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神戸まろうど通信

出版社・まろうど社主/詩と俳句を書く/FMわぃわぃのDJ/大阪編集教室講師など多様な顔を持つ大橋愛由等の覚え書き

ネット不全

2009年11月13日 14時07分53秒 | 通信
インターネットが急に通じなくなって困っている。

なんとか復旧したのは、有線でつながっているパソコンで、まろうど社の仕事部屋にしているのは、無線で飛ばしている場所にあるため、これが復旧していない。故障の原因がわからず(もともと私はこうした操作に強い方ではない)、メールチェックできないのがつらい。また、なにか書いている時も、ネットで調べたりしながらなので、さらに困っている。有線で引っ張っていってもいいのだが、自分ではできない。誰に頼んでいいのかも分からない。

百年を考える

2009年11月05日 14時19分09秒 | 通信
文化人類学者のレヴィ・ストロースが100歳で逝去した。もうすぐで101歳になるところだった。
構造主義者としても著名で、わたしが大学時代には彼の『悲しき熱帯』は思想にかかわる若者にとっては必読書であり、わたしも上巻だけ読んだ覚えがある。それまで西洋社会で未開といわれた部族の親族関係を解明することで、普遍的な法則を見出し、そこから、それまでの西洋の知にた対して異議申し立てをしたのである。もっともわたしはミシェル・フーコーを読んでいたので、レヴィ・ストロースを深く語る資格はないのだが。

それにしても今秋は百年という区切りを考えさせる人も生き死のニュースが続いている。
〈太宰治、松本清張、シモーヌ・ヴエイユ生誕百年〉〈安重根 決起百年〉…

百年が一塊(ひとかたまり)になって自覚される。
百年っていったいなんだろう。
この分厚い時の束を、ぼくはどのような相手にするのだろう。

ぼくの周辺の百年をさぐってみよう。

祖父たち二人はまだ青年時代である。コミュニスタだった岸本邦巳(母方)は1895年生まれだから19歳である。「明治42年(1909)4月、神戸に出てきた。」と自ら経歴に書いているので、ちょうど百年前に神戸に出て来たことになる。
「 幸徳事件に影響されて賀川豊彦氏を新川に訪ね兄事する。」と続け、すでに社会的な事象について興味を持っていたことが伺い知れる。
また、大橋千代造(父方)はこの年なにをしていたのだろう。この人の息子(私の父)と娘たち(叔母たち)は、あまり千代造のことを語りたがらない。明治の男らしく奔放に生きた人生だったので、子どもたちにもその災禍が十分に及んでいたので、いつのまにか「語られない人」「思い出したくもない人」となってしまっている。しかし、彼のことを知っておきたい願望にかられるのである。それはまちがくなく、ぼくにとってたった二代前の血縁者だからである。

東京からの客人

2009年11月03日 11時47分27秒 | 俳句
『豈』の大井恒行氏が来神したので、豈同人を中心にささやかな宴が、神戸のCで行われた。

出席したのは、堀本吟(俳句)、小池正博(川柳)、樋口由紀子(同)、寺岡良信(詩)各氏とわたし(大橋愛由等)。あとでふらりと滝悦子さん(詩)も参加した。

大井は今春に定年退職して、俳句雑誌『H』の顧問に就任。やはり俳句にかかわる仕事をしている。
顧問になった経緯を話してくれ、みんな驚いたり、関心したり。

Cは、俳人、詩人、川柳人(柳人)がよく集まる店である。

今回、わたしはひさしぶりに『豈』に出句したので、安心して、大井氏を神戸で迎えることが出来た。

もうすぐ林田紀音夫についての発表をおこなうが、大本義幸氏の全句集には収録されなかった「ト書き」を論評してみたいと思っている。「豈」の前の「黄金海岸」に掲載されているものも対象とする。俳句には「ト書き」という小タイトルの表現があるが、一時大本氏の俳句には過剰と思われるほどに、「ト書き」が付けられていた。それを私なりに解題してみたいのだ。書き終わったら、「―俳句空間―豈weekly」に掲載依頼をしよう。あるいは、吟さんと計画している「北の句会評論集」の第一号としてまとめてもいいと思っている。

年末の『Melange』読書会・合評会予定

2009年11月02日 13時29分43秒 | 文学
詩誌『Melange』が行っています読書会・合評会のこれからのお知らせです。

◆1.--『Melange』読書会のお知らせ(12月6日〈日〉)
「六甲道勤労市民センターC教室」で開催します。午後1時から5時まで借りています。
ここは、JR六甲道駅の南にある市民センターです。陸橋を渡っていけばすぐ到着するビルの中にあります。
第一部の読書会では、富哲世氏が河津聖枝さんの詩集 『新鹿(あたしか)』について語ります。河津さん本人も参加の予定です。

◆2.--『Melange』今年最後の合評会(12月27日〈日〉)
2009年の最後となります合評会が、スペイン料理カルメン(078-331-2228)で行われます。この日は、読書会はありません。午後2時に集合します。午後5時30分ごろから『Melange』忘年会を同じ場所で開催します。忘年会だけの参加も歓迎です。なお、詩稿の締め切りは、12月24日(クリスマスイヴ!!)です。大変な日の設定となりました。この日が多忙な方は早めに送稿してください。
ちなみに、この日に出稿される詩とエッセィを掲載する「月刊めらんじゅ(第48号)」は、今年最後の号となります。


「林田紀音夫全句集」読書会

2009年11月02日 13時17分50秒 | 俳句
「韓国」(安重根)からはじまって、「奄美」(薩摩侵攻400年)と週代わりで、小勉強会をこなしていき、こんどは「俳句」(林田紀音夫全句集)へと移行します。
11月はこうした文化イベントが多いのは承知していますが、集中しますね。今回の読書会も私が発表を担当します。準備は大変なのですが、一度こうした文化イベントをこなすたびに、小さな成果が得られる悦びを感じます。

さて、以下の会合、誰でも参加できます。気楽に参加してください。(以前こうして案内をさしあげたら、このブログをみて参加していただいた方がいらっしゃいました。この読書会は閉じられた会ではないので、飛び込み参加も多いに歓迎します)

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    お知らせ 「林田紀音夫全句集」読書会
1.日時 11月8日(日) 13:30~16:30
2.場所 神戸三宮「カルメン」 
  http://www.warp.or.jp/~maroad/carmen/
3.費用 一次会無料、二次会(希望者は同場所で夕食)
4.主題 
「句集以後の時代における、海程発表句と花曜発表句の比較」 
                        (野口裕)
「林田紀音夫はどう論じられてきたか?」   (大橋愛由等)
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野口が営々と続けている、「林田紀音夫全句集」の読みの作業も、現在「花曜」発表句の平成八年を残すところまで来ました。
あとは、膨大な未発表句をどう読むかを残していますが、とりあえず林田紀音夫の句業を一望できる地点までこぎ着けました。
今回の読書会は、野口の句集以後の句の変遷を辿る作業と、林田紀音夫がどう論じられてきたかを大橋愛由等が報告します。会場が若干遠くなる人も多いと思いますが、時間の許す方はどうぞお立ち寄り下さい。(野口)

10月に やるべきところ 報告者の希望で 11月になりました、
みなそれぞれ企画があるので、読み込みのいるものはこれくらいのインターバルが必要でしょう。そのかわりこの一回の時間は重厚です。ご期待下さい。
好調大橋さんが名乗りを上げて独自の切り込みをされる模様、期待しましょう。時間があれば、最近の話題を話し合いましょう。(堀本 吟)

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かさなるうた

2009年11月01日 20時06分43秒 | 通信
第47回『Melange』読書会・合評会が神戸市内で行われた。

前日に、FMわぃわぃラジオワークショップを担当して「薩摩侵攻400年を考える」を担当していたので、翌日の合評会の準備が出来ていなかった。これは徹夜になにるかと思っていたが、疲れがたまって寝込んでしまい、当日の早朝に起き出して、パソコンで編集作業をすすめたのである。

合評会では、参加者が詩作品を出すことにしている。しかし、当日の朝までに、詩は完成していなかった(私は詩も書いている)。今回は合評会の事務局を担当してはじめて作品なしを覚悟していた。

しかも、『Melange』同人から送られて来たWordファイルがどうしても開けない。苦労して開けてみても文字化けである。作者に電話して別メールに送ってもらうようにして、なんとか読めたか、一字だけどうしても読めない。そうこうしているうちに、やはり早朝にパソコンに詳しい友人にお助けメールを出して、ファイルをあけてくれるよう頼んでおいたのが、丁寧にも、PDFファィルにも落としてくれて返送されてきた。結局、このPDFファイルに写っていた漢字を読み取って、変換したのである。

さて、困ったのは、わたしの詩作品である。最近少しずつ作り出すまでの時間が長くなっている。気分転回として午前6時に朝刊を取りに玄関を出て郵便受けまで向かうと、山でしか聞くことがないと思っていたある鳥の鳴き声を聴いて、それに触発された。一気に書き上げ、題名も一行の字数もすべて三字という作品となった。

いざとなれば、作品はひねりだせるものである。こうした時間がせまった時の詩の創出と俳句の創出の快感度は、詩の方がまさる。俳句は最後まですべてを置換してしまいたい誘惑にかられるので、覚悟ができない。

ようやく文字化けを克服した作品、そしてぎりぎりに出来上がった作品、そして月刊『Melange』をパソコンから印字して印刷しようとしていた時に届いた作品の三篇を、合評会用詩群の最終便として同人・詩友各位にメール発信したのである。