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田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

江戸時代、日本は鎖国状態ではなかった!?

2017-09-11 21:47:59 | 講演・講義・フォーラム等
 高校時代に習う江戸通史においては、江戸幕府は他国との政府間交渉を断ち、鎖国状態にあったと習ったが、講師の奥谷氏は朝鮮からは正式な使節(朝鮮通信使)が来日していたことから鎖国状態にあったとは言えないのではないか、と言及された。 

 9月9日(土)午後、放送大学学習センター(北大構内)において「第15回放送大学研究発表会」が開催された。私は放送大学に学んでいるわけではないが、道民カレッジとの連携講座だったこともあって、参加させてもらった。

               

 その研究発表会の最初のコマとして、札幌学院大学名誉教授の奥谷浩一氏「江戸時代の朝鮮通信使の歴史的意義」と題して記念講演された。
 奥谷氏はまず「朝鮮通信使」とは、日朝両国の正式な外交関係にもとづき朝鮮から日本へと国書をもって派遣された正式の使節団のことを日本側から指し示す言葉であるとした。この使節団は李氏朝鮮国王が室町時代の足利将軍に派遣したのが始まりとされ、その後定期的に日本への派遣が行われていたようだ。
 ところが豊臣秀吉の朝鮮侵略によって中断されてしまい、徳川家康の時代になって朝鮮に対して国交の回復と朝鮮通信使の派遣を要請したという。それに応える形で江戸時代には計12回もの朝鮮通信使が国書を携え、江戸幕府を訪れているという事実があったという。
 これまでの記述の中で、日本から朝鮮への使節はなかったのか、という疑問が残るが、朝鮮としては秀吉時代の苦い思いがあるために、日本の使節は釜山からの北上は許されなかったという。

               

 ソウルから江戸まで約4,000キロ、人間の足で速くて5ヵ月、時には10ヵ月もかけて、400名から500名に及ぶ使節団による大旅行だったという。それまでして行われた文化的意義を日本側から見ると、奥谷氏は主に次の4点が考えられるという。(実際には奥谷氏は計7点を示されたのだが、紙面の都合上4点に絞った)
 ①日朝の学者・知識人たちが漢詩文の応酬を行うことで多くの出版物が残された。
 ②日本の学者たちは朝鮮通信使として随行した学者たちと学術的な質疑応答を行ったことで、江戸時代の儒学及び朱子学の発展に寄与した。
 ③朝鮮側は日本側の要望に応えて1682年の第7回朝鮮通信使から「良医」を随行させることによって、最新の朝鮮医学が日本に伝わった。
 ④朝鮮通信使は我が国に多くの書・漢詩文・絵画を残し、それが大きな影響を与えた。

 以上は文化的側面から見たことで、他の面でも朝鮮を通じて大陸の経済・文化、あるいはその他の面でも大きな影響があったと考えられる。
 一方、朝鮮にとっても奥谷氏は触れられなかったが、大きなメリットがあったものと考えられる。
 こうした事実から、奥谷氏は従来の「鎖国史観」は改められるべきであると強調された。

               
               ※ 韓国では写真のような朝鮮通信使をかたどった人形が販売されているという。

 また、民間サイドで「21世紀の朝鮮通信使 ソウル~東京 日韓友情ウォーク」なるものが開催されていて、奥谷氏自身2013年に実際にこの催しに参加され、ソウル~東京間を歩かれた体験があり、その際の多くの写真を講演の中で見させていただいた。
 朝鮮通信使が日韓の交流を深めたという事実は、現在ユネスコの世界記憶遺産に登録を申請中とのことだった。
 奥谷氏は、こうした歴史的事実をさらに明らかにすることによって、なにかとぎくしゃくする日韓関係が真に有効的な関係になってくれることを願いたいと話し講演を閉じられた。


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