神戸まろうど通信

出版社・まろうど社主/詩と俳句を書く/FMわぃわぃのDJ/大阪編集教室講師など多様な顔を持つ大橋愛由等の覚え書き

小野十三郎賞

2006年09月28日 23時34分53秒 | 文学
本日の読売新聞新聞夕刊に、今年の小野十三郎賞の受賞作が発表されています。
たかとう匡子さんの『教室』です。
いま、たかとうさんは、詩人としても、評論家としても、のりにのっている状態です。

ただ、この賞には、わが詩誌『Melange』同人である高谷和幸さんの『回転子』も応募していたので、仲間感覚として、その親近度からすると、残念な結果と終わりました。

この『回転子』という詩集、レベルからすると、なんらかの詩賞をとってもいいと思っているのですがね。

詩集『ヴカリース』の装幀

2006年09月27日 09時23分33秒 | 出版
まろうど社の新刊である寺岡良信著『詩集 ヴカリース』の装幀案が、グラフィックデザイナーの高橋善丸氏から到着。

再校もどりがもうすぐ著者から到着する予定なので、この編集工程からすると、10月には上梓される予定です。

この詩集も多方面から高い評価を受けることが予想されます。

フラメンコライブ

2006年09月25日 19時25分06秒 | 神戸
わたしがかかわるフラメンコライブの様子です。

この日のカンテ(唄)は、ひとこと「Ay アイ~」と唸るだけで、その場がすでにフラメンコの世界になってしまうという、渋い声の持ち主でした。

バイレ(踊り)のグルーポ長は、二カ月前に出産したばかり。産休もそこそこに舞台に上がったのですから、さぞ大変だったと思います。

こうして毎月、熱い芸能にかかわっていると、わたしの方もパッションはあがりっぱなしになります。

第15回『めらんじゅ』読書会

2006年09月24日 23時15分40秒 | めらんじゅ
第15回詩誌『Melange』の読書会ならびに合評会が行われました。

第一部の発表は、高谷和幸さんの「もの派」についての所見。氏の詩が矩形をなし、その詩型の選択そのものも、「もの派」からの影響を感じられるということでも、永年にわたって、研究・沈思されてきただけに、中身の濃いものでした(いずれ、『Melange』で「もの派論」が展開されると思います)。

第2部は詩の合評会。わたしの本業は俳句だと思っているのですが、こうして去年から詩を毎月一篇書き、またロルカ詩祭で、朗読用の自作詩を書き、現代詩の最前線を呼吸している同人たちの評価に晒されていくと、詩を書くという意味が、少しずつ分かってきます。わたしにとって、俳句を書くというのは、自己との格闘であり、俳句という規定概念に対する闘争であるので、苦しむことが多いのですが、詩作は(詩人のみなさんには申しわけないのですが)、毎月詩を生み出すということが楽しくて仕方ないのです。それはおそらく〈断念の詩型〉たる俳句で表現しえない物語世界を表出できるからかもしれません。

ということで、今回の参加者は、富哲世、富岡和秀、山本かえ子、安西佐有理、河津聖恵、堀本吟と私という個性豊かなメンバーとなりました。珍しく寺岡良信氏は欠席。作品参加もありませんでした。

ちなみに、16回は10月29日(日)に開催。発表は、安西佐有理さんです。
また、11月は、寺岡良信さんの詩集『ヴオカリース』の出版記念会のために、読書会はお休み。合評会はします(11月19日か26日を予定)。また12月は、参加者多忙のために、休会します。

今日の歩き方

2006年09月19日 19時50分42秒 | 神戸
起床は遅め。
新聞をまあまあと読み、正午のテレビニュースを見る。
今日の朝日朝刊では、吉本隆明の“老い”についての取材記事を注意して読む。
朝食こみの昼食を食べながらゆたゆたと過ごして、缶ビールを一本あける。
金融機関からの電話がかかわってこないことを確認して、外出の準備をする。
何カ所か拙宅周囲で用事をすませて、三宮に向かう。
CDウォークマンを持ち歩くことにする。
アイヌの沖さんも参加した“KILA&OKI”というCDを入れる。
愛する人からいただいたものだ。
どうやらしばらくの間、このCDが作り出す“音の物語”の住人になりそうである。
三宮の公的機関をはしごするつもりで足を運んだが、所定のものが不足していることに気づいて、あきらめる。なんともなさけない。
それでもこなすべき仕事をいくつかした後、喉が乾き、生ビールで“うがい”をする。三杯ほど。
少しいい気持ちになって、また行くべき場所をめぐる。今度は、プライベートな要件。
CDをいただいた人と関係する案件。訪れた事務所の営業マンはいままでの人と違って、実にこまかく提案してくれる。
最初に出て来た営業マンは、ちょびひげのおにいさん。うん?! というイメージであるが、わたしも考えてみれば、口ひげをはやしている。
次に出て来た上司にあたる人はわたしの友人に似ている。
その事務所では情報を出してくれるはずだったが、次の約束があったので、明日また来ることを約してし辞する。
その案件、業界について、少しだけの情報を持っていた程度だったが、こうしてその世界で生きている営業マンと話していると、情報の深度が高まり、興味深いことである。
三宮から離れて、阪急電車で一駅向こうの春日野道駅で下車。すたすたと早足で歩き、大日商店街を歩く。高校時代の同窓であるSくんが経営する茶舗を過ぎる。挨拶はしなかった。
商店街が果てると左折して、筒井八幡宮に向かう。境内の集会所で練習をしてている沖永良部民謡愛好会の西村吉雄氏と会い、来年1月2日の長田・琉球ワールドにおける舞台出演を依頼して、快諾を得る。ホッとした。西村氏は、今度はサンシルを一本にしぼって(前回のFMわぃわぃ「南の風」の番組ではサンシルが三本演奏されていた)、唄者も厳選して望むという。その提案をありがたく拝聴する。
西村氏と別れて、高倉の前を通ると、オーナーがいて「おう」と声をかけられる。世間話をして、あほな話を交歓して別れる。彼が醸し出す雰囲気は、とある筋の人にそっくりやと思いつつ、駅に急ぐ。今日はつねに大股で急ぎ足だった。携帯で、琉球ワールドの舞台を仕切っている「琉球サンバ」店長の兼久氏に電話をかけて、一月出演者のことを伝える。
あとは二月の出演者を決めなくてはいけない。


生演奏

2006年09月18日 23時29分53秒 | FMわぃわぃ
昨日のFMわぃわぃ「南の風」奄美篇の番組は、喜界島出身の小林成芳氏(40)に島唄をスタジオで歌ってもらいました。
ハヤシは、時々「南の風」の番組を手伝ってもらっている山内由紀子さん。
演奏したのは、次の八曲です。

1.朝花節
2.よいすら節
3.花染節
4.くるだんど節
5.いそ加那節
6.行きゅんにゃ加那
7.塩道長浜節
8.豊年節

小林氏の歌声は、二年前に大阪・此花区のとある会場で聞いたことがあるのです。牧志徳氏が率いる島唄グループの発表会でした。島唄を初めて一年とたっていないにしては、ちゃんと声がでている(島唄の声になっている)ので、関心したのです。その日のパンフレットに目立つように印をつけたのは言うまでもありません。

以来、2年をかけて、番組出演が実現したということです。
番組で歌った曲は、生まれ島の喜界島のうたは少なく、これから、この島独自のうたの魅力を歌い込んでいってほしいものです。
この小林氏の番組出演を実現化した山内さんは、「あと二年後にどう成長しているのか楽しみです」と語っています。

しつ しつご04

2006年09月15日 13時07分44秒 | こうべ花気だより
物語は語られているか----

「ああ、なんと近づきがたき森でしょう。蝉の群れが棲みつき、怖ろしい猛獣が満ち溢れ、猛禽どもの怖ろしい鳴き声に包まれています。いろいろな鳥どもの鳴き声がかしましいだけでなく、獅子・虎・猪や象の咆える声が加わって、耳も聾せんばかりです」(東洋文庫『ラーマー・ヤナ』第一巻p84)

その深き森は深刻に語られている。
しかし、その森を越なければ、涼やかな風、清涼な湧き水は得られないであろう。

「あなたにその勇気はあるのか」。

森を越えた時に、あえかな心持ちは変っていないのか。

森に分け入り、森を越えなくてはならない。
それがわたしたちの物語なのだから。


しつ しつ ご03

2006年09月14日 03時35分37秒 | こうべ花気だより
正直で働き者の男がいた。

朝早くから、石運びの仕事に励んでいた。
昼は畑仕事。夕方から山に柴を取りに入り、家に帰るのはいつも陽がとっぷり暮れてからであった。

一年中休むことなく、文句を言うこともなく働き続けていた。
男の耕作地は、堤防の近くにあり、何年か前の地震と大水で崩れ、その都度に、石を運んで堤防を補強していたのだった。

その石は無償ではない。
石屋から石を買うのである。しかも利子まで要求される。返済が終了するまで15年以上かかった。
代金は、柴や、畑で出来た作物を市場で売り、少しずつ返済していた。
村の者が休んでいる時も男は、石運びと畑仕事をやめようとしなかった。村の者は、「あの男は仕事ばかりのつまらない男」とささやいていた。

ところが、その男にはひそかな楽しみがあった。
仕事を終えて、家路につく途中に、思いを寄せる女性の家があり、このごろ、少しずつ会話も交わすようになっていた。
男は、その女性がいるからこそ、村の者が休んでいる日も、毎日同じ仕事を繰り返すことができたのだった。いわば、男にとって、その女性は生き甲斐そのものであった。

女性が機織りをしている時は、何も言わずに畑で出来た作物をそっと届けていた。ある時、石をその女性のもとに運ぶことを思いついたのだ。男は朝に運んだ石を作業場で、きれいに整形しているのである。それをさらに小振りにして、女性のもとに届けるのである。その女性は、この家に石垣があれば、風よけにもなるし、獣たちの侵入や、浸水被害を少なくなるのに、と嘆いていたことを思い出したのである。

男は整形石をせっせと女性のもとに運び出し積み上げる。ところが不思議なことに数日たってみると、昨晩つみあげたはずの石が崩れている。きっと風か獣が倒したのだろうと気を取り直して組み直してみる。何日かすると、また崩れている。不思議に思いながらまた新たに石を運び積み上げるのだが、その繰り返しである。

ある朝、ふと気になって、その女性の家にまず向かうことにした。するとこともあろうに、昨晩に積み上げた石を、男が思いをよせる女性が、手と足を使い、崩している姿を遠くからみてしまったのである。なぜそうしているのか、男には理解できなかった。生け垣ができることが仕事をする上で不都合だったかもしれない。しかし、昨晩もふたりで会話をしたのに、そうした話題はでなかった。男は、女性の側になにか正統な理由があって、女性のしている行為こそが正しいのだと思いたがっていた。

その日から、男は口がきけなくなってしまった。話そうとすると、なにか得体のしれないモノが発語をさせまいとコトバを奪ってしまう。男は、女性を信じたかったが、石垣崩しを見てしまってからは、なにも信じられなくなってしまい、女性の家には二度と向かわなかった。一方、女性は、男に石垣崩しを見られているとは知らず、いつもの生活を繰り返し、最近あの男が通り過ぎないことを少しだけ不思議に思っていた。

男にとって、悪いことは重なるもので、女性の石垣崩しを見てしまった日の夜から降り出した雨が大雨となり、ふたたび、堤防が決壊し、修理が必要となった。石を新たに購入しなくてはならなかったのである。

あともう少しで石屋への払いが終わるはずだったが、新たに石を大量に買わざるをえなくなってしまった。男は堤防の決壊場所を眺めて「ああ、これでわたしの残りの人生は石積みと石屋への支払いを続けるだけで終わるだろう」と溜め息をついた。この男の予想はあたり、男は数年後に畑作業の途中に息絶えてしまったのである。その時、風にのって聞こえてきたのは、機織りをするその女性の楽しげな歌声だった。

しつ しつ ご02

2006年09月13日 10時12分53秒 | こうべ花気だより
世間という語をひもとけば
「人が生活し、構成する現世社会」「日々生活する自分の回りの社会やその状況、また、そこにいる人々」(小学館版「国語大辞典」)となりましょうか、みなさん。
わたしがもうひとつ付け加えるとすれば、「日々生活する自分の回りの社会やその状況と、その時々の時代相に制限されつつも、そこから生み出される最大公約数的な価値観」としましょうか。
みなさん、「世間」というのは、時代によって変わっていくものです。
しかし、その時、その場にいる人にとって、「世間相場」というのは、ひとつしかない。
もともと多義的であるはずの時代・情況の価値観が、この「世間」という「共通認識」に、知性あるひとも意外と簡単に心性を収斂してしまう。
愛は時に「世間」に凌駕されます。しかし、その「世間」は移ろいゆくもの。時代相を超えた視座を持つという行為をその時々に獲得しないと、また次なる「世間」に回収されていくだけでしょう。

9月11日

2006年09月11日 23時52分13秒 | こうべ花気だより
                こ
                と
                ば
                が
                し
                ん
                で
                い
                く   

早田信子さんの、いきざま、歌いざま

2006年09月10日 23時35分42秒 | FMわぃわぃ
長田・琉球ワールドでの早田信子さんの島唄演奏を、FMわぃわぃ用に収録するために出向きました。

この舞台はわたしが企画したものですが、早田さんは見事にその期待に応えてくれました。
武下和平師匠のもとを離れて4年目が経過して、ようやく去年あたりから、自分のうたを歌おうとする意欲が全面に出て来たようです。

この人のいきざま、歌いざまに深い関心があります。わたしが書かせていただいている南海日日新聞むのコラム「神戸から」に書くことにしましよう。

唄者、とくに女性の唄者は、人生まるごと、唄の世界、島唄で歌われた世界をそのまま体現しているような人がいます。つまり人生が島唄そのものの人なのです。極端な話をすると、自分の島唄のためなら、ダンナを捨て、師匠とも決別する。そうした激しさがあってこそ、“なつかしさ”が表出されるのかもしれません。