本日行われた「カフェ・エクリ VOL.62」の資料をご覧になってください。
★第一部〈川柳作家・情野千里の語り〉
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はじめに
今回は川柳作家の情野千里氏の講演です。
情野千里さんはパワーの溢れる人だ。川柳舎「みみひめキッチン」の主宰者、さらに川柳パフォーマンスにと世界中を飛び回っている。そのパワーの秘密はなんだろうか。
このたび月刊「川柳マガジン」で情野千里特集が組まれていて、あらためて情野川柳を読んでみると、「食べること」にまつわる句がほとんどであるのに驚かされる。つまり、情野さんの川柳は食べる食材とそれを自らの肉体に吸収し、同化させる内なるエロチシズムが言葉に切り結んでいるように思う。
情野千里川柳論「川柳は私小説のように」の中に面白い言葉を見つけた。日常と非日常。ハレとケといった二項からなる重層構造だ。これは二項の対立する構造ではなく、それがどちらかに含まれ、どちらかがそれに取って代わるところのダイナミックな動きのある世界だと思う。わたしとは何なのか? この問いのあるところ、あるいは答えとしてあるものが「川柳は私小説のように」というありかたなのだろう。それは自我を自然主義的な細部のこだわりに支えられた内なるエロチシズムが投げかける感動である。
大橋愛由等さんの提案で、大橋愛由等、寺岡良信、野口裕、にしもとめぐみ、高谷和幸、千田草介の選んだ川柳を載せた。講演とともに、それぞれの選んだ句の共通点と相違点も読む楽しみに。
------------高谷和幸記
――テキスト――-★
情野千里「私小説的「想い」にこだわる不器用なわたしは、現代川柳が「言葉(読み)の時代」に入ってるって「どうゆーこと?」と、思っていいる。」
一、川柳作家・新子との遭遇
1980年4月、神戸新聞姫路支社のビルの一室で、時実新子の川柳教室が開講した。
当時、新子は神戸新聞・読者文芸欄で川柳の選者を務めており、教室まで歩いて5分とかからない鍵町で文具屋を営む、商家のおかみさんでもあった。
私の実家の母・平澤テルコは、教室が開かれる数年前から新聞に川柳を投句、たびたび入選句が掲載されていた。
姫路市に嫁ぎ、二人の子供の母として、また姫路赤十字病院の栄養士として勤務する克夫の妻として毎日を送る専業主婦であった私―――。母に誘われるまま『新子の川柳教室』の第一期生として川柳を学ぶこととなった。
月に一度、夜間の教室だった。毎回、テルコと並んで教室の一番前の席に陣取り、新子の薫陶をうけた一〇年間。その間に、『川柳展望』(当時は、新子の主宰誌であった)の会員となり、新子が『川柳大学』を創刊した折には展望会員を辞し、大学会員として作品発表をおこなって来た。
2004年、大学誌に寄稿したエッセー―――。そこには私にとって川柳と新子は不可分の関係であり、情念川柳を文学の位置に引っぱり上げたと言われる彼女の影響を強く受けていること。家庭生活を営むなか、人として女として否応なく抱える葛藤―――。そこに生ずる「想い」を表現したものが、川柳だと思っていたことが書かれている。
【 「新子はなんにも言わないけれど……」
新子を師と仰いでほぼ四半世紀になる。
母、平澤テルコに手を引かれての川柳教室入門は、母娘がともに川柳の母・新子の子となる寓話的イニシエーションであった。
生い立ちや、夫婦関係に起因するテルコの、初めての子である私への対応は、友人が洩らした「一卵性母娘」という感想に約言されている。
母子密着という葛藤をかかえながら、新子を母として川柳という人間臭い藪の中に入り込む。おいおいに明らかになる新子のかかえる葛藤(それはけっして具体的な形で、私達弟子の前に曝されることはなかったが)。
テルコの娘で新子の子であることは、母子密着の入れ子のようなものである。それは多分、川柳という文芸が持つ濃厚な人間ドラマ、愛憎劇をも表現しうるジャンルとしての底なしの怖さでもあったろう。
この一月に七回忌を迎えたテルコ。死後でなければ全容が掴めず、言葉に変換することも可能わなかった母娘の湿原―――。それを作品化しはじめた今ほど、川柳の母・新子を語るにふさわしい時期はないだろう。
詩人や小説家、劇作家と呼ばれる人達がいるのは識っていたが、川柳作家なる存在とは初めての出会いだった。だから、神戸新聞カルチャーセンター姫路支部の「新子の川柳教室」に入ってからも、随分と長い間、時実新子が日本でただ一人の川柳作家だと思い込んでいた。
半年、一年と教室へ通ううちに、本も読み、先輩諸姉諸兄の勧めにしたがって、よその句会、大会にも出席し、いわゆる川柳界、柳壇、結社、勉強会などに参集する人達や彼らの作品に接して、やっと自分の勘違いに気が付いたのだ。川柳作家は時実新子だけじゃなく、他にも大勢いるんだということ。
また気付いたのは、新子という作家が、日本随一と表現してもいいくらい、希有な才能の持ち主であるという事実。
卵の殻をつつき破ったときに初めて視たのが新子なので、濃い刷り込みがあることは自覚している。手放しで新子の自慢をするのは、自分の母親を褒めるのにも似て気恥ずかしさを伴う行為なのだ。
それでも「サイノロ」とからかわれながら、話のオチが女房自慢になってしまう男のように、こう繰り返すことを止められない。「時実新子でよかった。私は師匠に恵まれている」と……。
テルコはもっと違う表現をしていた。私の言葉にひそむ師の資質を査定するような傲慢さが、気に入らなかったのであろう。〈出会いの妙〉ということを理解させたかったのだ。会うべくして会った人には理屈などいらない。目に見えない糸で結ばれたのだから、糸に引かれるまま随いてゆけばいい・・・。
カルチャーセンターの新子教室。一番前の机に母と娘が並んで、それぞれの求めに従って師の教えを摂取、吸収するのに懸命だった。黒板に列記した川柳に互選の目を走らせるとき、短冊を繰りながら雑詠の選をするとき、新子の眼差しは鋭かった。
黒板の前に立って作品の講評をするとき、新子の表情は豊かだった。うまく表現できないまま投げ出した言葉を、魔法使いの杖のひと振りで血の通う言葉に変えた。
新子の目は創造の熱で赤く光って見えた。テルコ五十七歳、千里三十二歳で出会った時実新子。紫の雲を身にまとい、上昇気流に乗って天にかけ昇る。二人はその道程のつぶさな目撃者だったのだ。
通いはじめて何年目のことだったろう。教室が終わったあと、何人かで師を囲み、語り合うようになった。場所は近くの喫茶店だったり、ジャズの好きなマスターがいるカフェ・レストランだったり……。
川柳という表現手段を得たことのうれしさ。知れば知るほど興味をひかれる川柳という文芸の奥深さ。それらを全身から満ち溢れさせている新子という存在への関心もあって、常に新子の近くに席をとる私だった。
話題がテレビの『徹子の部屋』になったことがある。「川柳が『徹子の部屋』に出ることがあるかしら」と新子が言うと、「それを果たすのは新子先生しかいない。実現したら乾杯ね」と誰かが応じた。新子はクスと笑っただけだった。この時、私は「そんなことがあるかしら?」と、信じられない思いを持ったものだ。
表現の豊饒と卓抜した作句力を示す川柳群、作家として身に帯びたオーラのようなもの・・・。そのどれもに敬服しているのだが、みんなにホイホイと調子を合せることができない。やっぱり私は不肖の弟子なのか、年若の教室仲間が如才なく立ち回る様子を眺めているだけだった。
1988年6月。新子は予言どおり『徹子の部屋』(テレビ朝日)への出演を果たした。予想が外れたにもかかわらず、うれしくて私は一人でワインを抜き、テレビの前に座った。
・・・・・・この二十年余の間の、新子の髪型と体重の変動ほどはなはだしいものはない。心境や環境の変化を正直に示す激やせ。カーリーヘアー、ショートカット、左右アンバランスなモガ的髪型などなど。
観察というと聞こえは悪いが、新子の心のありようを感じとろうと、あて続けた視線のおかげでわかったことがある。新子が髪型を変えるのは、自らの選択によって何かを変えるとき。体重の目に見えて減少するときは、新子の意思の外にある変化を受け入れねばならないとき……。
師に恵まれるというずっしり重い幸運を抱え、これからも川柳とともに歩む。かなり怖ろしいことだけど―――。 】
二、有夫の恋―――不貞川柳の系譜
新子がアサヒグラフから出した『有夫恋』は、川柳集としてはじめてのベストセラーとなった。
夫ある女の恋…有夫恋とは、うまく作った言葉だ。川柳を始めた初期から人の妻であり二人の子供の母であった新子が、人を恋う句を書けば「不倫だ。不貞だ」と、周りの川柳人は騒いだと言う。悪評のなか被せられた「不貞川柳」の冠を逆手に、
〈あたくしに続けと不貞ラッパ吹く〉〈まさに情事 急ぐ男の影法師〉〈脳味噌の沸騰点がホテルの真昼〉など、悪魔主義的と評される川柳を発表。
新子の悪に染まると、句会に参加するのを夫に反対された人や、恋の句を書いて不倫を疑われ川柳を止めた人もいるそうだが、フィクションかノンフィクションか、誰に迷惑かけるものでもない・・・と、大胆で挑発的な句を吐き続ける新子の下に、人は続々と集まった。
カルチャーセンターという性格上、教室での指導が悪魔的ということはなかった。新子がくり返し指導したのは、創作とは事実ではなく真実を書くこと。昼間の社会的立場から離れた�夜の言葉�で書くことだった。
川柳を始めたときから子の母であり、人の妻であったテルコと私。それは取りも直さず、「〈不貞川柳〉と呼ばれる覚悟があるなら、恋の句をお書きなさい」と、言うことであった。
恋成れり四時には四時の汽車が出る・・・新子
手鈎無用の柔肌なれば窓閉じよ ・・・〃
墓の下の男の下に眠りたや ・・・〃 (新子自選集『月の子』より)
あるだけの鍋がふさがり祭なり ・・・テルコ
緒の切れた下駄ぶらさげてまだ遠い・・・〃
半分はあなたのパンよ共犯者 ・・・〃 (テルコの川柳帖より)
逢うて来てきちんと合わす膝頭 ・・・千里
山頂へ下駄投げ上げてから二人 ・・・〃
アイロンは抜いたかと聞く人攫い ・・・〃 (川柳句集『百大夫』より)
三、「空間的表現重視の読み方」で、千里作品はどう読まれたか?
1999年に出版された『空間表現の世界…現代川柳鑑賞』は、作句指南の本は多いのに、川柳の読み方の手引となる本がほとんどないことをあげ、その空白を埋めることを目的としている。著者、石森騎久夫さんの持論である「川柳が短詩型文学の一翼となるために、文学的志向を強く推し進める」ため、作品の読み方もその視点から、作者の思い、感動の空間的表現の完成度を重視している……と、している。
彼が主宰していた川柳誌『創』に投句した拙作も、鑑賞の対象となっている。その一つを紹介しよう。
【 手袋は皮 ハレムの女より渇く 情野千里
作品を読むとき、事柄の起承転結とか、常識的必然性に拘りすぎるのではないか、とたびたび自分に問いかけることがある。こんなとき何時も思い出すことがある。
「昭和二六年東京新聞紙上で「カミュ」の『異邦人』をめぐって、中村光夫と広津和郎が論争したいわゆる「異邦人論争」のことである。戦後の特筆すべき論争なので、文学に興味をもっている人なら誰でも知っている論争だから、改めてここで詳述は省くが、裁判官から殺人の動機を訊かれた犯人は「太陽のせいだ」と答える。殺人の動機としてたいようのせいだとは常識で考えられない。広津和郎は大正の常識的根拠からこれを否定したが、中村光夫は、人間の計り知れない深層心理の根拠からいわゆる不条理の世界を肯定したのである。当時一般の賛否もまちまちで、どちらに軍配が上がったということは無かったが、今にして思えば、中村光夫にひそかに賛成していた当時の私の選択は誤っていなかったと思っている。つまりここで言いたいのは、「手袋は皮」と「ハレム…」以下との関わり合いを考えるとき、一見不条理に見えるこの関係を広津和郎的発想で裁きたくない、ということである。常識というものは時代と共に認識が変わるものである。分かり易く言えば天皇バンザイという常識は過去のものであって、九〇年代の常識としては通用はしない。
「異邦人」の犯人の殺人動機に類するような唐突とも不条理とも思われる殺人にしても、九〇年代の今は奇異を感じない時代になっている。特に若い世代の意識の中にはそういう色調が濃厚になっていると言ってもいい。「手袋は皮」と「ハレム…」との関わり合いもそういう意味からすれば許容出来るものである。問題はただ、唐突な組み合わせの裏にある心理的な照応の如何にかかっていることで、事柄の如何にかかわらず許容していいという理由はない。皮の手袋をするという心理状況は或る意味では渇きの表現と見ても無理ではない。
いかにも若い人らしい作品というだけではあいまいな言い方かもしれないが、圧倒するような迫力を秘めた作品と言うことは出来ると思う。」
1930年から川柳を始め、戦後の名古屋川柳壇の中心的存在だった騎久夫さん―――。
ここで謂う「読み方」は、近年、現代川柳の先端と目されている作家たちの「読みの時代」のポストモダン性とは直接関わりを持たない。それでも「書くことと読むことは一体のもの」と主張し、川柳が文学の高みへ行き着くため「作品をどう読むか」の手引きとして、彼がこの本を遺したことの意味は大きい。
四、川柳のルーツでもある「連句」って、プレモダン?
舞踏家である私が体験したワークショップのことを紹介しよう。
そこではダンス作品を創るための振付がテーマになっていた。モダンダンスの世界でも、一時流行ったドラマチックな振付は飽きられ、次の時代…ポストモダン(脱近代)を志向するダンサーやダンスグループが様々な実験的取り組みを重ねて来た。現在、その動きはコンテンポラリーダンスとなって多彩な舞台を展開している。
ダンス作品の台本とも言える振付。振付の基本となる動きをどこから見つけてくるか?
それは舞踏家にとっても切実な問題なのだ。
ワークショップでは、次のようなテーマを与えられた。
子供の遊び(遊戯性)、祭祀のように型どおりにおこなう動作(儀式性)、外界からの刺激によって動く(偶然性・他動性)……これらは、神話や既成のドラマに頼らずに舞台にどんな動きを持ち込むことが出来るかを試すやり方である。
筋書や想いの抒情性に頼らない……この辺り、川柳界で今謂うところの「言葉の時代」と通底する方法論ではないか?
ワークショップの後、舞踏の師・桂勘は、次はプレモダンを考えたいと言った。
独吟(勘さんの・・・の巻)
情野千里
勘さんの下駄の隣りに下駄を脱ぐ
京は祭のかぶき装束
片膝を立てるひとりに傾いて
水が笑って袖重くなる
顎の長いおんなの長い長い詩(うた)
てのひらに海 月が溺れて
眉渇く大蛇(おろち)のように水を飲む
愛を告げんと雨雲に乗る
母の日の鳥屋を覗く金縛り
骨付きハムはぶらりと無頼
緑風に四肢のもつれがひどくなる
後ろへ跳んで鬼の眷族
奥歯に挟まっていたアリババの呪文
月盗んだか人殺めたか
歩いて五分すぐ口紅が剥げる街
貌(かお)はどこだと浚う古池
薔薇と遊んだおとこの指が錆びている
朝日仰いで鉄臭い嘘
貝殻骨を踊らせている本日晴天
小米零れて夢は真っ白
序の舞がすんだら見せる舌の裏
冬の団扇もつらい恋して
あやまちをパクパク食べる孕み猫
通り魔がゆく母を探して
蝶が一匹二匹三匹午後を狭くする
プールに流すワイン百樽
ペリカンの下唇に救われる
ジャンボジェットにおむすびコロリ
鬼薊 月に焦がれて二歩あるく
羽織の裏に暗証番号
好色な順に並んで撮る写真
パジャマ着ている九人目の妻
水滴を垂らして龍を笑わせる
しゃっくり止める酢を振りかけて
魔女となる落ちた椿を食べてから
尻尾踏まれて這いずる弥勒
2013年6月3日(月)�カフェ・エクリ詩� in 姫路市「段カフェ」
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◆以下は、「川柳マガジン/情野千里特集」に掲載されていた作品から何人かが選句してものです。選句評も有りますので、お読みください。
※01/野口裕
情野千里の五句
作品集の最初に集中して川柳の典型的型であるQ&A形式が並んでいるので少したじろぎましが、後半になるにつれて自在の型となっているようで安心しました。では、五句。
リハーサルがすむまで寝かすパンの種
パンの種が生活の象徴であり、自身の追求している芸術の象徴でもあるというダブルイメージの創造に成功しているかと思います。
萩の闇すしのり焙る気配して
萩とすしのりの付き具合、離れ具合が絶妙。どこからか秋祭りの笛が聞こえてきそう。闇を闇と書くことによる成功率は低い。しかし、この場合は、闇と言うことによって「焙る」にサディズムの気配を漂わせることにも成功している。
そうめん流しの速さ男のうす情け
「…とかけて…と解く。そのこころは…」というパターンの典型的なQ&A形式。型どおりだからと言って悪いわけではない。この場合は、見事にはまっている。全く違う句、「流れゆく大根の葉の早さかな」(高浜虚子)を連想してしまうのが面白いところ。
子が出来て包丁研いでいる以蔵
否が応にも、幕末の「人斬り以蔵」を髣髴とさせる。歴史上の人物とは一線を画した人間像の提示。
凱旋門にひっかけておく割烹着
凱旋門が戦勝のモニュメントであることを思えば、割烹着の皮肉が生きる。自らが巨人になったような誇らかな気分も重ね合わせて。
※02/大橋愛由等より
★01
最後の晩餐おたふくソースたっぷりと
今回の選句はなるべく「おかしみ/うがち」と距離をおき、詩性を感じて、かつ川柳的抒情を詠っていない句を選んだつもりだが、こうした俳句に書けそうにない(ひょっとしたら詩には書いてしまうかもしれないが)作品に接すると、表情がはからずも緩んでしまい選句にいたった。俳句の世界でも坪内稔典が具体的な商品名(正露丸など)をいれた俳句を句集『落花落日』(海風社)で展開して話題になったが、川柳ではより常套的な書法であると思われる。「最後の晩餐」という重々しい設定の中で(別にイエスたちの晩餐でなくても良いだろう)、広島産のお好み焼き用として開発されたソースをかけて供するというおかしみに感応した。川柳の醍醐味のひとつは「ずれ」を楽しむ〈笑い〉にあるといえよう。だが、読者には、その「ずれ」を「ずれ」と感受する感性と知覚が鍛錬されていなければならない。
★02
苺パフェの匂いアリスが消えた部屋
〈苺パフェ〉に〈アリス〉が付くと、いかにもの少女世界を体現した(二〇一〇年代風にいえば、きゃりーぱみゅぱみゅ的)世界らしい「つきすぎ」の句といえばそうなのだが、この句の観賞をそこで止めておいてはつまらなくなる。永遠に夢見る少女であるアリスは、永遠の不在を目指しているのだ。しかし、不在は不在のままに終わるのだろうか。その部屋には苺パフェの匂いは永遠に残っているのだろうか。アリスは、世界中の読者によって何度も、そして新たに不在を要求される。匂いが残るその部屋は、アリスが戻ってくるのを永遠に待っているのかもしれないし、匂いが消失しないことで、アリスに不在を要求しているのかもしれない。そして作者にとってのアリスの物語はいったいどうなるのだろう。アリスが部屋に戻ってくれば、「少女喪失」を是認することになるために、作者はアリスが永遠に少女であり続けてほしいと願うあまり、不帰を求めているのかもしれない。不在をアリスに突きつけることで、アリスを内在化した作者は「少女喪失」から逃れ、永遠の少女であろうとしている。
★03
塩首が転がって来る朝餉かな
単純に誤読してしまった方が良いのかもしれない。この句の「塩首」とはいったい何を表象しているのかどうも焦点があわない。字句どおりに解すれば、槍のくびれ部分を言うそうだが、果たしてそうだろうか。塩漬けの人間の首かもしれない。私は塩を入れる容器の蓋の部分を塩首といっているのかと想ってみたりもした。「塩首」の意味の不明さを追究することを含めて、この句への鑑賞は成り立っている。朝餉の場において、「塩首」なるものが転がってくるという情景描写なのだが、そこはかとない緊張が漂っている(同時におかしみも付帯している)。〈首〉という名辞は、なにかを予兆させる言葉の響きがある。本体と切断された〈首〉というソノモノが自律して在るという切迫感。一日の始まりに首がころころ食卓の上を転がっているというシュールな光景に作者も読者も驚きを共有している、と言えようか。
★04
黍を蒸す鴉になった兄のため
奄美・沖縄では甘蔗(サトウキビ)のことを単純に「きび」という。しかし、この句の黍は五穀のうちにひとつのイネ科の一年草から摂れる穀物のことをさす。正岡子規に〈粟刈りて黍にむらかる雀哉〉という俳句があり、黍は秋の季語である。食材としての黍は蒸すことで活用されることが多い。情野川柳世界では、黍と〈鴉になった兄〉という転生譚を絡ませている。〈蒸す〉という外気と遮断して呼吸を圧殺した行為に、鴉になってしまい、ヒトでなくなってしまった兄の圧殺された光景が重なっていく。ザムザ(カフカ「変身」)になってしまった兄に対して、家族はある時期までかいがいしく食べ物を与え、世話をしていたのだ。
★05
情死行 菜の花寿司に誘われて
川柳作品には時に、「シヌ シヌ」「ジョウシスル」とタナトスと近接する表現を見出すことが出来る。「コンナ会社ナンテ、辞メテヤル」と言うことで自分と会社の関係性を測って翌日には再生して働いているサラリーマンの喩えを出すのは失礼だが、川柳文芸は「シヌシヌ」「ジョウシスル」と表現することで、生きていること/生きているワタシを再確認する文芸であると思っている。川柳はきわめて深く〈生〉に依拠した文芸であるからだ。情死への誘いが菜の花寿司だというのは〈食べる〉という生(あるいは性であることも)の発露なのだ。この句は、ほんとにあるかもしれないという蓋然性を楽しむ作品でもある。そういえば、お初と徳兵衛(「曾根崎心中」)が心中を決行したのは新暦の五月。徳兵衛が心中を持ちかけた時にお初と食したのが菜の花だったこともありえるのである。
※03/寺岡良信
10句選
道化師に時々借りるおろし金
黒い塩こぼれる祖父の羽織脱ぐ
迷い箸 おとこの首が百並ぶ
亡弟が来て焼き蟹を裏返す
黍を蒸す鴉になった兄のため
子が出来て包丁研いでいる以蔵
祭りから祭りへ泳ぐ飯杓子
蕎麦打ちトントン冬の星座がずれていく
情死行 菜の花寿司に誘われて
嫁ぐ娘と餃子を包む秋の底
※04/■にしもとめぐみ
私の選んだ『情野千里名川柳』五句選
壺の毒なめて墓石より陽気
美しい悪だひとひらの馬肉
白菜も横座りする恋疲れ
昼酒を桃の蕾に叱られる
情死行 菜の花寿司に誘われて
※05/■高谷和幸
情野さんの主催をする句会にも何度か出させてもらったことがある。座ではテーマの川柳と自由な川柳と短冊に書き、座を仕切る司会者がそれぞれを紹介して参加した人の得票を書き入れていく。私の川柳は自分でも納得ができるぐらいにまずいものが多く、低得点だった。川柳の17音の世界と自由詩の世界の感覚的な差が、思った以上に大きいの気が付いた。
そんなことで、5首を選ぶところで自分の詩と響いてくるものを中心に選んでみた。
空豆は地球を離れたがっている
空豆はその名前によって宇宙へとやわらかい触手を伸ばしていくことを運命づけられている。かわいそうな野菜だ。自分の望みと現実の違いはどこまでいっても一つにはならない。そう思うと空豆がいとおしいく感じる。
天使のように明るい今朝のパン焼き器
私は朝食にパンを食べない。両親は今も朝食はパンだ。
それを幼いころから押し付けられてきた私はある時決意した。朝にパンは食べないようにしよう。朝のまだとろけるような時間と混沌とした空間はパンの焦げ付いた色とは無縁だ、と思ってきた。でも意地悪な天使はわたしの心の中を見抜いて「ほんとうはこれが好きでしょう?」と微笑みかけてくる。
螺旋階段をのぼる私がエスカルゴ
宇宙の生成はビッグバンからだと言われている。その後はご存知のように渦巻く星雲が私たちの故郷だ。この原型というものはなにかと私たちの身の回りでその存在感をしめすものだ。それが螺旋。螺旋模様はエスカルゴと同じように私もまた母型を焦がれ続けることのイコンだ。
凱旋門にひっかけておく割烹着
割烹着を最近ではあまり見かけなくなった。昔、町内の催事の折には、割烹着を着た女性たちが忙しく働いていた。その意味では割烹着は女性にとって戦闘衣だ。私はパリの凱旋門の前で女性二人(情野さんとにしもとさん)の写真を撮ったことを思い出す。彼女たちはやはり戦争に勝利したものの表情だった。
蕎麦打ちトントン冬の星座がずれていく
蕎麦の旨いときはどうしても冬。蕎麦が歯にしみる頃が一番旨いと言われる。また年越し蕎麦という蕎麦もある。蕎麦の魔力は粘着性のある身体が吸い寄せて、なにかとなにかをつなぐところにある。私のいまある時間も、あるべき明日も本来は不安定なものだ。蕎麦をトントン切る音はずれたものたちへのレクイエム。
※06/千田草介
「川柳は私小説のように」という、情野千里特集の惹句は、思考回路を呪縛する。「わたくしごと」を書くのが私小説とするならば、それはみずからの精神の遍歴を赤裸々に吐露するものであろうが、しかし「ように」というのがクセモノである。ワトクシゴトのヨウナモノとは、妖怪の一品種みたいでもある。と、そこまで考えいたると、あっ、なんだ、そうではないか。情野さんはかねてよりミミクリを標榜しておったではないか。ロジェ・カイヨワにいわせると、「遊び」は4つに分類される。
アゴン(競争) :運動や格闘技、子供のかけっこ、ほか。
アレア(偶然) :くじ(宝くじなど)、じゃんけん、ギャンブル(競馬など)、ほか。
ミミクリ(模倣) :演劇、物真似、ごっこ遊び(ままごとなど)、ほか。
イリンクス(めまい) :メリーゴーランド、ブランコ、ほか。
ホイジンガに言われるまでもなく、人間の本質は遊ぶことにあるのであって、そんなことはとうの昔に後白河法皇がのたまいたるとおりなのであるが、ともすればわれわれはクソ真面目な仮面をかぶったブンガクなどというものに幻惑されて意識の表面から忘れてしまいがちになるものだ。情野句集のそれぞれの句は「ごっこ」がくっつくものと考えて読まねばならぬのではあるまいか。しかしミミクリの「ごっこ」であったり、「やつし」であったりしても、そこには純粋なるオリジナルが影を落としているはず。と思って読むと、きわめて興味深い。とりわけ情野さんの「男」観に、深々たる憶測がうごくのである。よって、男ないし男の影がからむ句ばかりに眼がいってしまった。
1 迷い箸 おとこの首が百並ぶ
セイノ世界では「男」はしばしば、タダの物質である。徹底的にマテリアルである。ソラマメのように男の生首が並ぶ光景。それをつままんとする作者は、まさにカーリー女神のごとき位置にいる。
2 スパゲッティにからまる秋の男か
男ごころと秋の空 これを女心と男心のどっちだという議論を高校時代、先生同士がやったという話を、われわれ生徒が授業中に聞いた記憶がある。どっちが正解かは知らないが、たぶん「男」のほうであろうと思う。それぐらい男の気はうつろいやすいと、自分なりにも自覚してはいる。が、それにしても男とは情けない存在である。
3 そうめん流しの速さ男のうす情け
「うす情け」は、うす口醤油でつくられる、そうめんつゆをダブルイメージとして連想させる。そうめんはもちろん、揖保の糸である。そうめん流しの速さは、疾風のように彗星のように来ては、さっさと去っていく男という生き物の本性をとらえているといえようか。
4 色事やアイスクリームで締めくくる
きぬぎぬはアイスクリームがぴったり合うのであろうか。
5 漬物石投げる男が消えた闇
これは怪談のようなおどろおどろしい空間をかたちづくっている。もし漬物石が当たれば男は即死すること間違いない。それにしても怪力である。山姥のしわざであろうか。
★第一部〈川柳作家・情野千里の語り〉
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はじめに
今回は川柳作家の情野千里氏の講演です。
情野千里さんはパワーの溢れる人だ。川柳舎「みみひめキッチン」の主宰者、さらに川柳パフォーマンスにと世界中を飛び回っている。そのパワーの秘密はなんだろうか。
このたび月刊「川柳マガジン」で情野千里特集が組まれていて、あらためて情野川柳を読んでみると、「食べること」にまつわる句がほとんどであるのに驚かされる。つまり、情野さんの川柳は食べる食材とそれを自らの肉体に吸収し、同化させる内なるエロチシズムが言葉に切り結んでいるように思う。
情野千里川柳論「川柳は私小説のように」の中に面白い言葉を見つけた。日常と非日常。ハレとケといった二項からなる重層構造だ。これは二項の対立する構造ではなく、それがどちらかに含まれ、どちらかがそれに取って代わるところのダイナミックな動きのある世界だと思う。わたしとは何なのか? この問いのあるところ、あるいは答えとしてあるものが「川柳は私小説のように」というありかたなのだろう。それは自我を自然主義的な細部のこだわりに支えられた内なるエロチシズムが投げかける感動である。
大橋愛由等さんの提案で、大橋愛由等、寺岡良信、野口裕、にしもとめぐみ、高谷和幸、千田草介の選んだ川柳を載せた。講演とともに、それぞれの選んだ句の共通点と相違点も読む楽しみに。
------------高谷和幸記
――テキスト――-★
情野千里「私小説的「想い」にこだわる不器用なわたしは、現代川柳が「言葉(読み)の時代」に入ってるって「どうゆーこと?」と、思っていいる。」
一、川柳作家・新子との遭遇
1980年4月、神戸新聞姫路支社のビルの一室で、時実新子の川柳教室が開講した。
当時、新子は神戸新聞・読者文芸欄で川柳の選者を務めており、教室まで歩いて5分とかからない鍵町で文具屋を営む、商家のおかみさんでもあった。
私の実家の母・平澤テルコは、教室が開かれる数年前から新聞に川柳を投句、たびたび入選句が掲載されていた。
姫路市に嫁ぎ、二人の子供の母として、また姫路赤十字病院の栄養士として勤務する克夫の妻として毎日を送る専業主婦であった私―――。母に誘われるまま『新子の川柳教室』の第一期生として川柳を学ぶこととなった。
月に一度、夜間の教室だった。毎回、テルコと並んで教室の一番前の席に陣取り、新子の薫陶をうけた一〇年間。その間に、『川柳展望』(当時は、新子の主宰誌であった)の会員となり、新子が『川柳大学』を創刊した折には展望会員を辞し、大学会員として作品発表をおこなって来た。
2004年、大学誌に寄稿したエッセー―――。そこには私にとって川柳と新子は不可分の関係であり、情念川柳を文学の位置に引っぱり上げたと言われる彼女の影響を強く受けていること。家庭生活を営むなか、人として女として否応なく抱える葛藤―――。そこに生ずる「想い」を表現したものが、川柳だと思っていたことが書かれている。
【 「新子はなんにも言わないけれど……」
新子を師と仰いでほぼ四半世紀になる。
母、平澤テルコに手を引かれての川柳教室入門は、母娘がともに川柳の母・新子の子となる寓話的イニシエーションであった。
生い立ちや、夫婦関係に起因するテルコの、初めての子である私への対応は、友人が洩らした「一卵性母娘」という感想に約言されている。
母子密着という葛藤をかかえながら、新子を母として川柳という人間臭い藪の中に入り込む。おいおいに明らかになる新子のかかえる葛藤(それはけっして具体的な形で、私達弟子の前に曝されることはなかったが)。
テルコの娘で新子の子であることは、母子密着の入れ子のようなものである。それは多分、川柳という文芸が持つ濃厚な人間ドラマ、愛憎劇をも表現しうるジャンルとしての底なしの怖さでもあったろう。
この一月に七回忌を迎えたテルコ。死後でなければ全容が掴めず、言葉に変換することも可能わなかった母娘の湿原―――。それを作品化しはじめた今ほど、川柳の母・新子を語るにふさわしい時期はないだろう。
詩人や小説家、劇作家と呼ばれる人達がいるのは識っていたが、川柳作家なる存在とは初めての出会いだった。だから、神戸新聞カルチャーセンター姫路支部の「新子の川柳教室」に入ってからも、随分と長い間、時実新子が日本でただ一人の川柳作家だと思い込んでいた。
半年、一年と教室へ通ううちに、本も読み、先輩諸姉諸兄の勧めにしたがって、よその句会、大会にも出席し、いわゆる川柳界、柳壇、結社、勉強会などに参集する人達や彼らの作品に接して、やっと自分の勘違いに気が付いたのだ。川柳作家は時実新子だけじゃなく、他にも大勢いるんだということ。
また気付いたのは、新子という作家が、日本随一と表現してもいいくらい、希有な才能の持ち主であるという事実。
卵の殻をつつき破ったときに初めて視たのが新子なので、濃い刷り込みがあることは自覚している。手放しで新子の自慢をするのは、自分の母親を褒めるのにも似て気恥ずかしさを伴う行為なのだ。
それでも「サイノロ」とからかわれながら、話のオチが女房自慢になってしまう男のように、こう繰り返すことを止められない。「時実新子でよかった。私は師匠に恵まれている」と……。
テルコはもっと違う表現をしていた。私の言葉にひそむ師の資質を査定するような傲慢さが、気に入らなかったのであろう。〈出会いの妙〉ということを理解させたかったのだ。会うべくして会った人には理屈などいらない。目に見えない糸で結ばれたのだから、糸に引かれるまま随いてゆけばいい・・・。
カルチャーセンターの新子教室。一番前の机に母と娘が並んで、それぞれの求めに従って師の教えを摂取、吸収するのに懸命だった。黒板に列記した川柳に互選の目を走らせるとき、短冊を繰りながら雑詠の選をするとき、新子の眼差しは鋭かった。
黒板の前に立って作品の講評をするとき、新子の表情は豊かだった。うまく表現できないまま投げ出した言葉を、魔法使いの杖のひと振りで血の通う言葉に変えた。
新子の目は創造の熱で赤く光って見えた。テルコ五十七歳、千里三十二歳で出会った時実新子。紫の雲を身にまとい、上昇気流に乗って天にかけ昇る。二人はその道程のつぶさな目撃者だったのだ。
通いはじめて何年目のことだったろう。教室が終わったあと、何人かで師を囲み、語り合うようになった。場所は近くの喫茶店だったり、ジャズの好きなマスターがいるカフェ・レストランだったり……。
川柳という表現手段を得たことのうれしさ。知れば知るほど興味をひかれる川柳という文芸の奥深さ。それらを全身から満ち溢れさせている新子という存在への関心もあって、常に新子の近くに席をとる私だった。
話題がテレビの『徹子の部屋』になったことがある。「川柳が『徹子の部屋』に出ることがあるかしら」と新子が言うと、「それを果たすのは新子先生しかいない。実現したら乾杯ね」と誰かが応じた。新子はクスと笑っただけだった。この時、私は「そんなことがあるかしら?」と、信じられない思いを持ったものだ。
表現の豊饒と卓抜した作句力を示す川柳群、作家として身に帯びたオーラのようなもの・・・。そのどれもに敬服しているのだが、みんなにホイホイと調子を合せることができない。やっぱり私は不肖の弟子なのか、年若の教室仲間が如才なく立ち回る様子を眺めているだけだった。
1988年6月。新子は予言どおり『徹子の部屋』(テレビ朝日)への出演を果たした。予想が外れたにもかかわらず、うれしくて私は一人でワインを抜き、テレビの前に座った。
・・・・・・この二十年余の間の、新子の髪型と体重の変動ほどはなはだしいものはない。心境や環境の変化を正直に示す激やせ。カーリーヘアー、ショートカット、左右アンバランスなモガ的髪型などなど。
観察というと聞こえは悪いが、新子の心のありようを感じとろうと、あて続けた視線のおかげでわかったことがある。新子が髪型を変えるのは、自らの選択によって何かを変えるとき。体重の目に見えて減少するときは、新子の意思の外にある変化を受け入れねばならないとき……。
師に恵まれるというずっしり重い幸運を抱え、これからも川柳とともに歩む。かなり怖ろしいことだけど―――。 】
二、有夫の恋―――不貞川柳の系譜
新子がアサヒグラフから出した『有夫恋』は、川柳集としてはじめてのベストセラーとなった。
夫ある女の恋…有夫恋とは、うまく作った言葉だ。川柳を始めた初期から人の妻であり二人の子供の母であった新子が、人を恋う句を書けば「不倫だ。不貞だ」と、周りの川柳人は騒いだと言う。悪評のなか被せられた「不貞川柳」の冠を逆手に、
〈あたくしに続けと不貞ラッパ吹く〉〈まさに情事 急ぐ男の影法師〉〈脳味噌の沸騰点がホテルの真昼〉など、悪魔主義的と評される川柳を発表。
新子の悪に染まると、句会に参加するのを夫に反対された人や、恋の句を書いて不倫を疑われ川柳を止めた人もいるそうだが、フィクションかノンフィクションか、誰に迷惑かけるものでもない・・・と、大胆で挑発的な句を吐き続ける新子の下に、人は続々と集まった。
カルチャーセンターという性格上、教室での指導が悪魔的ということはなかった。新子がくり返し指導したのは、創作とは事実ではなく真実を書くこと。昼間の社会的立場から離れた�夜の言葉�で書くことだった。
川柳を始めたときから子の母であり、人の妻であったテルコと私。それは取りも直さず、「〈不貞川柳〉と呼ばれる覚悟があるなら、恋の句をお書きなさい」と、言うことであった。
恋成れり四時には四時の汽車が出る・・・新子
手鈎無用の柔肌なれば窓閉じよ ・・・〃
墓の下の男の下に眠りたや ・・・〃 (新子自選集『月の子』より)
あるだけの鍋がふさがり祭なり ・・・テルコ
緒の切れた下駄ぶらさげてまだ遠い・・・〃
半分はあなたのパンよ共犯者 ・・・〃 (テルコの川柳帖より)
逢うて来てきちんと合わす膝頭 ・・・千里
山頂へ下駄投げ上げてから二人 ・・・〃
アイロンは抜いたかと聞く人攫い ・・・〃 (川柳句集『百大夫』より)
三、「空間的表現重視の読み方」で、千里作品はどう読まれたか?
1999年に出版された『空間表現の世界…現代川柳鑑賞』は、作句指南の本は多いのに、川柳の読み方の手引となる本がほとんどないことをあげ、その空白を埋めることを目的としている。著者、石森騎久夫さんの持論である「川柳が短詩型文学の一翼となるために、文学的志向を強く推し進める」ため、作品の読み方もその視点から、作者の思い、感動の空間的表現の完成度を重視している……と、している。
彼が主宰していた川柳誌『創』に投句した拙作も、鑑賞の対象となっている。その一つを紹介しよう。
【 手袋は皮 ハレムの女より渇く 情野千里
作品を読むとき、事柄の起承転結とか、常識的必然性に拘りすぎるのではないか、とたびたび自分に問いかけることがある。こんなとき何時も思い出すことがある。
「昭和二六年東京新聞紙上で「カミュ」の『異邦人』をめぐって、中村光夫と広津和郎が論争したいわゆる「異邦人論争」のことである。戦後の特筆すべき論争なので、文学に興味をもっている人なら誰でも知っている論争だから、改めてここで詳述は省くが、裁判官から殺人の動機を訊かれた犯人は「太陽のせいだ」と答える。殺人の動機としてたいようのせいだとは常識で考えられない。広津和郎は大正の常識的根拠からこれを否定したが、中村光夫は、人間の計り知れない深層心理の根拠からいわゆる不条理の世界を肯定したのである。当時一般の賛否もまちまちで、どちらに軍配が上がったということは無かったが、今にして思えば、中村光夫にひそかに賛成していた当時の私の選択は誤っていなかったと思っている。つまりここで言いたいのは、「手袋は皮」と「ハレム…」以下との関わり合いを考えるとき、一見不条理に見えるこの関係を広津和郎的発想で裁きたくない、ということである。常識というものは時代と共に認識が変わるものである。分かり易く言えば天皇バンザイという常識は過去のものであって、九〇年代の常識としては通用はしない。
「異邦人」の犯人の殺人動機に類するような唐突とも不条理とも思われる殺人にしても、九〇年代の今は奇異を感じない時代になっている。特に若い世代の意識の中にはそういう色調が濃厚になっていると言ってもいい。「手袋は皮」と「ハレム…」との関わり合いもそういう意味からすれば許容出来るものである。問題はただ、唐突な組み合わせの裏にある心理的な照応の如何にかかっていることで、事柄の如何にかかわらず許容していいという理由はない。皮の手袋をするという心理状況は或る意味では渇きの表現と見ても無理ではない。
いかにも若い人らしい作品というだけではあいまいな言い方かもしれないが、圧倒するような迫力を秘めた作品と言うことは出来ると思う。」
1930年から川柳を始め、戦後の名古屋川柳壇の中心的存在だった騎久夫さん―――。
ここで謂う「読み方」は、近年、現代川柳の先端と目されている作家たちの「読みの時代」のポストモダン性とは直接関わりを持たない。それでも「書くことと読むことは一体のもの」と主張し、川柳が文学の高みへ行き着くため「作品をどう読むか」の手引きとして、彼がこの本を遺したことの意味は大きい。
四、川柳のルーツでもある「連句」って、プレモダン?
舞踏家である私が体験したワークショップのことを紹介しよう。
そこではダンス作品を創るための振付がテーマになっていた。モダンダンスの世界でも、一時流行ったドラマチックな振付は飽きられ、次の時代…ポストモダン(脱近代)を志向するダンサーやダンスグループが様々な実験的取り組みを重ねて来た。現在、その動きはコンテンポラリーダンスとなって多彩な舞台を展開している。
ダンス作品の台本とも言える振付。振付の基本となる動きをどこから見つけてくるか?
それは舞踏家にとっても切実な問題なのだ。
ワークショップでは、次のようなテーマを与えられた。
子供の遊び(遊戯性)、祭祀のように型どおりにおこなう動作(儀式性)、外界からの刺激によって動く(偶然性・他動性)……これらは、神話や既成のドラマに頼らずに舞台にどんな動きを持ち込むことが出来るかを試すやり方である。
筋書や想いの抒情性に頼らない……この辺り、川柳界で今謂うところの「言葉の時代」と通底する方法論ではないか?
ワークショップの後、舞踏の師・桂勘は、次はプレモダンを考えたいと言った。
独吟(勘さんの・・・の巻)
情野千里
勘さんの下駄の隣りに下駄を脱ぐ
京は祭のかぶき装束
片膝を立てるひとりに傾いて
水が笑って袖重くなる
顎の長いおんなの長い長い詩(うた)
てのひらに海 月が溺れて
眉渇く大蛇(おろち)のように水を飲む
愛を告げんと雨雲に乗る
母の日の鳥屋を覗く金縛り
骨付きハムはぶらりと無頼
緑風に四肢のもつれがひどくなる
後ろへ跳んで鬼の眷族
奥歯に挟まっていたアリババの呪文
月盗んだか人殺めたか
歩いて五分すぐ口紅が剥げる街
貌(かお)はどこだと浚う古池
薔薇と遊んだおとこの指が錆びている
朝日仰いで鉄臭い嘘
貝殻骨を踊らせている本日晴天
小米零れて夢は真っ白
序の舞がすんだら見せる舌の裏
冬の団扇もつらい恋して
あやまちをパクパク食べる孕み猫
通り魔がゆく母を探して
蝶が一匹二匹三匹午後を狭くする
プールに流すワイン百樽
ペリカンの下唇に救われる
ジャンボジェットにおむすびコロリ
鬼薊 月に焦がれて二歩あるく
羽織の裏に暗証番号
好色な順に並んで撮る写真
パジャマ着ている九人目の妻
水滴を垂らして龍を笑わせる
しゃっくり止める酢を振りかけて
魔女となる落ちた椿を食べてから
尻尾踏まれて這いずる弥勒
2013年6月3日(月)�カフェ・エクリ詩� in 姫路市「段カフェ」
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◆以下は、「川柳マガジン/情野千里特集」に掲載されていた作品から何人かが選句してものです。選句評も有りますので、お読みください。
※01/野口裕
情野千里の五句
作品集の最初に集中して川柳の典型的型であるQ&A形式が並んでいるので少したじろぎましが、後半になるにつれて自在の型となっているようで安心しました。では、五句。
リハーサルがすむまで寝かすパンの種
パンの種が生活の象徴であり、自身の追求している芸術の象徴でもあるというダブルイメージの創造に成功しているかと思います。
萩の闇すしのり焙る気配して
萩とすしのりの付き具合、離れ具合が絶妙。どこからか秋祭りの笛が聞こえてきそう。闇を闇と書くことによる成功率は低い。しかし、この場合は、闇と言うことによって「焙る」にサディズムの気配を漂わせることにも成功している。
そうめん流しの速さ男のうす情け
「…とかけて…と解く。そのこころは…」というパターンの典型的なQ&A形式。型どおりだからと言って悪いわけではない。この場合は、見事にはまっている。全く違う句、「流れゆく大根の葉の早さかな」(高浜虚子)を連想してしまうのが面白いところ。
子が出来て包丁研いでいる以蔵
否が応にも、幕末の「人斬り以蔵」を髣髴とさせる。歴史上の人物とは一線を画した人間像の提示。
凱旋門にひっかけておく割烹着
凱旋門が戦勝のモニュメントであることを思えば、割烹着の皮肉が生きる。自らが巨人になったような誇らかな気分も重ね合わせて。
※02/大橋愛由等より
★01
最後の晩餐おたふくソースたっぷりと
今回の選句はなるべく「おかしみ/うがち」と距離をおき、詩性を感じて、かつ川柳的抒情を詠っていない句を選んだつもりだが、こうした俳句に書けそうにない(ひょっとしたら詩には書いてしまうかもしれないが)作品に接すると、表情がはからずも緩んでしまい選句にいたった。俳句の世界でも坪内稔典が具体的な商品名(正露丸など)をいれた俳句を句集『落花落日』(海風社)で展開して話題になったが、川柳ではより常套的な書法であると思われる。「最後の晩餐」という重々しい設定の中で(別にイエスたちの晩餐でなくても良いだろう)、広島産のお好み焼き用として開発されたソースをかけて供するというおかしみに感応した。川柳の醍醐味のひとつは「ずれ」を楽しむ〈笑い〉にあるといえよう。だが、読者には、その「ずれ」を「ずれ」と感受する感性と知覚が鍛錬されていなければならない。
★02
苺パフェの匂いアリスが消えた部屋
〈苺パフェ〉に〈アリス〉が付くと、いかにもの少女世界を体現した(二〇一〇年代風にいえば、きゃりーぱみゅぱみゅ的)世界らしい「つきすぎ」の句といえばそうなのだが、この句の観賞をそこで止めておいてはつまらなくなる。永遠に夢見る少女であるアリスは、永遠の不在を目指しているのだ。しかし、不在は不在のままに終わるのだろうか。その部屋には苺パフェの匂いは永遠に残っているのだろうか。アリスは、世界中の読者によって何度も、そして新たに不在を要求される。匂いが残るその部屋は、アリスが戻ってくるのを永遠に待っているのかもしれないし、匂いが消失しないことで、アリスに不在を要求しているのかもしれない。そして作者にとってのアリスの物語はいったいどうなるのだろう。アリスが部屋に戻ってくれば、「少女喪失」を是認することになるために、作者はアリスが永遠に少女であり続けてほしいと願うあまり、不帰を求めているのかもしれない。不在をアリスに突きつけることで、アリスを内在化した作者は「少女喪失」から逃れ、永遠の少女であろうとしている。
★03
塩首が転がって来る朝餉かな
単純に誤読してしまった方が良いのかもしれない。この句の「塩首」とはいったい何を表象しているのかどうも焦点があわない。字句どおりに解すれば、槍のくびれ部分を言うそうだが、果たしてそうだろうか。塩漬けの人間の首かもしれない。私は塩を入れる容器の蓋の部分を塩首といっているのかと想ってみたりもした。「塩首」の意味の不明さを追究することを含めて、この句への鑑賞は成り立っている。朝餉の場において、「塩首」なるものが転がってくるという情景描写なのだが、そこはかとない緊張が漂っている(同時におかしみも付帯している)。〈首〉という名辞は、なにかを予兆させる言葉の響きがある。本体と切断された〈首〉というソノモノが自律して在るという切迫感。一日の始まりに首がころころ食卓の上を転がっているというシュールな光景に作者も読者も驚きを共有している、と言えようか。
★04
黍を蒸す鴉になった兄のため
奄美・沖縄では甘蔗(サトウキビ)のことを単純に「きび」という。しかし、この句の黍は五穀のうちにひとつのイネ科の一年草から摂れる穀物のことをさす。正岡子規に〈粟刈りて黍にむらかる雀哉〉という俳句があり、黍は秋の季語である。食材としての黍は蒸すことで活用されることが多い。情野川柳世界では、黍と〈鴉になった兄〉という転生譚を絡ませている。〈蒸す〉という外気と遮断して呼吸を圧殺した行為に、鴉になってしまい、ヒトでなくなってしまった兄の圧殺された光景が重なっていく。ザムザ(カフカ「変身」)になってしまった兄に対して、家族はある時期までかいがいしく食べ物を与え、世話をしていたのだ。
★05
情死行 菜の花寿司に誘われて
川柳作品には時に、「シヌ シヌ」「ジョウシスル」とタナトスと近接する表現を見出すことが出来る。「コンナ会社ナンテ、辞メテヤル」と言うことで自分と会社の関係性を測って翌日には再生して働いているサラリーマンの喩えを出すのは失礼だが、川柳文芸は「シヌシヌ」「ジョウシスル」と表現することで、生きていること/生きているワタシを再確認する文芸であると思っている。川柳はきわめて深く〈生〉に依拠した文芸であるからだ。情死への誘いが菜の花寿司だというのは〈食べる〉という生(あるいは性であることも)の発露なのだ。この句は、ほんとにあるかもしれないという蓋然性を楽しむ作品でもある。そういえば、お初と徳兵衛(「曾根崎心中」)が心中を決行したのは新暦の五月。徳兵衛が心中を持ちかけた時にお初と食したのが菜の花だったこともありえるのである。
※03/寺岡良信
10句選
道化師に時々借りるおろし金
黒い塩こぼれる祖父の羽織脱ぐ
迷い箸 おとこの首が百並ぶ
亡弟が来て焼き蟹を裏返す
黍を蒸す鴉になった兄のため
子が出来て包丁研いでいる以蔵
祭りから祭りへ泳ぐ飯杓子
蕎麦打ちトントン冬の星座がずれていく
情死行 菜の花寿司に誘われて
嫁ぐ娘と餃子を包む秋の底
※04/■にしもとめぐみ
私の選んだ『情野千里名川柳』五句選
壺の毒なめて墓石より陽気
美しい悪だひとひらの馬肉
白菜も横座りする恋疲れ
昼酒を桃の蕾に叱られる
情死行 菜の花寿司に誘われて
※05/■高谷和幸
情野さんの主催をする句会にも何度か出させてもらったことがある。座ではテーマの川柳と自由な川柳と短冊に書き、座を仕切る司会者がそれぞれを紹介して参加した人の得票を書き入れていく。私の川柳は自分でも納得ができるぐらいにまずいものが多く、低得点だった。川柳の17音の世界と自由詩の世界の感覚的な差が、思った以上に大きいの気が付いた。
そんなことで、5首を選ぶところで自分の詩と響いてくるものを中心に選んでみた。
空豆は地球を離れたがっている
空豆はその名前によって宇宙へとやわらかい触手を伸ばしていくことを運命づけられている。かわいそうな野菜だ。自分の望みと現実の違いはどこまでいっても一つにはならない。そう思うと空豆がいとおしいく感じる。
天使のように明るい今朝のパン焼き器
私は朝食にパンを食べない。両親は今も朝食はパンだ。
それを幼いころから押し付けられてきた私はある時決意した。朝にパンは食べないようにしよう。朝のまだとろけるような時間と混沌とした空間はパンの焦げ付いた色とは無縁だ、と思ってきた。でも意地悪な天使はわたしの心の中を見抜いて「ほんとうはこれが好きでしょう?」と微笑みかけてくる。
螺旋階段をのぼる私がエスカルゴ
宇宙の生成はビッグバンからだと言われている。その後はご存知のように渦巻く星雲が私たちの故郷だ。この原型というものはなにかと私たちの身の回りでその存在感をしめすものだ。それが螺旋。螺旋模様はエスカルゴと同じように私もまた母型を焦がれ続けることのイコンだ。
凱旋門にひっかけておく割烹着
割烹着を最近ではあまり見かけなくなった。昔、町内の催事の折には、割烹着を着た女性たちが忙しく働いていた。その意味では割烹着は女性にとって戦闘衣だ。私はパリの凱旋門の前で女性二人(情野さんとにしもとさん)の写真を撮ったことを思い出す。彼女たちはやはり戦争に勝利したものの表情だった。
蕎麦打ちトントン冬の星座がずれていく
蕎麦の旨いときはどうしても冬。蕎麦が歯にしみる頃が一番旨いと言われる。また年越し蕎麦という蕎麦もある。蕎麦の魔力は粘着性のある身体が吸い寄せて、なにかとなにかをつなぐところにある。私のいまある時間も、あるべき明日も本来は不安定なものだ。蕎麦をトントン切る音はずれたものたちへのレクイエム。
※06/千田草介
「川柳は私小説のように」という、情野千里特集の惹句は、思考回路を呪縛する。「わたくしごと」を書くのが私小説とするならば、それはみずからの精神の遍歴を赤裸々に吐露するものであろうが、しかし「ように」というのがクセモノである。ワトクシゴトのヨウナモノとは、妖怪の一品種みたいでもある。と、そこまで考えいたると、あっ、なんだ、そうではないか。情野さんはかねてよりミミクリを標榜しておったではないか。ロジェ・カイヨワにいわせると、「遊び」は4つに分類される。
アゴン(競争) :運動や格闘技、子供のかけっこ、ほか。
アレア(偶然) :くじ(宝くじなど)、じゃんけん、ギャンブル(競馬など)、ほか。
ミミクリ(模倣) :演劇、物真似、ごっこ遊び(ままごとなど)、ほか。
イリンクス(めまい) :メリーゴーランド、ブランコ、ほか。
ホイジンガに言われるまでもなく、人間の本質は遊ぶことにあるのであって、そんなことはとうの昔に後白河法皇がのたまいたるとおりなのであるが、ともすればわれわれはクソ真面目な仮面をかぶったブンガクなどというものに幻惑されて意識の表面から忘れてしまいがちになるものだ。情野句集のそれぞれの句は「ごっこ」がくっつくものと考えて読まねばならぬのではあるまいか。しかしミミクリの「ごっこ」であったり、「やつし」であったりしても、そこには純粋なるオリジナルが影を落としているはず。と思って読むと、きわめて興味深い。とりわけ情野さんの「男」観に、深々たる憶測がうごくのである。よって、男ないし男の影がからむ句ばかりに眼がいってしまった。
1 迷い箸 おとこの首が百並ぶ
セイノ世界では「男」はしばしば、タダの物質である。徹底的にマテリアルである。ソラマメのように男の生首が並ぶ光景。それをつままんとする作者は、まさにカーリー女神のごとき位置にいる。
2 スパゲッティにからまる秋の男か
男ごころと秋の空 これを女心と男心のどっちだという議論を高校時代、先生同士がやったという話を、われわれ生徒が授業中に聞いた記憶がある。どっちが正解かは知らないが、たぶん「男」のほうであろうと思う。それぐらい男の気はうつろいやすいと、自分なりにも自覚してはいる。が、それにしても男とは情けない存在である。
3 そうめん流しの速さ男のうす情け
「うす情け」は、うす口醤油でつくられる、そうめんつゆをダブルイメージとして連想させる。そうめんはもちろん、揖保の糸である。そうめん流しの速さは、疾風のように彗星のように来ては、さっさと去っていく男という生き物の本性をとらえているといえようか。
4 色事やアイスクリームで締めくくる
きぬぎぬはアイスクリームがぴったり合うのであろうか。
5 漬物石投げる男が消えた闇
これは怪談のようなおどろおどろしい空間をかたちづくっている。もし漬物石が当たれば男は即死すること間違いない。それにしても怪力である。山姥のしわざであろうか。