴ったものであるが、榎本軍側から見た箱館戦争についての回想録である。
 この「雨窓紀聞」であるが、もともとは小杉雅之進が「麥叢録(ばくそうろく)」と題して友人・知人に配布していたところ、何者かが題名を「雨窓紀聞」と変え著者名はそのままにして世に出したということだ。困った彼は改めて「麥叢録」を出版し、「雨窓紀聞」を絶版にしたらしい。
 不思議なのは絶版になったという「雨窓紀聞」が現代になって私たちの講座に用いられているというのは何故だろう?

          
          ※ 講義をするノンフィクション作家・合田一道氏です。
               
 「『大津事件』から大津事件を読み解く」は、明治24年、来日中のロシア皇太子が警備中の警察官に襲撃された事件(大津事件)であるが、この講座では古文書ではなく、合田氏の著書「日本史の現場検証-明治・大正編-」を読み進めることが主であった。併せて、皇太子が負傷した際に避難した太物商の永井長助が著した「露国皇太子殿下御遭難紀文」を読み進めた。
 当時の大国、ロシアの皇太子を襲うという前代未聞の事件は当時日本国内を震撼させた事件だったことが伝わってくる思いだった。

               
               ※ 合田一道氏が著し、今回の講座でも扱われた「日本史の現場検証」です。

 いずれの事件も興味深く受講することができたが、合田氏の講義の素晴らしさは、事件があった現場に全て出向いて、関係者に取材を重ね、その場の空気から感じ取ったことを伝えてくれることだ。そのことが聴いている私たちには独特の臨場感を伴って聞こえてくるのである。


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