神戸まろうど通信

出版社・まろうど社主/詩と俳句を書く/FMわぃわぃのDJ/大阪編集教室講師など多様な顔を持つ大橋愛由等の覚え書き

12月から来月にかけてのお知らせ

2012年12月22日 09時55分30秒 | めらんじゅ
2012年最後の〈『Melange』ニュースレター〉です(たぶん)。
みなさんにとって、今年はどんな一年間でしたでしょうか。
12月には総選挙(AKBのではなく)が行われ、極端な結果に絶句している方も多いのではないでしょうか。
(私が建設業界に関係していたら、今回の結果を悦んでいたでしょうが…)
今月の残りにも少しのイベントがあり、来年1月2月の予定も書いておきます。

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◆1.--『Melange』合評会 のお知らせ(2012年1月27日〈日〉)
◆2.--有鴇秀記著『眠りの門』出版記念会(12月27日〈木〉)
◆3.--詩の教室「カフェ・エクリ」のお知らせ(1月14日〈月〉)←会場は兵庫県たつの市です。
◆4.--天童大人氏の〈肉聲の世界〉(2月9日)←新情報
◆5.--文学短報
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◆1.--『Melange』合評会 のお知らせ(2012年1月27日〈日〉)

2013年の、はじめての例会は、『Melange』本誌の合評会を行います。開始は午後1時から。
まだ『Melange』本誌が届いていない方はこのメールアドレスまでお知らせください。
この日、第二部の合評会をするのかどうか未定です。
またこの日、2月9日(土)にスペイン料理カルメンで行われる「《ユニヴァーサル・ヴォイス》®の詩人・天童大人の〈肉聲の世界〉」の打ち合わせも行いたいと思います。

☆もし二部に合評会をする場合は、1月24日(木)が締め切りです。実施するのかどうか、みなさんにお知らせします。

☆ちなみに、「月刊めらんじゅ77号(12月2日発行)」をpdfファイルにして公開しました。

http://www.eonet.ne.jp/%7Emaroad/melange077.pdf


◆2.--有鴇秀記著『眠りの門』出版記念会(12月27日〈木〉)

「月刊めらんじゅ」誌友の有鴇秀記氏が刊行した『眠りの門』(澪標)の出版記念会を催します。会場はスペイン料理カルメンです。12月27日〈木〉午後6時から開始します。仕事の都合で遅く参加される方もいらっしゃるので、ぼちぼち始めています。

この会では、高谷和幸氏から「詩集を読んで、その感想や思いを、詩で表現してみてはどうか」との提案をいただいています。なにしろ年末の多忙な時なので、参加予定者全員に無理強いはしません。詩が出来た方は持参してください。本来なら、この詩稿群を、「月刊めらんじゅ」に編集するのですが、わたし(大橋)も多忙なために、無理かと思います。
楽しい会にしたいと思います。年末ぎりぎりのこの日に、みなさん、集まりましょう。


◆3.--詩の教室「カフェ・エクリ」のお知らせ(1月14日〈月〉)←会場は兵庫県たつの市です。

『Melange』同人である高谷和幸・千田草介氏が運営する詩の教室「カフェ・エクリ」の情報です。
1月の会場は、たつの市の「カフェ・ガレリア」(たつの市龍野町富永1439電話:0791-63-3555)で開催します。
第一部(午前11時開始)の語りは、「シモーヌ・ヴェイユ」について。
▼当日参加する方は、午前9時38分JR三宮駅発「姫路行」の新快速に乗車してください。終点・姫路駅で下車。同駅で姫新線に乗り換え21分後に「本竜野駅」に到着。そこから歩いて10分ほどです。
同会も詩の合評セクションがあります。自作詩を持参してください。10部ほどコピーが必要です。
〈残念ながら、わたし・大橋は仕事があり参加できません。みなさん、楽しんでください〉

◆4.--天童大人氏の〈肉聲の世界〉(2月9日〈土〉)←新情報

詩人・天童大人氏が神戸(スペイン料理カルメン)に来ることになりました。
タイトルは、《ユニヴァーサル・ヴォイス》の天童大人、神戸にやって来る!
詳細はいま詰めている最中ですが、分かっている情報をお知らせしておきます。

   ◆プロフィール
1943年小樽市生まれ。72年5月、奈良五条から熊野本宮まで歩行。9月からスペイン北部の深山で修業。73年夏、トルコから帰途、ピレネー山頂にて「太陽の啓示」を受け、「聲ノ力」に開眼。80年から肉聲を回復する試みとして新しいジャンル「即興朗唱」を興し、各地で朗唱会を行う。83年から詩人・吉増剛造を誘い厳冬期の北海道を巡る「北ノ朗唱」を10年間行う。87年、来日中のケネディ・センターのジリアン・プール女史に「ユニヴァーサル・ヴォイス」と呼ばれる。90年夏、ザルツブルグにて、ガリーナ・ヴィシネフスカヤ教授(ソプラノ)のマスタークラスを受講。93年から毎年、対馬の和多都美神社に「聲」を奉納している。

   ◆著書
詩集に『玄象の世界』 永井出版企画 1981年、『エズラ・パウンドの碧い指環』 北十字舎
1995年、翻訳に『ロルカ・ダリ』(アントニーナ・ロドリゴ著共訳)六興出版 1986年、
写真集に『DANA』(小島光晴と共写)国際教育学院文化事業部 1991年等々がある。

-------4月20日(土)にも「神戸文学館」(神戸市灘区)で、朗読会を開催予定です。

◆5.--文学短報

A (近況)『Melange』本誌編集人の寺岡良信氏は現在自宅で過ごされています。顔の血色も良く、治療のためと、電車に乗って宝塚から三宮に出てくるほどに恢復しています。ここに本人からメッセージが届いていますので、お読みください。

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    ご心配をおかけしました。


 今年も残り少なくなりました。お変わりありませんか。
 大腸癌の手術では、皆様に多大なご心配をおかけました。
 多くの方々からお見舞いや励ましをいただきながら、パソコンの度重なる故障などもあって、お礼が遅れましたことをお詫びします。

 手術は大腸を三分の一切除し、生き残った組織に小腸を直接繋ぐといった大掛かりなものでしたが、その後の経過は順調で、手術後ひと月足らずで退院の運びとなり、現在は肝臓に転移した癌の治療に向けて体力を蓄えながら、筋力が萎縮しないよう、さらには深刻な鬱病に陥らないよう、散歩や外出に励んでいます。

 音楽を聴いたり、リコーダーの練習をまた基礎から始めたり、読書をしたりと、時間は有り余るほどあるのですが、このような形で教職から離れざるを得なかったことが今なお痛恨の極みで、教育を通して「知」に関わっていた自分が消えて無くなることは、余命を限られるよりも辛いものだと、戻らない時間を悔やむ毎日です。

 年が明ければ再入院して、抗癌剤治療に臨みますが、始終拘束されている訳ではないので、「めらんじゅ」の例会にはできる限り出席させていただくつもりです。親しくお付き合いくださるよう、お願い申し上げます。

 冒頭でも触れましたように、入院前にパソコンが壊れ、すべてのデータが飛んでしまって、メールをくださった皆様には非礼を重ねてしまいました。

 新しいパソコンのアドレスは、前と同じ、vocalise5849@corp.odn.ne.jp

です。このお知らせとご挨拶を、大橋愛由等さんから送信していただきますので、どうぞよろしくお願いします。

    2012年12月20日  寺岡良信
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B (新著)季村敏夫氏から詩集『日々の、すみか』(四六上製本、本文122ページ、本体2500円、書肆山田)が到着しました。あとがきには「この作品集は十六年前の春、阪神・淡路大震災の翌年にだした。再び送り出すことができ、ひき締まるものを抱く。/災厄のあとの身もだえ、ところがわたしは、いつも遅れていた。ずれた場所で、促されるものに身をまかせていた。/もがいていた。そうかもしれないが、世界の実質に触れようと動きまわる胎児の指先、先端のふるえを遠くに見据えた歩みだったようにおもう」と書かれています。-----ここにも、震災を生の起点と位置づける神戸の表現者がいる。


C (追悼語りです)川柳作家の石部明さんを追悼する語りです。川柳作家として永年、石部氏の表現活動をみてきた石田柊馬氏の語りの一部を動画で見ることができます。濃い内容です。録音は「北の句会・忘年句会」の席上(12月9日・場所/スペイン料理カルメン)

http://twitcasting.tv/gunshaku/movie/7675355


D (加入)俳人・夏石番矢氏が代表を務める俳誌「吟遊」に参加することにしました。季刊で発行する媒体です。

番矢氏は、自らのブログで、わたしの加入を伝えています。
http://banyahaiku.at.webry.info/201212/article_20.html

俳句については寡作家である私は、今月、この「吟遊」と「豈」(年に2回刊がメド)に向けて、それぞれ俳句をつくり、送稿しました。

私にしては、たくさん作りました。私の句は、句会向けではないので、エクリチュールとして、俳句を展開した方が、他者のまなざしを気にすることがないので、ずいぶん気が楽です。これからも句会にあまり出ることのない作家であろうと思います。


来年1月、恒例の〈南たび〉に出ます。1月21日(月)~24日(木)の旅程です。今年は沖縄本島、沖永良部島、奄美大島を予定しています。沖縄本島では、詩人たちと会うつもりです。

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☆『Melange』読書会・合評会の会場=神戸・三宮のスペイン料理カルメン

(カルメン==078-331-2228==の場所は以下のサイトを参照してください。阪急神戸線三宮駅

西口の北へ徒歩1分の場所にあります。 http://www.warp.or.jp/~maroad/carmen/)。

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明日の総選挙を前にして

2012年12月15日 09時46分55秒 | 通信
まろうど社の著者である藤井貞和氏から、明日の総選挙に向けて、メッセージが到着しました。

以下に転送しますので、みなさん、お読みになってください。


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研究会を一つ、立ち上げ、大月書店、カマル社のホームページからご案内です。
各方面へ、配信させていただきます。

たったいま対談のアップが完了し、小社HPで公開しました。
http://www.otsukishoten.co.jp/news/n5447.html

桑原さんのほうのサイトでも、すでに読めるようになっていますね。
http://kamaru.net/index.php?3.11%E3%81%A8%E6%86%B2%E6%B3%95

とりいそぎ、ツイッターでも流しておきました。
https://mobile.twitter.com/otsukishoten
藤井貞和2012/12/14 17:38

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「月刊めらんじゅ」77号をネットに

2012年12月06日 09時33分35秒 | 通信
「月刊めらんじゅ」77号をネットにあげました。

http://www.eonet.ne.jp/%7Emaroad/melange077.pdf

=========目次=================

  詩・俳句・川柳
夢三篇………………岩脇リーベル豊美 04
御霊………………川田あひる 05
トゥオネラ河………………寺岡良信 06
出帆………………野口 裕 06
水の仙人………………にしもとめぐみ 07
無口な死体―川柳連作………………情野千里 07
さくらん………………大橋愛由等 08
キハクなわたし………………中堂けいこ 09
ささやかなひかりまでがするすると溶けていく ………………福田知子 10
災厄にさいなまれ………………有時秀記 11
返詩(KAESHI)⑦~⑩………………大西隆志/富 哲世 12
坂の町の冬―五十六年目のCへ………………安西佐有理 15

  エッセィ
新連載 〈詩人通りより/1〉「協働など」………………岩脇リーベル豊美 03
神戸詞あしび(二〇句選に現れた詩人たちの個性)………………大橋愛由等 16

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通常号としては今年最後の刊行となります。

西へ東へ

2012年12月03日 23時52分54秒 | 通信
多忙を極めた。

午前中こそ拙宅でゆっくりしていたものの、詩の教室「エクリ」で発表する「追悼・石部明氏の川柳を読む」の資料づくり。これは「北の句会」でも発表する予定。

午後になって、まずは長田区のFMわぃわぃへ。放送を担当するのではなく、収録ずみの「第四回奄美しまうたDISK大賞 最優秀書」の発表場面を再現して、写真に収める。
これをメディアに送信する予定。

FMわぃわぃにはものの10分ほど滞在しただけで、鷹取駅に向かう。乗りたかった電車が目の前で行ってしまったが、次の電車でも乗り継ぎの関係で間に合った。
向かった先は姫路。風羅堂の大西隆志氏にまず挨拶をして、今日の資料や、昨日作成した「月刊めらんじゅ」77号を手渡す。大西氏は富哲世氏と共に、「連詩」を続けている(タイトルは「返詩(KAESHI)」)。


その石部氏の追悼読みは、以下のようにまとめているので、ご覧になっていただきたい。
http://www.eonet.ne.jp/%7Emaroad/ishibe2012.pdf

「エクリ」では1人15分の時間内で、今年読書した本や、語りごとをしゃっべっていた。その中で私が初めて知ったのは、福島の「かんしょ踊り」で、Youtubeの動画で見ると、跳躍が一部入っていたりして、奄美(六調)・沖縄(カチャーシー)や阿波踊りといった踊り(跳躍は入らず必ず片方の脚が地についている)には見られない要素が入っている。なんでも激しい踊りなので、時の為政者から禁じられていたものが、3.11を機に、福島の女性たちが広め、経産省前のデモでも披露しているという。

さて、わたしは姫路にも永くは滞在できず、私が主催する「まろうど社の忘年会」に参加するため、姫路から大阪に向かった。会場は初めての場所で、大山勝男氏が見つけてくれた「福」というモツ鍋屋。二階の座敷に陣取り、まるで謀議をするためにあるようなところだった。味は、焼肉屋をきわめたという参加者の1人が太鼓判を押すぐらいのものであった。

忘年会は、10名ほどが集まった。梅田で開催したこともあり、背広族も交じっていた。1人ずつの語りでは、多様をきわめ、かつ刺激的であった。

私は少々飲み過ぎた。
来年も、この店を使うかもしれない。

『Melange』77回の詩群

2012年12月02日 03時29分57秒 | 通信
今年最後の『Melange』合評会の詩群を送ります。
こんかいは11名の参加がありました。



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◆夢三篇
       岩脇リーベル豊美

ふと目をあげると朝ぼらけの草原が広がり
地平線を薄明るく照らしている

死人を追いながらも
一別来の絵を描いてみたいと思い至る

いつも言葉を書き留めるデュラーの犀の手帳を取り出すけれど
黄色の色鉛筆が見当たらず三色ボールペンでかろうじて
地平線を青黒く牧場の柵を赤紫にそして
未だ昇らぬ太陽と並木を真珠色に塗り詰めることができた

わたしの庭が戦場となり騎馬が駆け抜ける
壮大な朝夢のあとだから橋は崩れ
一切が濃い霊気に憩いでいる

***

黒髪の女性が長い時間をかけて
膝まで編み上げた黒い靴は
名も知らぬ町の夜雨に安らいでいる

わたしは憚ることもなく見つめていた
彼女もそれを気にすることなく編み上げていた

その手は死んだ魚のように煌きながら翻り
深い水のなかに沈んでゆくが
海底では役割を果たした貝殻として
異端の夢を欲しがるのである

***

まるでわたしの部屋からついてきたような
短い毛糸の屑が遠い駅の階段に一筋落ちている

人混みにもかかわらず立ち止まり手にとると
後方の乗客が急ぎ足で迷惑そうな顔をするが
拾わずにはいられなかった

この落とし主も生成りの毛糸で
鹿の子模様の毛布を編んでいるのだ

待降節も振るえる霜月
見知らぬ次元を通過する時間相に
紡ぎこむ喪のTräumerei




◆トゥオネラ河

          寺岡良信


連弾の一人は黄泉の明かり曳き

麻酔医のサティ-の笑みよエ-ゲ海

縫合の痛みに触れて星の息

洗骨や石器時代の朝焼けに

夢冷えてトゥオネラ河に橋はなし



◆ささやかなひかりまでがするすると溶けていく

               福田 知子


尾骶骨に赤色の玉 丹田に金色の玉
双子の姉妹がグラウディングする
地底に降ろしていく 糸 三十三数え
地底の小石に結びつけ
ひかり 引き上げ ひかり 引き寄せ 地底と結ぶ
天と地 地底と天空は結びあい 溶けあう


ひかり降るごとに黄金色に染まるの木々
あめの向こうに浮かびあがる
ひとかげ 木々 樹々 きぎ キギ
ひかりを深呼吸し 姉妹はグラウディングを終えた


吸いとられるのが怖いから吸いとる
せつない授受の時代は終わったはず……なのに
地上 コンクリートに靴が溶ける
夕刻になると溶けはじめる 靴 こえ からだ
携帯に届く苦しい声 きれぎれの 声 ひきずり
のろのろとスタバで煙草を一服
烏丸通りを行き交うひとびと
鮮やかな色のチュニック スパッツにピン・ヒール
ユニクロパーカーにスニーカー
丸みを帯びたフラットシューズにロングスカート
大通りの夕刻は靴のラッシュ・アワー
靴が地上に溶けて張り付く夕刻
とどく とどけたい 声を 声に 一心に


…………とどく とどいたしゅんかん
すんでゆくあね  あね すでにそこにはいない あね
くちにするおかし くすり あかずに おかし
いのちをほしがらなくなっている いのち
 気づかないまま じーっと ずーっと
あしたのじかん あさってのじかん いまのじかん
しんじるのか
いのりのままに?

 けれど そう
……晴れる

――――― あしたは きっと



◆出帆
  野口 裕

滝という滝がモグラを叩き
叩かれ叩かれとっ捕まる
とっ捕まったモグラは水になり
とっ捕まえられた水はモグラの種を宿す


万物流転か異界への貴種流離か


底冷えのする会場で見た墨絵はカボチャだった
ごつごつした野菜の肌に白が陥入し
墨の境界を軽々と飛び越え
白が墨と群舞や乱舞し…
ようこそ隠れ家へ

今日、少年は転校した

古老はた
Bon Voyage !
と叫ぶのみ


◆キハクなわたし
中堂けいこ

 雲間から日差しがおりて川向こうの空に、くっきりと山の稜線が見える。見覚えのあるどこかしら懐かしい感覚にとらわれる。わたしをとりまく人々の顔立ちが白くあらわれ、だれかれと見覚えのある懐かしい人々のようだ。わたしを集団に誘った一人は中心人物らしく、今は皆が河原の枯れ草や落ち葉の重なったあたりに腰をおろし、だが視線は相変わらず川面に貼り付いて、光のせいでまぶしそうに下瞼をすぼめている。誰だったかほとんど思い出しているのに、名前やどんな知り合いだかがわからないでいると、中心の人が振り向いてわたしに微笑みかけた。上体を右向きによじって顏に斜めに光が射している。(あ)思い出した。写真の人だ。ブロッソンのポートレイト風の一枚にあった、河原で男と女が腰に腕を巻きつけながら後ろの写真機を振り向いている、空いた手にワイングラスを捧げて、楽しそうに恥ずかしそうに笑っている二人。特に女のほうは肥満でわき腹と腰に贅肉の段が露わになって、こちらも笑いに釣り込まれてしまう、そんなフレムワークだ。あの女の人だ。途端に記憶の写真はモノクロから天然色オールカラーに変化する。黒い液体は真っ赤なワインになる。はたしてわたしの目前の光景は白いハイライトをまとっただけのモノクロームに変わってしまった。

 お揃いの灰色っぽい服に身を包んで、いつの間にかわたしも同じ格好で座っていた。川の対岸から小高い丘のあたりまでススキが茂り、いっせいに同じ方向に穂を垂れて銀色の原っぱになっている。風に乗り雲の千切れたような浮遊物が飛んできて、それがススキの種であるのがわたしの服に付着してわかった。まだ枯れススキにはなっていない美しい銀波の原であるが誰も見ようともしない。みんな身体ごと薄くなってすんなりしている。


             アンリ・カルティエ・ブロッソン(写真家)


◆ さくらん

            大橋愛由等

牛追いで岬にたどりつくとあなたが船を燃やしていて/世界の果ては術語的ありようで満ちているとすれば/海洋学者はアカウミガメからの密告に耳をそばだてていて/ジュゴンたちはもう呪謡を想い出させないと哭いているさなかに/死者を乗せた難破船と死者が不在な難破船の数をかぞえながら/鯨の屍肉が落ちていく深海にはダンディズムがあり/人食いカマスたちはただひたすら北上してゆくから/戸外にはミクスチャーがたくさん落ちていると聞き及び/野辺に咲く蘭を抱いて御堂に向かうと/老いた男娼を描いた映画が今朝クランクアップしたその日に/身を裂く乱世に猫ちぐらは必要であろうかと/アゴラで語り合うには風裂く卵生が似合うのだから/いっそのことぼくの墓標を刻むフォントをあなたに撰んでもらえば/どうせ誰も相談相手になってくれないから/でもどうしてあなたは船を焼くのだろう/百坪の更地が杜になるまで待つつもりはなく/メドゥーサはそういえば難破船の往復切符を持っていなくて/不全なのよきっと牛も屍肉も男娼もなにもかも/せめて陶器片にかなを書く時ぐらいは話しかけないで/男娼の転居先は赤石の中であったので/ネオニコチノイドを持ち歩くあなたはその石を知っているだろうと/やはり話しかけないでほしいの/あなたもぼくもきっと翳を割く欄外でいきていくのだろうからと/水玉ほくろを撫でで撫でている


◆坂の町の冬 --- 五十六年目のCへ(2012.11.23)
                       安西佐有理

坂道をのぼったりおりたり
手袋の中の手は
おりたりのぼったり
のぼったりおりたりしたあげく
東西にのびる路地へゆく
手袋の中の手は
一日の潮のにおい
一週間の落ち葉のにおい
一生をのぼったりおりたり過ごしてきた
坂の町のにおいが染みる革の手袋から出て
路地に思いがけず待っているその店で
いつだとて思いがけない
ひかりの手触りに出会うのだ


もはや煤けた泰西名画には描かれようのない
二〇一二年冬の夜、ゆくえしれずな黒の黒さ
ふるえる骨たちの奥深くにも
しずかに挨拶を送る、赤や黄の蝋燭の
ともしびの厚み
皿に盛られたなつかしみとあこがれが
あえかに青く昇華する
炎の滑らかさ


手袋から出た手らは
ひかりのゆらぎを雄弁な音楽に、あるいは
晴れやかな言葉にして
手と手
グラスを交わし
手と手
向かい合い
路地を出て
また坂道をのぼったりおりたり
おりたりのぼったり
のぼったりおりたり

      (編集部注・この作品は、11月23日のスペイン料理カルメン創業記念日に行われたフラメンコ・ギターとバイオリンの演奏による詩の朗読会向けにかは書き下ろされたものである)


◆水の仙人
          にしもとめぐみ


花々がまだ眠っている
静まり返った十二月の庭に
ジャンヌ・ダルクのように勇ましく
緑の剣を地に立てる


オシロイバナや苗代苺のように
そこら中広がって はびこったりはしない


自分の場所ですっくと伸びて
色のない庭に静かに咲くのです


花言葉は あなたを待つ
報われぬ恋である
水の仙人 静謐の人よ


長い冬のはじまりを告げて
ふさぎ込んだ暗い部屋にも
カップ一杯の喜びを届けてくれる


何も良いことが見つからない
寒い一日にも
パンドラのように
私はここにいます、と


◆御霊
             川田あひる

あまやかな夢の
死の
ハンガーに
ぴくり
翼を
ひるがえし
飛び立った
分身よ
黒波
灰波
紫波
しじまの彼方
わたくしが
一つ
仏を
投じた
彼方へ
とどいたか
死の間際
一瞬に
わたくしの御霊は
とどいたか
こくこく
こくこく
乳を吸う
赤子が
高く
昇り
闇を
照らすとき
耳をそばだてるわたくしの
ひたいに
帰りきて
白く
鳩が
とまる


◆災厄にさいなまれ 有時秀記

巷に呼吸する家々のような平和は、一瞬の大津波でも崩れ、金融崩壊でも砂塵に消え、家庭崩壊でもついえ、不治の病でも崩れ、それにさも似た災厄でも崩れる。夢幻の実現に向けた楽しき日々のたたかいは、転落し、悪無限におちいり、循環の渦巻きを現象する。

そのとき意識はカタストロフィにさいなまれ、歯ぎしりを繰り返すかのような脱出を反復する。メールストロームに巻きこまれた船は、このカタストロフィの逆巻きをいやがうえでも身体に記憶し循環を循環する、という悪無限の立ち現れが現象する。

苦の世界の顕現は、しかし、それを超え出ようとするたたかいの反復を現象する。反復は知恵であろうか。やがて、人類の歴史に刻みこまれたカタストロフィの非望が、ヨブを、イエスを、ブッダを、ツラトゥストラを、知と愛をもって立ち現れさせたように、消尽の彼方に誠の聖家族の住む門を見いだす方途があるだろう。

悪無限に住む悪魔の誘惑をらくらくと逃れると思うのは、錯誤であり、偽善であるが、偽善の椅子に座るものは、それが偽善であることをおおかた知らない。それならば、偽善の椅子にはつばを吐き、復讐の山を超え、慈愛の門をくぐりぬけ、真理の椅子に座る道行きをこそ、悪無限のメールストロームから抜け出す比類ないメソッドと思念しておこう。比類ない私の椅子が夢幻の椅子として、現象し、顕現するのは、災厄にさいなまれたのちの山のいただきであり、そのとき、椅子は黄金の椅子である。



◆返詩(KAESHI)⑦~⑩

大西隆志・富哲世

⑦ 大西→富

座興


あわて床屋が喉に剃刀をあてて微笑んでいた、って本当かい
わたしらも、あちらの僕らも地図を見て
本居宣長の郵便札を買った船乗りの街から帰ってきたばかり
まぁ、昼の秘密は幻の昭和四十九年を蘇がえさせてくれる
広場はどこにあったのか定かではないとされていたが
煙りが上がっていた先に
人事の言葉が馬鹿げているのに、それは素敵で
迷いの跛行を楽しんでいた
商店街には裸電球とハエとり紙がぶら下がり
日々の喧騒を貼り付けていた
年代別の蠅の死骸もあったり
強力な糊はぼくらランボー少年を明るくさせた
いろいろな匂いが混ざりあい
灰は蠅でもあった
科学小説は変身を容易にした
言葉が虫になったまま、形をなぞった日々
壁にチョークで川下りの方法を書いてしまったのは
あれはあれで正解だった
脱臼するのは決まったフレーズにしがみついたから
空ぶかしのエンジンみたいに
咳き込んでいたら
やってきたよ、友が
バンダナ巻いていたのですぐわかったが
風を運ぶ人は言葉も運んでいた
タンポポとチョウチョの邂逅を見つめる繊細な指は筆でもあった
時には声帯の弦を弾き
海賊の末裔を誇りに引かれた国の境を自在に越えていたようだ
座興で運んでいった先には
互いの意志で結ぶ言葉の縁への
信頼があった



⑧ 富→大西


信頼


12頭身にはなれないよなあと想いながら
ぽくぽくと木魚の鳴る明るい草むらの
石の上で
詩人という種族が滅んでいった晴れた朝
受話器を置いて
フリルのついたエプロンのリボンを首の後ろに結んでだいどこに立てば
まるで死んでいったあの人がどこからかよみがえってきた奇跡のつもりで
古い思い出にも思わず挨拶なんかしたりして
なんとなく浮き浮きして
浮かんでいるようで嬉しい
(壊れるオモチャの上で
母はにかわ色に蝿たたきを鳴らした)
頭からつま先まで全身黒ずくめの影がベンチで脚を組んで
耳の大きな野ねずみのおしゃべりをいっしょけんめい聴いていると
道の向こうからそふぃあそふぃあとうそぶいてバンダナ姿の君が歩いて来るのは
まるで山から降りてきた
神さまみたいだ
砂の丘の
十月の
解けない謎の
澄んだ空の下の半没の喉骨めがけて
沖のことばが押し寄せて来る
あのね、水に濡れた
小暗い水晶の惑星で、〈あわて床屋が喉に剃刀をあてて
微笑んでいた〉んだよ
座って
砂糖壺を見つめながら
コーヒーを啜っていると
白ヤギさんからメールが来た



⑨ 大西→富



まってよ。待って下さい
やぎ座の彼女は手紙は食べないが、メールは咀嚼してしまうようだと聞いたことがある
やぎ座ってことじゃなく、彼女ってことに少し力をいれてだが、白やぎさんか黒やぎさんかははっきりしない
天気予報のようなもので、時間をスリスリしながら近寄ってきた
とても良い傾向でもあります
最近、ローカルな雑誌を見ていたら
それも30年程前の文化誌
ぼくは生意気盛りで地域の山羊さんに渡す言葉を綴っているのを少し見下していた(馬鹿は自身だったのに)
白やぎさんから黒やぎさんへ
黒やぎさんから白やぎさんへと面々(綿々)と続くことの
波のような永遠に嫉妬していたのかもしれない
いつか途切れることの一瞬に
白やぎくんの大丈夫なからだの部分と
黒やぎくんの病んでしまったからだをつなぎ合わせると
阿修羅よりは優しいだろう斑やぎさんが声を上げる
悲しさのなかのそら豆の音
壁に穿たれる銃弾に似ていなくもないか
まあ、古い時代の戦時下の話だが
いまだに体の一部が反応してしまう
あの店の住人にそっくりで、拡散していた光の水面には〈許し合う〉が翻っていた
はた迷惑な話だが、僕らは旗を目指す遊びにげんなりしていた
進め、へこたれ
へこたれながら抜け道を探していた
滝だと思ってたのが、電飾看板だったこともあり
車道と歩道の分けるための縁石には
何時も躓いているように
ポンコツを抱えているのだ
たがいに補うことはたやすいのに
むずかしくなっているのか
最近、誰かの手を握ったかしら
ことばを握ったかしら



⑩ 富→大西



光り輝く物体が
暗い三日月を食べている
ほぼ東西に流れる起伏を直角によぎる
そのアスファルトの参与の根方に
老いた命がモザイクを接ぎ合わせるように
黄落の葉溜まりが広がる
例えば2、3の分かれ道のはたで世迷い言に実験室の耳でうなずきおじやの夕食を摂る今日の日暮れの夢想のように
熊が木の実を漁るペンペン草に脚を擦り付けてバス停へと通り過ぎるかわりに
この黄金色のまだらの世界にどこまでも沈んでしまうこともできるだろう
いつの間にか番号札が剥がされていて
いつもの場所が分からなくなっても
ウチは大丈夫だよ
そこは神様の通り道だからね
ウチはきっと大丈夫だよ
隠しきれないポンコツを唱えながら売り名以上のポンコツを名前の後ろに隠しながら
かくしてワタクシタチ虫となって歩む月光のガード下
悲しさのなかポンポン
豆のはぜる物音
悲しさなのかポンポンソラ見たことか芽吹くおと
へその樹がホクロの枝がざらつく皮膚の町外れからぐんぐん生えて夜の星の囲い地のひとつに届いてしまう
他人の空似の雑沓のなか招待されたきみのベレエはどこか勇気のようだし
きみはまだ「門外漢のキチ」と呼ばれる郵便配達のひとりだ
ゴート ゴート
まわる乳母車
ゆうら ゆうら 揺れるゆうれいの舟
ゆうり ゆうり岸を離れるシンドバッドの影のラムプ
たった3センチのふかみに
きみのいちばん大切な魚がいて
かみもきみも
ことばを探している
前のめりな雨空のどこかで
じくじくじくと小鳥が囀ずり
靄に隠れた島影の先
はらはらと葉を落として