神戸まろうど通信

出版社・まろうど社主/詩と俳句を書く/FMわぃわぃのDJ/大阪編集教室講師など多様な顔を持つ大橋愛由等の覚え書き

第80回「Melange」合評会の詩群

2013年04月28日 03時53分21秒 | 通信
みなさんへ


80回目の「Melange」合評会の詩群を送ります。

送りました作品はすべて「月刊めらんじゅ」80号に掲載されます。

なお、今回はじめてメールを送る方もいらっしゃいます。送信がご迷惑でしたら、通告してください。配信をとめます。
われわれはこうして合評会を前に作品を皆さんに送って、当日会場に来られたときは、みなさんが一読されていることを前提に語り合います。

では、詩群に入る前に、「Melange」読書会のテーマについて予告しておきます。
〈5月25日=日=〉テーマ/木澤豊氏による「宮沢賢治を語る」(仮題)。
〈6月30日=日=〉テーマ/平岡けいこ氏による「エミリー・ディキンソンの詩について」/生前は数篇しか発表しなかったアメリカの詩人エミリー・ディキンソン(1830年~1886年)はのちに英米文学に大きな影響を与えている。
〈7月〉テーマ/富哲世氏による「〈荒地〉時代の北村太郎の詩作品について」(開催日時は未定)
〈8月17日=土=〉第16回ロルカ詩祭/会場は神戸・三宮のスペイン料理カルメン(電話078-331-2228)

(ちなみに、次回の「詩の教室・エクリ」は5月13日=月=に姫路で開催します)。

では詩群をどうぞ
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◆液化してゆくピアノと舌下のカミソリ
     有時秀記

  革命歌作詞家に凭りかかられてすこしづつ液化してゆくピアノ(塚本邦雄)

「液化してゆくピアノ」のように液化することで比類ない七色の音幻の形態をまとおうとする崇高な無への意志は、しかし、カミソリの刃が、見えない舌の下からつぎつぎと飛び出し、「液化してゆくピノ」に突き刺さるという悪鬼そのままの妨げにけいれんする。

「液化してゆくピアノ」の形態はみずからを気高い像として残そうとするが、カミソリの刃の何枚かは、液化してゆく速度をらくらくと乗り越えてピアノの残像を切り裂く。オーロラのような七色の色彩は霧散し、液化そのものとは違う作用に見舞われた残像は、舌下から発する悪鬼の領域に身をさらさざるをえずに四分五裂する。

この残像の四分五裂は無痛ではありえない。この痛みは「液化してゆくピアノ」の足を呪縛し、液化を阻害しつづける。液化作用と、切り裂かれた残像は、永久凍土のなかで固形化し、S字状に綱を引きあいつづけ、仮死の氷となる。

ピアノが液化してゆく美しさは崩おれの美であり、残像の切り裂きの醜さは崩おれの醜さである。崩落の裏と表にあるS字状の美と醜。そのくびきを解きはなつのは、液化にともなう液の澄明性と、「液化してゆくピアノ」が奏でる音調の純粋性であり、それらは崇高な無への意志を持続的にまとっている。

尋常の耳には聴こえない純粋音楽と仮想されるまぼろしの音源と、語りえないものを語るのが言葉だと仮説されて語られた言語群と、見えない美を仮視する永久凍土の透視力。これらあたかもスペクトル様状の三相によって、形づくられる名付けえない形態を与えられるのは、S字状に固形化した美醜を超え、善悪を越えた霧のような狂性の領域への変容によってであり、このような狂的内界のフォルモロジーを記号化するのは崩落から回帰する溶ける時のさなかである。

名付けえないものが純粋に与えられるのは、回帰する彗星の一撃に仮死の氷が打ち砕かれ、内に包まれた法が、強くけいれんしながらカオスモスの「法」に感応するときにのみである。そのとき仮死の氷は真珠の涙である。その涙は与えられたことを知らないままに、無底の器なき器に微細なまでにぴったりと、彼方の法の神経樹が浸透しているということによって与えられるのである。かの花のまぼろしが視える巨大な危機の瞬きのように。クズレオツ天地ノ真中イチ輪ノ花ノマボロシ*。
                                        *原民喜の詩句より


◆家族の葛藤

                 にしもとめぐみ

胸に刺さった異物は
長い時間をかけて
あなたの数知れない言葉にはぐくまれ
私の不器用な言葉をあつめて
ある日
真珠のように輝いていたのでした

うそではありません
誰かの傷を癒やしているつもりが
いつのまにか自分の傷をくるんでいたこと
真珠のように


◆百貨店
             富 哲世

なんていうことのない話だ

壁一面が煤けたビロードで覆われた
古い百貨店のひとけの無い玩具売り場の
高い天井の下にひとりいて
わたしは裁かれていた
別世界のように遠く深い梁の辺りに
巨大な傘が開くように
薄桃色の一輪の花が浮かんでいて
長く伸びたその花糸の先に繋がれて
一台のヘリコプタが
黴た空気をかきまぜて
カタカタと旋回しているのを眺めながら
ふらふらと立っていた
枚挙にいとまのないほどの訳などは
だれにでもある
たとえばきのうわたしはバスの窓から
散り終わろうとする桜の花や緑の枝々や樹を
なにげなく遣り過ごして
駅に向かう坂道の上の明るい空を
ぼんやり眺めていた
無論その花の梢のひとつひとつには
万象のたましいとその記憶が宿っているというのに
いのちと引き換えにしてでも会いたい者が
眠っているというのに

わたしは道端の小石を
うっかり蹴飛ばしてしまった
石は占い師のように
壁と舗石の間の
草の生えた細い割れ目に転げ落ちた
わたしは影を踏んで通った
影の下には
血のぬくもりと澄んだ暗い眼差しが
忘れないでとまだ熱くささやきかけているというのに
こうしてわたしは白いハンカチで濡れた手を拭いている
ステンドグラスを通ってくる
ひなびた世界をうかがっている
がらんとした売り場のはるか向こうの
おもちゃのお城とうさぎの縫いぐるみの陰で
虫ケラのように小さく小さく
引き裂かれるほど叫んでいる声
それがわたしの刑罰だろうか
呪いと救いの姿だろうか

なんていうことのない
他愛のない話だ
古いビルの角を曲がると
車もまばらな横断歩道の前で
祭りの真新しい提灯が何気ない横顔で
知らんふりで立っていた


◆透明なビニールに

            中嶋 康雄


透明なビニールに水滴がくっついている。
水滴は、ビニールに比して、生命の始原性に
満ちて震えている、と感じられて、ふと考え
てみれば、ビニールは石油のなれの果てであ
り、石油は太古の生命のなれの果てであり、
水滴よりは、より生命に由縁があるといえな
くもない。


太陽に溶けたアスファルトを蟻が歩く。
蟻はアスファルトの溶解に足をとられながら
歩く。頭までもがアスファルトに埋もれ、蟻
は歩けなくなり、もう死ぬしかない。横を自
動車が走る。小さい物にとっては永遠に近い
時間が過ぎ、夜露は干からびた蟻を濡らすだ
ろうが・・・まだ生きている。頭もげても、
まだ。それでも、死ぬしかないのだけれども。

スギナは、今年も風に吹かれている。石炭紀
からの生き残りだという。汚い老犬が小便を
かける。目やにが両目に垂れ下がり、目玉は
白い。スギナは、そのとがった頭をよけいに
とがらして、その黄濁した老犬の水分を、ふ
るふると喜びにうち震えて享受する。冬毛が
十分に代謝し尽くさないそのぼさぼさの老犬
はゆっくりとその片足を下ろし、ゆうっくり
と欠伸を重ねる。あと何回欠伸をすれば死ね
るのだろう。



◆電球の傘に

          川田あひる

電球の傘に
タオルがさがり
ささやかな日々のいとなみが
映っている
円の中にあるちいさな暮らし
と 思えるようになったのはいつからか
苦しくて くるしくて
駅へむかって
雨に濡れた頭皮逆立つ病の切断
世間は
恐怖にみちて
いつ
だれに 非難されるか
ネクタイを締め
正座し
悶絶した
苦しかった無言にも
じかんは
血潮の弁を開閉し
シャワーカーテンをピンクに
冷蔵庫を買った 二〇一二年
快方への兆しか 睡眠は錠剤で保たれ
丸い傘を感じられる
傘の上に傘が
覆い被さっていること
傘の上の傘のそのまた上に傘があり
傘 とする
愚かしさ
いや、
あれは
一発
命中の
原子爆弾
黒い雨が降る
六日
九日
核廃絶の署名活動に立ちつづけた
Aさんが
逝った
病気まなかのわたしに
社会に
対峙せよと
叱ってくれた
Aさん
虚ろな
耳鳴りに
語りかけてくれたひと


◆愛された古紙
       月村香


 女の子は街で購入した古紙に手紙を書きはしなかった枕元に一枚だけ置いて頬にすりよせていたそれはその女の子だけの遊びだったひとりぼっちの遊びだったその表面に青いインクで文字を書いたならばどんな気がするだろうと思ってはそんな汚ならしい発想はすべきではないとそうわたしには少し熱があるのでベッドからは離れないわという具合に精神を集中し紙に対しては崇拝をし本当に狂っていることも知らないで




◆遺棄
        寺岡良信


海は巨きな沈黙の手でわたしを置き去りにした
時が絶え果てる蒼い崖に
石となつた巻貝のこころにも疼く
官能のかそけさ―
忘れられた抜糸のやうに


◆ 腰を浮かせて藤棚の下
                大橋愛由等


ヴェルデが一斉に蜂起する朝----嘘をつきはじめた目覚まし時計を許すかどうか逡巡し----回すたびに「やめて」とキイキイうなるシチリア製パスタ製造機をつかい----昨夜は英英辞書がチェコ語で寝言を繰り返していたのはうすうす知っていたけど----鉄瓶で湧かした湯をゆっくりさますと羊水になるのよってなんども言うものだから----いま食べたパタタの記憶はサビ猫の夢を孕んでいたのではと確かめてみたのだけれど----北側にベランダがあるアパルトマンでないと黒色伝書鳩は来ないの----この部屋にフラメンコのタンゴリズムは似合わないと思う----スペイン産オリーブオイル入り整髪料を揮発させるとニンフが出現する民話なんてあるかしら----明け方にわたし(たち)を訪れた風がまだサッシの外側に待機していて----ヒマラヤとカイラスの水晶を近づけるとハウリングを起こすからと----この五日間白藤に夢を吸い取られていたことは二人とも気づかないままに----抽斗の二段目右端にしまっておいた絵葉書が勝手に図象を替えてしまい----つぎつぎと現れては消えるシーニュに悩まされながら----いきなりの雷におののいているうちに気づいたことは----第三倉庫の鍵は小栗鼠に預けておいたこと----藤棚の下に座るのは春雨に打たれるまででありしかも少しだけ腰を浮かせておこうということ


◆みぎわ
                 高谷和幸
 
一枚ものの重いドアをバタンと閉めて、わたしは大きな冷蔵庫になりたかった。閉じられたそのときその時の手掛かりを残して。薄れていく写真と予定表の刻限がまだ動いている。つねに、白い布に染み(汚れ)のようにある世界のシンドロームが歯のあいだでたけくあらあらしい。そんななかで一時的食(消滅)という侵犯を低温で止められるだろうか。冷蔵庫は変わり果てた姿で、汀に打ち上げられる明け方もあるだろうに。夢の続きが物体になごりをとどめるように、腹を満たすことばに変わり、あなたとのあいだにあたたかい気流を巻き起こしてみたかった。いつの時代であったか、夜の動物園の「あれは詩人が観じた回転だろうか」モーツアルト的動物磁気が、水の力で水車のように回されるのは許されるものではないんだよ。思わず、「水の回転ではまずい」と、虎や豹が取りつかれやすい宇宙の回転物質を、温度ではない温度で保存してあげたかった。と言うと、あなたは「あなたの剥製はいたんでいるから」食べられないと言う。あれは、イクノという山に囲まれた村で、あなたと私によく似た二人と出会った。夏休みの一日を冷たい水に足を浸してすごしたことがあった。小さな魚を狙って鷺が窺っている。剥製の曲がった首をさらに捻じ曲げようと。



◆死罪の春


       岩脇リーベル豊美


遠心の月は滔々と満ち
堰止められた光の淵に
微粒子の渦巻く音が聞こえる
解放を待つ位相の手前で
仄かに揺れる錠前に差し込むはずの
燻し銀の鍵はいまだ見あたらない


湧きはじめる色彩
刻々と変わる心風景


漸く朝が這い出すと
その傾いた頸筋で
冬の時間に包み隠されていた十字架が
一瞬露わに浮かびあがり
確かめることもなく
行き過ぎた


誰もが住処を離れ
また住処に戻り
生命の横溢を愛でる
愛でられないもののために祈りながらも
森全体が死罪を叫ぶとき
野うさぎたちが一斉に雪残る原を
死に物狂いで横切る幻視につまづく

貧しい言葉の限界が
地平の境界のように線を引く


真偽への躊躇いが
そこかしこで
意味付けをもとめ芽吹いている



◆手打ちにいたす

           野口 裕


 普段見慣れている看板の手打ち豚カツという言葉が妙なものだと気づいた途端に、お手打ちの豚カツなれば春惜しむ、とさらに変な句へとなり果てた。言葉に奇妙さの潜むのが常態ならば、それにつまずくのも常態であるべきはずのところを不思議とつまずかずにここまでやって来た。座るという字のふたりは土の上にすわり、ふたつの木を示しながら煙は厳しく糾弾される。二匹のカエルが乗っている葉っぱの上にさらに三匹乗ると全部で何匹ですかという問いかけに、みんな葉っぱから落っこちると答える小学生のようにすべてつまずけば良かったものを。すでに遅すぎる。雨ガエルが絶滅危惧種となる前の気ままなる旅かなわず、つまずきの種さえ残さず雲は流れる。

 そこでようやく気がついた。つまずく代わりに立ち止まるのだと。立ち止まれば景色がつんのめる。だから手打ち豚カツなのだ。西から上った豚カツが蒲団着て寝る東山、時間割るのは組織びとああだこうだと人を釣る。大菩薩峠に間の山節というのがあったなあと思い出すのもこんな瞬間だ。

   金塊二体睦み居る涅槃像




◆さくら、櫻。

                      福田 知子

(一)


花を逃れ やがて
 花にいる
この櫻みちにあり
雨に濡れて 佇むひとよ


春雨は いたくなふりそ 桜花 いまだ見なくに 散らまく惜しも(万葉集)
――:春雨よ柔らかに降れ、まだ見ぬ花を散らすなよ


空のいただきから降りつのる 雨のつゆ
しとしと しとしと
さわさわ さわさわ
ざわざわ ざあざあ
徒然に いたくなふりそ
いたくなふりそ

あまつゆに ぬれて
はなつゆに ぬれて
櫻みちに佇むひとよ


春の雨 さくら雨
いたくなふりそ

(二)


きみに初めて出逢った 春
きみといつしか離れた 春

去年の春 逢えりし君に 恋にてし 桜の花は 迎へけらしも(万葉集)


櫻の樹には しびとが似合う
わたしが恋したひとは たしか しびとであった
さわらぎのみちで すれ違い
加茂の河原で すれ違い
櫻のもとでふたたび出逢った


酒盃にはなびら うかび
その櫻のある場所を探しに行った
もう一五〇〇年も昔のこと
帝が遣わした物部氏は
私のとおい こひびと
酒盃にうかぶはなびら
はなびら ながれ
月日も ながれ
加茂は ながれる
つゆにぬれた襞を
ほてったうすももいろの襞を
この櫻のあいだ 心のあいだ 襞のあいだ
幾度目かの春を想う
 櫻、さくらよ!



(三)


美の極みの
民の聖樹 聖なる樹の櫻 から
散る櫻 生命(いのち)の花びらへ
歌舞伎の演題にもなった 櫻
それからだ
 櫻が散る生命の象徴になったのは――


「櫻の樹の下には屍体が埋まっている」といった梶井基次郎を
こよなく愛したあなたは なぜかイタリアの地を求めた
あなたの名前は 絢音
イタリアに着いたあなたは タクシードライバーに身を任せ
いたりあの市民権を得た
そうして 非常に哀しくなって あなたは
いつしか海へと向かい 貝殻をあつめ 流木をひろい
くずのオブジェを創り 真珠のような詩を書いた

現代を近代のように生きたあなた
詩集『空の時間』は蜘蛛出版社からはじめて世に送りだされた
けれども
あなたは還ってこない
櫻のように あなたは転生しなかった
おなじ春が
もう二度とめぐってこないごとく――


(四)


近代最初の桜文学は樋口一葉の『闇桜』
薄命の美少女の死を染井吉野に象徴させた

――落花(らっか)

地面を埋める幾層ものはなびら
風にあおられ 雨にながされ ひとに踏まれ 土に還る


薄桃色に透け
落花する
あまたの 櫻花
あまたの 近代の美意識

(五)

あはれ花びらながれ をみなごに花びらながれ
  をみなごしめやかに 語らひあゆみ(三好達治「いしのうえ」)


木花開耶姫(コノハナサクヤ姫)
エドヒガンザクラ、ヤマザクラ、オオヤマザクラ、オオシマザクラ、ミネザクラ
これら山の櫻姫たちはこぞってあかるい
こぼれるような 山櫻の花房
哄笑が絶えない 山櫻の花房
散るときもこれら山櫻たちは
 天心爛漫



しかし
 哀れなのは ソメイヨシノ
ソメイヨシノこそ哀れだ
お国の為に潔く散るいのちの象徴
短く咲き 花びら散り 美しく咲き 花びら散り
勇敢に咲き 花びら散り・・・・・・
靖国に 千鳥が淵にこの春も散る


さくら、櫻。
サクラ、サク。


さくら 櫻
 サクラ、サク!

さまざまのこと 思い出す桜かな (芭蕉)

地震の揺れと、お知らせと

2013年04月13日 14時28分42秒 | 通信
午前5時33分、淡路島を震源とする地震発生。

拙宅は大きく揺れました。

阪神・淡路大震災時に、余震が続いたので、揺れの体感と震度の数値が直感的に結びつくようになっていたのです。その経験値によると、震度3と認識しましたが、観測された兵庫県南東部の揺れは震度4でした。

1,17を思い出しました。
あの時の神戸は縦揺れとか横揺れといった区別を認識する間もなく、一挙に激しい揺れに見まわれ、立つことも這こともなにもできない状態でした。しかも20秒というのは、相当に長い。あの時、自分の生命(いのち)のありようが他者に絶対的に委ねられていることを悟ったのです。

先月にクラッシュしたパソコンですが、なんとか治ってきました。しかし2年間の文書データは復元することはありませんでした。「データばかりか、この二年間のまるごとを消去されてしまったようで、哀しみは深いのです。晩冬の憂鬱の真っ最中です。」と前回のお知らせで書きましたが、立ち直るキッカケは、〈私が無くしたのは2年間だけど、東北/フクシマの、震災・津波・原発の被害にあった人たちは、2年間どころではなく、過去のすべて(あるいは未来も含めて)を失った。それを思うと、2年間の〈書かれたもの〉は、復元・再生できるではないか〉との思いだったのです。

数年前のことですが、携帯電話への文字打ち込みをしていると、せっかく打ち込んだデータを、ボタンひとつ押し間違えただけで、すべて消えてしまうという事態を何度か経験しました。その時、すぐに打ちなおすのですが、文章はそっくり復元できないものの、直近の記憶を頼ってなんとか復元したものです。
〈復元〉とは、こういうことかもしれません。そっくり同じものは再現できなくても、生命(いのち)が継(つづ)き、記憶があるかぎり、そこにあらたに立ち現れてくるものは〈復元しようとする意思/生き継(つづ)けようとする意思〉そのものなのだと想うのです。

さて、4月は再生/蘇生の季節です。木々の芽吹きにあらたな風が吹き込みます。

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◆1.--第80回『Melange』読書会・合評会 のお知らせ(4月28日〈日〉)
◆2.--第18回まろうど社主催「大阪城夜桜会」のお知らせ(4月15日〈月〉)←詳報
◆3.--詩の教室「カフェ・エクリ」のお知らせ(5月13日〈月〉)
◆5.--文学短報(ジョン・コルトレーンの新譜ほか)
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◆1.--第80回『Melange』読書会・合評会 のお知らせ(4月28日〈日〉)

✩第1部(午後1時~3時)の読書会のテーマは、上野都さんの最新詩集『地を巡るもの』(コールサック社、3月)についてを語り合います。上野さんにとって第5詩集となります。

詩人の石川逸子さんは帯文に「限りある命であっても 歌おうにもあまりに冬は長くとも 言の葉に育った種を 上野都は 蒔きつづけるだろう 野の道 湖のほとりに佇み 非業の死者ちどっしりと座敷の太い柱になった祖母に想いをはせながら」と紹介しています。本書には尹東柱の「たやすく書かれた詩」の翻訳も収録されています。第一部は寺岡良信氏によってナビゲートしてもらいます。

✩2部(午後3時から6時)は詩の合評会です。今回は通常どおりの進行です。
詩稿締め切りは、4月25日(木)です。今回もみなさんの意欲的な詩作をお待ちしています。パソコンが復活しましたので、「月刊めらんじゅ」に投稿作品を収録します。ちなみに「月刊めらんじゅ」は次号で80号の記念号となります。すこし増ページをしてみなさんにお届けします。

◆3.--第18回まろうど社主催「大阪城夜桜会」のお知らせ(4月15日〈月〉)
今年はさんざん寒い時期が続いたのに、ソメイヨシノの花見ごろは例年より早く終わってしまいました。
ただ、例年われわれが花見をする桜は、開花が遅い八重桜系の枝垂れ桜なので、まだ十分に花見気分が味わえます。
この会は今回で18回目。夜桜を眺めていると、美しさの向こうにタナトスを感受します。

15日(月)午後6時から午後10時ぐらいまでしています。
今年の出し物(鳴りもの/演奏者)が決まりました。バイオリニストの外薗美穂さんと、桑原しんいちさん(フォルクローレ、ボレロカンシオンほか演奏)のコンビに演奏してもらいます。おそらくタンゴなどラテン音楽中心に演奏していただけると期待しています。
小雨決行です。それでもひどい雨なら、どこか居酒屋に移動します。詳細は、分かり次第お伝えします(前日は雨が降るようですが、当日はおそらく・きっと晴れるでしょう)。

会は誰でも、参加できますが、ひとつだけルールがあります。
参加するひと人すべて、自己紹介をしていただくということです。その順番は、わたしがその日の情況をみて、順不同に指名させていただきます。語り/聞き、語り/聞く--という連鎖のもとに熟成される情感の共時性を楽しんでください。

なお、会場についてですが、大阪城西の丸庭園の入り口ちかくの芝生に陣取っています。大阪城公園は広く、同庭園が午後8時に閉園すると、われわれの周囲はほとんど誰もいない状態となります。ペットボトルにロウソクをともした灯明がわれわれの集団の判別方法です。意外とすぐ分かります。迷った方は、大橋の携帯(090-5069-1840)に電話してください。これまで降雨のために、野外で出来なかった年もありました。今年は晴れることを切に願っています。
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《まろうど社 2013年 第18回大阪城夜桜会》

◆日時・4月15日(月)午後6時00分~(だいたい午後10時ぐらいまで。何時に来てもいいですが、だいたい7時にこられる方が多いようです)。
小雨決行。大雨の時は、残念会をどこか居酒屋でします。 

◆場所・大阪市中央区の大阪城公園・西の丸庭園入口の近くの芝生です。(交通機関は、地下鉄谷町線「谷町四丁目」駅下車。大阪府警・NHKの方に歩いていって、大阪城に入り、大手門をくぐり抜け、西の丸庭園を目指してください。我々の花見会場は、庭園の入口近くの芝生で行います。午後8時に西の丸庭園は閉園となりますので、後はまったく静かな環境になります。ですから、イメージするような花見会場とは全く位相の異なる会場です)

ネットで出てきた「西の丸庭園」の位置です。
http://map.goo.ne.jp/mapc.php?MAP=E135.31.32.721N34.41.00.261&MT=

◆参加・誰でも参加自由です。もちろん、参加費は不要です。ただし、飲み物、食べ物はなにがしかのものを持ってきてください。また、夜は冷えますので、暖かい格好をしてきてください。また演奏していただける唄者に対する投げ銭は大いに歓迎します。

◆3.--詩の教室「カフェ・エクリ」のお知らせ(5月15日〈月〉)

『Melange』同人である高谷和幸・千田草介氏が運営する詩の教室「カフェ・エクリ」の情報です。
5月は、15日(月)の開催です。
開催場所などの情報や、第一部の読書会の内容が決まりましたら、お知らせします。
(5周年を記念して行われた龍野「赤とんぼ荘」における合宿詩会は盛況のうちに終わりました)

◆4.--文学短報
A-----(ジャズの話題です)
 ☆文学とは関係ないのですが、ジョン・コルトレーンの「新譜」の話題です。
先日、大阪・茶屋町のタワーレコードで買い物をしていたら、なんとコルトレーンの未発表CDが発売されているではありませんか。3435円と高い。でも買いました。なにせ私にとってコルトレーンは神さま。1963年にペンシルバニア大学で収録されたライブ録音が発売されたのてす。

最近CDは安くなっています。同時に買ったクラシックのメンデルスゾーンの「アンティゴネー/コロヌスのオイディプス/アサリア」の三枚組が1670円。それに比べると一枚で3435円なのですが、ちょうど50年前のコルトレーンさまの演奏です。買わないわけはありません。しかも黄金のカルテット(P:マッコイ・タイナー、B:ジミー・ギャリソン、Dr:エルヴィン・ジョーンズ)。「My favarite things」収録。もうまったくもって、このCDは、私にとって、ご神託、神の降臨のほかのなにものでもありません。コルトレーン崇拝者・ジャズファンの、このメールニュースの読者のみなさん、このCDを聞かないのは、深き罪かと存じます。

B-----(詩の会) 天童大人氏の《肉聲の世界》~「目の言葉」から「耳のコトバ」へ←再掲
 ☆4月20日(土) 14:00~15:30 場所/神戸文学館
国内外で即興朗唱など、さまざまな手法で、〈肉聲〉の表現活動を続けている詩人・天童大人氏。文芸評論家の小島輝正氏(元神戸大学教授)、詩人の多田智満子氏、俳人の永田耕衣氏など、神戸の表現者たちとの親交のエピソードを語り、〈肉聲〉を撃っていただきます。
要予約/神戸文学館 電話&FAX 078-882-2028
〒657-0838 神戸市灘区王子町3-1-2
資料代として 200円必要
 ☆4月21日(日) 13:30~15:00 場所/正法寺(神戸市長田区)
   神戸市長田区片山町2-2-4
  予約・問い合わせ先/090-9166-9419 福田知子
   料金/予約前売り 2000円  当日2500円

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☆『Melange』読書会・合評会の会場=神戸・三宮のスペイン料理カルメン(カルメン==078-331-2228==の場所は以下のサイトを参照してください。阪急神戸線三宮駅西口の北へ徒歩1分の場所にあります。
http://www.warp.or.jp/~maroad/carmen/)。
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