◆◆今週のことば
知識は統一を失うとおろかになります。
知恵が根本にあって、この知識を駆使したときに知識は生きてくる。
そういうふうに、生きた判断ができる知識のことを『見識』と言います。
あの人は見識のある人だと、ものに対する正しい判断が下せる人を
称して評論家と言っています。
しかし、評論をするだけでは何ら進展もない。
それを決断し、実行していくときに本当の知識は生きてくる。
それを『胆識』と言います。
知識から見識になり、見識から胆識になる。
その知識が胆識になるためには勇気が必要なのです。
勇気がないと決断、実行はできません。
すなわち、ちゃんと勇気が付随していなければならないのです。
論語普及会 学監 伊與田 覺
★関連記事は、月刊「理念と経営」5月号に記載されています。
(68~71ページ 「社長塾」)
■■ 逆境!その時、経営者は・・・
今回は、大阪の千房株式会社 代表取締役 中井政嗣氏を
ご紹介します。
苦境のときも決して投げ出さず、前へ前へと突き進んだ中井氏。
ここまでの道のりは決して平坦なものではありませんでした。
同氏の、そして『千房』の航跡を辿ります。
中井氏は中学卒業の後、『丁稚奉公』を経て、
22歳で独立を果たしました。
独立はしたものの苦闘が続きます。
味付けを工夫し、お店をきれいにし、接客態度に気をくばり、
できることは精一杯つとめるけれどもお店は流行りません。
独立6年目、ようやく軌道に乗りかけますが、お店の明け渡しを
申し出られます。契約上、出て行かないわけにはいきません。
ある人に資金を工面してもらい、新しく店を開店。
大阪ミナミの千日前店での新しいスタートでしたが、
ここでも悪戦苦闘が続きます。
しかし、固定客がつくようになり、お店も流行りだします。
深夜2時まで営業。お店が流行りだすと、日夜を問わず働きました。
後始末をして帰るのは明け方。3時間ほど寝て、10時には店に出る
凄まじい生活を送りますが、それに比例してお店も軌道に乗り、
2号店、3号店、4号店と店数が増えていきました。
ところが1991年、バブル経済が弾け、日本は不況を迎えます。
千房も同じく、最悪の状況に陥ります。
自社ビル建設中にバブルが弾け、膨大な借金が残りました。
金利だけで月々2000万円が消えていきます。
このような『夜も眠れない状態』のときも、諦めませんでした。
耐え抜いて、好転するのを待つしかない。そう自分に言い聞かせました。
それから十数年後、さまざまな努力があって、千房は苦境を脱します。
現在、千房の目標は「100店舗、100億円』。
この目標も既に、遠い夢ではありません。
常に前を見据えて、一歩一歩前進している同社。
この姿勢は、若かりし頃の『中井氏の姿』そのものです。
逆境に立たされても、決して立ち止まらない。
苦しくても、朝起きたら元気を出す。ドン底にあってなお笑う。
この『強さ』こそ、多くの人々が中井氏に惹きつけられる所以なのでしょう。
★関連記事は、月刊「理念と経営」5月号に掲載されています。
(54~59ページ「逆境!その時、経営者は・・・」)
知識は統一を失うとおろかになります。
知恵が根本にあって、この知識を駆使したときに知識は生きてくる。
そういうふうに、生きた判断ができる知識のことを『見識』と言います。
あの人は見識のある人だと、ものに対する正しい判断が下せる人を
称して評論家と言っています。
しかし、評論をするだけでは何ら進展もない。
それを決断し、実行していくときに本当の知識は生きてくる。
それを『胆識』と言います。
知識から見識になり、見識から胆識になる。
その知識が胆識になるためには勇気が必要なのです。
勇気がないと決断、実行はできません。
すなわち、ちゃんと勇気が付随していなければならないのです。
論語普及会 学監 伊與田 覺
★関連記事は、月刊「理念と経営」5月号に記載されています。
(68~71ページ 「社長塾」)
■■ 逆境!その時、経営者は・・・
今回は、大阪の千房株式会社 代表取締役 中井政嗣氏を
ご紹介します。
苦境のときも決して投げ出さず、前へ前へと突き進んだ中井氏。
ここまでの道のりは決して平坦なものではありませんでした。
同氏の、そして『千房』の航跡を辿ります。
中井氏は中学卒業の後、『丁稚奉公』を経て、
22歳で独立を果たしました。
独立はしたものの苦闘が続きます。
味付けを工夫し、お店をきれいにし、接客態度に気をくばり、
できることは精一杯つとめるけれどもお店は流行りません。
独立6年目、ようやく軌道に乗りかけますが、お店の明け渡しを
申し出られます。契約上、出て行かないわけにはいきません。
ある人に資金を工面してもらい、新しく店を開店。
大阪ミナミの千日前店での新しいスタートでしたが、
ここでも悪戦苦闘が続きます。
しかし、固定客がつくようになり、お店も流行りだします。
深夜2時まで営業。お店が流行りだすと、日夜を問わず働きました。
後始末をして帰るのは明け方。3時間ほど寝て、10時には店に出る
凄まじい生活を送りますが、それに比例してお店も軌道に乗り、
2号店、3号店、4号店と店数が増えていきました。
ところが1991年、バブル経済が弾け、日本は不況を迎えます。
千房も同じく、最悪の状況に陥ります。
自社ビル建設中にバブルが弾け、膨大な借金が残りました。
金利だけで月々2000万円が消えていきます。
このような『夜も眠れない状態』のときも、諦めませんでした。
耐え抜いて、好転するのを待つしかない。そう自分に言い聞かせました。
それから十数年後、さまざまな努力があって、千房は苦境を脱します。
現在、千房の目標は「100店舗、100億円』。
この目標も既に、遠い夢ではありません。
常に前を見据えて、一歩一歩前進している同社。
この姿勢は、若かりし頃の『中井氏の姿』そのものです。
逆境に立たされても、決して立ち止まらない。
苦しくても、朝起きたら元気を出す。ドン底にあってなお笑う。
この『強さ』こそ、多くの人々が中井氏に惹きつけられる所以なのでしょう。
★関連記事は、月刊「理念と経営」5月号に掲載されています。
(54~59ページ「逆境!その時、経営者は・・・」)