goo blog サービス終了のお知らせ 

神戸まろうど通信

出版社・まろうど社主/詩と俳句を書く/FMわぃわぃのDJ/大阪編集教室講師など多様な顔を持つ大橋愛由等の覚え書き

いくつかのひと いくつかのこと

2009年10月22日 13時13分55秒 | こうべ花気だより
入院中の詩人A氏から私の携帯電話にかかってきた通話が留守録音されていました。

10月から入院していて、手術も無事終わったのですが、まだ退院の日取りが決まっていないそうです。

詩人A氏は、われわれが5年前から毎月一回行っている詩の勉強会と合評会の中心メンバーの一人です。
10月は理由あって開催されません。次は11月1日(日)に開催されます。

11月はまだおそらく入院中なので出席できないようですが、12月の会のテーマを提案してくれました。
詩人A氏の詩にむける情熱は厚く深いものがあり、脱帽するしかありません。そして彼の所作の根底には、そこはかとない優しさが流れています。

かたやB氏。
ちょっとした困難にぶちあたり、その困難への痛覚が深刻なものであったので、その困難の因をつくった、いまのいままで身近にいたある人を、B氏ともどもふたりで培った情念の積み重ねに一考する余裕もなく、まるで小蠅を相手にするように、払いのけようとしています。

不思議なことです。こうした両極端な情念の表出模様は時として同時に生起するものです。

ビーガン さつまいもとナランハ料理

2009年08月28日 17時21分54秒 | こうべ花気だより
甘味と酸味の語り合い
サツマイモのオレンジ(ナランハ)煮込み
ビーガン料理レシピ

(1)サツマイモの料理をしようと思い立ったのが夏だったので、スーパーに売っているものはこぶりサイズだった。そうかやはりもう少し季節が進んだ方がいいのかと関心しながら、奄美のトンもこれぐらいのサイズかしらと思いつつ購入。

(2)ネットで調べてみると、ナランハ(オレンジ)との相性がよさそうだし、材料も常備しているので、まるまる一個分を使う。皮をむき、細かく房単位に分けておく。

(3)サツマイモを一口大に切って、水にさらす。スーパーで買ってきた一袋分をすべて使うことにした。10分ほどさらした後は、ボールかザルにあげておく。

(4)たっぷりの水を鍋に入れて、サツマイモにを入れ、塩少々をぱらぱらと落とし、竹串が通る程度まで火をかける。煮汁は捨てがたいが、捨ててしまいましょう(なにか利用方法がありそうだと躊躇しつつ)。サツマイモは鍋からあげたら、水を切っておきましょう。

(5)鍋にあらたに水を入れ、サツマイモを入れ、オレンジジュースをいれる(賞味切れのオレンジジュースを処理したい時に、作ろうという逆の発想でもこの料理はできる)。水2に対して、オレンジジュース1の割合でどうだろう。鍋の大きさや、サツマイモの量にもよるが、オレンジジュースの量が多過ぎると、その風味が勝ちすぎて、味がきつくなり、あとの味調整に神経をつかうことになる。

(6)煮込みものは、決して強火にせずじっくり時間をかけて味をしみこませると良いと思う。煮込みながら、時々味見をして、塩で味をととのえていく。この料理、ネットでみると、醤油や本みりんを使えという指定だったが、私はあえて和風を避け、かつビーガンらしくするために、味つけをシンプルとした。しかしソイソース(醤油)の付加価値(こくみ)もなかなかに侮れないので、なにかアルコールを活用しようと思い立った。最初、白ワインを思ったが、サツマイモという甘味がはっきりした食材なので、もう少し性格のはっきりしたシェリー酒を選択した。それもフィノではなくオロロソにした(その量はお任せ。好みの分量でいいでしょう)。(2)の生オレンジは最後の方に入れても充分間に合う。

(7)煮込んでゆくと、最初サツマイモの甘味が目立つ料理だったのが、塩とシェリー酒で味を整え、オレンジの酸味がしみ込んでくると、甘味が中和され、えも言われぬ深みのある風味となっていくのがこの料理の特色である。煮汁を味見して少しオレンジの風合いが強く出過ぎたと思ったら、水をたせばいい。サツマイモにオレンジの酸味がしみとおることによって、立派なビーガン料理になる。やはり野菜が主体のビーガン料理というのは、深みがあって面白い。肉類なしでも、十分に祝祭的な料理が作れる。もうすぐ収穫の秋がやってくる。豊富な食材をどのように料理するのか、楽しみが待っている。

よもよものこと

2009年05月28日 17時19分25秒 | こうべ花気だより
腰の痛みがとれない。

6月から7月にかけてやるべきことが多いのだが、準備が進んでいないので、その焦りが疲れに出ているのだろう。

今度の日曜日にある俳句の勉強会にて、林田紀音夫の作品に関する発表を引き受けたので、いま必死になってまとめている。句集の二冊分を精査に読み込まなくてはならない。日数を考えると、馬力をかけないとまずい。これこそ直近の腰痛の原因だろう。

さらに痛みの因がある。その人は、私にとって、癒しになってほしいと願っているのだが、なかなかうまくいかない。知的な職業につき、教養あふれる身のこなしをする人なのだが、ケの姿は、表層とは、まるで違う。よく言えば天真爛漫であり、ごく普通に言えば、思ったことを知のフィルターにあまりかけることなしに発言する人である。ころころと自分の言いたいこと、思いついたことを変えて、私にぶつけていく。疲れがたまっているときは、その気まぐれさが、腰痛を悪化させるのである。

伝わるもの伝わらないもの

2009年03月10日 18時00分14秒 | こうべ花気だより
Aさんの誕生日。
仕事が忙しそうです。
年度末なので、今月末までに仕上げる仕事依頼が集中するのでしようか。
「誕生日おめでとうメッセージ」を携帯メールから送りました。
仕事が終わってももうひとつやるべき仕事があって、その移動の最中にひとりでインド料理屋で夕食をとったとのことです。

私は帰宅して、パソコン作業。モニターが19インチになって見やすくなりついつい仕事をしてしまいます。

ビーガンランチ

2009年03月09日 18時14分46秒 | こうべ花気だより
昼、互いに持ち寄ったビーガンランチでまったりしました。

しばらくさぼっていたのですが、ひさしぶりに一品制作で参加。
今日は「里芋マッシュ con リンゴとセロリ」というものです。
一緒にランチをした人は、同じ根菜類でもジャガイモはなるべく食べないようにしているとのことで、根菜類のスタンダードは里芋となります。

作り方は簡単です。肉を食べる人たちなら、副菜的な位置づけですが、ビーガンな食卓では、野菜や果物が主役ですので、肉と野菜・果物という〈主-従〉の関係が相対化されるという面白さがあります。つまりビーガンというのは、食の〈中心と周縁〉のひっくり返しを考える思考の道具にもなりうるのです。肉、魚を摂取すべきであるという風潮、常識、「栄養学的助言」などによって、野菜や果物はどうしても〈従〉の位置にありますが、ビーガン食卓を重ねてゆくと、野菜と果物が堂々とした主役であることが証明されます(こうした「主役」という表現も適していないのかもしれませんが)。

1.まず里芋の皮をむきます。この皮むきも随分と慣れて早くなってきました。時間が限られているので、横で鍋に湯を沸かし、皮をむいてざく切りにしたものから鍋にいれていきます。

2.続いては、リンゴとセロリも細かく切っておきます。この料理は、ネットで見つけたものです。なにかリンゴを使った料理を検索したのですが、たいがいは豚肉とあわせた料理が出てきます。ジャガイモとリンゴもまた、豚肉料理を引き立て役として登場する料理が多いのです。その中で、副菜的な位置づけであっても、根菜類とリンゴ、セロリの組み合わせのレシピを発見したのです。やはりネットは便利ですね。

3.鍋に軽くオリーブオイルを敷き、柔らかくなった里芋をソテーしながら、木べらでわしわしとつぶしていきます。ある程度つぶれたところで、豆乳をいれてマッシュ状態にもっていきます。そこに、リンゴ(一個分)、セロリ(スーパーで売っている一つ分)をダイナミックに放り込み、ひたすら無念の境地でつぶしていきます。ネットではある程度になったら、フードプロセッサーでペースト状にしろと書かれていましたが、その場になかっので、ひたすら人力だのみでした。まあその結果、食材の里芋、リンゴ、セロリがそれぞれ小片が残っていて、そのこりこり感を楽しめたのです。

4.最後の仕上げは、塩少々。いい塩を使うと、少量の塩で、料理が圧倒的に引き締まります。今回も塩の力を思い知った仕上がりとなりました。こうして無事ビーガンな人にも安心して食べられる一品が完成したのです。おかげで、あっというまに食べてしまいました。感謝です。

考えてみると、肉よりも野菜・果物の方が種類が多いわけなので、料理のバリエーションも多様ということになります。

トマトの優しい友人たち/ビーガン篇

2009年02月25日 13時49分13秒 | こうべ花気だより
忘れないうちに簡単ビーガン料理を作ったことを書いておきます。

ヴェジタブルと根菜のトマトソース〈おともだちパーティ〉です。

1.最初に鍋にオリーブオイルを敷き、スライスしたニンニクをソテー、それにみじん切りしたたまねぎ(新たまねぎだったので柔らかかった)を炒めます。

2.少し色づいてきたら、イタリア製ホールトマトを一缶あけて入れ、中火でトマトを木べらでつぶしていきます。この過程もあせらずゆっくりほぐしてあげることが大切です。そこにざくっと一口大に切ったセロリを入れましょう。セロリは溶けてもうまみを十分にだしてくれるから、いい性格をしています。

3.そこに水を少々と、同じ分量ぐらいの白ワインをいれます。私は白ワインを、どばりといれるのが好きで、アルコールさえ飛ばしたら、このワインの風味が、完成時に、味の重層感をつくるのに役立ってくれるのです。

4.今回の料理は、塩もいれません。素材くんたちが、頑張って持ち味をだそうとしてくれからです。もちろん固形ブイヨンなんてもってのほか。じっくりと時間をかけて煮込んでいくとそこにズッキーニを適当な輪切りをしていれます。最後に海老芋を入れます。この芋くん、他の里芋くんたちの中でも、煮崩れがしないようです。この海老芋くんだけは、あらかじめ皮を剥いて一口大にしてゆがき、串が通る柔らかさにしておきます(大きな海老芋くんもあるのですが、シーズンが終わりかけているのか小さな芋でした)。

5.あくまで強火にせずに火をじっくりと通していくと、あら不思議、優しいビーガン料理が出来るのです。料理の仕込みを始めてから約一時間で出来上がります。材料など適当な分量ですが、トマトソースという万能の味方は、野菜くんたちとも相性があうのですね。



ビーガンと俳句の関係

2009年02月14日 09時35分19秒 | こうべ花気だより
最近、ビーガンの料理を作るようになって感じたことを書きましょう。

昨日二人の詩人に食べてもらったのは、「ガルバンソー豆の豆乳スープ」。

乾燥ガルバンソーを一晩水につけて翌日湯がき、シノアがないので、包丁の背でつぶしてから細かく刻み、それを鍋に入れて豆乳を少しずつ加えてスープ状にしていきます。味付けは塩と黒胡椒だけ。豆乳はどうしても甘さが残るのでその甘さをどう抑えるかがひとつのポイントです。スープには、つぶしていないガルバンソー豆をトッピングとして入れます。つぶした豆もシノアやフードプロセッサーを使った時のように細かくなりきっていない分、豆のこりこり感が残ってその食感も楽しめます。

こうしたスープやシチュウ料理のコツは時間をかけてゆっくりと作っていくことでしよう。時間がないので強火で作ってしまうと料理も怒ったような味になってしまう。

ネットでスープやシチュウの作り方を見ていると、その多くは固形ブイヨンを使うことを推奨している。確かに固形ブイヨンを入れると、一挙にスープ/シチュウらしくなって、便利です。しかし、ビーガン料理なので、固形ブイヨンは絶対使わない。考えてみると、こうした固形ブイヨンを多用すると、料理には便利なのですが、その便利をはずして味を調えていくという工夫をおろそかにになってしまうおそれがある。つまりその便利に依拠するあまり、固形ブイヨンや昆布だしの素抜きで味を調える努力をしなくなる可能性もあるのです。

これを無理に俳句と結びつけてみると、固形ブイヨンや昆布だしの素は、季語のようなものです。これを使うと、一挙に俳句らしくなる。とても便利だし、有季定型の持っている伝統的俳句の枢要でもある。しかし五七五の限られた詩型の文字数の中で、季語という固形ブイヨンを入れると、それだけ外部性に依拠する具合が大きくなり、この17音字をすべて自分の詩語で作るという文学的な格闘と無縁になってしまうような気がする。

今回の「ガルバンソー豆の豆乳スープ」、二人の詩人には好評でホッとしました。詩人と口語自由詩には固形ブイヨンという季語は必要ないのですね。やはりこれは俳句と詩を横断して表現している私なりの「気づき」かと、二人の詩人の食べる姿を見ながら考えていたのです。

ビーガン/無季俳句は、固形ブイヨン/季語に、頼らない分、素材力/詩語の選択力と、最低限の調味料である塩の力/作品の構成力を、練り上げていく努力が求められるのです。

しまうたにも讃えられた

2009年01月24日 17時16分51秒 | こうべ花気だより
白い歯がきれいに並んでいるありさまは、昔から美人のたとえでもあった。

歯列矯正という素っ気ない表現である。わたしは中学時代に親に言われてしばらく歯科医院に通ったが、あの圧迫感が嫌で、途中で放り出してしまった。男より女性にとっての方が、歯並びの整合性をちゃんとしたいとの想いが強いのかもしれない。

それをやり抜いた人。三年かかったのだろうか。にっと笑ったその歯にはあの矯正器具は装着していなかった。

どこか突き抜けたような爽やかな表情をしていたなあ。

かりん

2008年10月28日 18時32分14秒 | こうべ花気だより
相楽園の帰りに、街路樹に成っていた花梨をふたつほどもぎとりました。

ひとつは私のもとに残っているのですが、もうひとつのおおぶりな方は、俳人たちに見せたあと、俳人の誰かが持って帰ってしまったのです。

数日たった今も良い芳香がします。食べても美味しくないそうですが、果皮がぬめっとしていて、香りを発散しつづけているす果実の生の勢いを感じます。

菊香まだ

2008年10月27日 18時42分31秒 | こうべ花気だより
菊を見たので、この花に吸い寄せられるように、菊に関する小説を書いてしまいました。
掌編のつもりが、30枚(400字詰原稿用紙)になったのです。
たったひとりの読者のために書いた作品です。
タイトルはその読者につけてもらおうかと思っています。

「菊三題」としてあと二篇書くつもりです。
自分でもどんな作品ができるのか全く分かりません。

満州はるか

2008年10月09日 15時55分40秒 | こうべ花気だより
過日、神戸・水道筋商店街に行った時、会場隣りにあった古道具屋は、満州グッズを置いている店でした。

まあよくも集めたものだと感心して、店の奥にいた主人に「満州はどこに住んでいたのですが」と語りかけたのです。
「いやあ戦後生まれなんです」と含羞をこめて語りだしてくれました。

なんでも、北朝鮮から国境を超えて持ち出される朝鮮王朝時代の古道具を、中国側で買い付けそれを売買をしているのだというのです。神戸にあるその店には韓国からもわざわざ買いに来るそうです。こうした中国出張の際に、同東北部の諸都市にたちよって、古道具で満州関係のさまざまなものを買い付けるとのことです。

こんな満州の記憶の継承の仕方ってあるのですね。なんだか大々的に紹介したくなってきました。

満州を知るために、歴史書や、関連書物だけでなく、そこですごした父や満州建国大学の卒業生、その子息たちと語らい合うといったチャンネルをいままで持ってきましたが、満州に関わるグッズを経由することで、満州を感じることが出来るのですね。


美味だったドイツ料理

2008年09月24日 14時21分32秒 | こうべ花気だより
大学の時、40日ほど欧州を一人旅して、ドイツに辿り着き、そこで食べたマッシュポテトの美味しかったこと。「いやあ、ドイツなんてポテト料理だけさ」といった悪口はあるものの、欧州から帰ってしばらく亡き母にマッシュポテトを連日のように作ってもらったのも楽しい思い出としてあります。

それを今日久しぶりに自分で作ってみました。バターの代わりにオリーブオイルを、牛乳の代わりに豆乳を使って。
美味でした。20歳の時の感動が甦ってきました。料理というのは、自分で作るのは快感ですね。誰かのために作るというのもさらに快感ですね。

でもそれからしばらくジャガイモなんてと思い込んでいたのですが、この根菜が欧州の人口の安定化に寄与したことを証明するNHKのトレビドキュメントを見て一挙にこの食材が好きになったのです。そのドキュメントでは、明らかに小石まじりの痩せたアイルランドの土地にもジャガイモは収穫できるのだということを証明していました。芽が出る前の畑の状態と、茎や葉がたわわに稔っている姿を定点観測として画像に映し出していたのです。ジャガイモは痩せ地にも強いそうです。また、ジャガイモは裏切らないとも言うそうです。そんな言い伝えを反芻しながら、料理をつくり快食したのです。

これからも自分でこのマッシュポテトを作ることにしましょう。

それはどう表現すればいいのでしよう

2008年09月23日 16時52分56秒 | こうべ花気だより
ひとつのテーブルに、今までソノヒトの選択した食事療法にのっとって、わたしが作ったり、特別に注文したり、一緒に食べに行ったりした料理が一堂に並んでいるとすれば、ソノヒトの行為は、それらの料理が並んだテーブルクロスごとひきずりおろしたことと同じだといえば言い過ぎかもしれません。そしてソノヒトが、それらの過去の料理の代わりに置いた液状のとあるものは、ソノヒトがここ数カ月選択している食事療法では排除されている食材が入っているものです。ソノヒトのその食事療法を理解していないからといって強く叱責された経験を持つ身にとって、テーブルクロスひっくり返しという表現は極端かもしれませんが、それほどの突きつけがあるのです。しかもソノヒトはその液状のものを食べることを悪ぶれることなく、そろそろ自分が撰んだ食事療法を緩和しようと思っていた、と自己弁護につとめるのです。その液状のものが出てくるジャンルの食堂にはここ数カ月一緒に行っていないのにもかかわらず、とある他者に誘われて拒否することもなく、食べることにいたったようです。その食事療法に関して、叱責されもし、心を砕いた立場の者にとっては、それは悔しさ以外のなにものでもありません。そして無力感さえ感じます。おそらくソノヒトは叱責したことも、今までテーブルに並んだ料理の数々とその背後にある情念も、その液状のものを使ったときは想像が及ばなかったかもしれません。食事療法の内容を理解しないからといって叱責された者と、誘われるままに入店して口に含んだものがその食事療法に反するものであってもそれを機にその食事療法を緩和しようと思うキッカケをあたえた者、との差は小さくないかもしれません。

ビーガン漫遊

2008年09月06日 23時20分25秒 | こうべ花気だより
Sさんがビーガンを撰んで一カ月がたちます。
私はビーガンではないのですが、パートナーがせっかくビーガンとなっているのですから、その選択に積極的にかかわっていこうと思い立ち、Sさんが安心して入れるレストランをあちこちと探訪しているのです。

そうして観察していくと、神戸にはインド料理店というヴェジタリアンにおあつらえ向けのジャンルがあることを再確認したのです。先月は元町商店街近くのインド料理店に行って、野菜カレーを二人で食べ、今日は北野のジャイナ教寺院の近くにあるインド料理店へ。そこでは肉や根菜類さえ食べないジャイナ教徒のための究極のビーガン・カレーがあるので、食べに行ったのです。Sさんはほうれん草のカレー、私は豆のカレーを撰びほうばっていたのです。美味しかったなあ。

こうしてみると神戸という街は、多様な食環境を間近に接することができる優れた都市であることが分かります。また中国の料理でも、菜食中心の料理もあることから、一度挑戦してみたいものです。

そして関西には、ビーガンな人たちも安心できる京都の精進料理というジャンルがあります。これもまた歴史にいろどられた豊かな食環境なのです。せっかく関西に住んでいるのですから、今度は京都で精進料理をたしなみたいと思っているのです。

すやすやと

2008年09月05日 13時20分51秒 | こうべ花気だより
その人はすやすやと。
小さな寝息をたてている。

私のようにイビキをかくことはない。

深い眠りかどうかは分からない。

安心しているのだろうか。

「シャンプゥ、変えた?」と起きた途端に聞く。

いや、だって温泉なんかに行ったら、「シャンプー&リンス」ってひとつにまとまっているでしょ、だから最近シャンプーにリンスを混ぜて一回で済ませるようにしているの。

まあ。

よく寝た?

あら、もうこんな時間……