瓦礫の山にひまわりを!~神戸復興のシンボル~
※ ひまわりおじさんの3冊目の著作「瓦礫のまちにひまわりを」です。
阪神・淡路大震災が起こってからおよそ半年、ひまわりおじさんは避難所の被災者たちに風呂(シャワー)を提供することに没頭した。
風呂ばかりではなく、その他にも思いついたアイデアを次々と実現させ、被災者たちを励まし続けた。例えば、温水シャワーを利用した「温泉たまご」の提供などは秀逸なアイデアだ。
そうした活動の中でボランティア活動をより本格化させようと、彼は仲間と共に「ひまわりの夢企画」というボランティアグループを立ち上げ、それをNPO法人化して本格的にボランティア活動にますます打ち込んでいくのである。
前号でも触れたが「ひまわりの夢企画」では、地震で瓦礫の山と化した神戸の街に明るさを取り戻すため「瓦礫のまちにひまわりを!」というキャッチフレーズを掲げ、ドラム缶3杯半ものひまわりの種を神戸中に配付した。
夏、神戸の街中にたくさんのひまわりが咲き乱れたという。
そして次の年も、そのまた次の年も・・・。
「人のために何かしたい」「人の喜ぶ顔をみたい」というひまわりおじさんのアイデアは枯れることがなかった。
今度はひまわりの背丈を競う「ジャンボひまわりコンテスト」の開催である。
このコンテストは現在も続いているそうであるが、応募者は神戸市内に限らず全国に及んでいるようである。
コンテストは自己申告制でひまわり高さを測り、写真をそえて応募するものである。3㍍、4㍍級のジャンボなひまわりがたくさん応募されるそうだ。中には5㍍超に挑戦しようとする猛者もいるとのことである。
こうした活動が認められ、2000年「神戸21世紀復興祈念感謝事業」においてひまわりが神戸復興のシンボルフラワーに選ばれた。
さらに荒井氏は阪神・淡路大震災を記念して建設された「人と防災未来センター」でセンター来館者に大震災を語り継ぐ「語り部」の一人としても活躍している。
※ 以下、№5に続きます。
なかなか物語の中に私が登場しませんが、№5ではいよいよ登場させたいと思っています。
※ ひまわりおじさんの3冊目の著作「瓦礫のまちにひまわりを」です。
阪神・淡路大震災が起こってからおよそ半年、ひまわりおじさんは避難所の被災者たちに風呂(シャワー)を提供することに没頭した。
風呂ばかりではなく、その他にも思いついたアイデアを次々と実現させ、被災者たちを励まし続けた。例えば、温水シャワーを利用した「温泉たまご」の提供などは秀逸なアイデアだ。
そうした活動の中でボランティア活動をより本格化させようと、彼は仲間と共に「ひまわりの夢企画」というボランティアグループを立ち上げ、それをNPO法人化して本格的にボランティア活動にますます打ち込んでいくのである。
前号でも触れたが「ひまわりの夢企画」では、地震で瓦礫の山と化した神戸の街に明るさを取り戻すため「瓦礫のまちにひまわりを!」というキャッチフレーズを掲げ、ドラム缶3杯半ものひまわりの種を神戸中に配付した。
夏、神戸の街中にたくさんのひまわりが咲き乱れたという。
そして次の年も、そのまた次の年も・・・。
「人のために何かしたい」「人の喜ぶ顔をみたい」というひまわりおじさんのアイデアは枯れることがなかった。
今度はひまわりの背丈を競う「ジャンボひまわりコンテスト」の開催である。
このコンテストは現在も続いているそうであるが、応募者は神戸市内に限らず全国に及んでいるようである。
コンテストは自己申告制でひまわり高さを測り、写真をそえて応募するものである。3㍍、4㍍級のジャンボなひまわりがたくさん応募されるそうだ。中には5㍍超に挑戦しようとする猛者もいるとのことである。
こうした活動が認められ、2000年「神戸21世紀復興祈念感謝事業」においてひまわりが神戸復興のシンボルフラワーに選ばれた。
さらに荒井氏は阪神・淡路大震災を記念して建設された「人と防災未来センター」でセンター来館者に大震災を語り継ぐ「語り部」の一人としても活躍している。
※ 以下、№5に続きます。
なかなか物語の中に私が登場しませんが、№5ではいよいよ登場させたいと思っています。