2019*05*01/「令和」という時代の始まり。また新たな元号にふりまわされるのかと少々うんざり。西暦表示が板についているので、元号がいつまでも身につかない。ただ「昭和」時代を語る時、ある程度以上の年齢層の人には西暦で語るより「それは昭和51年のこと」などと語った方が遡及力があるのは確か。
2019*05*02/カルメンはこの10連休のうち9夜連続フラメンコライブの真っ最中。昨夜は福嶋隆児さんのグルーポが出演。カルメン二回目の舞台は大いに盛り上がった。隆児さんはギターラとして何度かカルメンで演奏していたが、自分のグルーポで出演してみないと声をかけそれが実現した。いい舞台だった。
2019*05*03/関西のフラメンコ世界は着実に新しい世代が育っている。ギターでいえば住田政男さんのようなベテランから、それにつづく中堅、さらに若い弾き手も控えている。ライブ、発表会などでは、ギターとカンテは多くのグルーポ、教室を縦断して演奏している。いわば関西フラメンコ村のようなもの。
2019*05*04/古いフラメンコの映像を見ているとジプシーたちは石畳の上で踊っている様子が記録されている。そんな時代は現在のようにバイラオーラ(女性ダンサー)さえも激しくサパデアードを響かせることはなかったろう。今や男女のバイレ関係なく大地を覚醒させるがごとく激しく打ち鳴らすのである。
2019*05*05/最近フラメンコライブの終わりに〈FIN DE FIESTA〉を踊るグルーポが増えてきました。名の通り「祭りの最後」。バイレが一人ずつ出てきてひと舞踊ります。全員がソロや群舞を踊りきったあとの楽しい時間です。まさにFIESTAの雰囲気そのもの。この時にバイレの実力や巧みさがわかるのです。
2019*05*06/昨夜で怒涛の「カルメン・ゴールデンウイーク9夜連続フラメンコライブ」は終了しました。関西でもこうして9日連続でフラメンコライブを展開したスペイン関係店は少ないかもしれません。毎日違うグルーポに出演してもらいました。関西にはまだ未知のフラメンコグルーポがあるのでしょうね。
2019*05*07/昨日(6日)兵庫県現代詩協会の年次総会が神戸市・私学会館で開催されました。新会長に時里二郎氏(写真)を選出。新しい執行部体制がスタート。私も引き続き常任理事として新体制を支える役目をはたしていきます。前会長のたかとう匡子さんは3期6年間いくつかの新事業を展開されました。
写真は https://twitter.com/gunshaku/status/1127096884487643139
2019*05*08/私の好きな牡丹、藤の見どころはゴールデンウィークあたり。その時期はいつも働いているので満開の時期はどうしても見逃してしまいます。連休あけは花たちとめぐり合わせはどうもよくありません。牡丹や、紫陽花、菊は視線を下げて鑑賞するのに対して、桜や藤などは見上げる花なんですね。
2019*05*09/国立京都博物館で開催中の「一遍聖絵と時宗の名宝展」を鑑賞してきました。一生の間に国宝の一遍聖絵の現物を見るのは今回だけかもとじっくりと見ていました。一遍が超一と超二らと共に故郷を離れる時はまだ色白だったのが遊行を重ねるごとに日焼けしているさまがリアルに描かれています。
2019*05*10/知らなかったのです。私の父・大橋彦左衛門がこよなく愛した「空也上人像」。その現物を私も京都・六波羅蜜寺で見たことがあるのですが、時宗の総本山遊行寺にも同型のものがあるんですね。「一遍展」に出展されていました。しかもフィギアでも売っているよう。父への供養に買おうかしら。
2019*05*11/一遍集団の遊行の果ては往生かもしれません。淡路島で病いが重くなりいよいよ生命の果てを意識しはじめた一遍。なんとか明石に到着。示寂の地を教信寺(加古川市)と定めていたのを明石にやってきた船は大輪田泊(神戸市)に向かう便だった。享年51歳。太く生き歩き続けた求道者であった。
2019*05*12/旅を続けた一遍。「一遍聖絵」は下駄や草履を履いている場面もあるがたいていは裸足である。冬の道中はさぞ寒かったろう。遊行の人たちは粗末な阿弥衣を着用。持ち歩く物も制限するなどストイックな集団だった。私語も殆どなかったろうと推察する研究者もいる。旅は自己否定の連続である。
2019*05*13/奄美専門チャンネル「南の風」の5月分を収録するためにFMわぃわぃのある長田区へ。「平成時代」の30年間を振り返るその3回目。番組終了後、新長田の鉄人広場で徳之島在住の俳人・亘余世夫さんと会いビールとワインで昼から宴。盛り上がる。すっかり出来上がりなんとかJRに乗り帰宅する。
2019*05*14/12日朝、南海日日新聞に連載しているコラム「つむぎ随想」の原稿をメール送稿する。今回は「平成」時代に逝った奄美の2人の詩人(藤井令一氏、進一男氏)について書く。ふたりとも奄美の深奥をみつめ詩の言語で表現したすぐれた詩人だった。その詩業はこれからも永く記憶されるであろう。
2019*05*15/大学で同じ学科で学んだY・Y君と何年ぶりかで連絡が取れました。三年前私の不在時に自宅へ電話をもらったのですが連絡しなおすことができず、私のブログに名指しで乞連絡と書いたのです。Y・Y君がたまたま自分の名前を検索したのが幸いしてメールをくれました。同じ編集の世界の住人です。
2019*05*16/天皇の代替わりについて雑誌ジャーナリズムはどのように反応したのかを注目するうち、「Journalism 19.4月号〈天皇論〉」(朝日新聞社)を読む。女性天皇を認めない今の天皇制を日本の女性差別の淵源とする牟田和恵。天皇の戦争責任、日本の植民地支配をあらためて問う尹健二に注目した。
2019*05*17/「Journalism 4月号」を読んでいて、研究者の論考と思えないほど論理の組み立て方が雑駁で共感を得られなかったのが大澤真幸の論考。まず指摘したいのは、この論考は沖縄(琉球)へのまなざしが決定的に欠落していること。反天皇制への分析も思い込みが先行し実証的な言説になっていない。
2019*05*18/南海日日新聞に連載している「つむぎ随想」の最新版をご覧になって下さい。奄美の二人の詩人(進一男氏、藤井令一氏)について書きました。この二人の詩人に関してはまだまだ作品を読み込んで評論をつくしたいと思っています。あと奄美の詩人で取り上げるのは徳之島伊仙町出身の作井満氏。
南海日日新聞のコラムは https://twitter.com/gunshaku/status/1129551262607790080
2019*05*19/奄美の詩を語る時、進一男氏が編集・発行人をつとめた詩誌「地点」の存在が無視できません(既に終刊)。奄美からいくつかの文芸誌が発行されている中で、「地点」は詩に限ってのメディアであり、合評会を催し、詩を語る場を設け、若い詩人たちを育てた功績は計り知れないものがあります。
2019*05*20/詩の会「カフェエクリ」が姫路市で開かれました。第一部のスピーカーは作家の荒木スミシさん(写真左)。脚本書きからはじまって映画製作、小説の執筆、自費出版から大手出版社による発行など表現者としての軌跡を語ってもらいました。とつとつと語るその様相から誠実さが伝わってきます。
荒木スミシさんの写真と会全体の様子は https://twitter.com/gunshaku/status/1130996570252464128
2019*05*21/昨日の荒木スミシさんが語りの中で衝撃的だったのは、スミシさんが執筆した小説「シンプルライフ・シンドローム」が1997年神戸で起きた児童連続殺傷事件との類似性が指摘され、マスコミや公権力から犯人との関与の度合いについて探られたとか。同事件と係わってきた者として興味深いこと。
2019*05*22/古い岩波文庫です。定価表示は「★」ひとつ。懐かしいな。1956年初版で73年の18刷本。中野重治自選『中野重治詩集』。セロハン紙に包まれ黄ばんでいます。書斎でパソコンに向かっている時ふと雪崩落ちてきたことをキッカケに読み始め読了しました。有名な「雨の降る品川驛」も入ってます。
2019*05*23/「あなたはあなたのからだの悲しい重量を知っていますか」(わかれ)「どうしておれにはこんな事がいつもいつも悲しいんだろうかな」(女西洋人)。プロレタリア詩人と言われる中野重治は室生犀星を師と仰ぐだけに詩の基層は壷井繁治が「中野詩集・解説」で指摘するように抒情詩人だろう。
2019*05*24/「ごらんなさい 母よ/あなたの息子が何をしようとしてるのかを/あなたの息子は人を殺そうとしている/見も知らぬ人をわけもなく突き殺そうとしている」(新聞にのつた冩眞)中野重治の戦争告発詩である。戦後の日本ならび日本人が浸ろうとした被害者気分そのものを激しく糾弾している。
2019*05*25/明日の「Mélange」例会における読書会のために準備しています。珍しく読書会を二部制にする予定です。前半の共同発表者のひとりとして〈中野重治詩集』を読む〉をテーマに一枚もののレジュメを作成中です。もうひとりの共同発表者は大西隆志さん。プロレタリア詩人について語る予定です。
2019*05*26/第143回目の「Mélange」例会が開かれました。第一部読書会は二部制。前半はプロレタリア詩について。大橋愛由等と大西隆志の二人が担当。後半は「翻訳」について安西佐有理(写真左端)が語りました。翻訳といっても多岐にわたるのですね。その多様さと課題を意欲的に語ってもらいました。
写真は、https://twitter.com/gunshaku/status/1134244021545578498
2019*05*27/ドキュメンタリー映画を見に行こうかとぼんやり考えていた今日ですが、のっぴきならない用事ができて2つの事務所へ緊張しながら出向きました。なかなかゆっくりできません。同世代の者達は再雇用でいまも現役で働いているはず。少し前の世代の人なら私の年齢で「隠居」した人もいたはず。
2017*05*28/2つの事務所まわりをしてなんとか解放され、三宮の高架下にある居酒屋へ向かい「ひとり反省会」。その店で働くベトナム人青年とすこしばかり会話。日本に来てから5年。最初の2年間は全く日本語がわからなかったそうです。その彼が「さいきんベトナム人が増えました」と驚いていました。
2017*05*29/休みが少ないなぁとぶつぶつ言いながらジュンク堂書店に寄った27日。今日は文庫・新書コーナーだけ見て帰ろうと思っていたところ、井筒俊彦の新刊『コスモスとアンチコスモス』(岩波文庫)の目次を見ると「事事無碍・理理無碍」が収録されていて、あわててレジに進んで購入したのです。
2019*05*30/井筒俊彦が書いた「事事無碍・理理無碍—存在解体のあと—」をさっそく読みはじめています。井筒は華厳哲学とプロティノス哲学をリンクさせた論旨を展開していて、このふたつの思想はまさに私が永年興味を抱いてきたテーマだけによくぞ書いてくれたと感激しつつも読みすすめているのです。
2019*05*31/華厳経と華厳哲学は異なります。井筒俊彦が取り上げた事事無碍法界・理理無碍法界の概念は、中国・朝鮮の華厳僧たちがつくりあげた哲学世界。日本の華厳哲学の受容は事事無碍法界、中国は理事無碍法界を重視したといわれ、井筒が取り上げる理理無碍法界は東洋哲学の高次な到達点なのです。
2019*05*02/カルメンはこの10連休のうち9夜連続フラメンコライブの真っ最中。昨夜は福嶋隆児さんのグルーポが出演。カルメン二回目の舞台は大いに盛り上がった。隆児さんはギターラとして何度かカルメンで演奏していたが、自分のグルーポで出演してみないと声をかけそれが実現した。いい舞台だった。
2019*05*03/関西のフラメンコ世界は着実に新しい世代が育っている。ギターでいえば住田政男さんのようなベテランから、それにつづく中堅、さらに若い弾き手も控えている。ライブ、発表会などでは、ギターとカンテは多くのグルーポ、教室を縦断して演奏している。いわば関西フラメンコ村のようなもの。
2019*05*04/古いフラメンコの映像を見ているとジプシーたちは石畳の上で踊っている様子が記録されている。そんな時代は現在のようにバイラオーラ(女性ダンサー)さえも激しくサパデアードを響かせることはなかったろう。今や男女のバイレ関係なく大地を覚醒させるがごとく激しく打ち鳴らすのである。
2019*05*05/最近フラメンコライブの終わりに〈FIN DE FIESTA〉を踊るグルーポが増えてきました。名の通り「祭りの最後」。バイレが一人ずつ出てきてひと舞踊ります。全員がソロや群舞を踊りきったあとの楽しい時間です。まさにFIESTAの雰囲気そのもの。この時にバイレの実力や巧みさがわかるのです。
2019*05*06/昨夜で怒涛の「カルメン・ゴールデンウイーク9夜連続フラメンコライブ」は終了しました。関西でもこうして9日連続でフラメンコライブを展開したスペイン関係店は少ないかもしれません。毎日違うグルーポに出演してもらいました。関西にはまだ未知のフラメンコグルーポがあるのでしょうね。
2019*05*07/昨日(6日)兵庫県現代詩協会の年次総会が神戸市・私学会館で開催されました。新会長に時里二郎氏(写真)を選出。新しい執行部体制がスタート。私も引き続き常任理事として新体制を支える役目をはたしていきます。前会長のたかとう匡子さんは3期6年間いくつかの新事業を展開されました。
写真は https://twitter.com/gunshaku/status/1127096884487643139
2019*05*08/私の好きな牡丹、藤の見どころはゴールデンウィークあたり。その時期はいつも働いているので満開の時期はどうしても見逃してしまいます。連休あけは花たちとめぐり合わせはどうもよくありません。牡丹や、紫陽花、菊は視線を下げて鑑賞するのに対して、桜や藤などは見上げる花なんですね。
2019*05*09/国立京都博物館で開催中の「一遍聖絵と時宗の名宝展」を鑑賞してきました。一生の間に国宝の一遍聖絵の現物を見るのは今回だけかもとじっくりと見ていました。一遍が超一と超二らと共に故郷を離れる時はまだ色白だったのが遊行を重ねるごとに日焼けしているさまがリアルに描かれています。
2019*05*10/知らなかったのです。私の父・大橋彦左衛門がこよなく愛した「空也上人像」。その現物を私も京都・六波羅蜜寺で見たことがあるのですが、時宗の総本山遊行寺にも同型のものがあるんですね。「一遍展」に出展されていました。しかもフィギアでも売っているよう。父への供養に買おうかしら。
2019*05*11/一遍集団の遊行の果ては往生かもしれません。淡路島で病いが重くなりいよいよ生命の果てを意識しはじめた一遍。なんとか明石に到着。示寂の地を教信寺(加古川市)と定めていたのを明石にやってきた船は大輪田泊(神戸市)に向かう便だった。享年51歳。太く生き歩き続けた求道者であった。
2019*05*12/旅を続けた一遍。「一遍聖絵」は下駄や草履を履いている場面もあるがたいていは裸足である。冬の道中はさぞ寒かったろう。遊行の人たちは粗末な阿弥衣を着用。持ち歩く物も制限するなどストイックな集団だった。私語も殆どなかったろうと推察する研究者もいる。旅は自己否定の連続である。
2019*05*13/奄美専門チャンネル「南の風」の5月分を収録するためにFMわぃわぃのある長田区へ。「平成時代」の30年間を振り返るその3回目。番組終了後、新長田の鉄人広場で徳之島在住の俳人・亘余世夫さんと会いビールとワインで昼から宴。盛り上がる。すっかり出来上がりなんとかJRに乗り帰宅する。
2019*05*14/12日朝、南海日日新聞に連載しているコラム「つむぎ随想」の原稿をメール送稿する。今回は「平成」時代に逝った奄美の2人の詩人(藤井令一氏、進一男氏)について書く。ふたりとも奄美の深奥をみつめ詩の言語で表現したすぐれた詩人だった。その詩業はこれからも永く記憶されるであろう。
2019*05*15/大学で同じ学科で学んだY・Y君と何年ぶりかで連絡が取れました。三年前私の不在時に自宅へ電話をもらったのですが連絡しなおすことができず、私のブログに名指しで乞連絡と書いたのです。Y・Y君がたまたま自分の名前を検索したのが幸いしてメールをくれました。同じ編集の世界の住人です。
2019*05*16/天皇の代替わりについて雑誌ジャーナリズムはどのように反応したのかを注目するうち、「Journalism 19.4月号〈天皇論〉」(朝日新聞社)を読む。女性天皇を認めない今の天皇制を日本の女性差別の淵源とする牟田和恵。天皇の戦争責任、日本の植民地支配をあらためて問う尹健二に注目した。
2019*05*17/「Journalism 4月号」を読んでいて、研究者の論考と思えないほど論理の組み立て方が雑駁で共感を得られなかったのが大澤真幸の論考。まず指摘したいのは、この論考は沖縄(琉球)へのまなざしが決定的に欠落していること。反天皇制への分析も思い込みが先行し実証的な言説になっていない。
2019*05*18/南海日日新聞に連載している「つむぎ随想」の最新版をご覧になって下さい。奄美の二人の詩人(進一男氏、藤井令一氏)について書きました。この二人の詩人に関してはまだまだ作品を読み込んで評論をつくしたいと思っています。あと奄美の詩人で取り上げるのは徳之島伊仙町出身の作井満氏。
南海日日新聞のコラムは https://twitter.com/gunshaku/status/1129551262607790080
2019*05*19/奄美の詩を語る時、進一男氏が編集・発行人をつとめた詩誌「地点」の存在が無視できません(既に終刊)。奄美からいくつかの文芸誌が発行されている中で、「地点」は詩に限ってのメディアであり、合評会を催し、詩を語る場を設け、若い詩人たちを育てた功績は計り知れないものがあります。
2019*05*20/詩の会「カフェエクリ」が姫路市で開かれました。第一部のスピーカーは作家の荒木スミシさん(写真左)。脚本書きからはじまって映画製作、小説の執筆、自費出版から大手出版社による発行など表現者としての軌跡を語ってもらいました。とつとつと語るその様相から誠実さが伝わってきます。
荒木スミシさんの写真と会全体の様子は https://twitter.com/gunshaku/status/1130996570252464128
2019*05*21/昨日の荒木スミシさんが語りの中で衝撃的だったのは、スミシさんが執筆した小説「シンプルライフ・シンドローム」が1997年神戸で起きた児童連続殺傷事件との類似性が指摘され、マスコミや公権力から犯人との関与の度合いについて探られたとか。同事件と係わってきた者として興味深いこと。
2019*05*22/古い岩波文庫です。定価表示は「★」ひとつ。懐かしいな。1956年初版で73年の18刷本。中野重治自選『中野重治詩集』。セロハン紙に包まれ黄ばんでいます。書斎でパソコンに向かっている時ふと雪崩落ちてきたことをキッカケに読み始め読了しました。有名な「雨の降る品川驛」も入ってます。
2019*05*23/「あなたはあなたのからだの悲しい重量を知っていますか」(わかれ)「どうしておれにはこんな事がいつもいつも悲しいんだろうかな」(女西洋人)。プロレタリア詩人と言われる中野重治は室生犀星を師と仰ぐだけに詩の基層は壷井繁治が「中野詩集・解説」で指摘するように抒情詩人だろう。
2019*05*24/「ごらんなさい 母よ/あなたの息子が何をしようとしてるのかを/あなたの息子は人を殺そうとしている/見も知らぬ人をわけもなく突き殺そうとしている」(新聞にのつた冩眞)中野重治の戦争告発詩である。戦後の日本ならび日本人が浸ろうとした被害者気分そのものを激しく糾弾している。
2019*05*25/明日の「Mélange」例会における読書会のために準備しています。珍しく読書会を二部制にする予定です。前半の共同発表者のひとりとして〈中野重治詩集』を読む〉をテーマに一枚もののレジュメを作成中です。もうひとりの共同発表者は大西隆志さん。プロレタリア詩人について語る予定です。
2019*05*26/第143回目の「Mélange」例会が開かれました。第一部読書会は二部制。前半はプロレタリア詩について。大橋愛由等と大西隆志の二人が担当。後半は「翻訳」について安西佐有理(写真左端)が語りました。翻訳といっても多岐にわたるのですね。その多様さと課題を意欲的に語ってもらいました。
写真は、https://twitter.com/gunshaku/status/1134244021545578498
2019*05*27/ドキュメンタリー映画を見に行こうかとぼんやり考えていた今日ですが、のっぴきならない用事ができて2つの事務所へ緊張しながら出向きました。なかなかゆっくりできません。同世代の者達は再雇用でいまも現役で働いているはず。少し前の世代の人なら私の年齢で「隠居」した人もいたはず。
2017*05*28/2つの事務所まわりをしてなんとか解放され、三宮の高架下にある居酒屋へ向かい「ひとり反省会」。その店で働くベトナム人青年とすこしばかり会話。日本に来てから5年。最初の2年間は全く日本語がわからなかったそうです。その彼が「さいきんベトナム人が増えました」と驚いていました。
2017*05*29/休みが少ないなぁとぶつぶつ言いながらジュンク堂書店に寄った27日。今日は文庫・新書コーナーだけ見て帰ろうと思っていたところ、井筒俊彦の新刊『コスモスとアンチコスモス』(岩波文庫)の目次を見ると「事事無碍・理理無碍」が収録されていて、あわててレジに進んで購入したのです。
2019*05*30/井筒俊彦が書いた「事事無碍・理理無碍—存在解体のあと—」をさっそく読みはじめています。井筒は華厳哲学とプロティノス哲学をリンクさせた論旨を展開していて、このふたつの思想はまさに私が永年興味を抱いてきたテーマだけによくぞ書いてくれたと感激しつつも読みすすめているのです。
2019*05*31/華厳経と華厳哲学は異なります。井筒俊彦が取り上げた事事無碍法界・理理無碍法界の概念は、中国・朝鮮の華厳僧たちがつくりあげた哲学世界。日本の華厳哲学の受容は事事無碍法界、中国は理事無碍法界を重視したといわれ、井筒が取り上げる理理無碍法界は東洋哲学の高次な到達点なのです。