ほぼ一世紀の歴史を誇る神戸・元町の「海文堂書店」が本日閉店しました。
下の動画は、JR元町駅を降りてから、元町商店街に入り、凮月堂をすぎて海文堂書店に入り、店内を撮影。知り合いの書店子・平野さんに挨拶(実は数日前にも会っている)。さらに店内を逍遥していると、知り合いの地元日刊紙記者Hさんと出会い、閉店のコメントを求められました。そこでこの動画は終わっています。
http://twitcasting.tv/gunshaku/movie/21055813
続いて詩のコーナーに行くと、私の第一詩集『明るい迷宮』を紹介した新聞コピーが貼ってあるのを確認。嬉しくて泪が出そうでした。その様子を収めた動画です。
http://twitcasting.tv/gunshaku/movie/21057933
では、ネット版に出ていた神戸新聞のニュースを転載することにしましょう。
--------神戸新聞NET NEWS より「港都神戸と1世紀 元町「海文堂書店」が閉店」より転載----------------------------------★2013.10.01
港都神戸と共に歩んできた老舗書店「海文堂書店」(神戸市中央区元町通3)が30日、1世紀近い歴史に幕を下ろした。全国一を誇る海事書をはじめ、個性ある品ぞろえで愛された店の最後を見届けようと本好きらが集まり、店内は終日ごった返した。
1914(大正3)年、海事書専門の出版社として創業。95年の阪神・淡路大震災では、発生8日後に営業を再開したが、翌96年をピークに売り上げが減少していた。
この日は午前10時半の開店から客が詰めかけ、店の最後を記録した写真集「海文堂書店の8月7日と8月17日」は千部余りが完売。福岡宏泰店長(55)は「8月に閉店を発表してから連日、売り上げが通常の4~8倍になった。うれしい半面、これだけ潜在的なお客さまがいたなら、もっと続けたかった」と悔しさをにじませた。
出版社「まろうど社」代表で詩人の大橋愛由等さん(58)=神戸市東灘区=は「かつては主張する書店が結束して、神戸の文化を担っていた。最後の一店が消えるのは断腸の思い」と嘆いた。
作家の島京子さん(87)、川柳作家の八上桐子さん(51)、エッセイストの山本善行さん(57)ら、文芸関係者も相次ぎ来店した。
閉店時刻の午後7時になってもレジの列は途切れず、店内は大混雑。同7時半すぎ、店頭にスタッフ全員が並ぶと、大きな拍手が沸き起こった。
子どものころから通い続けたという会社員の女性(46)=同市須磨区=は仕事の後、タクシーで駆け付けた。目には涙。「ブックカバーは大切に取っておきます」と話した。(平松正子、松本寿美子)
----------------------------------------------------------------------
海文堂の思い出は付きません。
高校・大学にかよっている頃はお客さんとして、大学を出て、神戸の小さな新聞社兼出版社に勤めていた時は、何冊かの郷土関係の書籍の編集・販売を担当して、海文堂にも営業に行き、販売に協力してもらったのです。
また1990年に「図書出版まろうど社」を独立してからも、刊行物の販売にお世話になったのです。
上記の神戸新聞の記事にも私の発言部分として紹介されていますように、1980年代に、神戸のいくつかの書店が集まって「神戸本フェア」という企画を合同で開催するなど、志ある書店子が多くいたのは、同じ本の世界に生きる私にとっても大きな刺激と応援になったのです。
神戸の中心部である三宮や元町から、「コーペブックス」「日東館」「流泉書房」「丸善」などいくつかの書店が消えていきました。10歳代のころから人文系の書籍に親しみ、それからずっと本読みの世界に生きることを決意し、少しでも先輩諸氏の知のレベルに追いつこうと努力してきた私のような者にとって、コーベブックス、海文堂のような書店は、「次、君たちが読む本はこれだよ」と卓越した棚ぞろえで示唆してくれた知のナビゲーターであったのです。それが自分が本を制作する立場となり、自著を持つ立場になって、棚を見る目も成熟していきますが、やはり書店子に努力には頭が下がるばかりだったのです。
海文堂がなくなると、元町商店街でふらりと寄る店がなくなってしまいました。これは淋しいことです。阪神・淡路大震災までは、丸善から始まって、海文堂、「宝文館(私の祖父・岸本邦巳が修行していたという)」とった新刊書店と、いくつかの古書肆があり、知(本)の散策路としてはすぐれた界隈だったのです。
下の動画は、JR元町駅を降りてから、元町商店街に入り、凮月堂をすぎて海文堂書店に入り、店内を撮影。知り合いの書店子・平野さんに挨拶(実は数日前にも会っている)。さらに店内を逍遥していると、知り合いの地元日刊紙記者Hさんと出会い、閉店のコメントを求められました。そこでこの動画は終わっています。
http://twitcasting.tv/gunshaku/movie/21055813
続いて詩のコーナーに行くと、私の第一詩集『明るい迷宮』を紹介した新聞コピーが貼ってあるのを確認。嬉しくて泪が出そうでした。その様子を収めた動画です。
http://twitcasting.tv/gunshaku/movie/21057933
では、ネット版に出ていた神戸新聞のニュースを転載することにしましょう。
--------神戸新聞NET NEWS より「港都神戸と1世紀 元町「海文堂書店」が閉店」より転載----------------------------------★2013.10.01
港都神戸と共に歩んできた老舗書店「海文堂書店」(神戸市中央区元町通3)が30日、1世紀近い歴史に幕を下ろした。全国一を誇る海事書をはじめ、個性ある品ぞろえで愛された店の最後を見届けようと本好きらが集まり、店内は終日ごった返した。
1914(大正3)年、海事書専門の出版社として創業。95年の阪神・淡路大震災では、発生8日後に営業を再開したが、翌96年をピークに売り上げが減少していた。
この日は午前10時半の開店から客が詰めかけ、店の最後を記録した写真集「海文堂書店の8月7日と8月17日」は千部余りが完売。福岡宏泰店長(55)は「8月に閉店を発表してから連日、売り上げが通常の4~8倍になった。うれしい半面、これだけ潜在的なお客さまがいたなら、もっと続けたかった」と悔しさをにじませた。
出版社「まろうど社」代表で詩人の大橋愛由等さん(58)=神戸市東灘区=は「かつては主張する書店が結束して、神戸の文化を担っていた。最後の一店が消えるのは断腸の思い」と嘆いた。
作家の島京子さん(87)、川柳作家の八上桐子さん(51)、エッセイストの山本善行さん(57)ら、文芸関係者も相次ぎ来店した。
閉店時刻の午後7時になってもレジの列は途切れず、店内は大混雑。同7時半すぎ、店頭にスタッフ全員が並ぶと、大きな拍手が沸き起こった。
子どものころから通い続けたという会社員の女性(46)=同市須磨区=は仕事の後、タクシーで駆け付けた。目には涙。「ブックカバーは大切に取っておきます」と話した。(平松正子、松本寿美子)
----------------------------------------------------------------------
海文堂の思い出は付きません。
高校・大学にかよっている頃はお客さんとして、大学を出て、神戸の小さな新聞社兼出版社に勤めていた時は、何冊かの郷土関係の書籍の編集・販売を担当して、海文堂にも営業に行き、販売に協力してもらったのです。
また1990年に「図書出版まろうど社」を独立してからも、刊行物の販売にお世話になったのです。
上記の神戸新聞の記事にも私の発言部分として紹介されていますように、1980年代に、神戸のいくつかの書店が集まって「神戸本フェア」という企画を合同で開催するなど、志ある書店子が多くいたのは、同じ本の世界に生きる私にとっても大きな刺激と応援になったのです。
神戸の中心部である三宮や元町から、「コーペブックス」「日東館」「流泉書房」「丸善」などいくつかの書店が消えていきました。10歳代のころから人文系の書籍に親しみ、それからずっと本読みの世界に生きることを決意し、少しでも先輩諸氏の知のレベルに追いつこうと努力してきた私のような者にとって、コーベブックス、海文堂のような書店は、「次、君たちが読む本はこれだよ」と卓越した棚ぞろえで示唆してくれた知のナビゲーターであったのです。それが自分が本を制作する立場となり、自著を持つ立場になって、棚を見る目も成熟していきますが、やはり書店子に努力には頭が下がるばかりだったのです。
海文堂がなくなると、元町商店街でふらりと寄る店がなくなってしまいました。これは淋しいことです。阪神・淡路大震災までは、丸善から始まって、海文堂、「宝文館(私の祖父・岸本邦巳が修行していたという)」とった新刊書店と、いくつかの古書肆があり、知(本)の散策路としてはすぐれた界隈だったのです。