今回取り上げる二つの遺産共に私は以前に体験した遺産である。遠軽町の「雨宮21号」は乗車も体験している。対して北見市の「ピアソン記念館」は市内に現存しているため行きやすく何度か訪れた経験があった。二つの遺産共にオホーツク管内にとっては貴重な遺産である。
森林鉄道蒸気機関車「雨宮21号」
遠軽町丸瀬布地区に動態保存されている森林鉄道蒸気機関車「雨宮21号」は、国道333号線から約10km山奥に入った「丸瀬布いこいの森」という公園で現役で活躍している。
森林鉄道は大正時代から昭和にかけて北海道内の山林から木材を国鉄路線があるところまで運び出す軽便鉄道として北海道内の各所に敷設されたという。その後輸送手段がトラックに代わったことに伴い、その役割を終えて全線が廃止の運命となったが、丸瀬布地区の鉄道だけは地元住民の熱心な保存運動が実り、丸瀬布営林署に保存されることになったという。(それは昭和44(1969)年の話である)
保存するだけだった「雨宮21号」を、地元住民たちは動態保存をしようと再び立ち上がった。そして昭和57(1982)年、「丸瀬布いこいの森」公園内に8の字を描く延長役2kmの線路が完成し、乗客を乗せて走る営業運転が始まり、現在に至っている。
※ 雨宮21号の格納庫です。
私は今回、北見市に向かう途中だったので写真撮影にだけ立ち寄ったが、息子が小学生だった平成時代初期に乗車したことがあった。狭軌道のためか、それともカーブが多いためか、絶えず客車がギシギシに鳴っていたことを記憶している。
今回、立ち寄った時にも「雨宮21号」は夏休みを楽しむ子どもたちを乗せて元気に走行していた。きっと丁寧なメンテナンスが施されているのだろう。いつかはその役割を終える時が来るのだろうが、できるだけ長く現役を続け多くの子どもたちを楽しませてほしいものである。
ピアソン記念館
ピアソン記念館は北見市の中心からやや離れた小高い丘の林に囲まれた中、私が以前訪れた時と同じ姿でひっそりと瀟洒な姿を見せてくれた。
アメリカ人の宣教師ジョージ・ピアソンと妻のアイダは、明治から昭和初期にかけて日本でキリスト教の伝道活動を行った。その中で最後の伝道活動の地となったのが北見である。夫妻は大正3(1914)年に北見地方の伝道の拠点として現在地に住宅を構えた。そして献身的に伝道活動を行い周囲からも篤い信頼を集めたという。15年の伝道活動を終え、昭和3(1928)年アメリカに帰国する際には多くの人々が駅頭から夫妻を見送ったという。
夫妻の居宅や敷地は、その後北見市が記念館として復元、現在は「NPO法人ピアソン会」が運営しているが、入館料は無料で、スタッフの対応も丁寧で気持ち良く内部も見学させてもらった。けっして大きくはない居宅はピアソン夫妻の慎ましい生活ぶりを偲ばせるものだった…。