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映画 195 蝉しぐれ

2017-09-24 19:54:29 | 映画観賞・感想

 ご存じ時代小説の雄、藤沢周平の長編小説の映画化である。藤沢作品の良さが十分に味わえる作品となったかと問われると、正直言って私は「?」を付けざるを得ない。脚本は? 演出は? キャストは? 期待していただけにちょっと残念だったかな?という思いである。 

                    

 9月21日(木)午前、札幌市生涯学習センター(通称:ちえりあ)で「ちえりあ映画会」が開催された。今回取り上げられた作品は、藤沢周平原作の「蝉しぐれ」である。藤沢作品の映画化と知って、期待を抱きながら「ちえりあホール」に向かった。

 「蝉しぐれ」のあらすじはWiki‐Pediaによると「海坂藩(作者創造による架空の藩。庄内藩がモデルとされる)を舞台に、政変に巻きこまれて父を失い、家禄を減らされた少年牧文四郎の成長を描く。小説の冒頭で文四郎は15歳。市中の剣術道場と学塾に通い、ひとつ年上の小和田逸平や同い年の島崎与之助と仲がよく、また隣家の娘ふくに不思議と心を引かれ、すこしずつ大人になりつつある年頃である。平凡な日々がおだやかに過ぎてゆくなかで、お世継ぎをめぐる政争が表面化し、これに関与していた養父助左衛門は切腹を命ぜられる」となっているが、これは物語の冒頭である。

               
               ※ 主演の牧文四郎役の市川染五郎と、ふく役の木村佳乃です。

 私は、藤沢作品は江戸時代を舞台に、庶民や下級武士の哀歓を描いた時代小説作品を多く残した、と理解している。封建社会である江戸時代において、庶民や下級武士は藩主や上級武士から理不尽な扱いを受け、それに耐え、忍びながらも一寸の魂を抱きつつ反撃の機会をうかがう、というような作品が多く、本作(蝉しぐれ)もそうした類の作品と理解していた。先に観た「たそがれ清兵衛」がその典型だった。

 本作においても、父親の無念を晴らすべく耐えに耐え、忍びに忍んだ末に最後に本懐を遂げる、みたいなストーリーを想像していた。確かに全体のストーリーはそのような展開だったのだが、その描き方に私は少なからず不満を抱いた。
 まず、少年時代の文四郎をあまりにも冗長に描きすぎたのではないか、ということだ。
 少年時代の文四郎役の石田卓也は確かに好演していたと私には映った。しかし、ストーリーの中心は、成人してからの文四郎(市川染五郎)がどのようにして父親の無念を晴らすのか、といったところではないのだろうか?

               
               ※ 牧文四郎の少年時代を好演した石田卓也です。
  
 あまりにも前半を丁寧に描きすぎたために、藩の家老(父親の敵)を襲った文四郎が藩の中でその後どのような扱いを受けたのかが、まったく描かれていないのだ。
 ストーリーが父親の無念を晴らすというよりは、幼なじみでお互いに淡い恋心をいだいたふく(木村佳乃)との果たすことのできない恋話になってしまったのは、はたして藤沢周平の真意だったのだろうか?(原作を読んでいないので、なんとも言えないのだが…)

                    
                    ※ 藤沢周平原作の「蝉しぐれ」の新書版の表紙です。

 脚本・監督は黒土三男という方だそうだ。黒土は藤沢作品の「蝉しぐれ」にいたく惚れ込み、長い時間をかけてようやく映画化にこぎつけてということだが、私から見ると藤沢の思いを十分に描き切れたとはいえない作品となってしまったのではないか、そう思えた観賞後の思いだった。(私の期待が大きすぎたこともあるのだが…)



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