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神戸まろうど通信

出版社・まろうど社主/詩と俳句を書く/FMわぃわぃのDJ/大阪編集教室講師など多様な顔を持つ大橋愛由等の覚え書き

75回『Melange』読書会の詳報ほか

2012年09月21日 09時50分20秒 | 通信
★『Melange』読書会の詳報など、いくつかお知らせすることがあります。


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◆1.--詩の教室「カフェ・エクリ」のお知らせ(10月1日〈月〉)←会場は兵庫県たつの市
◆2.--『Melange』読書会「吉本隆明の詩を読む」・合評会 のお知らせ(9月23日〈日〉)
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◆1.--詩の教室「カフェ・エクリ」のお知らせ(10月1日〈月〉)←会場は兵庫県たつの市

『Melange』同人・高谷和幸・千田草介氏が運営する詩の教室「カフェ・エクリ」の情報です。
日程的にはこちらの方が後になりますが、◆2.の情報が多いので先に記しておきます。

10月は、1日(月)午前11時から、たつの市の「カフェ・ガレリア」で開催します。
第一部の語りは、大橋愛由等と千田草介氏が担当します。大橋が明恵、千田氏が法然を語り、当時の仏教世界において、二人のあらがいが、どのような意味を持ったのかを探っていきます。また歴史的背景を、寺岡良信氏に解説していただこうと思っています。大橋は時間が許せば、華厳思想のありようを語ります。

たつの市の「カフェ・ガレリア」住所:たつの市龍野町富永1439電話:0791-63-3555
▼当日参加する方は、午前9時38分JR三宮駅発「姫路行」の新快速に乗車してください。終点・姫路駅で下車。同駅で姫新線に乗り換え21分後に「本竜野駅」に到着。そこから歩いて10分ほどです。
同会も詩の合評セクションがあります。自作詩を持参してください。10部ほどコピーが必要です。

◆2.--『Melange』読書会「吉本隆明の詩を読む」・合評会 のお知らせ(9月23日〈日〉)

第一部読書会(pm1:00~3:00)の担当者は、富哲世氏です。
吉本隆明の詩を読む連続読書会の二回目です。

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めらんじゅ読書会  吉本隆明の詩集を読むシリーズ〈発表者/富哲世〉

 第1回8月5日(日)「固有時との対話」
★第2回9月23日(日)「転移のための十編」(テキスト/講談社文芸文庫「吉本隆明初期詩集」他選集・全集・現代詩文庫などにあります)
 第3回 「記号の森の伝説歌」
 第4回 「言葉からの触手」   計4回を予定
(今回の発表対象も文庫に収録されていることから入手が容易です。参加予定のみなさん、是非読んできてくださいね)

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第二部(pm3:00~6:00)は、詩の合評会です。みなさん、意欲的な作品参加をお待ちしています。締め切りは、本日・9月20日(木)です。
みなさんから寄せられた詩群は、9月22日(土)中にメールで送信いたします。

---以下、富哲世氏からのメール転送--------------------------------


読書会参加の方は当日好き、嫌いの理由はともかく、転位の詩をどれか一篇選んで来てください。それをもとに議論を広げていきたいと思いますので。富。


「転移のための十篇」レジュメ
富 哲世(歴史年表:寺岡良信作成)
◎1950年代の出来事(サンフランシスコ講和会議と安保条約を中心に 寺岡良信作成)

1.1950(昭和25)年6月、朝鮮戦争勃発。
◇GHQ、警察予備隊の創設を指示。
◇GHQ、共産党幹部を公職追放に。レッドパージが広がる。
◇日本経済は特需景気に沸く。

2. 1951(昭和26)年9月、サンフランシスコ平和条約締結(全権は首相の吉田茂)。1952年4月に発効する。
◇中華人民共和国(北京共産党政権)・中華民国(台北国民党政府)ともに会議に招かれず、またソ連などが調印を拒否したため、「単独講和」(片面講和)となる。
◇条約では、①朝鮮の独立 ②台湾・南樺太・千島列島の放棄 ③沖縄・奄美・小笠原を米国の施政権下に置くことなどが定められた。
◇社会党は講和のありかたをめぐって、左派と右派に分裂した。

講和条約締結と同じ日、日米安全保障条約(安保条約)が調印され、米軍の日本駐留を認める。
◇1952年、基地の提供と米軍駐留費の一部負担を定めた日米行政協定が結ばれる。以後、内灘事件・砂川事件など基地反対闘争が激化。
政府はメーデー事件(1952年)を契機に破壊活動防止法を制定した。
◇1954年のMSA協定で、日本は防衛力の増強を義務づけられ、同年、自衛隊が発足した。軍国主義者の公職追放解除とあわせて、こうした動きを「逆コース」と呼んだ。

3. 第五福竜丸事件(1954年)が起こり、原水爆禁止運動が盛り上がる。
1955(昭和30)年、原水爆禁止世界大会が広島で開かれる。

4. 1955年10月、日本社会党が再統一。11月、日本民主党と自由党が合同(保守合同)して自由民主党が誕生。55年体制が形成され、その後長く戦後政治の基本的枠組みとなる。
◇党首の鳩山一郎は憲法改正・再軍備と日ソ国交回復を政治目標とした。

5. 1956年10月、第三次鳩山内閣が日ソ共同宣言に調印し、日ソ国交回復が実現する。同年、国際連合への加盟が認められる。
◇平和条約締結に関しては、交渉を継続することとし、条約締結後にソ連は歯舞群島と色丹島を返還することが、盛り込まれた。

6. 1953年7月、朝鮮休戦協定(北緯38度線が軍事境界線)が結ばれる。
1954年、周恩来・ネルーによって「平和五原則」が出され、これを基礎に、1955年、バンドン会議(AA会議)が開催された。
◇AA諸国は「第三勢力」と呼ばれ、世界の「多極化」が進むこととなる。中東ではアラブ民族主義が高まり、ナセルがスエズ運河国有化を宣言した。

同年、ジュネーブ四巨頭会談(米英仏ソ)が開かれる。

1953年に、スターリンが死去し、1956年にはフルシチョフによるスターリン批判が行われた。
◇1959(昭和34)年、フルシチョフが訪米し、「雪どけ」が進む。
◇1955年、日本共産党が六全協で「農村から都市を包囲する」式の武力闘争路線を放棄。その後、新綱領を確立して、平和革命路線に移行した。

7. 1960(昭和35)年1月、岸内閣は新安保条約に調印、5月、警官隊を国会に導入させての強行採決により、批准。参議院の議決を経ずして6月、自然成立した。
◇新条約では、在日米軍の日本防衛義務、日米共同防衛を明文化した。
◇付属文書で在日米軍の日本および「極東」での軍事行動に関して、事前協議が定められたが、米国の戦争に日本が巻き込まれることを懸念する声が日増しに高まった。
◇安保改定阻止国民会議が結成され、とくに強行採決以後は、デモ隊が連日国会を包囲した。
◇全学連が国会突入の戦術を取り、警官隊との衝突で樺美智子さんが死亡した。

8. 岸内閣は総辞職、池田内閣が成立し「寛容と忍耐」をスローガンに掲げて、所得倍増計画に着手した。

◎戦後10年の日本詩の備忘録

吉本隆明
「固有時との対話」 1952年刊
「転移のための十篇」1953年刊
詩誌
1947年 「荒地」創刊(鮎川信夫 田村隆一 北村太郎など)
1952年 「列島」創刊(関根弘 長谷川龍生 黒田喜夫など)
1953年 「櫂」創刊 (茨木のり子 川崎洋 大岡信 谷川俊太郎など)
詩集など出来事
1949年 三好豊一郎「囚人」(荒地派)
1950年 安東次男「六月のみどりの夜わ」(荒地派)
中村稔「無言歌」
      高柳重信「蕗子」(句集)
1951年 塚本邦雄「水葬物語」(歌集)
1952年 谷川俊太郎「二十億光年の孤独」
1953年 関根弘「絵の宿題」
石原吉郎スターリン死去による特赦でシベリア強制収容所より帰還(詩集「サンチョ・パンサの帰郷は64年) 
1954年 黒田三郎「ひとりの女に」(荒地派)
寺山修二「チエホフ祭」(歌集)
1955年 鮎川信夫「鮎川信夫詩集1945~1955」
1956年 田村隆一「四千の日と夜」
木原孝一「木原孝一詩集」
大岡信「記憶と現在」
・・・・・・etc

◎「固有時との対話」から「転移のための十篇」へ

「固有時との対話」後書「少数の読者のための註」より
「・・・ぼくの〈固有時との対話〉が如何にして〈歴史的現実との対話〉のほうへ移行したかは、この作品につづく〈転位〉によってあきらかにされなければならない。ここではただ一九五〇年においてぼくは精神の内閉的な危機において現実の危機を写像しつつあったことを註しておきたいと思ふ。」
とあるように、「固有時」の終わりにはすでに「転移」の場面に関心の重心は移っていたということ、詩人の詩と生活がともに、自閉・内閉から➝世界に拮抗する分裂(作品「分裂病者」)の場面へと移行していただろうということがうかがえる。
 「固有時との対話」と「転移のための十篇」との表出上の顕著な相違は、その「過去」と「現在・未来形」との語られている時制の違いであろう。「固有時との対話」では、それを過去とはいわないが〈風は過去のほうからきた〉のである。出来事を過去と追憶の歩みと化しつづけるような、自己対象化の視線による「この今」からの不断の振り返りの語り口をもっている。「固有時との対話」が己れを語るとき、それは時として「今」の統一的感覚に統合されながらも全体として過去の時制をもってなされている。

 ・・・おちていった  ・・・つみかさねた ・・・みたされていた  ・・睡らせようとした ・・感ずるのだった  ・・・留繋していた ・・・信じられた ・・・願っていたのだ ・・・存在していた・・等々

この姿勢は、「今」が状況的に、今から分離する或る自己乖離を孕んでいたと見做すことができる。その自省的視線が、〈愛するひとたちよ〉と愛憎を込めた視線で「固有時」の終わりで語られはじめるとき、それははっきりとした「転位」を語りはじめているのである。「転位のための十篇」、この「ための」というところに、50年60年代へと向かう吉本の決意のようなものが述べられているだろうが、それは内と外との時制の一致と同時進行、未来投企の現在形の時制をもって語られることになる。

◎転位のための十篇の姿勢~荒地的地点から 

こつこつと鉄柵をたたくのはだれか。
魔法の杖で
彼をよみがえらせようとしても無益です。
腸詰のような寄生虫をはきながら
一九四七の夏、彼は死んだ /(中略)
苦痛と、
屈辱と、
ひき裂かれた希望に目を吊り上げて彼は死んだ
(北村太郎「墓地の人」より抜粋)

たとえば霧や
あらゆら階段のなかから、
遺言執行人が、ぼんやりと姿を現す。
――これがすべてのはじまりである。
(鮎川信夫「死んだ男」より抜粋)

北村や鮎川たち、あるいは「転位」発刊の年1953年に8年間のシベリア抑留より帰郷した石原吉郎でもそうだろうが、いわゆる戦中派の詩人たちの多くにとっては、生きているとは死に損なったことであり、その死は宿命としてやがて近づいて来る足音というよりも、他者の死を自己の死として一旦は内在化した、死の体験として経験的に持っていた現実上の身近さだったであろう。北村や鮎川たち先行する荒地派の詩人たちの影響の只中にあって、「転位」のなかの死は、すでにそれとは違っている。例えばその10篇のうち、唯一末尾に「(未完)
と記されている詩篇「絶望から過酷へ」のなかの、十一月の墓地から出てくる肉体をなくした意志だけの亡霊としての生存は、強いられた過酷な労働のうちに世界に対する反逆をかくまっている、いわば生き損ないながら死んでも(殺されても)〈死なない〉という現在性を持っているし(それが「未完」の理由は、死なない亡霊というメタファと「つぎにぼくたちはあかるい街々で死ぬだろうという」という事実予測とのあいだとの、死なないということとその次に来る死ぬという自明性との間の決着の着け難さによるものと思われる)、また「死者へ瀕死者から」のなかではやはり死者たちの安息を持てない瀕死者として、未来の絶望と抗うために死者よ目を覚ませとうたわれている。そしてそれは「ぼくがたふれたらひとつの直接性がたふれる」「もたれあうことをきらった反抗がたふれる」(「ちひさな群れへの挨拶」)などの、謂わば死んでたまるものか、という個の自立性を賭けた意志力の表現ともなって現されているものだろう。〈明日わたしはうたふことができるかどうか〉という「固有時との対話
における現在的素振りは、「絶望から過酷へ」のなかでは「うたふことを変へてゆくぼくたちのこころよ」とうたわれている。


◎個の自立と近親憎悪

ぼくはきみたちに近親憎悪を感じているのだ
ぼくは秩序の敵であるとおなじにきみたちの敵だ

「その秋のために」

この詩集以降に特徴的な、同胞・〈愛するひとたち〉へのこのダブルバインドは吉本自身によって次のような方向性へと語られている(「吉本隆明が語る戦後55年⑥
の山本哲士の発言より「高村光太郎ノート」引用」)。

「私たちはいつ庶民でいることをやめて、自由になれるか。私たちの考えでは、自己の内部の世界を現実とぶつける経験を通し、論理化していく過程である。この過程は一見すると、庶民の生活意識から乖離し、孤立していく過程である。だが、この過程には逆過程がある。論理化されていない世界から、逆に外部世界へと現われた時、初めて外部世界を論理化する欲求が生じなければならない。言い換えれば、自分の庶民の生活意識からの背離感を、社会的な現実を変革する欲求として、逆に社会秩序に向かって、投げ返す過程である。

これは丸山真男の東大アカデミズムへの批判を通して語られることになる「大衆の原像」と知との関係へともつながっていく。


◎まとめに代えて

きみは火山のやうに噴きだす全世界の革命と
それをとりまくおもたい気圧や温度を
ひとつの加担のうちにとらへることができるか 

                   (「分裂病者」より)

吉本にあっても民主革命の必要や必然、心情は当時充分同伴者として納得ずくのものであたろう。けれども彼は、決して政治的党派にくみすることはなかった。もし革命にとっての前衛党の必要性を説く原則主義的な考えに依拠することができれば、あるいは明るい未来への希望なるものをその詩に付け加え得たかもしれない。けれども彼はおそらく個人幻想が共同幻想に逆倒する関係性をそのときすでに察知していたろうし、「巨大なものは悪である」(田村隆一)というような荒地的心情もよく心得ていたのではあるまいか。高村光太郎論の敗戦期のところで、光太郎の玉音放送の詩「一億の号泣」の詩にふれながら、悲痛さのなかその最後の4行で、なお希望的なコトバを語る光太郎の精神構造に違和感を持ったと書いている。屈辱や絶望はそうやすやすと希望に転化し得ないし、希望を語ることでは決して代償されない矛盾や、痛みや悲しみが「関係の絶対性」として生存には存在するということが、彼にはよく分かっていたのだとおもう。
 詩集の幅ということでいえば、欧州とアジアの血をひくという意味のあるらしいユウラシア人の突如の登場で始まる冒頭の一篇「火の秋の物語」と、末尾の二篇悲歌「一九五二年の悲歌」と予測的推量のことばで結ばれていく「審判」が、幅として詩を左右に開く戸口の役割を果たしているのではないだろうか。



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☆『Melange』読書会・合評会の会場=神戸・三宮のスペイン料理カルメン
(カルメン==078-331-2228==の場所は以下のサイトを参照してください。阪急神戸線三宮駅
西口の北へ徒歩1分の場所にあります。 http://www.warp.or.jp/~maroad/carmen/)。
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攝津幸彦に関するシンポジウム

2012年09月13日 08時59分29秒 | 俳句
神戸文学館で開催しました「1970-80年代俳句ニューウェイブ〈攝津幸彦〉を読む」の内容についてです。

〈開催趣旨〉摂津幸彦(1947~1996)は、兵庫県但馬生まれ。関西学院大学で学びました、1970年代から1980年代にかけて俳句界に大きな刺激を与えた〈俳句ニューウェーブ〉の一翼を担った俳人です。 今回のシンポジウムでは、世代の異なる俳人が参集して、攝津の作品を再読し、 語ることで、攝津の俳句世界をもういちど2010年代の今に再設定しようとす る試みです。

〈参加者〉大橋愛由等 岡村知昭 中村安伸 堀本 吟

〈参加者・自己紹介〉
★大橋愛由等
 一九五五年神戸市生まれ。俳句誌「豈」、詩誌『Melange』同人
 俳句に接したのはまず編集者として。八〇年代〈俳句ニューウェイブ〉の俳人たちの句集・評論集を編集担当することで、俳句の魅力に取り憑かれる。句集に『群赤の街』(冨岡書房、2000)。詩集『明るい迷宮』(書肆風羅堂、2012)。ほか奄美関係の共著多数。図書出版まろうど社代表。


 ▼自選五句
   (『豈』54号より)

・漂泊船のオレンジは世界樹になると聴く
・昼月に布団晒して詩人待つ
・名付けなきまま去るものたちと青を踏む
・春遠し靴紐は迷宮結びとす
・自宮せし君に捧げよラム酒の一杯

★岡村知昭
 一九七三年滋賀県近江八幡市生まれ。俳句誌「豈」「狼」「蛮」所属。現代俳句協会会員。共著に『俳コレ』(邑書林)。
 たどたどしい歩みながら、とにもかくにも俳句を書き続けております。パネラーははじめての経験、たどたどしく語るばかりかもしれませんが、精一杯務めてまいります。よろしくお願い申し上げます。

 ▼自選五句
   (引用は『俳コレ』より)
・いのうえの気配なくなり猫の恋
・マンゴーを紙の力士は縛りけり
・崇徳院詣でのカラスアゲハかな
・祇園こそ偽シベリアを耐えにけり
・耳うすく一月一日はどこへ

★中村安伸
 一九七一年、奈良県生まれ。10歳の頃、祖父の影響で句作開始。95年、超結社句会「もののふの会」に参加。翌年「海程」に投句。04年「―俳句空間―豈」同人。08年、高山れおなと共に「―俳句空間―豈weekly」(10年終刊)を立ち上げる。09年『新撰21』(邑書林)に参加。10年、第三回芝不器男俳句新人賞・対馬康子奨励賞受賞。共著に『無敵の俳句生活』俳筋力の会 編(ナナ・コーポレートコミュニケーション)。

 ▼自選七句

・美しい僕が咥へてゐる死鼠
・京寒し金閣薪にくべてなほ
・殺さないでください夜どほし桜ちる
・総崩れの寺引いてゆく花野かな
・ひとりだけ菌のやうに白く居り
・冬ぬくしバターは紙に包まれて
・鰯雲どのビルも水ゆきわたり

★堀本 吟
 一九四二年生。83年ごろ当時のニューウェーブを知る。同人誌「豈」、(摂津没後は「俳句空間―豈」)。超ジャンルの「北の句会」。最近「風来」(和田悟朗代表)に参加。戦後俳句俳句聞き語りの会、他方『摂津幸彦全句集』や『林田紀音夫全句集』を読むなど、公開で読書会に関心有り。「京大俳句」を読む会所属。現代俳句協会員。評論集『霧くらげ何処へ』(深夜叢書社、92年)。「俳句空間―豈」(39―2・特別号関西編)を関西同人で編集。

 ▼自選五句
  
・舌端に風景隠す異邦人
・細やかな滝の泡にぞ母棲める
・線量計微動している木下闇
・らんちゅうの鰭に除けらる昼の月
・闇汁にふさわしくないものもある



▼動画で一部を見ることができます。

http://twitcasting.tv/gunshaku/movie/6318485

http://twitcasting.tv/gunshaku/movie/6318839

http://twitcasting.tv/gunshaku/movie/6319033

http://twitcasting.tv/gunshaku/movie/6319406

http://twitcasting.tv/gunshaku/movie/6319774
















第75回「Melange」読書会-合評会

2012年09月06日 20時41分09秒 | 通信
★今月もいくつかの文学イベントがあります。

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◆1.--『Melange』読書会「吉本隆明の詩を読む」・合評会 のお知らせ(9月23 日〈日〉)
◆2.--「1970-80年代の俳句ニューウェーブ〈攝津幸彦〉を読む」(9月8日〈土〉)
◆3.--詩の教室「カフェ・エクリ」のお知らせ(9月10日〈月〉
◆4.--その他の文学・文化情報のコーナーです
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◆1.--第75回『Melange』読書会「吉本隆明の詩を読む」・合評会 のお知らせ(9月23 日〈日〉)

第一部読書会(pm1:00~3:00)の担当者は、富哲世氏です。 吉本隆明の詩を読む連続読書会の二回目です。

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めらんじゅ読書会 吉本隆明の詩集を読むシリーズ〈発表者/富哲世〉

第1回8月5日(日)「固有時との対話」

★第2回9月23日(日)「転移のための十編」(テキスト/講談社文芸文庫「吉 本隆明初期詩集」他選集・全集・現代詩文庫などにあります)

第3回 「記号の森の伝説歌」 第4回 「言葉からの触手」 計4回を予定

(今回の発表対象も文庫に収録されていることから入手が容易です。参加予定 のみなさん、是非読んできてくださいね)

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第二部(pm3:00~6:00)は、詩の合評会です。みなさん、意欲的な作品参加をお 待ちしています。締め切りは、9月20日(木)です。みなさんから寄せられた詩 群は、9月22日(土)中にメールで送信いたします。

◆2.--攝津幸彦シンポジウム(9月8日)--いよいよ今週土曜日です--タイトル★「1970-80年代の俳句ニューウェーブ〈攝津幸彦〉を読む」

日時★2012年9月8日(土)午後2時から午後3時30分まで

参加者★中村安伸(俳人)、 岡村知昭(俳人)、堀本吟(俳人)、大橋愛由等 (俳人・詩人)

摂津幸彦(1947~1996)は、1970年代から1980年代にかけて俳句界に大きな 刺激を与えた〈俳句ニューウェーブ〉の一翼を担った俳人です。 今回のシンポジウムは、世代の異なる俳人が参集して、攝津の作品を再読し、 語ることで、攝津の俳句世界をもういちど2010年代の今に再設定しようとす る試みです。

攝津の生まれは、但馬〈兵庫県養父郡八鹿町〉なのですが、西宮市に住んだこ とがあり、関西学院大学で学びました。関学在学中に、学友伊丹啓子(俳人・ 伊丹三樹彦の長女)の誘いで、関西大学俳句研究会機関誌「あばんせ」を始め るなど文学表現のスタートは関西だったのです。

俳句作品は、幼児体験に根ざしたとうかがわれるものがおおく、関西弁を使っ た句など、ユニークな実験を重ねている。関西で戦後に隆盛を誇った「(関西) 前衛俳句」の潮流の最後に現れ、赤尾兜子、林田紀音夫らと交流、前衛性と伝 統性をあわせもった戦後生まれの俳人として位置づけられます。

また、松山の学生俳句連盟の大会で、坪内稔典、澤好摩らをしり、やがて坪内 らと「日時計」「黄金海岸」等の同人誌活動をはじめます。関学卒業後は関東 に移り住むのです。東京では、戦後世代の同人誌「未定」に参加。まもなく同 人誌「豈」を創刊して、仁平勝、大井恒行、大本義幸らとユニークな俳誌に育 て上げます(今回のシンポジウム参加者は全員「豈」同人です)。

句集は、『鳥子』、『與野情話』、『鳥屋』、『鸚母集』、『陸々集』、 『鹿々集』。 死後に『摂津幸彦全句集』、『散文集俳句幻景』が編纂され、 そこには未完句集四五一句と未定稿句集が収められる。ポピュラーなテキスト では『摂津幸彦選集』(2006年・邑書林)があります。


◆3.--詩の教室「カフェ・エクリ」のお知らせ(9月10日)

『Melange』同人・高谷和幸氏が主宰する詩の教室「カフェ・エクリ」の情報 です。

九月は、10日(月)午後4時から、姫路市の「段カフェ」で開催します。 第一部の語りは、千田草介氏(小説家)に担当してもらいます。

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今回、第一部を大橋愛由等さんと私・千田草介が仏教をとりあげて担当する 予定でした。大橋さんはかねてより華厳に深い関心を寄せており、明恵上人 (高辯)にふれるとのことでしたので、千田としては、やや不得手ながら法然 上人(源空)に言及して大橋さんの明恵論を補完するつもりでしたが、大橋さ んの都合により、千田が単独で述べることになりましたので、素材を変更して 弘法大師空海について話すことにします。むろんこのエクリはあくまで詩が テーマですので、詩人としての空海に着目する切り口で迫ってみようと思いま す。

・若き日の空海 儒・道・仏 ・密教にいたる仏教の流れ ・言霊と真言 ・音声と文字 ・身・口・意の三業 ・空海の詩文 ・空海がもたらしたもの
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同会も詩の合評セクションがあります。自作詩を持参してください。10部ほど コピーが必要です。


◆4.--その他の文学・文化情報のコーナーです

★〈大阪自由大学〉のお知らせです。友人である池田知隆氏からのお知ら せです。

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大阪自由大学の池田知隆です。 「いま、大阪の文化を考える」と題して連続講演会、サロンを開いています。 ご参加ください。

○公開サロン「近代大阪と3人の教育者 大塩平八郎、緒方洪庵、関一」 元大阪大学医学部長で大阪厚生年金病院名誉院長の小野啓郎さんに近代大阪 の 原点について問題提起していただきます。定員40人、500円。 日時 9月11日(火)午後6時半、 会場 おおさかシニアネット (大阪市中央区本町3-5-5 カネセビル2階。地下鉄本町下車1分。06 - 6282-7991)。 http://www.osn.or.jp/school/honbu.html

○ 連続講演会「いま、大阪の文化を考える」 ☆ 第2回 「大阪と人情について」 山折哲雄さん(宗教学者、元国際日本文化研究センター所長) 日時 9月29日(土) 午後6時半から8時半 会場 エルおおさか(大阪府立労働センター。大阪・天満橋) (大阪市中央区北浜東3、電話06-6941-0001 地下鉄・京阪「天満橋」下車西300メートル) http://www.l-osaka.or.jp/pages/access.html 定員 200人(先着順)。会費 1000円(資料代)

☆ 第3回 「市民の学問所―懐徳堂の精神を21世紀に活かす」 鷲田清一さん(大谷大学教授、前大阪大学総長) 日時 10月6日(土) 午後2時から4時 会場 中央電気倶楽部 (大阪市北区堂島浜、電話06-6345-6351) http://www.chuodenki-club.or.jp/map/annai.html 定員 90人(先着順)。会費 1000円(資料代)

いずれも申し込みは電話かFAX、Eメールで(先着順) 大阪自由大学事務局/池田知隆tel/06-6386-4575(代) fax/06-6386-1893 E-mail/kansaiforum@gmail.com

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/☆『Melange』読書会・合評会の会場=神戸・三宮のスペイン料理カルメン (カルメン==078-331-2228==の場の北へ徒歩1分の場所にあります。 http://www.warp.or.jp/~maroad/carmen/)。
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同人誌「ジャム・セッション」・中川智正死刑囚の俳句

2012年09月02日 08時23分39秒 | 通信
今は山口県に住む俳人・江里昭彦氏から創刊したての同人誌「ジャム・セッション」が送られてきた。


同人は江里氏と中川智正死刑囚のふたりだけ。

オウム真理教の元幹部で坂本堤弁護士一家殺害、地下鉄サリン事件などに関わり、1995年5月に逮捕される。去年11月に死刑が確定している。

中川死刑囚が学んだ京都府立医科大学の事務局に、江里氏が府職員として勤務していたことが知り合うキッカケとなり、逮捕・勾留されている間は何度か二人は面会していたという。

創刊号には、二人の同人以外に斎藤槇爾(深夜叢書社主&俳人)氏の作品も加わっている。

さて、中川智正氏の作品を見てみよう。タイトルは「肉牛の眼」と付けられている。

〈肉牛の眼が出廷車映し過ぐ〉
〈独房のほそき隙間の月は友ぞ〉
〈獄の虫コンクリートに棲みて鳴く〉
〈凍の蟻知るやこの獄誰が生く〉
〈刑決まり去私には遠く漱石忌〉