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私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

映画 №354 ゴッホ・青く揺らめく炎

2023-03-17 13:13:53 | 映画観賞・感想

 近代オランダが生んだ最大の画家:ヴィンセント・ファン・ゴッホは数多くの名作を残した。しかし、生前の彼は必ずしも恵まれた境遇ではなく、数奇な運命を辿り、哀しい最期を遂げた画家でもあった…。

        

 3月15日(水)の私は忙しかった。拙ブログで既にレポしたが、午前中はAIのお話を聞き(15日投稿)、午後は 今回レポする映画を観、夜は南こうせつのミニライブを聴く(昨日投稿)といった一日だった。

 15日、午後2時から札幌市民ギャラリーで「美術映画会」があり参加した。この「美術映画会」であるが、これまで2度ほど参加した経験があるが、美術音痴の私でも画家の特徴をとても分かりやすく解説してくれる。今回はオランダが生んだ巨匠ゴッホを取り上げるということで参加してみようと思った。

       

       ※ ゴッホの幾多の作品の中でも最も有名な「ひまわり」です。

 ゴッホというと誰もが思い浮かべるのが「ひまわり」と題する作品である。さらには彼自身を描く「自画像」、「赤い葡萄畑」などが有名であるが、その生涯では800点の作品を残したと云われている。

 映画はゴッホの生涯を彼の作品と共に簡明に伝えてくれた。それによると、ゴッホは1853年、オランダで牧師の子として生まれ、最初に就いた仕事は親戚が経営する店で複製画を売る仕事だった。ここで彼はレンブラントやドラクロアの作品に出会ったという。その中でも彼が最も気に入ったのがミレーの絵だったという。

        

        ※ゴッホ自身の自画像の一つです。

 ところが気性の激しい彼は一つの仕事に留まることができずに職を転々としたという。そうした中、27歳となって画家になることこそが自分が願っていることだと悟り、パリで絵を学び始めたという。そこで出会ったのが印象派の絵と日本の浮世絵だったという。               

 それらの絵に触発され、自らの絵に明るさを加えるために彼は南フランスのアルルに旅立ったそうだ。アルルに移ったゴッホはわずか2年という短い間に精力的に他の誰もが真似できないほど山のように作品を産み出し続けたという。しかし、彼の作品の良さは理解されず収入を産み出すことにはならなかったという。その間、彼を経済的に支えたのは彼の4歳下の弟で画商をしていたテオだった。彼の手によってようやく彼の作品が1点売れたそうだが、それが「赤い葡萄畑」だった。

   

   ※ ゴッホの生前、弟の奔走により唯一買い手が付いた「赤い葡萄畑」です。

 2年間のアルルでの生活の中で、一時ゴーギャンと共同生活を送ったそうだが、二人の間で諍いが絶えず、ゴーギャンが彼の元を去ろうとしたときにゴッホは自らの耳を切り落とすという衝撃的なことあったそうだ。作品を産み出しつつも、彼の精神は病み続けついには1890年7月、自らを猟銃で撃ち37歳という短い人生を閉じたのだった。                                                                

 今では一枚が100億円を超えるというような彼の作品が、彼の生前には見向きもされなかったということにゴッホの悲哀を感ずるのだが、生きた時代が早すぎたということなのだろうか? ゴッホの生涯を理解する一助となった良い映画だった。 

※  掲載したゴッホの作品は全てウェブ上から拝借しました。

WBC情報  Vol.

   

 快進撃を続ける侍ジャパンは、昨夜の準々決勝戦の対イタリア戦を9対3と順調に勝利し、アメリカ・マイアミでの準決勝戦に駒を進めた。順調と表現しては相手のイタリアに失礼かもしれないが、まずは危なげなく勝利することができたのではないかと振り返っている。

 その第一の勝因はなんといっても先発の大谷投手が相手に先制を許さなかったことだと思う。大谷投手があの満員の東京ドーム内に響き渡るような気合を入れた一球一球の投球はまさに鬼気迫るものがあり、自らだけではなくチームメイトの士気を大いに盛り上げたように思われた。続く伊藤、今永、ダルビッシュ、大勢の投手陣もイタリアに対して隙を見せないところはさすがだった。

 対して打撃陣では、これまで打線を引っ張ってきた1~3番まではどちらかというと脇役に回り、4番吉田、5番村上、6番岡本、といったところが主役に躍り出たところに日本打撃陣の厚みのようなものを感じた試合だった。特に不振に陥っていた村上が2安打1打点と復活の兆しを見せ始めたところは今後に期待を抱かせてくれるものだった。

         

       ※ 2安打1本塁打5打点と大活躍だった岡本選手です。

 とこれまでのところ侍ジャパンは王者のような戦いを私たちに見せてくれているが、1点だけ昨夜の試合で指摘したい点がある。それは投手リレーに対するベンチワークについてである。

 先述したように先発の大谷投手はプレーボールから一球一球に魂を込め、全力投球で相手に立ち向かっていた。それだけに疲労が溜まるのも早かったと思われた。4回頃からは明らかにボールのコントロールが甘くなっていたように見えた。(いわゆるすっぽ抜けたボールが何球かあった)それが1安打、1四球となり二死一二塁のピンチで、相手にレフトに大きな当たり撃たれたが、レフト吉田の好捕によって難を逃れた。

 私は「あゝ、これで大谷は交代だな」と思っていた。ところがベンチは続投させた。その結果5回に大谷はイタリアに2点を献上することになり、5回途中で伊藤と交代することになった。ベンチはなぜ大谷の疲労状態を察知し交代させなかったのだろうか?たとえ大谷と話し合っていたとしても、あるいは大谷が続投を志願したとしても、そこはベンチが威厳をもって代えさせるべきではなかったのか?私は結果論からそう言っているのではない。いくらスーパーマン大谷とは言え、まだシーズンイン前であり、体力的にも十分な状態とはいえない時期である。

 選手に対する “優しさ” が栗山監督のキーワードのように報じられているが、これからの厳しい戦いの中では時には “鬼” になって采配を振るってほしいと願っている。

 さあ、現時点ではまだ準決勝の相手が決まっていないが、21日(火)朝8時、固唾をのみながら準決勝戦を見守りたい。



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