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神戸まろうど通信

出版社・まろうど社主/詩と俳句を書く/FMわぃわぃのDJ/大阪編集教室講師など多様な顔を持つ大橋愛由等の覚え書き

四月つごもり

2011年04月30日 23時23分41秒 | 通信
★『Melange』同人の寺岡良信氏と会う。姫路で書肆を開業する大西隆志氏の店舗で開催されたオープニングパーティに参加したとのこと。あたたかな雰囲気に包まれて好印象を持ったとのことだった。

★その寺岡氏、入院中の富哲世氏を見舞う。ようやく来月半ばに退院することになったという。元気だったとのこと。

★今日で四月はおしまい。寒い四月だった。しかし、街を歩いていると、春の香りがする。いよいよ花の季節が到来した。

★高谷和幸氏が主宰する詩の教室「エクリ」の開催日が変更された。5月9日(月)となった。この日だとわたしも参加できる。
この会にはいつも新しい詩作品をもって望むが、前日(8日)が『Melange』読書会・合評会なので、二つ同時に詩を作る自信がない。私の詩造りは、前作からの心の軌跡を集積するので、一作品に収斂していってしまう。でもなんとか作ってみようか。

★いくつかのことが解決したのはいいが、懸案の原稿を書き進めなくてはならない。いつもやるべき多くの事項がわたしを脅迫する。

気温が低めなのですが

2011年04月29日 09時40分57秒 | 通信
◯仲川文子さんの第二詩集『青卵』の読後感をツイッター「@gunshaku」に書く。←今月もいくつかの詩集、句集(俳句、川柳)を読むことができた。

◯今月のツイッターはすべて「詩人TT氏への私信」とタイトルを付けている。長く入院加療している詩人TTさんに向けて、わたしなりの励ましのメッセージ集である。←元気な姿を早くわれわれ詩仲間に見せてほしい。

◯ちらちらと沖縄の詩についてのサイトを見ていたら、詩人・石川為丸氏の沖縄の詩に関する評論が面白い。http://www.h3.dion.ne.jp/~kuikui/
←沖縄の一言居士をまたひとり発見した。

◯今朝もひんやりする。『Melange』同人のNMさんは寒さ嫌い。今年はずっと寒い日が続いているからこのところ好きなビールやワインを呑んでもテンションが上がらない。元気な姿をしばらく見ていない。SAさんは〈寒い・空腹・眠い〉のいずれかになると不機嫌になり、三つ揃うと凶暴になる。←いずれも女性です。

沖縄の個人詩誌

2011年04月28日 09時05分54秒 | 通信
「Abu (アブ)9号」は昨日送られてきた詩誌。松原敏夫氏の「個人詩誌」である。

ここで「個人詩誌」をあえて括弧にいれたのは、「個人」と銘打っているものの、内容はかなり充実していて、ヤマト(本土)ならいっぱしの商用詩誌メディアとして通用するレベルであるのに、あえて沖縄では個人詩誌と標榜する傾向があるということを読者に伝えたいためである。

これはひょっとしたら沖縄的な文学的特質のひとつなのかもしれない。同人誌という形態をとらずに個人詩誌としていくつかの優れた詩誌が発行されていることを考えると、〈個〉が文学(詩)を発信する原基として確固として存在しているといえよう。すぐ群れたがる(=同人誌に依拠して表現しようとする)ヤマトの傾向と違うところである。

ヤマト(社会)では〈個〉に引き受ける際の重さがあり、その社会的重責を軽減したいと思う気持ちが強い。また〈個〉が直裁的にさらされるよりも、〈個〉を〈衆〉に収斂してしまうことで、実質的には〈個〉の主宰誌であっても、〈衆〉という関係性の中で展開してゆくという傾向がある。かたや沖縄は、〈個〉がもともとのびやな柔軟性を持ち、引き受けの度量の広さ深さがあるように思われる(それは良い意味でも悪い意味でも“テーゲー”精神なのかもしれないが)。

この「Abu (アブ)9号」にはわたしがツイッターに書き込んだ「Abu8号」の感想(4本)がそのまま転載されて紹介されている。

やはり沖縄の文学はヤマトと違う異相があり、興味の果てない世界である。 

好きな藤と牡丹なのですが

2011年04月27日 13時03分59秒 | 通信
桜の次にめでる花として藤と牡丹がある。

ただ毎年この時期は多忙で、ゆっくりと藤も牡丹も観賞することが出来ない。

藤棚の下で一献傾けながら、午睡でもしていれば、夢のようだと思いつつ、なかなか実現しない。

叶わないと分かりつつ、白藤の棚の下で、“藤弁当”と日本酒あるいは白ワインを傾けながら、ゆるりと過ごしてみたい。

また牡丹は中国では“花王”という別名があるぐらいで、一財を傾けてしまうほどのめりこむ好事家が唐の時代にいたという。

わたしの若い頃は牡丹の厚ぼったい様相が嫌いだったが、ある年齢を境にして好きになっていった。

牡丹はひとつの花を眺めているだけでひとつのコスモスの広大さを感得し、その全一性が気に入っている。

反対に藤は群れ花である。群れの全体として観賞することができる。個に全体が内包していると言い得るし、逆の全体に部分が即応しているとも言える。仏教(華厳)でいえば、「一即十 十則一」といったところか。

いずれにしろ今年も観賞する時間をとれそうにない。

神戸はいま雷が鳴り出した。

朝風呂と自衛隊

2011年04月26日 18時07分56秒 | 通信
昨夜は酩酊していたので、風呂に入らず寝入ってしまった。

その代わり朝風呂に入る。

いま頭髪が短いので、洗髪に時間がかからず、乾かす時間も殆ど不要なので、朝に洗髪しても不都合はない。

風呂といえば阪神大震災のあと、一回だけ自衛隊がしつらえた風呂に入ったことがある。
ひとりが入浴できる制限時間があったと記憶しているが、充分な湯温で、身体があたたまった記憶がある。
日本の軍隊にはこうして野戦用風呂を持っていることを知った。
まさにアウトドアで仕事をする公務員らしくなんでも揃っている(特に陸自はそう)。

いま東日本大震災で自衛隊が10万人体制で臨んでいるそうだが、10万人もの隊員を災害派遣できるほど自衛隊という組織は巨大であるということだ。ひとつの民間企業で10万人を動員するのは殆ど不可能で、災害派遣という業務以外の仕事に対して支払う人件費も膨大なものになる。隊員の人件費はすぺて税金でまかなわれているわけだから、日本という国はいかに大きな軍隊組織を持っていることを意味している。

神戸を西に東に

2011年04月25日 23時06分33秒 | 通信
FMわぃわぃ「南の風」奄美篇の放送を担当するために鷹取へ。

この番組も15年担当しているので自主音源(MD)がたくさんあり、そろそろそれをまとめていく作業に入らなくてはならない。

そこで三回前から、MDに録音している情報をまとめるようにした。

要は録音データをどこに保存するかである。

そこで考えたのがブログにあげるということ。わたしの書斎に文字情報として保存すると絶望的に見つからないから。

きっと何年後かには奄美島唄の貴重なデータになっていることだろう。

放送終了後、お好み焼き屋でとある人とランチ。ビール大瓶を二本飲む。

続いてプリンターのインクを買いにセイデンに行くとスペイン人青年A君とばったり。

そのまま高架下バルに二人で赴き、二人でピンチョス(串焼き)、カーニャ(生ビール)で気炎をあげる。
そこでカーニャを3~4杯。

しゃべりにしゃべってバルを出る。ダイソーまで二人で行ってそこで解散。小物を買い、ジュンク堂書店で法然に関する本と、イタリア・シチリア島の短編集一冊を購入。続いてセイデンに向かってプリンターインクを買ったところでメール着信。

ふたたび電車に乗って新長田に。そこで落ち合って初めての居酒屋へ。そこではもっぱらチューハイ各種を飲む。セールス期間だったので安いこともあって、いったい何杯飲んだか分からない。

話はもりあがって店がそこそこに終わりかけている時に出る。久し振りに昼過ぎから飲み続けて、よく飲み、よく食べ、よく語った一日だった。


交通不全

2011年04月24日 19時07分50秒 | 通信
朝、ツイッターに句集評を送る。←地味な作業もこつこつとしている。エライ!

わたしのツイッターはおおよそグーグルに補足されている。←ちょっと自慢している。

驚いたことにブログに投稿した途端にツイッターにすぐ紹介されていた。←まんざらでもないと思っている。

しかしかようにブログやツイッターにアップロードするといつのまにかグーグルに補足されるようでは、グーグルを調べると、わたしがネットに挙げた文章は殆どが筒抜けということになる。←これは警戒すべきだ。

しかしひとつだけそのブログサイトはグーグルで検索されるものの、詳しい内容は補足されないブログがある(そのサイト名は秘密だからあかさない)。←これはちょっとした安心でありかつ、グーグルさまが補足するにあたわずと評価なさっているに違いない。そうなると良いのか悪いのか分からない。

今日も雨

2011年04月23日 13時54分05秒 | 通信
朝から傘をさして出かけます。

ひと雨ごとに暖かくなっていくでしょう。

それでも、東日本大震災の被災者にとってこの雨はやるせない。

まだ見つかっていない行方不明者の捜索や、被災家屋の片付けなどに、雨が降っていては進捗度に影響を与えるからです。

阪神大震災の時、激震地にあっても、被害の深度はまだら模様でした。全壊した家の横に一部損壊だけですんだ家もある。木造の家が残って、中層階のマンションが倒壊してしまったことも見てきました。

しかし今回の震災は津波で被災地域すべてがつぶれてしまった。なんという非情でしょう。

ラジオドラマ

2011年04月22日 14時11分23秒 | 通信
姪っ子の小劇場系女優の小野愛寿香に、先日行われた大阪城夜桜会で「ジャムコント」を演じてもらい、好評を博しました。

彼女たちの演技力は、小劇場で鍛えられているだけあって迫力があります。

関西の演劇界でももっともアクティブに活動している俳優グループのひとつだと思われます。

そこで彼女に声をかけたのが「ラジオドラマ」の制作参加です。

わたしが企画原案を出して、彼女たちに演じてもらおうと言うものです。

この企画はあるひととの会話の中から刺激されて生まれたものです。

第62回『Melange』読書会・合評会のお知らせなど

2011年04月21日 13時45分34秒 | 通信
○3月11日に起きた東日本大震災の破壊力はすさまじく、動画投稿サイトで何度も津波シーンを見ています。その頻度は病的といっていいのかもしれません。このこだわりを勝手に正当化してみると、どうもわたしの阪神大震災の体験と結びついていると思われます。

阪神の場合は、揺れ=街の崩落と直結しましたが、東日本の場合は、揺れもさることながら津波によって街が決定的に崩落したのです。また阪神の地震が発生した時刻は殆どの人が眠りについている時間(午前5時46分)でしたが、今回の津波は昼下がり。しかも地震発生から約30分ほど時間が経過していて高台に避難していた人がいた。かつ時代は変わって多くの人が簡便に動画を録音する装置を持ち合わせる環境になり、インターネットの普及で、被災者が録画した動画を見ることができる。

つまり阪神では神戸が崩落していくその時の様子を収めたライブ動画は今のところ見あたらず(建物の中の揺れを撮影しているのではなく、街そのものが崩落していくさま)、わたしは東北のいくつかの街が崩落していくさまを、神戸の疑似体験として反復しているのかもしれない、神戸もああして崩落していったのだと自分を納得させようとしているのかもしれない、と思っているのです。

○さて、今回もわれわれ詩誌『Melange』の読書会・合評会の動向を初めとして、同人、誌友、友人のいくつか情報をお知らせいたしましょう。

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◆1.--第62回『Melange』読書会・合評会のお知らせ(5月8日)
◆2.--カフェ・エクリのお知らせ(5月2日) 詩の森の散歩道
◆3.--誌友・大西隆志氏の動向〈姫路で書肆を起業〉
◆4.--新設ブログの紹介〈池田知隆氏の「瓢漫亭日乗 」〉
◆5.--第14回ロルカ詩祭のこと〈8月20日〉
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◆1.--第62回『Melange』読書会・合評会のお知らせ(5月8日〈日〉)

第一部の読書会(午後1時~)は、寺岡良信氏が発表担当です。
語りの内容は「金子兜太--俳句の中の詩性」(仮題)
寺岡氏が永年親しく接してきた兜太の俳句世界を吟味しながら、彼の作品世界にある詩のありようを解説してもらう。

第2部(午後3時~)は自作詩の合評会です。詩稿の締め切りは、5月5日(木)。
ゴールデンウィークの真っ最中ですが、今回も力作、話題作をお待ちしています。みなさんから寄せられた詩群は、5月7日(土)中にメールで送信いたします。

(ちなみに、第63回〈6月〉の読書会発表担当者は、平岡けいこさん、第64回〈7月〉の同担当者は、野口裕氏を予定しています)


◆2.--カフェ・エクリのお知らせ(5月2日) 詩の森の散歩道

『Melange』同人の高谷和幸氏が主宰する詩の教室「カフェ・エクリ」の開催予定です。

☆5月2日(月)午後4時から姫路。テーマは寺岡良信氏の詩作品における音楽性。
☆6月6日(月)午前11時から龍野です。

詳細は以下の高谷氏あてに問い合わせてください。 

676-0815 兵庫県高砂市阿弥陀一丁目11-24
Phone・fax 079-447-3652
Mobile 080-5311-6265(高谷)
http://cafeecri.web.fc2.com/

◆3.--誌友・大西隆志氏の動向〈姫路で書肆を起業〉

三月末で永年勤めた某市役所を退職した詩人の大西隆志氏。姫路で書肆「風羅堂」を開店すべく準備をすすめています。古書、新刊の両方を扱うのだそうです。また絵画の販売も手がけるとのこと。(まろうど社の書籍も新刊書籍のコーナーに置いてもらうことにしましょう)

4月29日(金)に開店祝いパーティを、姫路市亀井町81番地の同店舗で開くとのことです。正式オープンは5月4日(水)です。

大西氏にその店舗完成予想図を見せてもらいました。

細長い店舗の中央書棚は可動式になっていて、それを動かせば、ミニコンサートやトークショー、朗読会、勉強会が出来るスペースが生まれます。また店舗奥にはカウンターがしつらえてあって、簡単な酒食を出すことができるそうです。

正式な開店は五月に入ってからだそうですが、新しい姫路/播州の文化的拠点が誕生することになります。

ちなみに店舗名の「風羅」とは、姫路と縁深い名前です。ネットに詳しく紹介されていますので参考にしてください。
  http://www.m-8.jp/fuuradou/

大西氏はさすがに姫路で文化を司ることを強く意識している表現者だけあって、店名
もこだわったのですね。神戸とは異なる歴史の重層性を姫路に感受します。

「風羅堂」の発展を祈っています(私の祖父・岸本邦巳も戦後は古書肆を経営していました)

◆4.--新設ブログの紹介〈池田知隆氏の「瓢漫亭日乗 」〉

毎日新聞の論説委員を務め、同新聞社を勇退後、現在は関西大学で教えている池田知
隆氏があらたにブログを立ち上げました。東電福島第一原発についての情報をはじめ
として、ジャーナリストとしての視点は健在です。

「瓢漫亭日乗 」 http://ikeda102.blog40.fc2.com/page-1.html


◆5.--第14回ロルカ詩祭のこと〈8月20日〉

まだ先の話しですが、今年の「ロルカ詩祭」の日程だけは決まっています。
8月20日(土)です。どうしたコンセプトでするのか、またゲストは誰をお呼びする
のか全く白紙です。決まり次第順次お知らせしていきます。


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☆『Melange』読書会・合評会の会場=神戸・三宮のスペイン料理カルメン
(カルメン==078-331-2228==の場所は以下のサイトを参照してください。阪急三宮駅
西口の北へ徒歩1分の場所にあります。 
http://www.warp.or.jp/~maroad/carmen/)。
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書籍の将来

2011年04月20日 13時47分31秒 | 通信
紙媒体で発行している「月刊めらんじゅ」ですが、PDFファイルにするのも可能です。

ですからこのブログなどでリンクすれば郵送しなくてもいいわけです(現在、「月刊めらんじゅ」61号を発送中)。

まろうど社は出版社なのでどうしても紙媒体に印刷することを一義的に着想しますが、「月刊めらんじゅ」を電子書籍化することには何の抵抗もありません。エディトリアルの実務はすべてわたしが担当していて、細部にわたって熟知しているためです。

ただ一般書籍の場合、小社の造本は四六上製本を基調にしていることもあり、単行本の持つ独特の風合いは、電子書籍では味わうことは出来ません。

出版は著者や編集者、校正者、装幀デザイナー、印刷、製本業者など多くの職人の手を介して出来上がるものです。それがネットの世界だけに存在するというバーチャル次元のみの存在となると、重量もオブジェとしての実体も伴わないわけです。特にせっかく積み上げてきた装幀デザイナーの仕事は書籍という三次元の〈建築〉でこそ発揮されるものです。

今後電子書籍は全書籍の総量において、ある一定程度のシェアを占めてゆくと思われます。コミックや小説といった多売を期待されるジャンルは勿論のこと、いままでの紙媒体として上梓するのには資金的に難しかった希少本、古書の復刻や、学術論文にいたるまで、可能性は広がってゆきます。出版社もこの本は後世に遺しておくべきと社会的責務を感じている書籍も紙媒体に印刷する経費よりもスキャナーで原本を取り込んで電子書籍で遺して置くという手だてがあります。

しかし、オンデマンド出版が登場した時は、殆どの書籍はこの出版形式になるかもしれないと可能性が喧伝されていました。今後の出版や書籍そのものの未来を決定する大きな転換点がやってきています。

少しだけ

2011年04月19日 13時29分13秒 | 通信
風邪がましになってきました。

今朝も動画投稿サイトで、東日本大震災の津波ムービーを繰り返し見ていました。

時間がたって、何本かの新しいムービーも投稿されて迫真の場面を伝えています。

阪神大震災が発生した時間はまだ殆どの人が就寝していた時間。
そんな時間ということもあって、街が崩落していくさまを動画で収めたものを見ることは出来ません。

こうした理由から、阪神大震災の被災者が動画であの瞬間を再体験することはできないのです。

今回の東日本大震災では地震が起きた時の映像はともかく、津波によって街が潰滅していくさまが衝撃的で、そうした場面は多くの投稿動画によって見ることができます。

阪神も東日本も未曾有の自然災害です。でも、時代は変って、動画を手軽に写せる機器(例えば携帯ムーピーでも)を持っている人が増えたために、大事態を撮影した動画をネットで確認することが出来るのです。

こうして現在の災害のありさまをリアルに見ることが出来ると、ますます阪神大震災の時に神戸が崩落していくさまが“見えない”ということに、深い欠落感を味わうのです。

大阪へ

2011年04月18日 23時22分56秒 | 通信
出版の打ち合わせの前に、一本映画を午前中に観ようと思っていたら、今日から上映時間が変更されていたので、大阪の映画館なら可能だと準備をしようと思っていたら、風邪で身体の調子が悪いままであることに気づき、朝寝を撰ぶ。

正午に出発。まず三宮で所用をすませて大阪へ。詩人T氏の詩集の装幀打ち合わせのために、梅田で集合してデザイナーT氏の事務所まで歩いてゆく。

小一時間ほど打ち合わせをして午後3時から詩人T氏と梅田周辺で飲み出す。

編集者と著者にとって、昼からひっかける店はなくてはならない。

梅田では選択の幅が広い(三宮もあることはあるが、数は多くない)。

一軒目は梅田の地下の居酒屋、二軒目は新梅田食道街の立ち飲み屋の「北京」。久し振りに“エッグ”を食べる。

皿にあらかじめ小銭をおいて、それを店の主人が飲み物や食べ物を出すたびに取ってゆくという「北京」の会計システムは、詩人T氏にとって初体験だったようだ。 

続いて「味楽」へ。“あかあちゃん”と久し振りにしゃべる。以前次男を連れていったが休憩時間だったので、入れなかった。友人O氏のことも話題にする。

「北京」も「味楽」もかつて大阪で働いていた時は何度繰り返して行ったことだろう。

風邪をひいているのだが、酒と肴は食べることが出来る。こんなのでいいのだろうか。

詩人・大西隆志氏、姫路で起業す

2011年04月17日 22時12分37秒 | 通信
姫路在住の詩人・大西隆志氏がふらりと訪ねてくれました。

三月末で永年勤めた某市役所を退職。姫路で書肆「風羅堂」を開店すべく準備をすすめています。古書、新刊の両方を扱うのだそうです。また絵画の販売も手がけるとのこと。(まろうど社の書籍も新刊書籍のコーナーに置いてもらうことにしましょう)

4月29日(金)に開店祝いパーティを、姫路市亀井町81番地の同店舗で開くとのことです。

大西氏にその店舗完成図を見せてもらいました。

店舗中央の書棚は可動式になっていて、それを動かせば、ミニコンサートや、トークショー、朗読会、勉強会が出来るそうです。また店舗奥にはカウンターがしつらえてあって、簡単な酒食を出すことができるそうです。

正式な開店は五月に入ってからだそうですが、新しい姫路/播州の文化的拠点が誕生することになります。

ちなみに店舗名の「風羅」とは、姫路と縁深い名前です。ネットに詳しく紹介されていますので引用することにしましよう。

「姫路には、芭蕉翁が使用したとされる蓑と笠が残っています。
かつて増位山にあった「風羅堂」には京都岡崎の風羅坊より移された架娑、破風、銅鉢、旅硯、蓑、笠、杖の七品の芭蕉翁遺品が納められていたといい、長い間播磨の俳人達の活動拠点ともなっていましたが、明治初期に焼却処分され、百三十余年が過ぎ、蓑、笠のみが残りました。
風羅という言葉は芭蕉翁の造語で「笈の小文」の冒頭で使われており、風に破れやすいうすもの(芭蕉葉)の意で、自らを風羅坊とも名乗っていました。
「句会 亜流里」では、蓑、笠を広く皆様に知っていただこうと、平成19年より「播磨芭蕉忌フェスティバル」を毎年開催し、今では訪れる人もいないこの地にいつの日か風羅堂が再建される事を夢見て活動しております。」
http://www.m-8.jp/fuuradou/

大西氏はさすがに姫路で文化を司ることを強く意識している表現者だけあって、店名もこだわったのですね。
神戸とは異なる歴史の重層性を姫路に感受します。

「風羅堂」の発展を祈っています(私の祖父・岸本邦巳も戦後は古書肆を経営していました)

目に見えぬものの恐ろしさよ

2011年04月16日 22時22分22秒 | 通信
東京電力の福島第一原子力発電所からの放射能洩れが深刻な事態になっていると、わたしのもとにその危機を訴える声がいくつか届いています。特に今日からの三日間は神戸にも風具合で福島から放射能が飛んでくるそうです。

N95方式のマスクがいいのだということを教えられ、近くのドラッグストアで購入。装着してみました。

それをつけて街を歩いたのです。ついでに、わたしの他に同様のマスクをしている人を捜したのですが、見当たりませんでした。何人かはマスクを装着していたのですが、明らかに花粉症対策と思われる人たちです。

Sさんは放射能飛散を極度に怖れ、今日明日と一歩も外出しないそうです。とある人の危機意識を墨守しているのです。そのとある人の言うことはおおよそなんでも受け入れてしまいます。換気扇も回さないそうです。でもSさんの家人が「空気抜きするわ」といって窓をあけたり、Sさんの洗濯物を戸外でほしたりしてるようで、Sさんは仰天したそうです。