3月の例会は、出席者が10名でした。
〈授業料無償化の対象から朝鮮高級学校を除外することに反対する詩人たち有志〉によるメッセージを紹介します。
今月7日に神戸市内で会合が行われ。以下のような緊急アピール文を作成し、所管大臣やマスコミ等に送付しました。翌8日
には朝日新聞朝刊ほかに紹介されましたので、ご存じの方もいらっしゃると想いますが、アピール文の全文を紹介し、さらには、寺岡良信氏の文章「「排除の論理」を乗り越えるために」もあわせて読んでいただくことで、アピール文を作成したわれわれの姿勢を明らかにしていきたいと想います。
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緊急アピール
人を傷つけることにためらいを覚えない粗暴な物言いが、この国に横行しようとして
います。先日ある自治体の首長が、朝鮮高級学校を授業料の無償化から除外すべきだ
という意見を開陳し、「暴力団が関係している企業は入札排除しているし、関係企業
に補助金を打つことはない。単純な話だ」と低劣きわまるたとえ話で語った例など、
その好個の見本でしょう。しかし俗受けを狙ったこの浅薄な発言を愚劣の一言で片づ
けてしまえないのは、こうした言説が、出口の見えない閉塞感のもとで国民の一部に
根を下ろしつつある狭隘で排他的なナショナリズムを煽り、それが一定以上の政治的
効果を持ってしまう点にあります。高校の授業料無償化の対象に朝鮮高級学校を含め
るかどうかの審議が、今週中にも始まろうとしていますが、先ほどの首長の発言は強
硬で差別的な世論を誘導するものであり、けっして看過できません。
「北朝鮮には経済制裁を施している」「教育内容が必ずしも見えてこない」「国交が
ない」「反日教育をおこなっている」等等、朝鮮高級学校を除外しようとしている人
たちの理由は多岐に亘っていますが、拉致の責任が無論学校や生徒にあるわけではな
いし、どういう教育がなされているのかを知るためには自分で足を運べばよいのです。
どれを取っても論拠たりえないのは明白ですが、これらの理屈に共通していることは、
歴史的想像力の驚くほどの欠如です。
今年は大日本帝国が大韓帝国に併合条約を強いて、百年目にあたります。三十六年
間の植民地支配で朝鮮半島の人々がなめた辛酸と、強制連行を含め日本に渡ってきた
在日の一世二世たちが味わった迫害と差別に思いを致すなら、二度と同じ過ちを繰り
返してはなりません。日本はかつて朝鮮の人たち、とりわけ在日の人たちから言葉を
奪いました。その回復は民族の尊厳のための当然の権利であり、私たちは朝鮮学校の
存在と教育活動にあらためて敬意を払うべきです。にもかかわらず朝鮮高級学校を日
本の社会に馴染まない特殊なものと看做し、授業料無償化の対象から外すことは、民
族差別を呼び覚まし助長する結果をもたらすでしょう。
私たち詩人が紡ごうとする言葉は、読者という他者とのあいだに、創造的な関係の
構築をめざして模索される言葉です。そして詩の営みが豊饒な稔りを結ぶためには、
さまざまな価値観や歴史観を背負った人々がお互いの存在を認め共に生きる、真に成
熟した共生社会を必要とします。民族差別はそのことに逆行し、この国の言葉を、文
化を、貧しいものにするでしょう。それは詩を書いている私たちだけでなく、広く表
現にかかわる人々の願うところではありません。
政策決定にあずかる方々に強く要望します。
授業料無償化の対象から朝鮮高級学校を除外するという間違った選択を取らないで
ください。それはこの学校で学ぶ若者たちの希望を、ひいては未来を引き裂くかも知
れない残酷な仕打ちです。彼らは日本社会の一員であり、この国の文化の重要な担い
手でもあることを忘れないでください。
2010年3月7日
授業料無償化の対象から朝鮮高級学校を除外することに反対する詩人たち有志
代表:河津聖恵 事務局担当:寺岡良信
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「排除の論理」を乗り越えるために
高校無償化法案が衆院文部科学委員会で可決された。だが私たちが強く願っていた、
朝鮮高級学校を対象から除外しないということについては、第三機関を設置して検証
する結果になった。若者たちが学ぶ学校という場を、まるで違法や犯罪の疑いのある
組織・施設に見立て、立ち入って調べるという姿勢自体、予断や偏見を前提にしたも
ので不快極まりない。なぜ首相や文科相が学校現場を訪れ、生徒や先生や父母たちと
膝を交えて話し合うことをしなかったのか。おそらくは一方に拉致問題と無理やり関
係づけようとする強硬意見があり、他方に私たちのような意見があり、そのはざまで、
政治家たちは一見中立を装った、もっともらしい「第三機関」なるものを思いついた
のであろう。
私は、金日成前主席や金正日総書記の顔写真があるかどうかの詮索や、教科書の一
部だけを見て反日教育でないかどうかを判断するだけに終わってしまいそうな、「第
三機関」による「検証」などではなくて、民族差別を許さないという視点に立脚した
確かな世論の形成こそが重要な鍵になると思う。なぜ日本に朝鮮学校があるのか。大
切なことは歴史的想像力と洞察に支えられた牢固とした論理であり、不条理を見逃さ
ない心情を、多数の世論形成へと繋げていかなければならないのだと思う。
今朝の某新聞を見て、そのすさまじい反朝鮮学校キャンペーンにぞっとした。
そこには北朝鮮と朝鮮総連と朝鮮学校がイコールで結ばれていて、総書記の意向を
受けた朝鮮総連幹部が各学校に「無償化を勝ち取れ」という檄を飛ばしたと、それこ
そ鬼の首でも取ったかのように、下品で煽情的で、かつ蕪雑な文章が書き散らかされ
ていた。これはもう、朝鮮高級学校の生徒のみならず、民族の矜持を保ちつつ、日本
社会の市民として共に生きてゆこうと、真剣なまなざしで様々な困難に堪えている在
日の若者たちへの、悪意以外の何物でもない。
胸に手を当てて考えよ。
韓国併合条約のいかさまと総督府支配の野蛮とを。創氏改名を、神社参拝や日本語
の強制を。
昔高校で習ったことを少しでも思い出せ。
あの虐殺を生んだ関東大震災の流言蜚語を。「犬と朝鮮人お断り」と墨書きされた
不動産屋の張り紙を。「線路の枕木一枚に朝鮮人の命一つ」の言葉を。
断わっておくが、私は強制連行を拉致と相殺しようなどというつもりは全くない。
拉致は犯罪である。それは当たり前のことで、拉致と教育とをいっしょくたに論じる
な、北朝鮮を攻撃するキャンペーンに、何の関係も責任もない生徒たちを巻き込むな
と、私は言っているのだ。朝鮮学校がなぜ彼らに必要であったのかを、マイノリティー
がその尊厳を守るために学ぶ民族教育の、権利としての普遍性とともに想起せよと言っ
ているのだ。
尊厳を回復することは差別する者への闘いでもあるから、彼らが歴史を語るとき、
その言動がときとして鋭利な刃物のように映ることもあるだろう。そのことをいちい
ち「反日」だと騒ぐな。それは歴史に対する度し難い無知か、横着な開き直りである。
私は偉そうな顔をして物を言っているのではない。
「排除の論理」はかつて私の裡にも存在したし、今も私の意識下で息をひそめている
かも知れない。某新聞の記事にぞっとしたと書いたが、そこに映し出された悪意はか
つての私であり、明日の私かも知れない。
この薄氷を踏むような思いを踏まえて、しかし私はより多くの人に、日本人の良識
に訴えていかなければならぬと思う。繰り返し言うが、世論が鍵である。今日本人の
立ち位置が試されている。内省と洞察と豊かな想像力に裏打ちされた、確かな世論を
大きく広く形作ってゆくことが、急務なのだ。 (寺岡良信・詩人)
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以上です。われわれは次の行動計画を考えています。
今月7日に神戸市内で会合が行われ。以下のような緊急アピール文を作成し、所管大臣やマスコミ等に送付しました。翌8日
には朝日新聞朝刊ほかに紹介されましたので、ご存じの方もいらっしゃると想いますが、アピール文の全文を紹介し、さらには、寺岡良信氏の文章「「排除の論理」を乗り越えるために」もあわせて読んでいただくことで、アピール文を作成したわれわれの姿勢を明らかにしていきたいと想います。
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緊急アピール
人を傷つけることにためらいを覚えない粗暴な物言いが、この国に横行しようとして
います。先日ある自治体の首長が、朝鮮高級学校を授業料の無償化から除外すべきだ
という意見を開陳し、「暴力団が関係している企業は入札排除しているし、関係企業
に補助金を打つことはない。単純な話だ」と低劣きわまるたとえ話で語った例など、
その好個の見本でしょう。しかし俗受けを狙ったこの浅薄な発言を愚劣の一言で片づ
けてしまえないのは、こうした言説が、出口の見えない閉塞感のもとで国民の一部に
根を下ろしつつある狭隘で排他的なナショナリズムを煽り、それが一定以上の政治的
効果を持ってしまう点にあります。高校の授業料無償化の対象に朝鮮高級学校を含め
るかどうかの審議が、今週中にも始まろうとしていますが、先ほどの首長の発言は強
硬で差別的な世論を誘導するものであり、けっして看過できません。
「北朝鮮には経済制裁を施している」「教育内容が必ずしも見えてこない」「国交が
ない」「反日教育をおこなっている」等等、朝鮮高級学校を除外しようとしている人
たちの理由は多岐に亘っていますが、拉致の責任が無論学校や生徒にあるわけではな
いし、どういう教育がなされているのかを知るためには自分で足を運べばよいのです。
どれを取っても論拠たりえないのは明白ですが、これらの理屈に共通していることは、
歴史的想像力の驚くほどの欠如です。
今年は大日本帝国が大韓帝国に併合条約を強いて、百年目にあたります。三十六年
間の植民地支配で朝鮮半島の人々がなめた辛酸と、強制連行を含め日本に渡ってきた
在日の一世二世たちが味わった迫害と差別に思いを致すなら、二度と同じ過ちを繰り
返してはなりません。日本はかつて朝鮮の人たち、とりわけ在日の人たちから言葉を
奪いました。その回復は民族の尊厳のための当然の権利であり、私たちは朝鮮学校の
存在と教育活動にあらためて敬意を払うべきです。にもかかわらず朝鮮高級学校を日
本の社会に馴染まない特殊なものと看做し、授業料無償化の対象から外すことは、民
族差別を呼び覚まし助長する結果をもたらすでしょう。
私たち詩人が紡ごうとする言葉は、読者という他者とのあいだに、創造的な関係の
構築をめざして模索される言葉です。そして詩の営みが豊饒な稔りを結ぶためには、
さまざまな価値観や歴史観を背負った人々がお互いの存在を認め共に生きる、真に成
熟した共生社会を必要とします。民族差別はそのことに逆行し、この国の言葉を、文
化を、貧しいものにするでしょう。それは詩を書いている私たちだけでなく、広く表
現にかかわる人々の願うところではありません。
政策決定にあずかる方々に強く要望します。
授業料無償化の対象から朝鮮高級学校を除外するという間違った選択を取らないで
ください。それはこの学校で学ぶ若者たちの希望を、ひいては未来を引き裂くかも知
れない残酷な仕打ちです。彼らは日本社会の一員であり、この国の文化の重要な担い
手でもあることを忘れないでください。
2010年3月7日
授業料無償化の対象から朝鮮高級学校を除外することに反対する詩人たち有志
代表:河津聖恵 事務局担当:寺岡良信
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「排除の論理」を乗り越えるために
高校無償化法案が衆院文部科学委員会で可決された。だが私たちが強く願っていた、
朝鮮高級学校を対象から除外しないということについては、第三機関を設置して検証
する結果になった。若者たちが学ぶ学校という場を、まるで違法や犯罪の疑いのある
組織・施設に見立て、立ち入って調べるという姿勢自体、予断や偏見を前提にしたも
ので不快極まりない。なぜ首相や文科相が学校現場を訪れ、生徒や先生や父母たちと
膝を交えて話し合うことをしなかったのか。おそらくは一方に拉致問題と無理やり関
係づけようとする強硬意見があり、他方に私たちのような意見があり、そのはざまで、
政治家たちは一見中立を装った、もっともらしい「第三機関」なるものを思いついた
のであろう。
私は、金日成前主席や金正日総書記の顔写真があるかどうかの詮索や、教科書の一
部だけを見て反日教育でないかどうかを判断するだけに終わってしまいそうな、「第
三機関」による「検証」などではなくて、民族差別を許さないという視点に立脚した
確かな世論の形成こそが重要な鍵になると思う。なぜ日本に朝鮮学校があるのか。大
切なことは歴史的想像力と洞察に支えられた牢固とした論理であり、不条理を見逃さ
ない心情を、多数の世論形成へと繋げていかなければならないのだと思う。
今朝の某新聞を見て、そのすさまじい反朝鮮学校キャンペーンにぞっとした。
そこには北朝鮮と朝鮮総連と朝鮮学校がイコールで結ばれていて、総書記の意向を
受けた朝鮮総連幹部が各学校に「無償化を勝ち取れ」という檄を飛ばしたと、それこ
そ鬼の首でも取ったかのように、下品で煽情的で、かつ蕪雑な文章が書き散らかされ
ていた。これはもう、朝鮮高級学校の生徒のみならず、民族の矜持を保ちつつ、日本
社会の市民として共に生きてゆこうと、真剣なまなざしで様々な困難に堪えている在
日の若者たちへの、悪意以外の何物でもない。
胸に手を当てて考えよ。
韓国併合条約のいかさまと総督府支配の野蛮とを。創氏改名を、神社参拝や日本語
の強制を。
昔高校で習ったことを少しでも思い出せ。
あの虐殺を生んだ関東大震災の流言蜚語を。「犬と朝鮮人お断り」と墨書きされた
不動産屋の張り紙を。「線路の枕木一枚に朝鮮人の命一つ」の言葉を。
断わっておくが、私は強制連行を拉致と相殺しようなどというつもりは全くない。
拉致は犯罪である。それは当たり前のことで、拉致と教育とをいっしょくたに論じる
な、北朝鮮を攻撃するキャンペーンに、何の関係も責任もない生徒たちを巻き込むな
と、私は言っているのだ。朝鮮学校がなぜ彼らに必要であったのかを、マイノリティー
がその尊厳を守るために学ぶ民族教育の、権利としての普遍性とともに想起せよと言っ
ているのだ。
尊厳を回復することは差別する者への闘いでもあるから、彼らが歴史を語るとき、
その言動がときとして鋭利な刃物のように映ることもあるだろう。そのことをいちい
ち「反日」だと騒ぐな。それは歴史に対する度し難い無知か、横着な開き直りである。
私は偉そうな顔をして物を言っているのではない。
「排除の論理」はかつて私の裡にも存在したし、今も私の意識下で息をひそめている
かも知れない。某新聞の記事にぞっとしたと書いたが、そこに映し出された悪意はか
つての私であり、明日の私かも知れない。
この薄氷を踏むような思いを踏まえて、しかし私はより多くの人に、日本人の良識
に訴えていかなければならぬと思う。繰り返し言うが、世論が鍵である。今日本人の
立ち位置が試されている。内省と洞察と豊かな想像力に裏打ちされた、確かな世論を
大きく広く形作ってゆくことが、急務なのだ。 (寺岡良信・詩人)
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以上です。われわれは次の行動計画を考えています。
満開です。
神戸は曇り空。
金網の中にある桜なので、近くで愛でることはかないませんが、毎年一足早く咲き続けることを、楽しみにしているのです。
でも三月上旬に満開とは早いなあ。
例年に比べて、桃色の度合いが深いように見えます。
神戸は曇り空。
金網の中にある桜なので、近くで愛でることはかないませんが、毎年一足早く咲き続けることを、楽しみにしているのです。
でも三月上旬に満開とは早いなあ。
例年に比べて、桃色の度合いが深いように見えます。
実家の話の続きです。
その場所は、神戸市内でも、海に近く、わたしの部屋からも、海を眺めることができます。
わたしの部屋は、姪っ子が使っていたので、わたしが住んでいた時の気配は薄れてしまっています。
それでもぼんやり海を眺めていると、ああこうしてぼくは、ここから海を眺めて育ったのだという実感が沸いてきます。
わたしの後の二代目房主だった姪っ子も結婚して実家を出たので、いまその部屋は主なしの状態です。
すでにいかなご漁が始まった眼前の海は、あいかわらず、のたりと展開していました。
その場所は、神戸市内でも、海に近く、わたしの部屋からも、海を眺めることができます。
わたしの部屋は、姪っ子が使っていたので、わたしが住んでいた時の気配は薄れてしまっています。
それでもぼんやり海を眺めていると、ああこうしてぼくは、ここから海を眺めて育ったのだという実感が沸いてきます。
わたしの後の二代目房主だった姪っ子も結婚して実家を出たので、いまその部屋は主なしの状態です。
すでにいかなご漁が始まった眼前の海は、あいかわらず、のたりと展開していました。
亡くなった父のことについて確認することがあり、実家へ。
今日はFMわぃわぃの放送もないので(第一月曜日は毎月「沖縄篇」)、三宮で用事をすませて、実家に向かったのです。
亡くなって一カ月も経っていないために、父の部屋はそのままになっています。
洋服ダンスをあけると、8年前に亡くなった母の衣装がそのまま残っていてびっくり。
アクトレスをしている姪っ子が時々母の衣装を借りるというのですが、これもまたなかなか処分できるものではありません。
思い出が多く詰まっている実家。
新築した当初、一家四人だったのですが、残ったのはわたしと姉だけになりました。
わたしが出た後に、多い時は6人も生活していたことを思うと、寂しい限りです。
でもまた家族が増えることもあるでしょう。
そして今日は、亡き父の84回目の誕生日でした。もう少し長く生きてくれていたら、この日を祝っていたのに。残念です。
今日はFMわぃわぃの放送もないので(第一月曜日は毎月「沖縄篇」)、三宮で用事をすませて、実家に向かったのです。
亡くなって一カ月も経っていないために、父の部屋はそのままになっています。
洋服ダンスをあけると、8年前に亡くなった母の衣装がそのまま残っていてびっくり。
アクトレスをしている姪っ子が時々母の衣装を借りるというのですが、これもまたなかなか処分できるものではありません。
思い出が多く詰まっている実家。
新築した当初、一家四人だったのですが、残ったのはわたしと姉だけになりました。
わたしが出た後に、多い時は6人も生活していたことを思うと、寂しい限りです。
でもまた家族が増えることもあるでしょう。
そして今日は、亡き父の84回目の誕生日でした。もう少し長く生きてくれていたら、この日を祝っていたのに。残念です。