神戸まろうど通信

出版社・まろうど社主/詩と俳句を書く/FMわぃわぃのDJ/大阪編集教室講師など多様な顔を持つ大橋愛由等の覚え書き

奄美07ふゆ紀行/001

2007年01月20日 09時41分03秒 | 紀行文
22日(月)から四日間、奄美を旅します。

今回は、沖永良部島、奄美大島、与路島の三つの島です。
特に与路島は初めて訪れる島です。奄美には有人島が八島ありますが、まだ訪れていない島のひとつです(最後は請島になるかなあ)。
この島を訪れる動機は、島唄紀行だといっていいでしょう。
この島は北からはヒギャの唄で「山と与路島」という唄があり、南の方からは徳之島の山のうた「与路(ゆる)ぬ与路くまし(御田)」があります。いわば歌われた島なのですが、当の与路島の人たちはこの唄どもをどううけているか、ということを私なりに聞き、感じるために訪れるのです。なんとも贅沢な動機です。
与路で宿泊する民宿のおかみは津留さんという方で、唄者なのですが、残念ながら、現在島でシャミ(三線)を弾く人がいないために、島唄の収録は出来ないのです。津留さんも歌う時は、古仁屋まで出かけるとのことです。
与路では、区長に頼んで八月踊りを収録するつもりです。

そして沖永良部では、前利潔氏の生まれ育った集落である瀬利覚ついて区長ほかから取材してラジオ番組で紹介します。ここは、知名町の中でも、大きな集落のひとつで、シマ(集落)としての一体感が強いところとしても著名です。この取材もまた楽しみにしています。

大島は、出来るだけ多くの人と会う予定ですが、今回は、俳句作家たちと会う予定にしています。奄美で俳句を作るということの意味を、現地の作家とともに考えていきたいと思っているのです。

新宿の朝

2006年07月02日 23時50分06秒 | 紀行文
唄者の森田照史師匠と、「朝花」の店の前で、固く抱擁して別れを惜しんだのが午前2時。

きっと今年は師匠のカサン唄のCDが出るものと信じています。森田教室の弟子のみなさんも渇望しているようで、「FMわぃわぃCDライブラリーで出すということもありですね」という意見もあるとか。これも嬉しい限りです。

ホテルに帰って、その弟子たちと語るも、24時間以上起き続けていることに気づき、疲れがピーク。一時間ほど前に、聞きたかった声のむ持ち主とも携帯電話ごしでずが、通話が出来て満足。自分の部屋にもどって眠りについたのです。

関西では、ジャバラの森田純一代表が移動中。そのジャバラからCDを出した勝島伊都子さんは、発売記念の会を尼崎で開催しています。

ひさしぶりに新幹線に乗って、のぞみの速さに驚きながら、昨日の余韻に浸っていたのです。

やまと初夏たび10

2006年06月09日 01時15分50秒 | 紀行文
仏教に限らず、千年という月日は、写真の木の根のように、複雑に交差しながら、栄枯盛衰を繰り返していくものです。
が、唐招堤寺にしろ、奈良の諸宗派は、宗教/教団としての遡及力を失っても生存し続けているは、不思議ですね。
律宗というのは、鎌倉仏教の衆生を救う利他行の教義を持つことなく、ひたすら学問系だったために、残ったのかもしれません。また、開祖である鑑真という僧の存在が強烈であり、いわばそのキャラクターだけで千年間維持してきた教団だったと言えるでしょうか。次の千年もまた唐招提寺はこうやって存在しつづけることでしょう。

やまと初夏たび09

2006年06月08日 00時39分11秒 | 紀行文
驚きました。
この日の小紀行のために、車内で読もうと持参した本が鈴木大拙著『浄土系思想論集』(法蔵館)。
同書に、出てきた概念で注目したのが〈横超〉と〈即非〉。
大拙は、禅思想に依拠する学者なので、どうしても浄土系思想は彼岸のものとして、措定しているキライがあるのは事実です。
境内を歩いていたら、蓮を育てるいくつかの蓮が並んでいて、その一つ一つに、名札がささっています。
そのうちのひとつの名をみて思わずのけぞってしまったのです。
〈即非蓮〉
まさか、〈Aは非AではないがゆえにAである〉という咲き方をするのでしょうか。
この私の驚きを、ある人にメールで知らせたところ、「その蓮は、江戸時代に黄檗と一緒に渡来してきた即非といい中国人僧が伝えたものです」と教示してくれたのです。
〈即非〉という理論、〈即非〉という蓮、〈即非〉という僧という、三つがわたしの思考にひとつの連関性を作っていきます。
さて「即非蓮」、夏、どんな花が咲くのでしょうか。

やまと初夏たび08

2006年06月07日 00時38分11秒 | 紀行文
しずしずと、内陣を右まわりに回る僧たち。ここでは、戒という日常の所作そのものを、律っしていくことで、その宗派継続の命脈を保ってきたのでしょう。それも仏教の根幹であるのですが、千年以上続いているのはスゴイことですね。時代、社会、国家、情況に関係なく、千年続いたことも驚きです。京都でなく、大和(奈良)という場所の方が千年の永続性を感得するのです。

やまと初夏たび07

2006年06月07日 00時37分12秒 | 紀行文
ここ大和に来ると、千年というスパンが、そう珍しいことではないことに、驚きます。これは、京都洛中の社寺が、都市の中にあり、しかも何度かの戦乱で、火災にあっていることを考えると、奈良は都であった時期が百年もなかったことから、よく遺制が残っているのでしょう。

ただ、この律宗がこの千年以上の間、開祖と中興の祖以外に、どれだけ日本の宗教史に足跡を残したのか、ふと疑問に思うです。

南都六宗は、空海や時代の影響もあって、次第に密教化していきます。ですから、律宗も長い間、真言律宗として展開して後に、律宗本来の姿に回帰する動きがあったのでしょうか、唐招提寺系は律宗として独立したようです。ただ、こういう動きを追っても、衆生の中に分け入って、利他的な宗教活動をしていたかというとそうではなく、学問宗派として、生き長らえてきたようです。

律宗がテキストとする経典は、四分律、梵網経、法華経、律宗三大部ほかとされています。法華経も入っているのが面白い。



やまと初夏たび06

2006年06月07日 00時08分08秒 | 紀行文
午後四時になり、境内から大太鼓の音が聞こえてきます。

阿弥陀仏がある講堂でカラシ色の法衣をまとった僧たちが、若僧の鉦叩きに先導されて左まわりに内陣を巡り、高僧とおぼしき人が高座に登り経文を朗唱します。

鑑真が困難をおして日本にやってきて、「最初の正式授戒を行い、戒壇院に伝律授戒の権能を確立」(RIRC 宗教教団情報データベース/ネット情報)するのです。その経緯が、平易な言葉で語られます。法要にしてはシンプルなものでしたが、こんなもんでしょうか。


やまと初夏たび05

2006年06月07日 00時06分24秒 | 紀行文
開山記念という日だけあって、かの高名な、鑑真像も一般開放されていて、実物をまじりと見ることが出来ました。

明恵にしろ、高齢の仏教者の像や図像というのは、無駄を削ぎ落とした凄みを感じます。この鑑真像も、イコンを越えたひとつの哲学を表示しているかのようです。

いわばそれは"千年僧"としての凄みでしょうか。

仏教を取り巻く社会環境は大きく変化していきましたが、真理を追究しようとした真摯な宗教者の
仕事は時空を乗り越えて、1300年後のわれわれの心も打つのです。

やまと初夏たび04

2006年06月07日 00時04分54秒 | 紀行文
ようやく"真理の眼"の呪縛から解放された私が次に目に止めたのが、戒檀です。

寺内は、木造建築で満たされていますが、ここだけは石造り。塔の原型であるストゥーパも、石造りで、インド風でしかもリンガに見えるのです。あとで調べてみると、この部分は「1980年にインド・サンチーの古塔を模した宝塔が壇上に置かれた」(ウィキペディア フリー百科事典)であり、戒壇そのものも、鑑真が生きていた時代はなく、鎌倉時代に造られたとのことです。

そしてこの戒壇を覆う戒壇院の建物は、嘉永4年(1851年)に消失して以来、再建されていないとのことです。この国の「戒」に向かうありようが見えてきます。

やまと初夏たび02

2006年06月07日 00時03分05秒 | 紀行文
この日、特別開放として見ることが出来たのがこの盧舎那仏。唐招堤寺の本尊であり、「大仏ではないビルシャナ仏」であることに注目していました。

台座から下ろされ、息をかければ届きそうな位置で対峙することが出来るのです。

仏像とは不思議なものですね。修理のために、さらされて、パーツとなってしまった仏たちには、手を合わせる人はいないことに気付きました。日本列島に住むひとたちは、仏教信仰を1000年以上かけて続け、イコンを礼拝することが自然の行為になっていますが、それはしかるべき場所に収まってこそ。博物館の仏たちにも、手を合わせる人が殆どいないということと、同じでしょう。

ただし、賽銭箱は、寺側の営業行為で設けられていました。

やまと初夏たび03

2006年06月06日 00時03分52秒 | 紀行文
「こわい」と思ったのが第一印象。

盧舎那仏の目つきはするどく、正面と向き合うと、睨まれているようです。
たしか、東大寺の盧舎那仏は、江戸時代人の好みもあったでしょうが、慈悲に富んだ中世的な目つきをしています。

ところが、唐招提寺の盧舎那仏は、鋭い眼光をしていて、1300年前の仏教者たちの描く盧舎那仏像とは、慈悲よりも、真理を見抜く眼力を持っている仏として措定したのでしょう。

「こわい」と思った私はすでに本性を見抜かれているです。時々、こうした鋭い眼光を持つ人と出会います。私は避けてきたのでしょうか。自分の卑小さが気になります。

まんじりと正面に立って、盧舎那仏と対峙して眼光を受け入れようとします。
わたしの心のゆれが、さらされます。

やまと初夏たび01

2006年06月05日 22時58分14秒 | 紀行文
5日(月)、ふと空いた日程をいかして神戸から、大和に向かいます。ここは、父祖の地。明治まで広陵町六道山というところに、先祖たちが住んでいました。いわば私の出自の場所です。

向かったのは、竜頭が施された柱に幡(バン)が立つ唐招堤寺。開山法要が二日間、行われます。


06奄美ふゆ旅28

2006年01月29日 15時24分26秒 | 紀行文
番外篇です。

伊丹空港を降り立ち、リムジンバスに乗って神戸・三宮に到着すると、見知った顔が。

長田「琉球ワールド」内にある琉球サンバの店長兼次さんです。

沖縄からの帰りということで三線ケースを持っています。「売値は30万円ですね」。見せてもらうと、カラクニの先に紅珊瑚、"ネック"の部分には熱帯産の貴重材を使うなどみるからに豪華そう。どんな音が出るんですかね。

わたしが「徳之島には口説が17もあるそうですよ」と伝えると、驚きの表情。

今回のたびは最後までしまうたがらみだったのです。