神戸まろうど通信

出版社・まろうど社主/詩と俳句を書く/FMわぃわぃのDJ/大阪編集教室講師など多様な顔を持つ大橋愛由等の覚え書き

イタロ・カルヴィーノの作品

2006年03月31日 23時58分59秒 | こうべ花気だより
〈こうべ花気だより-02〉

今晩は、いろいろ興味深い話を交歓できて、感謝しております。

"Shooting "についての会話の中で、イタリアの作家イタロ・カルヴィーノの作品についてお話ししましたよね。拙宅に帰ってから、その作品が収められている書籍を捜しだすべく、書棚に直行し、見つけだしてきましたので、ここに報告しておきます。

「最後に鴉がやってくる」という題名で、『世界短編名作選--イタリア編』(新日本文学社、1977)に収録されています。訳は米川良夫氏。

1978年11月15日に読了との書き込みがあるので、もう28年前となるでしょうか。強く印象に残った作品なので、詳細を覚えているつもりでいましたが、読み直してみると、大筋では間違っていなかったものの、ながい歳月の中で、ディテールについては勝手に思いこんいた箇所が多かったようです。記憶というものはこういうものかもしれませんね。

作品を読み返しているうちに、一時、イタリア文学・映画に拘泥していたことを思い出しました。ちょうど大学生の頃にあたります。イタリア的なるものに関心を寄せたのは、英米でもなく、フランスでもないという、当時の西洋文化の中心よりすこしずれた場所に位置していたものへの恋慕だったのでしょう。

該当短編集は、今度お逢いする時のために、いつも鞄の中に偲ばせておくことにしましょう。「あのShootingの…」と言っていただければ、すぐお出しします。

詩の月評 連載第一回目

2006年03月30日 09時06分53秒 | 文化
『Melange』読書会&合評会のために毎月作っている小詩集に、今月から、富哲世氏の「詩の月評」と、わたしの「神戸詞(うた)あしび」を連載することにしました。紙メディアとしての発行部数が少ないので、ここで、ネット上で展開しようと思っています。少し長めですが、ご容赦ください。

》》》》月評《《《《 2006年3月 No.01
「犬と星の輪」をめぐって
~河津聖恵さんの詩(現代詩手帖2006年3月号)

富 哲世
  
河津さんの詩のことばの魅力をどのように語ればいいのだろう。

ある日の書店の店頭で暗合のあらかじめの距離が埋められていったように手に入れていた新しい現代詩文庫を(来神を願う便りを送ったときには、まだそれは刊行されていなかたので)、通史をさかのぼるように繙き、繙きながらまた「夏の終わり」「アリア、この夜の裸体のために」「青の太陽」と手持ちの既刊詩集へと往還して、そしてこの三篇(現代詩手帖3月号)へとたどりつくと、名辞の崖を登るように、それこそ連なる駅名のように、光、世界、時、死、雪、水………という詩の百態を骨格に封じていることばたちの輪郭の反響が、次々に呼び起こされはじめていた。それを語り出されたことばたちの保っている四半世紀の「地下水脈の厚み」のように感じながら、この新しい緒編にふれていた。

(ひかりあれ、……それはかしいだSARUのヒ、カ、リ? 光なのか木肌なのかわからない光………、不思議な光、………こまかな粒子として偏在してゆく、ものの質感をあらわにししずかな夢かもしれない水のなかで消えてゆくかもしれない光、夜の間際、暮らしのまぎわに万華鏡のようにすぎる光………、燃える星の輪、草をひからせ、雲の切れ間をさす光………諦めにもよろこびにも似てふるえる光の尾………、カテドラルの、残響の、雪…………、)
 
いや、あることのすべてが光であるような各々の光のすがたは、自身の語彙を脱いで、個々の詩の自己影としてうち顫える風景であり、何ものかの空白の場所を顫えている「気象」そのものとして、うたわれている。私がそう感じ取るのは、織り成された波動や、粒子や、ときになめ石のような綾である光の多彩な密度が、自らの常動を具現している、繊細なうつりゆきの「じかん」そのものでもあるからなのだろう。河津さんの詩の特質は「感応の地勢」として先ずそういうこととして成り立っているのだと思う。先ずその「地勢」そのものが私たちに伝えられるのだ。それはまた問いが生まれ、問いが自らを答える答えとして変貌させ導いてゆく、〈みる〉ことが〈みる〉ことを促すことでうまれてくる〈いま、ここ〉の気流でもある。それは一言で言えば、「場所(ここ)・時(いま)・視線」が一如(「青の太陽」の「穴」)となった河津聖恵の「自然」である。たとえば浮かびあがった駅名にそってその人のことを「光の詩人」、「世界の詩人」、「愛の詩人」、「死の詩人」、「水の詩人」と呼んでみるとそのどこにもその人はあって、しかも全ての命名の外側で気息となってはかられている、詩のいのちがあるのだと分かる。もちろんそれは反省的季節の謂いではないが、そうしてそれは『季節がわからない月日』(詩集「夏の終わり」あとがき)の肉体の危機をつねにはらむことなのであろうが、目指すべきやさしさのように、問いは〈みる〉ことの裡に季節のなかから生まれ、季節が自然へと意味性を蓄えてゆくベクトルにのって-季節-自然-に向かって開かれていくよう問われ、まるで-季節-自然-に寄り添うようにこたえられている。

千手観音の掌のひらには眼が開いているそうだ。空しさとして、ただ空しさに空しさを積み重ねてひとりある、生きるひと色の思惑は、間遠な自涜の習慣に似ている。けれども掌のひらの眼がみているものを〈みる〉人は、「無、空、はかなさ、死、無益………」の空しさのすべての理知の名実を「今」に宿して、輝く糧としての空しさをみている。何故なら〈みる〉人の「今」のすべては〈みる〉人がみるものそのものの眼(掌のひらの眼)によってみられていることのなかにあるのであり、その目をとおして自らへと世界の総体ををみつめかえしていることなのだから。それはそこからここを今とする命の草木がきざしはじめる、蔵するものに蔵されているひとつの完全な関係性である。そして生とは死のなかに咲いた花の美しさであるなら、その生に先立つものへの現世的回帰こそは、開示としてのもっともよろこびに近いものであろう。嘆きから失いの自立へと、かなしみほどよろこびに近いものがほかにあるだろうか。

誤読を恐れずに言えば、「犬と星の輪」はある意味では、すがたを変えた「月ノ光(とそれに続く)grazia……」(詩集「青の太陽」所収)と見做されうるかもしれない。 反復などはありえないから、正しくは変容をはらんだ爾後として未到から到来へとそれに直結していると言っていいだろう。「月ノ光・grazia……」にある白刃の輝き、それはよろこびへと高まる喪の叫びでもあり、世界や自分を裁断する凶器(狂気)、のようなものである。抜き身は鞘に納まり、祈りに似た安息が、人称の空き地を明るませているようにも思う。安息を見出すべき問いかけ、それはいつも危うい均衡の上にあるものだが、その問いと答えにわたされた信ずべき一本のロープの上で、叫びの意味も分からずに、わたしたちもまた、古い問いを問う誘惑にひとりさらされているのだろう、。


》》》》神戸詞(うた)あしび《《 《《 01-2006.03

大橋愛由等 

三月一三日(土)大阪で、川柳に関するイベントがあった。

〈セレクション川柳〉という叢書シリーズが刊行されつつあるのを記念して、同シリーズ既刊書の合評と、川柳をめぐる文学的課題を討議しあうという内容である。いわゆる「サラリーマン川柳」や「時事川柳」とは違う詩としての川柳が展開されている。

 この叢書の刊行と本日のイベントを企画進行したのが、小池正博氏。数年前にも「連句」のシンポジウムを大阪で開催するなど、一見ひょうひょうとしたキャラクターながらも、すでにこの連句・川柳の世界では、大きな仕事をなしとげている人である。この人のエディター的才能がないと、ここまで体系だった叢書の刊行や、今日のような文学イベントは実現しなかっただろう。

 そして小池氏の周囲には、関西で活躍する川柳作家がきら星のごとく存在している。石田柊馬、田中博造、樋口由紀子、松本仁、石部明(岡山)各氏といった人たちの作品世界は、「川柳」というカテゴリーを超越した完成度の高い定型詩世界を現出している。

 こうしたラディカルな会がここ大阪から発信したことの意味についても考えを及ぼしていきたい。この会合と川柳をめぐる方向性は、石田柊馬氏の「川柳は今や作るから読みの時代に移行しつつある」との言葉によって現されていよう。この表現を柊馬氏が好むジャズの歴史にあてはめてみると、ずっとダンスの伴奏音楽だったスウィングジャズが、聞くための音楽となり、それがビーバップやモダンジャズに発展していくことが必然であったことと連関づけてみたい。

 川柳が、実在する状況に依拠してそこから発想される文芸と思われていたのを、一個の詩として屹立していこうとする現場性を、石田氏が直感によってその変化をすくい取って表現しているように思う。これはまた樋口由紀子氏の「川柳の一人称的な〈わたし性〉の表出から、客体化された〈私性〉の表現への飛翔のプロセス」を読みとることによって見えてくる文学としての変化(へんげ)も、川柳が今置かれた現場性をよく言い表わしている。

深野氏、鹿児島へ帰る

2006年03月29日 10時03分04秒 | 奄美
南日本新聞の深野修司記者が、東京勤務をおえて、鹿児島に帰る途中、神戸に寄ってくれ、昨夜、三宮で飲んだのです。

一緒に呑んだのは、共同通信記者のお二人。大阪で社会部長をされている方と鹿児島支局にもおられた記者。

この日も、深野氏はテンションが高く、四人で呑んでも吠えっぱなし。ところが、わたしと阪神タイガース観がまっこうから対立することになり、後半は、二人でヒートアップ。その熱さの勢いで、「甲子園球場の外野ライトスタンドで応援することで、関西の経済がみえてくるのではないか」との発言も飛び出して「関西に赴任したら、一度は記者席ではなく、一般席から甲子園の阪神戦を経験しておくべき」などなど。

深野氏、鹿児島との距離を実感したいとの発案で、大阪駅から、寝台特急に乗り換えるとのこと。三宮から大阪に向かう普通列車の中でも最後の議論。でもその寝台特急は鹿児島まで行かないそうです。熊本止まり。そこからは新しく出来た新幹線に乗れということなのです。

鹿児島に帰っても、深野氏はおそらく吠えまくっているでしょう。その元気を、記事に昇華する能力がある人なので、活躍が楽しみです。



神鳥は去っていった

2006年03月28日 09時56分08秒 | こうべ花気だより

〈こうべ花気だより01〉

飛来したのは、先週の木曜日の夜でした。

どこから飛んで来たのかは、はっきりしています。同じ神戸のとある花満ちた場所からなのです。いつもかぐわしい香りを呼吸しているせいでしょうか、きっと空気に"花気"が交じってることを当然と思っている神鳥なのでしょう。 

"花気"が薄れ、見知らぬ場所にとどまっていることの含羞にたえられなくなったのでしょう。この神鳥、すこしの間、神隠れをしていました。そこでわたしが、クチをとなえ、近くに来たなと直感したところで、神鳥を嫉妬させる詩句を朗じたのです。「どんな鳥だって想像力より高く飛べない」(寺山修司)。

効果があり、神鳥は姿を見せてくれました。その神鳥の飼い主たるひとが日曜日にやってきて、再会し、なにやら占星術によるものでしょうか、わたしの知らないプレ英語のケルト系古語を口誦すると、神鳥は嬉しそうに「くう」と啼き羽根を二度半広げていました。

ところが、その飼い主たる人は、神鳥に詩集と花気を与えたまま、日曜日の深夜、坂のある街を中也的に彷徨し、中世ヨーロッパのパルケルススの治療を受けるために訪れたような石造りのカーサに留まったために、神鳥の帰還は、羽根が陽の光を養分として飛びだつ朝まで待たねばならなかったのです。



奄美の女性コーラスグループ

2006年03月27日 23時22分12秒 | FMわぃわぃ
今日提供した「南の風」奄美篇は、予告していた内容を変更しています。当初、沖永良部の「ニンブチ(三十三年忌)」の音楽を放送する予定だったのですが、編集に手間取り、急遽予定を変更したのです。

そこで特集するようになったのは、奄美で活躍する女性合唱グループ"ラ・メール"の皆さんによるCD「ラ・メール物語」です。

このCDは、沖縄で活躍する音楽家・海勢頭(うみせど)豊さんと組んだ内容です。沖縄の中心地にあった海勢頭さん経営する店は、沖縄のサロン的な雰囲気があり、何回か行ったおげえがあります(現在は店を閉めている)。

CDには「月桃」や「ティダネシア賛歌」「ニライカナイの歌」など、海勢頭さんが永年展開してきた琉球弧の世界を表現した曲や、「ヨイスラ節」「糸繰り節」「雨ぐるみ節」といった奄美島唄と、新しく創作された曲(ヤマトグチ)である「奄美わがふるさと」も収録されるなど、多彩な中身となっています。

この"ラ・メール"を率いるのが、築島成子さんという女性。ナルコという名は、奄美にとって祝福された名辞です。奄美を含めた琉球弧の創造神がテルコ・ナルコであるからです。

また、築島さんの経歴で面白いのは、奄美にかつてあった琉球大学奄美分校の出身であるということです。教育学部のみの単科としての展開でしたが、後にも先にも奄美に存在した唯一の大学高等機関なのです。

再放送は、4月1日(土)午後6時から55分間です。

『Melange』読書会に河津聖恵さん

2006年03月26日 23時26分11秒 | 文学
本日『Melange』読書会・合評会が行われました。
ゲストは、京都在住の詩人・河津聖恵さん。

いつもと違って構成を変えました。
第1部に〈詩の合評会〉をして、第二部として、河津さんの詩作品に対する意見交換をしたのです。

富哲世氏が提示した河津さんの作品世界は、〈"わたし"から"わたしたち"〉へ変移していくことを挙げます。そしてそうした分析をうけて、わたしは河津さんの詩世界は「〈世界〉にとどまる抒情詩人」ではないかと言います。この〈世界〉とは、ドイツ文学を専攻した河津さんの知的履歴に基づいて理解しようとするなら、ハイデッカーの〈世界-内-存在〉の概念の中の〈世界〉が想起されます。

また、河津さんにとって〈見る〉という行為が、世界を創造していこうとした荒地派的な〈見る〉でもなく、ミシェル・フーコーが、エピステーメーという共時的世界の根底を流れる時代知を特権的に獲得する〈見る〉という行為でもないことが確認できたのです。


〈"わたし"から"わたしたち"へ〉については、わたしはこう語ります。「俳句作家にとっては、ベクトルが逆になると思います。つまり最初から"わたしたち"という共同主観が俳句の書き手であり、その共同体からいかに"わたし"を奪還していくか、であるといえます。だから詩の世界で〈"わたし"から"わたしたち"へ〉へ変移していくのは、この日本的抒情の表現世界ではどうしても、共同主観に作者を措定していく〈非・自己〉への作品傾向に流れる危険性があるのではないでしょうすか」と語ったのです。

"げんよし"で呑む

2006年03月25日 23時58分17秒 | 奄美
FMわぃわぃ「南の風」の沖縄篇を担当していた土屋南さんが、来月から沖縄に帰るというので、新長田の「げんよし」という店で、送別会をしていました。FMわぃわぃから、日比野純一氏、金千秋氏が参加。

ここの店主は、徳之島・井之川出身。もちろん、サンシルも置いています。土屋さんも三線を弾くのですが、奄美の絃が貼ってあるものは初めて触るとかで、その感触を確かめていました。

沖縄とマレーシアの音楽を比較研究しているとのこと。将来は、マレーシアに渡って、研究を続けたいとも語っていました。ようやく大学を卒業したばかりの将来ある人です。今後も活躍されることを祈っています。

記憶というものの正体

2006年03月24日 09時29分13秒 | 文化
記憶ということ、それは、継承されるとしても、まったく同じ内容が継承されるものではないのかもしれません。

この曖昧さ含みの記憶の継承は、われわれ日常生活の中で経験しているのです。

最近しゃべった若い大学生によると、彼女も長い携帯メールを打っている最中に、いちど保存することがあると言います。これを聞いてわたしは少し安堵したのです。携帯巧者である若者でさえ、セーフティネットを施しているのかと。

わたしも携帯メールを打っている時、誤操作をして、せっかく打ち込んだメール文を消去してしまうことがあります。その時はたいがい焦っている時、思いが打つことに集中している時です。そうした誤操作が一度や二度ではないので、携帯メールの機能を呪詛しつつも、くじけずに打ち直すのです。

ものの数秒前まで書き込んだ内容なので、文章が伝えようとするコンテンツを思い出すのは困難ではないのですが、全く同じ文章か書けない。いい表現、言い回しが消えてしまった時のくやしさといったらないのですが、反対に二回目の表現の方がよくなっていることもある。

こうした例からして、記憶というものは、人・集団・民族によって継承されていくものは、個人によっても、時が変わればその内容は変化し、そして世代が変われば、また変化していきながらも、継承されていくというのが、この記憶という正体のような気がするのです。

六甲山からの気鬱性が雨とともに

2006年03月23日 09時25分13秒 | 神戸
神戸は今日も雨。

パソコンも修理できていないし、仕事もはかどらないわで、とうとう気鬱モードに入ってしまいました。

これはきっと六甲山系の〈春の気鬱性〉が蒸発して大気圏に上昇するまでもなく、三月の雨で、神戸の街に回帰してしまい、心の体力が弱っているわたしの身中に棲まうようになったのでしょうと、ある詩人にメールで知らせたところ、返事を待つ間に気鬱が増殖していく中で届いた返事は、「占星術師としては」のト書きつきで、この時期は水星が逆行するために、パソコンの不調や通信・交通の乱れ、意図の食い違い、遅筆、人が気鬱になるなどの現象が起こる、25日まで待てということ、逆行するのは水星でなくシャシー(月/サンスクリット語)でなくてよかったなどと想っているうちに、そうそう気鬱掃討剤を買っていたなと本棚のいろいろを捜していたところ、見つからず出てきたのは、今度の日曜日に『Melange』読書会にゲストとして来ていただく河津聖恵さんの現代詩文庫だったのです。

忙しい時に限って

2006年03月22日 22時38分02秒 | 文化
いや、困っているのです。仕事がたまっている。
今日など、パソコンに向かうまとまった時間が取れる日だったのに、お手上げです。
メールは使える範囲内では仕事が出来るのですが、編集作業は中断したままです。

でも、不思議なものですね。パソコンがあると、どうしても山とつまれた仕事をしなくてはならないという気分になりますが、出来ないと、諦めるしかなく、反対に解放された気分になってしまうのです。

でも、仕事が遅れていることは事実なのですが。

どないしたら、ええんやろ。気分までも塞いでしまいます。
それにしても、とある案件で、心はブルーになっているのに、です。

パソコン 絶不調

2006年03月21日 22時29分24秒 | 文化
マックのウェブ・デザイナーをしている姪っ子に、助けを求めたところ、やはりOSXは、故障が少ないということ。9.2からXにしてもいいのですが、問題は、9.2で作った大量のQuark文章がどうも、すんなり使えそうにないとの情報もあるところから、それが一番の心配なのです。

まだ、外付けハードディスクが読めないままです。
姪っ子に聞くと、どうもNORTONが情報をこわしてしまったようです。

う~ん、仕事がいっぱいたまっている時に限って、こんなことになるのですねえ。

修復を試みようにも、わたしの技量では少し無理なんです。どうしましょう。出張修理を呼ぶしかないのでしょうか。少なくとも、あと一年は、9.2でいこうと思っていたのですが。泣きたい気分です。

パソコンがあかん!

2006年03月20日 22時21分57秒 | 文化
パソコンがいかれてしまいました。

先週末からちょっと、フリーズが多くなっているので、ここて定期清掃のつもりで、NORTONをかけてみたら、反対に調子が悪くなってしまったのです。

ファイルの殆どを移している外付けハードディスクを読みとれなくなってしまいました。

私は、MAC OS9.2を使っていますが、パソコンに詳しいはずもなく、機能拡張をいじったり、再起動を繰り返しても、うまくいきません。幸い、インターネットとメールは、本体HDで作動するようにしていますので、このブログも発信できるのですが、さあ大変。必死になって、復活作業に取り組んでいるのですが…

ペーパーはネットを克えられるか

2006年03月19日 23時15分20秒 | 大阪編集教室
本日は、大阪編集教室の授業を担当しました。

生徒諸氏が、執筆から編集まで担当した「花ぎれ55号〈特集*発見〉」という雑誌に書かれている文章を講評したのです。

三月で卒業する27名の作品を取り上げたのですが、それぞれの個性がきらきら輝いています。

ひとつひとつ丁寧に読んでいると、表記に文体に、時代の波が確実におしよせていることがわかります。

例えば、ブログ文体がひたひたと、影響しているということです。ある人の文章を取り上げてみますと、絵文字の通常使用、ひらかなにカタカナを交ぜる、一文の中で、行替えをしてみる、本文の中で級数を変えてみる…など、「乱れた日本語」そのものなのですが、私に言わせると「正しい日本語」なんてくそ食らえなのです。国語学者の故・金田一春彦氏も「永い言葉の歴史の中で、日本語が乱れなかった時代はない」といった趣旨の発言をされているようです(この表現は正確ではありませんが)。そうです、言葉は常に"乱れ"という動的要素を伴いながら、その時代に即応し続けているのです。

ただ、モノを書いて生きる人間は、あくまでもエクリチュール(書かれた文字)の世界に生きる人たちです。つまり、今の時代に容認された言葉・表記の規範をしっかり踏まえておく必要があるということです。ブログ文体を使うのもいいでしょう。しかし、それはあくまでも戦略的に使う場合に限るという条件が課せられるのです。

もうひとつ、全体をみて感じることは、ネットメディアとペーパーメディアとの互換性とひの相互利用についてです。

ペーパーメディアに、説明に徹する文章や、紹介に終始している文章を時々見受けますが、そうした事実に即した内容は、いまやインターネットで検索すればいくらでもそれ以上の情報を得ることができるのです。しかも、紹介する対象がホームページを開設している場合、そのコンテンツを要約した内容にすぎないのであれば、ネタ元がはっきりしているので、あえて、ペーパーメディアで展開する必要もないのです。

いまや、ネットメディアとペーパーメディアが同居するのは当たり前で、ペーパーメディアは、ネットのコンテンツをいかに克えた中身を提示できるかが課題だと言えるでしょう。

徳之島の島唄演奏会

2006年03月18日 09時23分37秒 | 奄美
神戸で、徳之島の島唄の演奏会を企画しました。

歌ってくれたのは、藤山和也さん(井之川二世=写真右)と、山内由紀子さん(同右)です。

神戸には、米川宗夫・向江登美江両氏という徳之島の島唄を歌っては、並ぶ者のなすコンビがいらっしゃいますが、この藤山・山内コンビは、その次の世代の代表として、これから、活躍されていくことと期待しています。