神戸まろうど通信

出版社・まろうど社主/詩と俳句を書く/FMわぃわぃのDJ/大阪編集教室講師など多様な顔を持つ大橋愛由等の覚え書き

Poetaたち

2011年03月26日 11時22分44秒 | 通信
坪内稔典氏が夫人づれでCへ。

今は転居されているが、箕面市の旧宅へ製本所から出来上がったばかりの『評論集 世紀末の地球儀』(海風社)を届け、その時に夫人に饗応していただいたことがある。
懐かしい思い出だ。

稔典氏からは「俳誌 船団」の最新号をいただく(そういえばかつて私も「船団」に投稿していた)。

私の方からは「豈」は届いているというので、「月刊めらんじゅ」最新号や、神戸詩人事件シンポジウムの小冊子などを手渡す。

第61回『Melange』読書会・合評会のお知らせ

2011年03月25日 13時56分09秒 | 通信
『Melange』同人のみなさん ならびに 誌友のみなさんへ


○この一カ月、日本列島を震撼させる大きな出来事が起こりました。3月11日午後2時46分に発生した東日本大震災です(震災発生の時刻まで書いたのは、46分という時刻が阪神大震災と偶然同じだからです)。犠牲者は阪神大震災を越え、行方不明者を合わせると3万人近くになります。

さらに東京電力・福島第一原子力発電所の事故が発生。これからどうなっていくのか予想できない状態です。

神戸で震災を体験した者にとって、これから5年、10年、15年と続く復興への長い道のりを考えると、いま東北の被災者のみなさんに、なにをどう声をかけていいのか分かりません。

(『Melange』同人のF・Aさんが、パートナーの赴任地である新潟から実家のある兵庫県に一時帰省しています。10カ月になる愛くるしい赤ちゃんを連れて。新潟は福島に近く、抵抗力の無い乳幼児のことを考えると、この帰省はやむなきことでしょう)。

○こうした情況下でも、われわれの読書会・合評会は4月3日(日)に開催します。読書会の発表者は、今月渡仏を敢行した西本恵さんの報告「パリ、パリ、わたしのパリ」。詩群の締め切りは、3月つごもり(31日〈木〉)です。


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◆1.--第61回『Melange』読書会・合評会のお知らせ(4月3日)

◆2.--カフェ・エクリのお知らせ(4月7日) 詩の森の散歩道
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◆1.--第61回『Melange』読書会・合評会のお知らせ(4月3日〈日〉)

第一部の読書会(午後1時~)は、西本恵さんが発表担当です。
語りの内容は「パリ、パリ、わたしのパリ」(大橋が勝手につけたネーミング)

前衛舞踏の桂勘劇団がパリ公演した際、その“旅芸人一座”に同行して渡仏した紀行談を語ってもらいます。(旅行譚は、月刊めらんじゅ61号にも寄稿してもらう予定です)--珍道中だったというウワサあり。楽しみです。

第2部(午後3時~)は自作詩の合評会です。詩稿の締め切りは、3月31日(木)。みなさんから寄せられた詩群は、4月2日(土)中にメールで送信いたします。みなさんの力作をお待ちしています。

◆3.--カフェ・エクリのお知らせ(4月7日) 詩の森の散歩道

『Melange』同人の高谷和幸氏が主宰する詩の教室「カフェ・エクリ」の開催予定です。

☆4月7日(木)午後4時から加古川であります。まだテーマは未定。
☆5月2日(月)午後4時から姫路。
☆6月6日(月)午前11時から龍野です。

詳細は、高谷氏のブログ 「カフェ・エクリ」 http://cafeecri.web.fc2.com/ をご覧になってください。


鹿児島の真宗門徒たち

2011年03月23日 13時55分29秒 | 通信
親鸞展の会場近くに、東本願寺の門徒たちを受け入れるお土産場のようなところがあり、そこに真宗関係の書籍が多く並んでいた。

その中で『真実に生きた人々--薩摩のかくれ念仏』(真宗大谷派鹿児島別院、2008)を購入した。

薩摩藩は、念仏宗の中でも、浄土宗、時宗は庇護したが、浄土真宗は徹底的に弾圧した。加賀の一向一揆など、大名と拮抗する政治と軍事能力を保持した真宗集団を嫌悪したのである。

親鸞展

2011年03月22日 13時29分34秒 | 通信
京都にいる。

昨秋の紅葉見物以来だろうか。

左京区岡崎公園内にある京都市美術館で開催されている「親鸞展」を、見に来ている。

門徒宗の団体客が私の周辺に遍満してにぎやか。タスキがけをしている門徒もいて「名古屋教区」「久留米教区」などの文字が読める。

近く開催される「法然展」も行く予定。

日曜日の朝日読書欄に吉本隆明がちょうど親鸞について言及していた。
その中で、親鸞の「往相と還相」についての所感が面白かった。

もうすぐやってくる

2011年03月21日 16時48分01秒 | 通信
春の使者ツバメたちがいま南溟を北上している最中でしょう。

阪神大震災の時も感じていたいましたが、ツバメたちは、震災でつぶれてしまった街に驚いたのに違いありません。

去年と同じ場所に帰ってきたつもりが、街そのものがなくなっている。

だから同じ場所で営巣が出来ない。

あらたに巣作りできる場所を捜したのに違いありません。

東北の被災地もまた大量のツバメたちが行き場所をなくしてしまうのに違いありません。

東北のツバメたちが同じ場所に同じように巣を作るようになるのは、いつのことになるのでしょう。

深夜の自転車

2011年03月20日 15時01分34秒 | 通信
詩人Tさんと三宮で飲んで一緒にタクシーに乗って帰った三日前のこと。

道路前方に自転車をこぐ二人。男と女。

時間は午前1時をすぎている。

信号待ちになってちょうど彼ら二人の横にタクシーが停車した。

ウィンドウをするすると下げ
「寒いでしょ」と声をかける。

後ろにいた女性。「ああ、びっくりした」

無理もない、いきなり声をかけられたのだから。

「寒いですよ」と男性。

革ジャンを着ているものの、その夜は5度以下に冷え込んでいるので、とても防寒具としては心持たない。


「どこまで」
「六甲まで」

自転車だと少なくとも20分以上はかかだろう。

「(タクシーに)乗せてくれますか」と男性。
 
タクシーの中から声をかける私も私だが、自転車をこいでいる最中の者が車に乗せてほしいというのも、変っている。

返事をしようとした時、信号が変ってタクシーは発進した。

そのやりとりを聞いていた詩人Tさんは私に
「(あの人)知り合い?」と聞く。
「いや」と私。

監督と会う

2011年03月19日 23時45分15秒 | 通信
映画監督の大重潤一郎監督がCへ。

奄美の話などをしていると、同行の男性を紹介してくれる。

須藤義人氏。沖縄大学人文学部専任講師という。

もうすぐ大重監督のことを主に書いた『久高島オデッセィ』(晃洋社)が刊行されるとか。

大重監督から紹介されると、わたしがまず聞いたのは「OBK-MLに入っていますか」だった。

「はい」と須藤氏。

沖縄・奄美研究者の多くをネットワークしているこのメーリングリストは、有益な掲示板と言えよう。

須藤氏は大重監督の助監督を務めているという。

「また、OBKで会いましょう」と言って別れた。

休日を謳歌する神戸

2011年03月18日 23時21分52秒 | 通信
気のせいかもしれないが、今晩の三宮はひとびとが湧き起こっているような印象を持った。

若者が多い。週末はたいてい多く、今は卒業式シーズンなので、ことさらに多く街に繰り出すのだが、「ひとびとが湧き起こっている」とは、なにか言いしれぬ興奮状態が、ひとびとに共有されているような気がする。

それは(これまた勝手な思い込みだが)、東の方で大きな被害をもたらした地震が起きたことで、自分たちが震災の当事者ではないという気づき(大きな他者がたち現れることで顕現される自己のありようの発見)、つまり自分たちは今まさに逆の立場にたっているのだという開放感のような心情に浸っているようにも思える。

思い出す阪神大震災

2011年03月17日 17時08分18秒 | 通信
今回の東日本大震災の津波シーンをネット動画で何度も繰り返して見ている。

津波の威力はなんど見てもすさまじい。

動画サイトには、阪神大震災が起きた瞬間やその日(1995年1月17日)に撮影した動画がリンクされている。

わたしは四日ほどだが、震災が起きた日からテレビを見る環境にいなかった。

神戸市立本山第一小学校(東灘区)に避難していたからだ。

であるから、神戸がどのようにニュースで報道されたのか、知ることはできなかったこともあり、今あらためて震災時の動画を見ることで、神戸以外の人がどのように神戸を見ていたのかを再確認している。

東北・関東の被災者の人たちも激震地ほどライフラインが遮断されている地域が多いので、自分たちが目にしている光景を享受するだけで精一杯だろう。


ノマド(彷徨)球団

2011年03月16日 09時53分33秒 | 通信
わたしが愛したプロ野球チームは、あくまでオリックス・ブルーウェーブである。

仙台球場が震災で当分使用できない状態が続き、楽天球団がしばらく関西に拠点を移すと報道されている。

そこで候補に上がっているのが、神戸の「ほっともっと球場(グリーンスタジアム神戸)」や、「大阪(京セラ)ドーム」。

しかしその二つのスタジアムの運営を管理するオリックスの発表によると、すでに予約が入っているので難しいという。

それではというので、岡山のマスカット球場も候補地のひとつになっている。

阪神大震災の時の関西の球団は、グリーンスタジアム神戸も甲子園球場も、シーズン開始までに修復されたので、フランチャイズを移す必要はなかった。

楽天の場合はそうはいかず(東京ドームのパ・リーグ枠は開いているが、このドームは電気消費量が多いために、仮本拠地とするのは難しいだろう)、しばらく“ノマド球団”になりそうである。

神戸に居る者にとっては、楽天は神戸にJリーグ「ヴィッセル神戸」を所有しているわけだから、神戸の本拠地でいいのではないかと思っている。

オリックスはかつて神戸の市民球団だったが、今は年間に16試合程度しか「ほっともっと球場」で行わず、なかば神戸を見捨てた球団である。

今は岡田監督という関西球団出身者が指揮しているが、かつては関東の巨人とか西武出身の人材を監督にするといったファン心理を逆なでする人事を行ってきた球団であることも忘れない。

神戸のオリックスファンの熱はすでに冷めている。それより同じく被災した地域の球団である楽天が神戸で活躍してもらう方が、神戸市民の声援が得られようというものだ。


人口が増えた拙宅周辺

2011年03月15日 09時30分17秒 | 通信
もともと人気の住宅街だった。

しかし拙宅の周辺は、昭和30年代に建てられた木造家屋が多く、阪神大震災ではこうした経年の家屋は間違いなく壊れてしまった。

JR・S駅から東(芦屋方面)に行くにしたがって、古い家屋が多く、街そのものがなくなってしまった。

震災の年から家屋再建が始まったが、50~100坪以上の邸宅跡地にはファミリータイプのマンションが建つことが多くなった(50坪程度ならワンルームマンションが建設された)。

本格瓦葺の伝統工法で作られていた邸宅が消失するのには寂しさがつきまとったが、ファミリータイプのマンションに新住民が多く住むようになって、拙宅周辺には、子育て世代の若い家族が増えたのである。

震災前は住宅地だったが、コンビニが出来たりなど、街になっていった。

震災特別番組

2011年03月14日 22時54分06秒 | 通信
本日、FMわぃわぃ「南の風」奄美篇の生放送。

予定していた内容を変えて、「東日本大震災と奄美と神戸と」をテーマとする。

あらためて、FMわぃわぃが震災の記憶を継承するために生まれたメディアであることを確認する。

しばらくわたしの番組では、震災に関する番組とする予定。

番組終了後、琉球ワールドに立ち寄る。

喉が乾いて三宮に移動。わたしが勝手に呼んでいる“高架下バル”に行く。

今日は生ビールが美味しい。

アテは今月でなくなるおでん各種が中心。

1.たまご 2.ダイコン 3.厚揚げ が私の好みのベストスリー。
なんど食べてもいい。

生ビールを4~5杯飲んで良い感じになる。

高架下バルは、JRと阪急の高架に挟まれて、明るい都市・神戸にあって陽が当たらない数少ない迷宮的な路地なので、気に入っている。

ここを歩いていると、思わぬ人物と会う。かつて詩人・倉橋健一氏とばったり出会ったことがある(勿論、飲みに入った)。

詩人たちもこの迷宮性が快楽なのだろう。

庶民の夢がいとも簡単に

2011年03月13日 23時21分22秒 | 通信
津波は恐ろしい。

庶民が長いローンをかけて手に入れたマイホームが、津波によってなんとも軽々と運ばれていく。

私の年齢ではまだまだ働いてローンを返済しつづけている人が多いこともあって、暗澹たる気持ちになる。

幾多の思いをかけ、資金も用意して、せっかく建築した実家がかくも短時間に消失していいものか。

阪神大震災では家は燃えたり倒壊したりしたものがあるものの、潰れた(燃えた)その場所に立っていた。

隣家は全壊した解体業者が丁寧だったらしく、細かなものも拾い出すことができたと隣人は感謝していた。

しかし津波で押し流された家屋はそうはいかない。

一つの家にはその家なりの家族の記憶が蓄積むされているだろう。

その記憶そのものも流されてしまった。

言葉がでない。

長い一日

2011年03月12日 23時04分20秒 | 通信
こうした大きな自然災害が起きたときに、ひとびとの心象の根の部分があきらかになるものだ。

阪神大震災の被災者である者ならではの経験知というものが、発揮される時であろう。

東日本の被災者のひとびとの苦悩はこれから何年もわたって続く。

それを思うと他人ごととは思えない。

わたしに何が出来るのか考えている。


第一報は

2011年03月11日 23時23分32秒 | 通信
その第一報を聞いたのは、S百貨店にいた時だった。近くにいた女性の携帯がになり「えっ、仙台で地震があったの」と言っている。

同じ神戸でも座って働いている人は、揺れを感じたという。

昼の震災。

夕方になって、東北地方の被害の実態が次第に明らかになっていく。

大変なことになった。