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神戸まろうど通信

出版社・まろうど社主/詩と俳句を書く/FMわぃわぃのDJ/大阪編集教室講師など多様な顔を持つ大橋愛由等の覚え書き

さらば海文堂!!

2013年09月30日 23時58分51秒 | 神戸
ほぼ一世紀の歴史を誇る神戸・元町の「海文堂書店」が本日閉店しました。

下の動画は、JR元町駅を降りてから、元町商店街に入り、凮月堂をすぎて海文堂書店に入り、店内を撮影。知り合いの書店子・平野さんに挨拶(実は数日前にも会っている)。さらに店内を逍遥していると、知り合いの地元日刊紙記者Hさんと出会い、閉店のコメントを求められました。そこでこの動画は終わっています。

http://twitcasting.tv/gunshaku/movie/21055813

続いて詩のコーナーに行くと、私の第一詩集『明るい迷宮』を紹介した新聞コピーが貼ってあるのを確認。嬉しくて泪が出そうでした。その様子を収めた動画です。

http://twitcasting.tv/gunshaku/movie/21057933

では、ネット版に出ていた神戸新聞のニュースを転載することにしましょう。

--------神戸新聞NET NEWS より「港都神戸と1世紀 元町「海文堂書店」が閉店」より転載----------------------------------★2013.10.01

 港都神戸と共に歩んできた老舗書店「海文堂書店」(神戸市中央区元町通3)が30日、1世紀近い歴史に幕を下ろした。全国一を誇る海事書をはじめ、個性ある品ぞろえで愛された店の最後を見届けようと本好きらが集まり、店内は終日ごった返した。

 1914(大正3)年、海事書専門の出版社として創業。95年の阪神・淡路大震災では、発生8日後に営業を再開したが、翌96年をピークに売り上げが減少していた。

 この日は午前10時半の開店から客が詰めかけ、店の最後を記録した写真集「海文堂書店の8月7日と8月17日」は千部余りが完売。福岡宏泰店長(55)は「8月に閉店を発表してから連日、売り上げが通常の4~8倍になった。うれしい半面、これだけ潜在的なお客さまがいたなら、もっと続けたかった」と悔しさをにじませた。

 出版社「まろうど社」代表で詩人の大橋愛由等さん(58)=神戸市東灘区=は「かつては主張する書店が結束して、神戸の文化を担っていた。最後の一店が消えるのは断腸の思い」と嘆いた。

 作家の島京子さん(87)、川柳作家の八上桐子さん(51)、エッセイストの山本善行さん(57)ら、文芸関係者も相次ぎ来店した。

 閉店時刻の午後7時になってもレジの列は途切れず、店内は大混雑。同7時半すぎ、店頭にスタッフ全員が並ぶと、大きな拍手が沸き起こった。

 子どものころから通い続けたという会社員の女性(46)=同市須磨区=は仕事の後、タクシーで駆け付けた。目には涙。「ブックカバーは大切に取っておきます」と話した。(平松正子、松本寿美子)

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海文堂の思い出は付きません。
高校・大学にかよっている頃はお客さんとして、大学を出て、神戸の小さな新聞社兼出版社に勤めていた時は、何冊かの郷土関係の書籍の編集・販売を担当して、海文堂にも営業に行き、販売に協力してもらったのです。
また1990年に「図書出版まろうど社」を独立してからも、刊行物の販売にお世話になったのです。

上記の神戸新聞の記事にも私の発言部分として紹介されていますように、1980年代に、神戸のいくつかの書店が集まって「神戸本フェア」という企画を合同で開催するなど、志ある書店子が多くいたのは、同じ本の世界に生きる私にとっても大きな刺激と応援になったのです。

神戸の中心部である三宮や元町から、「コーペブックス」「日東館」「流泉書房」「丸善」などいくつかの書店が消えていきました。10歳代のころから人文系の書籍に親しみ、それからずっと本読みの世界に生きることを決意し、少しでも先輩諸氏の知のレベルに追いつこうと努力してきた私のような者にとって、コーベブックス、海文堂のような書店は、「次、君たちが読む本はこれだよ」と卓越した棚ぞろえで示唆してくれた知のナビゲーターであったのです。それが自分が本を制作する立場となり、自著を持つ立場になって、棚を見る目も成熟していきますが、やはり書店子に努力には頭が下がるばかりだったのです。

海文堂がなくなると、元町商店街でふらりと寄る店がなくなってしまいました。これは淋しいことです。阪神・淡路大震災までは、丸善から始まって、海文堂、「宝文館(私の祖父・岸本邦巳が修行していたという)」とった新刊書店と、いくつかの古書肆があり、知(本)の散策路としてはすぐれた界隈だったのです。










18年目の1.17

2013年01月17日 19時04分57秒 | 神戸


神戸市役所前で毎年展開している抗議集会での特設ステージです。

私が行った時は、沖縄民謡の演奏でした。

今年の1.17は寒く、野外で活動する人たちは大変だったと思います。

私は月曜日ではないので、「南の風」の放送はしませんでしたが、曜日に関係なく番組を生放送で届けてみたいものです。

三宮徘徊

2010年08月16日 20時10分31秒 | 神戸
昨夜、詩人Tさんと「ガールズ立ち飲み屋」とも言うべき店へ。
揃いのTシャツを着た若い女性が三人。やたらテンションが高い。
Tさんは「ここに来るのはもてない男ばかり。擬似恋愛を経験するために来ている」。
女性スタッフのひとりは、なんと徳之島天城町出身だった。
島の話をして、ぼくが南海日日新聞に書いているコラムのコピーを手渡した。

さくら咲く

2010年03月05日 11時13分20秒 | 神戸
満開です。

神戸は曇り空。
金網の中にある桜なので、近くで愛でることはかないませんが、毎年一足早く咲き続けることを、楽しみにしているのです。
でも三月上旬に満開とは早いなあ。
例年に比べて、桃色の度合いが深いように見えます。

海が見える部屋

2010年03月02日 14時08分49秒 | 神戸
実家の話の続きです。

その場所は、神戸市内でも、海に近く、わたしの部屋からも、海を眺めることができます。

わたしの部屋は、姪っ子が使っていたので、わたしが住んでいた時の気配は薄れてしまっています。

それでもぼんやり海を眺めていると、ああこうしてぼくは、ここから海を眺めて育ったのだという実感が沸いてきます。

わたしの後の二代目房主だった姪っ子も結婚して実家を出たので、いまその部屋は主なしの状態です。

すでにいかなご漁が始まった眼前の海は、あいかわらず、のたりと展開していました。

実家へ

2010年03月01日 13時58分49秒 | 神戸
亡くなった父のことについて確認することがあり、実家へ。
今日はFMわぃわぃの放送もないので(第一月曜日は毎月「沖縄篇」)、三宮で用事をすませて、実家に向かったのです。

亡くなって一カ月も経っていないために、父の部屋はそのままになっています。
洋服ダンスをあけると、8年前に亡くなった母の衣装がそのまま残っていてびっくり。
アクトレスをしている姪っ子が時々母の衣装を借りるというのですが、これもまたなかなか処分できるものではありません。

思い出が多く詰まっている実家。
新築した当初、一家四人だったのですが、残ったのはわたしと姉だけになりました。
わたしが出た後に、多い時は6人も生活していたことを思うと、寂しい限りです。

でもまた家族が増えることもあるでしょう。

そして今日は、亡き父の84回目の誕生日でした。もう少し長く生きてくれていたら、この日を祝っていたのに。残念です。

古事記の世界

2009年10月25日 23時14分20秒 | 神戸
本日、神戸オークラホテルで開かれた『新釈古事記伝 全七巻出版記念会』(刊行・日本講演会)の司会をおおせつかり、大役を果たしてきました。

この出版事業はひとえに栗山要氏の生涯をかけた渾身の努力のたまものです。

ホテルの会場は、それなりに風格があって、スタッフも老練の方々で安心できます。

また、わたしもこういう司会業の場数をこなしているので、緊張することなく、進行していきます。

司会は、栗山氏の娘さんで、詩誌『Melange』発行人の福田知子さんが、細かいところまで目配りしていただいたのです。

料理もおいしく、食べ過ぎました。

ただ、昨日も結婚披露宴で食べ過ぎ呑み過ぎだったので、二日連続はちょっとつらい。
しかも、この日、仲間の詩人たちと神戸市内で二次会をして、またそこで詩の話をして盛り上がり、深酒をして、もうどうしようもありません。

結婚式に参列

2009年10月24日 18時27分50秒 | 神戸
母方の親戚の結婚式に参加。
神戸松蔭女子大学のキャンパス内にあるチャペルでの挙式です。
披露宴も同キャンパス内にある会場で行われました。

ここは外装がレンガタイルのお洒落な建物で構成され、神戸の山手にある女子大学らしい学校環境を保持しています。

今回は式辞を述べることも、司会をすることも必要なかったので、ひたすら、語り、呑み、食べました。楽をしました。

新婦と新郎は、高校の同級生。しかも同年同月日生まれという奇特な縁の持ち主です。双子いがいで、こうした同じ誕生日の人たちが縁を持つというのは珍しいでしょうね。二人には、ずっと奇特さが続くことでしょう。

二人は、大学時代、少しの期間だけ関係が薄くなったようですが、それもすぐ修復。高校時代から一貫して付き合いを続けていたとのことです。
さわやかなカップルです。幸せになるでしょう。

今春にすでに入籍をすませ、同居も始めています。
今夏には奄美に旅行にいったとのことで、奄美のことも知っている二人です。
ですから、披露宴の最後に、わたしが制作してきた琉歌を披露しました。

☆祝・結婚

今日ぬ誇らしゃや
永久(とわ)に加那愛(がな)し
寿(ことほ)ぎぬ言葉(くとぅば)
鳴り響(とよ)まむ

祝訳----
(きょうはなんと誇らしい佳い日なんでしょう
 ずっとお互いを大好きな人〈加那〉として愛してあってください
 おふたりを祝福する言葉は
 この披露宴会場に鳴り響いていますよ)
 

彼岸花の季節

2009年09月24日 10時33分33秒 | 神戸
いつも誰かに摘み取られてしまう拙宅近くの公園に現れる彼岸花です。

今日の神戸は夏が戻って来たよう。
退職したての人が、なにかの用件で、元の職場に戻って来た様子を思い起こします。
そんな時の職場は、退職者に対して、哀惜の感情で満たされるものですが、
その退職者がしばしば職場に戻ってくるものなら、刺々しい視線を浴びることになるのです。
この暑さ、しばらく続くと聴きます。

さてはて、今年の花たちも、誰かに切り取られてしまうのでしょうか。

長田で

2009年08月12日 14時06分04秒 | 神戸
どうも、酔うと怒りっぽくなるのでしょうか。

昨日、白(韓国のどぶろく)を呑んで、怪気炎をあげていました。

その前に、奄美関係者が集う会で、ビールと焼酎をくらっていました。
長田は徳之島出身者が多い街。だからこそ、「徳之島一切節大会」が成功裡に終わるのです。

奄美(出身者)と呑んだり語ったりする時、わたしの顔はゆるんでいるのだと思います。
深く接して来た地域とひとびとゆえに、感情も深いものがあるのです。

神戸詩人事件という記憶

2009年05月23日 17時53分19秒 | 神戸
来年で70年を迎える「神戸詩人事件」について、勉強会があったので、出席した。

初めて行く場所なので分かりずらく、30分ほど遅刻していった。
発表者の戸崎曾太郎氏は、特高月報などの資料を駆使して、丁寧に事件の背景とその意味を説明してくれた。
わたしも来年に、姫路の人たちとともに、この事件についてシンポジウムを考えているので、大いに参考になったのである。
たかとう匡子さんが資料を持っており、それ以前に君本昌久氏が調べ上げ、小説にもしているので、そうした先達たちの努力をもとに、次の世代に継承していくためにも、私の世代が資料のありかと、現在における意味を探ってゆく試みを果たして生きたいと思っている。



神戸詩人事件のこと

2009年05月08日 13時32分35秒 | 神戸
昨日お知らせしました<治安維持法犠牲者国賠要求同盟神戸中央支部=支部 5月例会の催し=昭和10年の治安維持法による弾圧「神戸詩人クラブと姫高映画鑑賞会」>についてですが、「映画鑑賞会」と紹介しましたが、特高資料による事件の報告ということのようです。映画製作の「うわさ」もあるようですが、今回は違うようです。お詫びして訂正します。でも面白そうなので、参加してみようと思っています。

彼岸桜は満開です

2009年03月08日 19時35分41秒 | 神戸
年々開花が早くなっているのではないかと思っています。

私が利用する駅の敷地内にある彼岸桜です。

今年は青空に映えたいい写真が撮れました。

こうしてわたしは、三月の彼岸桜と、六月の額紫陽花を、定点観測のごとく撮影して、ブログに紹介しています。

季節の移ろいの中に身を置く。その場、その時に生きているという実感。〈いま・ここ・ある〉という感覚は花たちによって教えられます。