田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

道南の旅を振り返る Ⅰ

2021-09-17 16:31:36 | 道内の旅

 他人が旅したことを振り返る文章を読んでも興味はないかもしれない。しかし、旅した本人とすれば、自ら旅したことを振り返り自分の中に落とし込み記憶の棚に留める作業は欠かせないプロセスである。今回の道南の旅4日間を振り返ってみたい。できればお付き合いください。

◆第1日目 9月13日(月)

  ◇長万部町

 ■平和祈念館 

   

※ 校倉様式が印象的な「平和祈念館」です。

   

※ 「平和祈念館」の前庭には写真のような本郷新の彫刻作品が5体展示されていました。

「平和祈念館」は鉄道線路を挟んで国道の反対側、文化センター、スポーツセンターなど公共施設が集まっている一角にあった。建物の前庭にはたくさんの彫刻作品などが展示されていた。解説によると本郷新の作品「嵐の中の母子像」、「わだつみのこえ」など5点が展示されていた。祈念館内部は残念ながら緊急事態宣言下のため入館は叶わなかった。内部には原爆の惨状を描き続けた丸木位里、俊夫妻の作品、円空作の「観音菩薩坐像」などが展示されているという。

 ところで、私はここを訪れる前から「なぜ長万部町に平和祈念館が?」という疑問を抱き続けた。帰宅して調べてみると、長万部町で43年間も開業された医師・工藤豊吉氏が私財を投じて建設し、長万部町に寄贈したということが分かり、納得したのだった。

 ■植木蒼悦記念館 

   

※ 小ぶりながら入口も含めて建物全体に特徴が伺える「植木蒼悦記念館」です。

植木蒼悦(本名・悦郎)は大正・昭和初期に活動した北海道有数の水墨画家であり俳人だそうだ。植木の作品の中でも特に彼の生き方を投影したという河童の絵が有名だそうだ。その河童絵をはじめ油彩画、句書など100作品が展示されているそうだ。

 ところで植木蒼悦と長万部の関係であるが、これがまた分からなかった。植木の履歴を詳しく調べたが、植木が長万部に居住した事実はなかったようだ。また、特別にこだわったこともなかったようだ。実は、この記念館も植木蒼悦の熱心なコレクターだった上記の医師・工藤豊吉氏が町に寄贈したということが判明した。

 両館ともに館内見学が叶わなかったが、いつかまた再訪し内部を観覧してみたい。

 

 ◇八雲町

 ■噴火湾パノラマパーク(八雲町情報交流物産館 丘の駅)

 このパークは一度訪れた経験があった施設であるが、小高い丘の上から噴火湾が一望できるという絶好なビューポイントである。一帯は花畑、冒険広場、オートキャンプ場、等々レジャー施設が集中しているところでもある。しかし、ここも施設は閉鎖されていた。それも駐車場自体が閉鎖されていたため、噴火湾のビュー写真も撮ることができなかった。

 ■日本最北の関所「山越内関所」跡 

   

※ 私が見誤った建物です。右には「山越内関所」、「通行手形」の表示が見えるのですが…。

   

※ 説明によると関所に付属して設置されていた井戸だそうです。

   

※ ウェブ内から拝借した本来の「山越内関所」を再現したJR山越内駅舎です。

 江戸後期の1801年、函館の亀田から移設された「山越内関所」は1861(文久元)年に廃止されるまで、日本最北の関所として存在したという。

 関所跡は国道5号線のすぐ脇にあった。ところが私はここでポカを犯してしまった。国道脇に「日本最北の山越内関所」、「通行手形」と大書された表示があり、その奥に風格のある建物があったので、それが関所跡に復元された関所だと判断した。ところが帰宅してよく調べてみると、関所を復元した建物はその場所からやや離れたJR山越駅として使用されている建物だということが判明した。う~ん。うっかりミスである。

 ◇森町

 ■森町地熱発電所

   

 ※ 山腹に設置された「森地熱発電所」です。

   

 ※ 発電所から山の下に伸びる導管です。

   

※ 管の先に設置されていた「蒸気生産設備」です。

   

 ※ 「蒸気生産設備」の周辺に広がっていたビニールハウス群です。

 以前から北海道唯一の地熱発電所を一度見てみたいと思っていた。そこでこの機会に訪れてみた。発電所は国道5号線から5~6キロ内陸に入った小高い丘の上にあった。観光施設ではないので、案内などは特になくそこにいたるまで数人の地元の人に道をたずねながらなんとか到達することができた。

 発電所は北海道電力が所有するもので1982(昭和57)年に運転を開始し、出力は2.5キロワットといわれている。予約をしていなかったので内部見学は叶わなかったが、蒸気を排出する大きな煙突がいかにも地熱発電所らしかった。解決できなかった問題として、その丘の上の発電所から大きな導管(直径1m近いもの)が丘の下まで走っていたのだが、その導管は数百メートル離れた平坦なところまで導かれ、そこに「蒸気生産設備」という施設があった。それがどのような設備なのかはよく分からなかった。特徴的だったのはその設備の周辺にたくさんのビニールハウスが広がっていた。近くにいた人に伺うと、取り出した蒸気を利用してビニールハウス内の熱源としているとのことだった。

 脱炭素社会が叫ばれる今、こうした自然エネルギーを活用する発電が火山大国北海道においてもっと普及してもと思うのだが、やはりコストが見合わないのが現状なのかなぁ、と思われる。いつの日かコストの問題を解決して地熱発電所も発電エネルギーの一翼を担う日が来るのではと思っているのだが…。

 ■旧幕府軍鷲の木上陸地碑

   

※ 鷲の木海岸に設置されている上陸の地碑とその説明板です。

   

※ 上陸の地からは砂原岳が見守っています。

       

※ 上陸の地からほど近くの墓地には「箱館戦争鷲の木戦没者之碑」が立てられていました。 

 榎本武揚率いる旧幕府海軍は戊辰戦争で追い詰められた結果、蝦夷に逃れて独立政権「蝦夷共和国」設立を夢見て北海道に向かい、道南の鷲の木海岸に投錨し上陸した。その地が現在の森町の鷲の木地区である。上陸の地碑は国道5号線からあまり離れていない鷲の木海岸にあった。榎本たちが目ざした箱館・五稜郭は新政府によって箱館府が設置されていたために、箱館からやや離れた鷲の木を上陸の地に選んだと思われる。この鷲の木から榎木軍は連戦連勝で箱館五稜郭を陥落し、「蝦夷共和国」の設立を宣言したという。しかし、長くは続かなかった…。そのことについては皆さま知ってのとおりである。

 この日、私は森町の「道の駅 YOU・遊・もり」で車中泊をした。      



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