10月31日(月)
本日はFMわぃわぃ「南の風」奄美篇の放送日です。
226回目の今回は、「悲しさをこえて」と題して、「別れ」「生きる」「逢えない」「救い難い」かなしさをテーマにして、曲をかけていきます。
放送した曲は、〈別れる悲しさ〉=「行きゅんにゃ加那」、〈生きる悲しさ〉=「徳之島節」、〈逢えない悲しさ〉=「ランカン橋節」「朝別れ節」、〈救い難き悲しさ〉=「長菊女節」「塩道長浜節」……といったラインナップです。うたというのは、苦難にあったとか、惜別の情をかりたてるとか、非情な情況に陥ってしまったことを歌い込む方が、感情移入がしやすいようです。奄美の島唄には明るい曲も多いのですが、歌う者、聞く者、唄に参加する者をひきつけるテーマとしては、やはりこの悲話が、大きな要素のひとつとなるでしょう。
選んだ唄者にはある仕掛けをしたのです。
築地俊造、当原ミツヨ、中野律紀、松山京子…と続いて、最後は、中村端希とくれば、分かると思います。
奄美の唄者で民謡日本一になった人たちです。5人も民謡日本一を輩出したというのは、まさに快挙。奄美が誇るべき財産だと言い得るでしょう。人口比でいえば、そうとうの高率になるのではないでしょうか。以下に各人の私なりのプロフィールを書いておきましょう。
(1)築地俊造(受賞年/44歳) 日本民謡大賞 1979年
「日本一」の先駆けを作った唄者はまずこの人です。この大賞受賞にまず驚いたのは、奄美の人たちでした。自分たちが大切に育て上げてきたシマウタが、全国的にも充分に通じることを知った時の喜びは、例えようもなかったほどです。
(2)当原ミツヨ(受賞年/45歳) 日本民謡大賞 1989年
この人ほど、生活と密着して自然にシマウタが紡ぎだされていく唄者はいないでしょう。まるで呼吸をするように、風がなびくように、うたが吐く息のように口からでてくる唄者です。
(3)中野律紀(受賞年/16歳) 日本民謡大賞 1990年
二年連続で奄美の人が日本一に輝きました。それに16歳という年齢に注目してください。奄美の唄者のレベルの高さが証明された受賞でした。ただ、若くしての受賞だっただけに、RIKKIの名でその後ポップス歌手としてデビューし、「ファイナルファンタジー」のエンディング曲を担当したぐらいまではよかったのですが、ポップス歌手としては成功したとは言えず、後輩の元ちとせが島唄ブームを牽引すると、また島唄を取り入れたアルバムを作るなど、キャラクティングに"ぶれ"が生じて、これだけの美声の持ち主なのに、それが本土の市場で充分に発揮されていないキライがあるのは残念です。
(4)松山京子(受賞年/45歳) 日本民謡民舞大賞 1998年
日本民謡フェスティバル(受賞年/46歳)グランプリ受賞 1999年
徳之島在住のこの人の歌声は、今までとは全く違うタイプの声質を持った人です。まさにダイナミック。3年前の奄美における民謡民舞大会にゲスト出演してたこの人の歌声を聞いてびっくり。この人、大阪で働いていたこともあって、尼崎の武下流教室に一年ほど通っていたと同教室の重鎮である坂元武広さんは証言してくれました(これを聞くまで名瀬の教室とばかり思っていた)。この人はすでに奄美大島の島唄のCDを出していますが、徳之島の島唄のCDも出してほしいものです。
(5)中村端希(受賞年/26歳) 日本民謡大賞 2005年
21世紀最初の受賞者です。面白いことに、この人もカサンの歌い手。ヒギャは中野律紀だけというのも意外な感じです(カサン系は、築地俊造、当原ミツヨの計3人)。最近では、大阪バナナホールにも出演するなど、唄者活動を盛んにしています。「Kafu」という良き島唄アルバムをジャバラ・レーベルから出したばかり。この人も歌声もいい。しかし、本当に奄美は次から次へと素晴らしい唄者を輩出されるものです。ほとほと関心してしまいます。
本日はFMわぃわぃ「南の風」奄美篇の放送日です。
226回目の今回は、「悲しさをこえて」と題して、「別れ」「生きる」「逢えない」「救い難い」かなしさをテーマにして、曲をかけていきます。
放送した曲は、〈別れる悲しさ〉=「行きゅんにゃ加那」、〈生きる悲しさ〉=「徳之島節」、〈逢えない悲しさ〉=「ランカン橋節」「朝別れ節」、〈救い難き悲しさ〉=「長菊女節」「塩道長浜節」……といったラインナップです。うたというのは、苦難にあったとか、惜別の情をかりたてるとか、非情な情況に陥ってしまったことを歌い込む方が、感情移入がしやすいようです。奄美の島唄には明るい曲も多いのですが、歌う者、聞く者、唄に参加する者をひきつけるテーマとしては、やはりこの悲話が、大きな要素のひとつとなるでしょう。
選んだ唄者にはある仕掛けをしたのです。
築地俊造、当原ミツヨ、中野律紀、松山京子…と続いて、最後は、中村端希とくれば、分かると思います。
奄美の唄者で民謡日本一になった人たちです。5人も民謡日本一を輩出したというのは、まさに快挙。奄美が誇るべき財産だと言い得るでしょう。人口比でいえば、そうとうの高率になるのではないでしょうか。以下に各人の私なりのプロフィールを書いておきましょう。
(1)築地俊造(受賞年/44歳) 日本民謡大賞 1979年
「日本一」の先駆けを作った唄者はまずこの人です。この大賞受賞にまず驚いたのは、奄美の人たちでした。自分たちが大切に育て上げてきたシマウタが、全国的にも充分に通じることを知った時の喜びは、例えようもなかったほどです。
(2)当原ミツヨ(受賞年/45歳) 日本民謡大賞 1989年
この人ほど、生活と密着して自然にシマウタが紡ぎだされていく唄者はいないでしょう。まるで呼吸をするように、風がなびくように、うたが吐く息のように口からでてくる唄者です。
(3)中野律紀(受賞年/16歳) 日本民謡大賞 1990年
二年連続で奄美の人が日本一に輝きました。それに16歳という年齢に注目してください。奄美の唄者のレベルの高さが証明された受賞でした。ただ、若くしての受賞だっただけに、RIKKIの名でその後ポップス歌手としてデビューし、「ファイナルファンタジー」のエンディング曲を担当したぐらいまではよかったのですが、ポップス歌手としては成功したとは言えず、後輩の元ちとせが島唄ブームを牽引すると、また島唄を取り入れたアルバムを作るなど、キャラクティングに"ぶれ"が生じて、これだけの美声の持ち主なのに、それが本土の市場で充分に発揮されていないキライがあるのは残念です。
(4)松山京子(受賞年/45歳) 日本民謡民舞大賞 1998年
日本民謡フェスティバル(受賞年/46歳)グランプリ受賞 1999年
徳之島在住のこの人の歌声は、今までとは全く違うタイプの声質を持った人です。まさにダイナミック。3年前の奄美における民謡民舞大会にゲスト出演してたこの人の歌声を聞いてびっくり。この人、大阪で働いていたこともあって、尼崎の武下流教室に一年ほど通っていたと同教室の重鎮である坂元武広さんは証言してくれました(これを聞くまで名瀬の教室とばかり思っていた)。この人はすでに奄美大島の島唄のCDを出していますが、徳之島の島唄のCDも出してほしいものです。
(5)中村端希(受賞年/26歳) 日本民謡大賞 2005年
21世紀最初の受賞者です。面白いことに、この人もカサンの歌い手。ヒギャは中野律紀だけというのも意外な感じです(カサン系は、築地俊造、当原ミツヨの計3人)。最近では、大阪バナナホールにも出演するなど、唄者活動を盛んにしています。「Kafu」という良き島唄アルバムをジャバラ・レーベルから出したばかり。この人も歌声もいい。しかし、本当に奄美は次から次へと素晴らしい唄者を輩出されるものです。ほとほと関心してしまいます。