うた59-5/ジャズに傾倒する前はフォーク・ソングを聴いていた。
https://www.youtube.com/watch?v=UNSyqazXfGE
すべて英語詩の世界である。
紹介するのは、Peter, Paul & Mary(PPM)が歌う「Hangman」。
動画で見るとPPMが乗りに乗って歌っている姿が印象的である。
この歌、ヨーロッパの古謡で、PPMが採譜してレパートリーに入れたという。
奄美のウタシャも自分のシマ(集落)のうた(=シマ・ウタ)を超えて他の集落(ヨソ・ジマ)のうたを採譜して自分のレパートリーに取り入れ、それがひいては奄美大島全体のシマウタ・レパートリーになっていったので、PPMも同じような〈うたの編集作業〉をしていることになる。
「Hangman」は古謡らしく物語性に富み、かつ反復性が特徴でわかりやすい。このうたの背景に、蓄積された民の記憶を感じることができる。
いままさに処刑される寸前の男が死刑執行官にうったえている。「あそこにわたしの父が見えるだろう。解決金(あるいは保釈金)を持ってきてくれるかもしれない」と執行を猶予するよう懇願する。ところがやってきた父は「金は持ってきていない。おまえが絞首台からぶら下がるのを見に来たのだ」と淡々と答える。そして次に母や兄弟もやってくるが結果は同じ。そして最後に恋人がやってきて、その答えの部分を Maryが歌うのである。さて、この男の運命はどうなるのか--といったワクワクする内容である。
(和訳は以下のサイトで試みられている。参照されたし。http://blog.livedoor.jp/lemontree123/archives/654273.html)
フォーク・ソングとは「民のうた」である。わたしがこのジャンルのうた世界に惹かれていったのも、フォーク・ソングがギター一本というシンプルな伴奏楽器を使って、民のありようそのものに近接している姿勢に共鳴したのであろう。1960年代の日本は歌謡曲の全盛時代で、この歌謡曲の演出されきった商業主義的な抒情世界がきらいで仕方なかった。
https://www.youtube.com/watch?v=UNSyqazXfGE
すべて英語詩の世界である。
紹介するのは、Peter, Paul & Mary(PPM)が歌う「Hangman」。
動画で見るとPPMが乗りに乗って歌っている姿が印象的である。
この歌、ヨーロッパの古謡で、PPMが採譜してレパートリーに入れたという。
奄美のウタシャも自分のシマ(集落)のうた(=シマ・ウタ)を超えて他の集落(ヨソ・ジマ)のうたを採譜して自分のレパートリーに取り入れ、それがひいては奄美大島全体のシマウタ・レパートリーになっていったので、PPMも同じような〈うたの編集作業〉をしていることになる。
「Hangman」は古謡らしく物語性に富み、かつ反復性が特徴でわかりやすい。このうたの背景に、蓄積された民の記憶を感じることができる。
いままさに処刑される寸前の男が死刑執行官にうったえている。「あそこにわたしの父が見えるだろう。解決金(あるいは保釈金)を持ってきてくれるかもしれない」と執行を猶予するよう懇願する。ところがやってきた父は「金は持ってきていない。おまえが絞首台からぶら下がるのを見に来たのだ」と淡々と答える。そして次に母や兄弟もやってくるが結果は同じ。そして最後に恋人がやってきて、その答えの部分を Maryが歌うのである。さて、この男の運命はどうなるのか--といったワクワクする内容である。
(和訳は以下のサイトで試みられている。参照されたし。http://blog.livedoor.jp/lemontree123/archives/654273.html)
フォーク・ソングとは「民のうた」である。わたしがこのジャンルのうた世界に惹かれていったのも、フォーク・ソングがギター一本というシンプルな伴奏楽器を使って、民のありようそのものに近接している姿勢に共鳴したのであろう。1960年代の日本は歌謡曲の全盛時代で、この歌謡曲の演出されきった商業主義的な抒情世界がきらいで仕方なかった。