神戸まろうど通信

出版社・まろうど社主/詩と俳句を書く/FMわぃわぃのDJ/大阪編集教室講師など多様な顔を持つ大橋愛由等の覚え書き

東京が、沖縄が、近い

2006年02月28日 23時57分44秒 | 神戸
昨日、午後1時からのFMわぃわぃの生放送の直前に、「午後3時発の飛行機に乗らなくてはいけないのです」と出演者の照喜名朝栄さんは言うのです。

先月、飛行機に乗り遅れるという失態をおかしたばかりのわたしは、一瞬ドキッと。この時間では間に合わないのでは、と直感したのです。

ところが、わたしの直感が間違っていることにすぐ気付いたのです。伊丹空港発では間に合いませんが、神戸空港の場合、新長田からだと充分間に合うのです。三宮駅から空港島までは約20分の距離であり、しかもポートライナーなので、交通渋滞に巻き込まれるおそれはない。

こう考えると、神戸と沖縄や東京との距離は短くなりました。しかも、東京へは10000円で行けるスカイマーク社を選択するとするなら、新幹線より安い。しかも早い。この好条件下で東京への出張が気楽になりそうです。

一番、安い方法だと、神戸や大阪から深夜のドリームバスに乗って、帰りはスカイマークに乗れば、往復19000円前後でいけることになります。今年は神戸空港を利用するという名目で、東京出張が増えそうです。


沖縄篇の放送

2006年02月27日 17時39分01秒 | FMわぃわぃ
何年かぶりに沖縄篇の放送をしました。ゲストは照喜名朝栄さんと"かりゆし娘"の皆さんです。照喜名さんは、三線を造る工房主でありかつ、照喜名民謡研究所の主宰者でもあります。"かりゆし娘"の皆さんは、その教室に10歳前後から通っている秘蔵っ子です。現在、18~19歳という若さ。去年8月に「果報の島」というタイトルでCDデビューを果たしました。これから売り出していこうという三人娘です。

本日は、近くにある「琉球ワールド」の舞台が終ってすぐにスタジオにかけつけてくれたので、舞台衣装のままの出演でした。

午後一時から生番組がスタート。神戸空港からの午後3時の便で沖縄に帰るというので、20分間しか出演時間がないものの、4曲を生で演奏してくれました。

この「果報の島」は、FMわぃわぃからリスナープレゼントがあります。五枚です。詳しくはFMわぃわぃのホームページにアクセスしてください。

元気のある人たちだったなあ。


いくつもの小分けされたラーゲリ

2006年02月26日 21時56分50秒 | 思想・評論
本日、第9回『Melange』読書会で発表。テーマは、「沈黙は失語を濾過する--石原吉郎の世界」。

戦後60年たったいま、強烈なラーゲリ体験をした石原の体験(エッセィ)と表現(詩)をどう読むのかを私なりに問うたのです。

現在の管理社会の中に潜む〈いくつもの小分けされたラーゲリ〉に、石原が体験したソ連のラーゲリが形を変え、矮小化しながらも現出し、人々が言葉を失われていく情況が生み出されているのではないかと、提議したのです。

石原作品の魅力は「見たものは/見たといえ」(「事実」より)との詩句で表現されているように、〈在るもの/こと〉を〈在るもの/こと〉として直截的に受け入れながらも、詩作品では抽象化し得ているということでしょうか。

やっとみつけた言葉

2006年02月25日 23時05分05秒 | 思想・評論
「服従をしいられたものは、あすもまた服従をのぞむ」(石原吉郎「沈黙と失語」より)

この言葉、何年典拠を捜していたでしょう。津村喬氏がどこかに誰かの言葉を引用して書いていたと思い込んでいたのです。GOOGLEで検索するも出てこない(「今日抑圧された者は、明日も抑圧されることを望む」と覚えていた。記憶って曖昧なものですね)。

どうも、昶さんの『詩人 石原吉郎』を編集している時に、この言葉に接したようです。

石原はラーゲリ体験の日常の絶望をこのように表現したのです。ただこの次に続く、「それが私たちの〈平和〉である」は忘れていたし、いまもって衝撃です。


詩を書く

2006年02月24日 21時14分44秒 | 文学
『Melange』読書会は、毎回その二部として、詩の合評会をしています。

この会は、わたしが進行役兼事務局を務めているので、合評会用に作品を出すことが当然のこととなっています。

ですから、去年からよく詩を書いてします。朗読用作品を併せると、これまでの人生の中で一番多く書いているでしょう。

わたしはもともと「断念の詩型」たる俳句の作家なのですが、現代詩というのは、内在律はあるものの、俳句のような〈詩型の規範性〉に縛られることはない自由さが魅力です。いまは、その自在の世界を楽しんでいるといっては、詩人諸氏に怒られるでしょうか。



石原吉郎を読む

2006年02月23日 23時40分15秒 | 文学
2月26日(日)に行われる第9回『Melange』読書会の発表者はわたし。テーマは「石原吉郎 沈黙は失語を濾過する」としました。

これはわたしが海風社次代に、編集担当した機縁で、詩人の清水昶氏を経由して知った石原吉郎の詩作品を、戦後60年たったいま読み直してみようとするものです。

石原の壮絶なラーゲリ体験と詩作品読んでいると、「戦後」という時代を型作った原基のひとつである戦争体験がいかに強烈であったかを知るのです。

戦争から60年たったメルクマールの年だからこそ、蘇る/再生産される"記憶"があるのかもしれません。阪神大震災の時もそうでしたが、"記憶"というのは、平時には忘却されていても、メルクマール的な時・情況において、ひとびとの心に、間欠泉的に"来訪"し、あるいは"襲来"するのかもしれません。



今年もカルチャル・タイフーンに応募

2006年02月22日 23時02分20秒 | 思想・評論
今年も7月に行われる「カルチャルタイフーン」企画に、去年に続いてエントリーしようと思っています。今年の会場は、東京の下北沢。街そのものが会場になるというもので、この思潮に合った会場設定ですね。6月30日(金)、7月1日(土)、2日(日)の三日間開催されます。

今回も、わたしが企画するのは、奄美に特化した試みです。テーマは、「奄美の何が語られたのか----南島・琉球弧・奄美・シマ」(仮題)。

世代の異なる「奄美語り」に参集していただき、奄美の何が語られたかというより、奄美の何が語られなかったかをテーマにしたいと思っています。

つまり、奄美は、ヤマトの知識人、思想家、表現者から、〈南島/琉球弧〉と呼称され、研究と表現の〈対象〉となってきました。近年ようやく〈奄美〉という名のもとに、奄美内部から語られ始めたと同時に、〈いくつもの奄美〉という解体作業も同時に進行しています。そして島の内部や二世の人たちの間からは、奄美ではなく〈シマ〉に直接還元していこうとするアイデンティティの動きがあります。この〈シマ〉とは、奄美という総体ではなく具体的な奄美大島、徳之島、沖永良部島といった島であり、かつ国家と対峙する原基であるシマ(集落/クニ)でもあるのです。また、〈何が語られなかったか〉という問いは、奄美の人そして奄美出身者に向けられたものです。復帰運動や対薩摩に対して繰り返される〈語り〉は自足しあるいは自閉していないかという問いかけであり、そこで語られてこなかったものとは一体何なのかも考えてみたいと思うのです。そしてこの〈南島・琉球弧・奄美・シマ〉といった名辞と概念は、時系列的に消費されていったものではなく、奄美を語る際の重層的な分母的言説として、今もってそれぞれが有効であるとの認識にたっています。 

予定しているパネラーは以下の方々です(交渉中の人も含む)。

・松田清氏(徳之島出身、「道之島通信社」、社会運動研究家)
・藤井貞和氏(詩人、国文学者、東大名誉教授)
・関根賢司氏(国文学者、静岡大学教授)
・酒井正子氏(文化人類学者、川村学園大学教授)
・前利潔氏(沖永良部島在住者、奄美の論客)
・高橋孝代氏(芝浦工業大学専任講師)
(司会進行)大橋愛由等

といった構想です。去年の熱き語りをもう一度再現しようと思っています。

「南の風」奄美篇に新たなステップ

2006年02月21日 23時54分37秒 | FMわぃわぃ
本日の朝日新聞朝刊(大阪本社版)に、FMわぃわぃ代表の日比野純一氏が登場します。

視点「関西スクエアから」という囲み記事。「市民メディアの役割とは」というタイトルで、FMわぃわぃの多言語放送局としての存在意義を、記者のインタビューに答える形で表明しています。

このFMわぃわぃは、比較的マスコミに登場しやすいメディアです。さまざまな番組がある中で「南の風」奄美篇を担当するわたしも、メディアに時々登場します(残念ながら、今日の記事には「南の風」の紹介はありませんが)。

昨日、わぃわぃに出向いて、「南の風」奄美篇のアーカイブス化のための第一歩となる資料提供をしました。まず、いままでの放送(奄美篇だけで222回)をデータ化して、それをもとに、音源と付き合わせて、i-Tuneにアップロードして、そこから一曲ずつ購入していくという体制になります。同時に、唄者ごと、番組ごとに、CD化することも考えているのです。「南の風」奄美篇は、10年やってきて、ようやく次のステップに移行しようとしています。


奄美で奄美を考える会

2006年02月20日 17時16分49秒 | 出版
名瀬の間弘志氏から電話。3月13日(日)午前10:00~午後5:00まで、奄美博物館3F研修室にて開かれる「奄美に学び・奄美で考える」会で、歴史・民俗学研究者の山下文武氏が「私の奄美研究の軌跡」について報告するので、「アシビ」で行われる二次会で読み上げる版元からのメッセージを送ってほしいとのことです。

文武氏は、まろうど社から『奄美の針突』という研究書を上梓したのですが、出版の祝賀会ならびに、研究内容を討議する場を設けないままになっています。これは本人が固辞したことが一番の理由ですが、去年、山下欣一氏が鹿児島国際大学を定年退官したことを記念して刊行された『奄美学』の仕事を継承していこうとする流れの中で、名瀬在住の奄美研究者の人たちが、文武氏に講演を依頼したのです。

こうした地道ながらもたしかな研究活動が奄美で立ち上がろうとしています。

忘れるもの

2006年02月19日 22時02分25秒 | 出版
自分が編集担当だった本をいま読み直しているのですが、細部は忘れているものですね。

清水昶著『詩人 石原吉郎』(海風社、1987)。

今月の『Melange』読書会の発表者は私。昶さんが読み説いた石原像をてがかりに、この詩人の文学に迫ります。

シベリア抑留(ラーゲリ)体験を反復することで戦後の生を主体化していった石原作品を、戦後60たった今に振り替えることの意味をかみしめつつ、この本を編集した約20年前のわたしとも対話していくつもりです。



大阪編集教室/コラム講評

2006年02月18日 22時10分18秒 | 大阪編集教室
午前10時から2時間、大阪編集教室ライターコースの講師を務めました。

四人の生徒の文章(コラム)をひとり30分かけて講評するのです。

書かれたテーマは、「断食」「高齢化」「天才」「省エネルギー」といった多様さ。

モノを書いてメシを喰っていこうとする若い人たちですので、それなりに筆力のある人ばかりです。

ただ、自分が撰んだひとつひとつのテーマについてもう少し突っ込んだ書き込みがほしいところです。

文章に直接反映しなくても、わたしが質問すれば、そのテーマについて淀みなく答えられるように思惟を深くしておかなくてはなりません。書き直すことで、よき文章になることを期待しています。


川満信一氏の詩稿

2006年02月17日 22時19分36秒 | 出版
本日、沖縄から、詩人で思想家の川満信一氏の詩稿が到着しました。

「カオスの輪郭」(仮題)という名のもとに、多くの原稿が束ねられています。

宮古島出身の川満氏は、首里城内にキャンパスがあった時代の琉球大学を卒業後、沖縄タイムスに入社。沖縄の言論界を代表する一人として言説を展開した人物です。のちにタイムスが発行した文芸評論総合誌『新沖縄文学』編集長に就任。多様な表現者、言論人に執筆の機会を提供。後学のわたしも大きな影響を受けました。

氏は最近評論を書くことが多いのですが、詩人であることを忘れてはいないのです。ことしは、藤井貞和氏という知の巨人の南島表現論考集を刊行し、また、わたしが心酔してやまない川満氏の詩集を刊行することになるのです。

携帯--期待される機能

2006年02月15日 19時24分57秒 | 文化
携帯電話の新型を見ていたら、携帯にミュージックプレーヤーの機能を持たせるの機種が増えています。これであえてミュージックプレーヤーを持たなくていいかもしれませんが、電池の消耗がより早くなりそうで心配です。

また、携帯にパソコンなみのハードディスクが付いた機種も登場。携帯がミニパソコンになっていこうとしています。キーボードをUSBでつなげば、小さい画面ながらもパソコンとして使えそうです。

またUSBでつなぐのであれば、メモリースティックとしての機能も期待できます。携帯といういつも身近にあるモノだからこそ多機能が要求されるのですね。

でもどこまで変わっていくんだろう。もはや、日本の人たちは、多機能になにった自国産の携帯以外は使えないのではないでしょうか。世界でトップシェアを誇るノキアでさえ、日本市場では苦戦しています。わたしの目からみても、ノキアの商品は、日本人の感覚とずれていて、"もっちゃりしている"感じです。しかも採用している会社がボーダフォンという外資ですから、より苦戦しているのでしょうね。ここは料金で勝負するしかないコンテンツです。デザインもいまひとつです。

ヒットラー映画とボスニア映画

2006年02月14日 09時21分49秒 | 文化
6日に観た映画の話をしましょう。

一本目は、ドイツ映画「Unterberg ヒットラー最期の12日」です。 

ヒットラーの映画を観てつらつら思うのは、われら極東の日本人が知っているヒットラーは、独裁者であり、ホロコーストの首謀者というマイナスイメージで固められた人物であるということです。しかし、こうしたイメージは、戦勝国側が編集・提供した情報とニュース映画の視覚的効果によって生み出されたものかもしれないのです。つまりヒットラーそのものについて詳しく知らなかったことに気づくのです(こうしたわたしの表現はもちろん慎重を期する必要があります。ナチズム礼賛や、ユダヤ人に対するホロコーストは存在しなかったとする狂信的な考えも持ち主が存在するからです)。

戦前のドイツ人は、ヒットラーのナチズムを熱狂的に受け入れたのです。戦後になって、ナチズムに抵抗した人たちが取り上げられていますが、当時としても少数者だったはずです。ドイツ国民(オーストラリアも含む)のマジョリティーは、ナチの指導によるゲルマン民族の繁栄を信じてやまなかったのです(これは戦前の日本のマジョリティーだった狂信的な天皇絶対主義への傾斜も同じでしょう)。

この映画を観て、国が戦争に負けるということの意味を確認しました。ドイツは第一次世界大戦に敗北して降伏したばかりに、国民生活と経済が破綻したという民族的屈辱を味わったルサンチマンがあるだけに、帝都ベルリンが陥落間近になっても、ヒットラーは決して降伏をしようとしませんでした。

また、ベルリンを守るために市民軍やヒットラーユーゲントの少年少女たちが武器をもって立ちはだかります。その彼らは「降伏するぐらいなら、死を選びます」と言います。なんだか戦前の日本と似ています。軍人勅諭で捕虜になることの恥辱を徹底して教え込まれた日本兵は、撃つ弾がなくなった後も、抜刀して敵陣に突っ込んでいったわけです。

連合軍に囲まれた中で、ドイツ軍将校たちはヒットラーにベルリンの300万人市民は一体どうするのか、と聞きます。ところがヒットラーは、こうした事態になったことも国民に責任の一端があると突き放します。首都が最前線となってしまった帝国の最期になると、市民の動静は眼中にないのでしょう。

この映画、2004年に公開されたもので、戦後60年がたってようやくドイツ社会がヒットラーと真正面と向き合うキッカケを作ったという意味でも、注目された作品でした。同じく戦争に負けた日本ではまだヒロヒト天皇そのものを描いた映画作品は生まれていません。日独と負けた内容が違うにせよ、果たして敗戦国の日本の人たちは当時の国家元首を直視する作品を作れるのでしょうか。それとも、明治天皇がロシア人によって、映画化されたように、外国人による映画化を待たねばならないのでしょうか。

**
では、二本目の映画について語りましょう。

「ライフ・イズ・ミラクル」という題。フランス・セルビア・モンテネグロ映画です。監督・脚本はエミール・クリストリッツァ。

一作目に観た「ヒットラー」があまりに印象深い作品だったので、二本目の本作品が面白くなければ途中で抜けようと思っていたのでずが、とうとう最後まで観てしまいました。面白い作品でした。

作品の舞台は1992年のボスニアのセルビア国境に近い田舎町。鉄道技術者一家が繰り広げる、笑えるけどシリアスな内容です。一家はオペラ歌手でありながら喉と精神をいためた母と、几帳面な技術者の父、プロサッカーチームに入る腕前の息子の三人。

その息子が華々しいデビュー戦を飾り、プロチームへの入団通知と同時に軍隊から入隊通知が舞い込みます。テレビニュースは、戦争が始まったことを報せていました。父は息子が軍隊に入ることを名誉と感じながらも、戦争が激化するはずはないと高をくくっていたのです。

主人公一家は国民の中のマジョリティーであるキリスト教徒(ロシア正教)です。ところがこの田舎町には、ムスリムも平和に同居していて、ラマダンの時に食べるお菓子を作ったからと主人公一家に届けるのんびりした環境だったのです。

そんな田舎町で戦争前に展開していたのは、郵便配達夫がとある爺さんの家に配達に行くと、熊にに襲われ(どっかのイソップかどこかの童話にありましたよね)、一匹は家の中から襲いかかり、一匹は風呂にはっているというと珍事が起きるという環境。この映画の特徴のひとつは、動物たちが寓話的に登場することです。これが面白い(この熊の寓意的意味がこの地域にとって何なのか分からないのが残念ですが)。

失恋で絶望し涙を流すロバはこの映画では準主役。話の重要場面では必ず登場します。絶望のあまり「鉄道自殺」しようと線路上から一歩も動かないのです。なにか耳元で呪文のような言葉をつぶやき、口笛を吹くと動きだす。東アジアには見られないロバに対する神聖さの付与が見受けられます。

それに主人公一家に住む犬と猫も面白い。特に猫が秀逸で、気が荒く、犬とのケンカも決して負けない。しっかりした人(猫)格を持っていて、表情も豊か。常に獲物を狙い、人間の食べ物にもどん欲さを示すのです。

息子の出征壮行会が終わり、母は言葉の通じないハンガリー音楽家とかけおち。軍隊に入った息子は敵側の捕虜になり、父は落胆の日々。そこにサバーハという若いムスリム女性が捕虜として一人暮らしの家に連れてこられます(ムスリムといっても美貌の金髪白人女性)。

看護師をしていたサバーハは勤務していた病院で、以前父を一度見ているのです。父が精神疾患が悪化した母をかつぎこんでいる時でした。サバーハにとっては、好みのタイプだったのです。捕虜となった当初、名門出身とみなされたサバーハは、捕らえられ、息子と捕虜交換に仕立てようと画策されるのです。

ひとりになった父と捕虜のサバーハは奇妙な同居生活を始めます。ところが次第に戦争が身近に迫ってきて、別々に寝ていた二人は砲弾飛び交う中、結ばれます。そのとき、父は犬を、サバーハは猫を抱いていたのが、二人がひとつのベットに入ると、父が「ここは定員オーバー」とベッドから犬と猫を追放します。その時の二匹の得もいわれぬ表情。この二匹も名優です。

やがてサバーハが名門出身でないと分かると、父は激怒して出ていくように伝える。すがりつくサバーハ。二人は仲直りをして、楽しい愛の日々が続くのです。ところがそこに駆け落ちした母が帰ってきて、サバーハとつかみ合いの大喧嘩。それを機に二人はオーストリアに逃亡しようとするのですが、多くの困難がたちはだかるのです。

月曜日にみた二本の映画はともに戦争がからんでいます。戦争はすべてを破壊し、憎悪だけが増幅されるのです。ボスニアもまたいままで平和に共存していたキリスト教徒とムスリムが憎悪をむき出しにして「民族浄化」の名のもとに非人道的な行為が横行するのです。こうした厳しい現実をかかえながらも、それを乗り越える笑いと寓意性によって、ボスニアの歴史と人々をみごとに映像化しているエミール・クリストリッツァの手腕は見事です。

非ハリウッド映画を中心に映画を見続けている筆者にとって、至福の時間でした。