神戸まろうど通信

出版社・まろうど社主/詩と俳句を書く/FMわぃわぃのDJ/大阪編集教室講師など多様な顔を持つ大橋愛由等の覚え書き

情野千里句集「百大夫」を読む

2011年06月27日 10時09分59秒 | 通信
以下の文章は、ツイッターに書き込んだものの転載です。いずれツイッターの原文が検索の対象になると思いますが、ブログに比べてそのスピードは遅いので、まずこの「神戸まろうど通信」にまとめて掲載しておきます。


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11Junio36/舞踏家でもある姫路在住の川柳作家・情野(すえの)千里さんの句集『百大夫』(砂小屋書房、2010)を読む。最近は、姫路や龍野などで行われる詩人・高谷和幸氏主宰の詩の教室「カフェ・エクリ」でも会うこともあり、千里さんの文学表現の研鑽に接することが多くなっている。
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11Junio37/情野さんの作品の特質は、なんといってもその身体性にある。やはり舞踏という身がらみに肉体表現する芸能者であることが良い意味で影響している。〈桜の下で開脚前転くり返す〉〈ふとんを叩いてなんと私は美しい〉。言葉が身体に絡んだ行為を経て野太く表現されているのが魅力。
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11Junio39/生の思い切りの良さも美質であろう。〈どすこいと一度は言いたい姑の前〉。それは産む性としての作品にも反映される。〈餅を搗く残る力でややこ産む〉〈卵特売わたしが生んだ子は二人〉。産むということの爽快さ。生命の根源に通じる強さを感じる。〈来年の桜が咲いている子宮〉。
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11Junio40/ほとばしる鋭敏な感性が発揮される。〈寂しさの根を噛んでみる台所〉〈弱虫ね同じところを刺すなんて〉〈蝶墜ちる島の粘土はやさしくて〉。これらの作品から醸し出される抒情の深さ。〈海で濡らした髪がいつまでも歌う〉〈戦場の死者に牛乳ゆき渡る〉優しさと一言で言えぬ奥行き。
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11Junio41/“おとうと”が詠われる。〈なにもない壁に蝶来るおとうと忌〉〈百日生きたおとうとと逢う梅の村〉。永遠に欠落しつづけるおとうとは、作者にとっても実存の欠損であり作品を捧げ追悼す。〈亡弟と亡母がひとつ傘の中〉。母への憶いもテーマのひとつ。〈女狐に化けたら母と瓜二つ〉
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11Junio42/偶然なのか句集の作品をつなぎ合わせると物語が紡ぎだされている。〈山頂へ下駄投げ上げてから二人〉〈立春や二階の窓に二人立つ〉〈窓から桜が見えて二人は死んでみる〉。この作家には土俗性の要素もある。〈右手右足いっしょに動く土葬の村〉〈底引き網のなかで人魚は子を孕む〉
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11Junio43/〈殺されに帰る男へ拍手喝采〉は、ガルシア・ロルカを想起した。〈魂を蹴りながらゆく花の森〉はこの句集で一番の秀句とみなす。自らの巫性を詠み、憑依されしものも詠み込む。〈わたしに化けて街に遊びにゆく楓〉〈ガリラヤの魚の貌をして遊ぶ〉〈蛇の尾を掴む薔薇科の少女たち〉。
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11Junio44/作者の意図と違う読みが出来る例を一つ。〈らっきょう畠の砂には愛が匂うかな〉は奄美の島唄・長菊女節を彷彿とさせる。「長菊女 だかちがうもゆん 長菊女 がっきょ(らっきょう)打ちが 伊子茂ぬ畑かち がっきょ打ちが」。長菊女はらっきょう畠で交際を断った男に殺される。
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映画「テンペスト」を観る

2011年06月25日 09時50分26秒 | 通信
シェークスピア原作の「テンペスト」を映画で見ました。
ツイッター@gunshakuで書いた文章を転載します。


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11Junio24/シェークスピア原作の「テンペスト」を映画で観る(19日)。ヘレン・メリル主演、ジュリー・ティモア監督。映画を観賞する前、戯曲でも読む。松岡和子訳、ちくま文庫。訳はリズムがあり読みやすい。これでシェークスピアものは「十二夜」の蜷川幸雄演出の歌舞伎に続き二作目。
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11Junio25/映画の台詞はおおもむ原作に忠実だった。シェークスピア劇は作られてから400年経過しているので、その時代や演出者によって翻案されることの楽しみがある。今回は流され王のプロスペローを王妃としたこと。読みと解釈の違いを受容するのもシェークスピア劇の度量の深さである。
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11Junio26/「テンペスト」はシェークスピアが単独で書いた最後の戯曲なので正邪が入り交じった高度な内容。同行者いわく「すべての者がFOOL(道化)なのかもしれない」。この作品は赦しがテーマだが、魔術を施し王位を奪還し、赦しを与えるプロスペローでさえ、まったきの正者ではない。
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11Junio27/あらかじめ戯曲を読み立ち位置に注目していたのがキャリバン。もとは彼の領土だった島をプロスペローが簒奪したため、キャリバン=先住民族、プロスペロー=植民地主義者との構図でこの劇を読むことも可能。映画では原作に忠実なのか支配され抑圧された野蛮人として描かれていた。
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11Junio28/ミランダの台詞も気になる。「野蛮なお前は/自分が何を言っているのか分からず、あさましい獣のように/わめきちらすだけ、そんなとき私は言葉を教え/思いを伝えるようにしてあげた」。侵略者の言葉を“教えられ”思いを“伝える”術を知ったキャリバンは我々アジアの民の似姿。
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11Junio29/劇に不在であるが「出演」し続けるキャラクターがキャリバンの母で島を支配していた魔女シコラコス。プロスペローは魔女の圧政を解放したことを強調するがどうか。同行者はこの作品を〈プロスペロー父・母←→ミランダ娘〉〈シコラコス母←→キャリバン息子〉の親子の構図で読む。
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11Junio30/空気の精・エアリアルは舞台では女優が演じることが多かったようだ。ぼくも観たことがある映画「パフューム」で主役を演じたベン・ウイショーを起用。全裸に近い全身白塗りで現れる。ティモア監督は文楽・歌舞伎を観賞するため日本の滞在経験があるので前衛舞踏との関連を考えた。
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11Junio31/狂言回しの役である道化は、他のシェークスピア劇では状況を切り裂く言辞を弄し、その場を相対化する役柄だが、この作品では自らも状況に参与しているのに注目。また酔っ払いの賄い方の男優の存在感がある。欲に目が眩み破滅していく姿は、民が自己投影しやすい位置づけであろう。
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11Junio32/どうしても気になるのがキャリバンのありようだ。始めて呑む酒を与えた賄い方を主人とあがめ、プロスペローから解放されたと叫ぶ悦びようも気になる。解放されても島の王に復するのではなく、新主人に仕え島の水源や食料庫を教えようとする。しみついた奴隷根性の描写が気になる。
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11Junio33/「テンペスト」のテーマは赦しである。キャリバンらがプロスペローを殺害しようとするが、魔法で退治される。キャリバンは折檻を覚悟するが、主人は島を離れるため何もしない。無言で去っていくキャリバンは植民者が離島することで再び歌に満ちた自給自足の島の王になるのだった。
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11Junio34/「テンペスト」のもう一つのテーマは本である。映画が終わり字幕が流れる背後で多くの本が沈んでゆく。魔法オタクに過ぎたプロスペローが魔術本に頼りすぎた為に王位を簒奪されたことの反省なのだが、出版社の社主であるぼくにとっていかなるスリラー映画より恐怖を感じる場面だ。
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絶句

2011年06月20日 13時24分55秒 | 通信
わたしが偏愛してやまないヒガンザクラの樹が、切り取られていました。

場所はJR摂津本山駅の南側敷地内。

毎年けなげに3月中旬から咲き始め、彼岸頃に満開を迎えた早咲きの桜です。

このブログでも開花の時期になると、写真付きでお知らせしていました。

わたしにとって貴重で、あえかな早春賦の調べだったのです。

同駅が全面改装するために邪魔になったのでしょう。

それにしても無残です。

桜の樹種がソメイヨシノに収斂しすぎて反発を持っているわたしにとって、このヒガンザクラの死はなんともいたたまれないのです。

JRの工事関係者は、この樹を伐採するに際して、樹そのものに敬意を払ったのでしょうか。

このままではこの“桜の精”は彷徨うばかり。

切り取られた後は写真の通りです。三株が合体したような樹態だったのですね。

動画で見る『Melange』読書会

2011年06月05日 23時23分06秒 | めらんじゅ
本日行われました詩誌『Melange』読書会の様子を録画で収録しました。
TwitterCastingというiPhoneから送信できるライブ録画機能アプリケーションを使いました。一回で30分が限度なのですが、手持ちの携帯から簡便に録画を送ることができるのは、驚きです。ネット環境というのは驚くべきスピードで変化しています。

約2時間の読書会を四回に分けて紹介しています。

(1) http://moi.st/1a99c2

(2) http://moi.st/1a9adf

(3) http://moi.st/1a9bfb

(4) http://moi.st/1a9d1d

読書会が終わりかけた時に、富哲世氏が入院中の病院を抜け出し、松葉杖をついて参加してくれました。


清水昶氏 亡くなる

2011年06月01日 23時15分00秒 | 通信
ツイッターに書き込んだ文章の転載です。

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11Junio04/詩人の清水昶氏が5月30日に逝去されました。享年70歳。ぼくが海風社に編集者として勤めている時、評論集『詩人・石原吉郎』を担当。大学の先輩というよしみもあり第4回ロルカ詩祭(2001年)にゲスト朗読者として出演してもらいました。あれからもう10年なのですね。
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