このブログの趣旨とはちょっと違うのですが、沢木耕太郎論を少し続けます。
沢木耕太郎に惹かれる理由の一つに、自分と彼が同世代であるということが挙げられます。
彼はノンフィクションライターとして、人物を観察し、モノを凝視し、対象を分析します。それらが彼の考察のフィルターを通過して文字 (文章) 化されたとき、そこに「沢木ワールド」が実現するのです。
その「沢木ワールド」に遊ぶとき、彼と同世代であるということで共感できる部分がずいぶんあることに気付かされます。
それは、私が彼の言葉によって覚醒させられたり、意識付けられることが数多くあった、という意味においてです。
二つ目の理由ですが、こちらのほうが主たる理由かもしれませんが、ともかく文体がカッコイイこと、そして深いことなのです。
なんとも説明の術がないのですが、「ここにこんな言葉を置くことで、文章がこんなにも輝いてくるんだ!」とか、「どうしてこんなに深く人物を、対象を見つめることができるんだろう」という感動を何度も味わわせてくれました。
それがけっして気張っていたり、肩肘張って書き進んだ文章というのではなく、むしろ淡々と書き進む中でそうしたことを読者に味わわせてくれるのです。
彼を評する次のような文章を目にしました。
「沢木耕太郎には、一種不思議な魅力がある。家柄の良さとは違う、育ちの良さがあるのだ。清潔な洗い立てのしかも糊のついた白いシャツ、男っぽいのに、脂ぎっていず、ソフトでソフィスティケートされている。それなのに素人っぽくもあり、知的すぎない。」
彼を評するに最もふさわしい文章の一つといえるかもしれません。
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