札幌交響楽団の演奏にチケットを購入して聴いたことは数えるほどしかない。ほとんどは無料招待の機会を利用して札響を楽しんでいる(?)。今回もまた、がん治療で実績のある恵佑会病院の創立記念のチャリティーコンサートを聴く機会を得た。
私にとってクラシック音楽はまだまだ心から楽しむレベルには達していないと自覚している。
そうしたレベルの者にとって札幌はクラッシック音楽に接する機会をたくさん提供してくれるありがたい街である。
つまり無料でロビーコンサートが各所で催されたり、カルチャーナイトなどでも聴く機会があったり、今回のような札響の招待コンサートなども年に数回は開催されている。
今回は3月21日(祝)にキタラにおいて「がん患者さんの治療と生活をつなぐ」チャリティーコンサートと題して恵佑会病院が主催したものだが、そこへ鑑賞を希望して招待券を入手できたのだった。
今回のコンサートの一つの特徴はテノール歌手のジュゼッペ・コスタンツォ(イタリア)さんが札響をバックに3曲披露してくれたことだ。(「マンマ」、「カタリ・カタリ」、「オー・ソレ・ミオ」の3曲)
コスタンツォさんは堂々たる体格から素晴らしい高音の響きをキタラホールいっぱいに響かせてくれた。彼がイタリアにおいてどのレベルの歌い手なのかは分からないが、高い素質とたゆまぬ鍛錬で私には異次元とも思える素晴らしい歌声を聴かせてもらった。
札響はその他にも、「ウイリアム・テル」序曲やベートーヴェン交響曲第5番「運命」など比較的クラッシック入門編的な選曲で楽しませてくれた。
そのためか演奏するメンバーもどことなく余裕を感じられる演奏だった。
クラッシック入門者として一つの疑問を見つけた。
それは休憩時にステージを見ると、演奏メンバーの座る椅子がバラバラだったことだ。
大半の椅子は会議室などにもあるような安定感のある椅子だったが、その中に混じってピアノ用のような高さが調節できる椅子が8~9脚あった。さらにパイプ椅子も1脚あった。
どのようなパートが座るのかと注視していたが、高さが調節できる椅子のほとんどはチェロパートの人たちだった。やや大きな楽器であるチェロを操るために少し高めの椅子を使用するらしいとは想像がついた。しかし、その同じ椅子を第一ヴァイオリンのパートで一人、第二ヴァイオリンのパートで一人が使用していたことが分からない。さらに第二ヴァイオリンの一人はパイプ椅子を使用していた。
大多数を占めていた椅子が足りないわけではなさそうだった。コントラバスのパートは特殊な高い椅子に座っているが、その横に小道具をおくためにその椅子を使用していたからだ。
おそらく演奏上の理由か、個人的な理由でそうしているのかと想像されるのだが、う~ん分からない…。
チャリティーコンサートである。演奏後に僅かながらの醵金をしてキタラを後にした。
私にとってクラシック音楽はまだまだ心から楽しむレベルには達していないと自覚している。
そうしたレベルの者にとって札幌はクラッシック音楽に接する機会をたくさん提供してくれるありがたい街である。
つまり無料でロビーコンサートが各所で催されたり、カルチャーナイトなどでも聴く機会があったり、今回のような札響の招待コンサートなども年に数回は開催されている。
今回は3月21日(祝)にキタラにおいて「がん患者さんの治療と生活をつなぐ」チャリティーコンサートと題して恵佑会病院が主催したものだが、そこへ鑑賞を希望して招待券を入手できたのだった。
今回のコンサートの一つの特徴はテノール歌手のジュゼッペ・コスタンツォ(イタリア)さんが札響をバックに3曲披露してくれたことだ。(「マンマ」、「カタリ・カタリ」、「オー・ソレ・ミオ」の3曲)
コスタンツォさんは堂々たる体格から素晴らしい高音の響きをキタラホールいっぱいに響かせてくれた。彼がイタリアにおいてどのレベルの歌い手なのかは分からないが、高い素質とたゆまぬ鍛錬で私には異次元とも思える素晴らしい歌声を聴かせてもらった。
札響はその他にも、「ウイリアム・テル」序曲やベートーヴェン交響曲第5番「運命」など比較的クラッシック入門編的な選曲で楽しませてくれた。
そのためか演奏するメンバーもどことなく余裕を感じられる演奏だった。
クラッシック入門者として一つの疑問を見つけた。
それは休憩時にステージを見ると、演奏メンバーの座る椅子がバラバラだったことだ。
大半の椅子は会議室などにもあるような安定感のある椅子だったが、その中に混じってピアノ用のような高さが調節できる椅子が8~9脚あった。さらにパイプ椅子も1脚あった。
どのようなパートが座るのかと注視していたが、高さが調節できる椅子のほとんどはチェロパートの人たちだった。やや大きな楽器であるチェロを操るために少し高めの椅子を使用するらしいとは想像がついた。しかし、その同じ椅子を第一ヴァイオリンのパートで一人、第二ヴァイオリンのパートで一人が使用していたことが分からない。さらに第二ヴァイオリンの一人はパイプ椅子を使用していた。
大多数を占めていた椅子が足りないわけではなさそうだった。コントラバスのパートは特殊な高い椅子に座っているが、その横に小道具をおくためにその椅子を使用していたからだ。
おそらく演奏上の理由か、個人的な理由でそうしているのかと想像されるのだが、う~ん分からない…。
チャリティーコンサートである。演奏後に僅かながらの醵金をしてキタラを後にした。
音的にもけっして手を抜いているわけではありませんから私は十分に楽しんでいます。
時には定期演奏会にも出かけたいと思っていますが…。