つくづく思想は言葉なのだということを思い知らされた。思想は言葉によって形成され、思想のありようは言語表現に収斂していくのだと言い換えてもいい。
鹿野政直著『日本の近代思想』(岩波新書、2002)を読んだ。
「日本」「マイノリティー」「日常性」「人類」というキーワードからテーマを撰んだと著者が書いているように、本書は徹底して“ひとびと”が、社会や世界に接して、その中で生きているその場から発する息づかいから生まれた思い=思想にアプローチしていこうとする姿勢が貫かれている。
つまり思想というものは、大文字の、大上段からの、概念ではなく、ひとびとが社会や日常の中で、言葉を通じて生み出してゆく行為だということを明確にしているのである。
この文章は、書評文ではないので、読後感を二つに絞って書くことにしよう。
1.「思想は言葉である」という感想は、著者が各テーマごとに、メインキャッチになるような言葉を拾い出す作業をしていて、その拾い出しが読者の心に響いてくる。
例えばそれは、「人民国家の思想」の中で、中江兆民の帝国憲法の理解を引用しながら、現在にいたる思想的課題を摘出しているので、その箇所を紹介してみよう。
「ふたたび兆民の言葉を借りれば、(帝国憲法の・大橋註)「恩寵的の民権」のなかから「恢復的民権」を克(か)ち取ってゆくことが、その世紀前半をなす大日本帝国下で、民主主義にとっての目標でなければならなかった。ひょっとすると、世紀後半をなした日本国のもとでも、占領軍による「恩寵的民権」に、「恢復的民権」の内実を盛り込むことが目標であったという、類比が成立するかもしれない」(p28)。実にすっきりする“気付き”である。こうした発見は著者の思想の明解性を表しているのかもしれない。
2.本書の中でも、熱を帯びて執筆しているジャンルのひとつに沖縄がある。著者は沖縄の思想を担っているひとびとと、交誼を重ねていることが推察される。そのうちの一人、川満信一氏のことが紹介されている。本書で引用されているのは、私が海風社勤務時代に編集担当した著作(川満信一著『沖縄・自立と共生の思想』)である。彼の主著ともいえる評論集で、沖縄を考える上で、重要な位置をしめていることに、編集者として、嬉しく思っている。ただ、「反復帰論」について、国民国家を超えて提案された「共和社会」の内容がもう少し紹介されてもよかったのではないかと悔やまれる。
こうした思いも、本書がもともと新聞という制限された文字数の連載記事に加筆したものであるという性格を考える必要があるだろう。その制約を超えて本書が提示した数々の近代思想の気付きの列挙は見事であり、「ひとびとの思想」という観点から大文字ではない近代思想の軌跡がしめされ、それらはひとびとが生きてゆく肥やしとして位置づけてもいい内容となっているのである。
鹿野政直著『日本の近代思想』(岩波新書、2002)を読んだ。
「日本」「マイノリティー」「日常性」「人類」というキーワードからテーマを撰んだと著者が書いているように、本書は徹底して“ひとびと”が、社会や世界に接して、その中で生きているその場から発する息づかいから生まれた思い=思想にアプローチしていこうとする姿勢が貫かれている。
つまり思想というものは、大文字の、大上段からの、概念ではなく、ひとびとが社会や日常の中で、言葉を通じて生み出してゆく行為だということを明確にしているのである。
この文章は、書評文ではないので、読後感を二つに絞って書くことにしよう。
1.「思想は言葉である」という感想は、著者が各テーマごとに、メインキャッチになるような言葉を拾い出す作業をしていて、その拾い出しが読者の心に響いてくる。
例えばそれは、「人民国家の思想」の中で、中江兆民の帝国憲法の理解を引用しながら、現在にいたる思想的課題を摘出しているので、その箇所を紹介してみよう。
「ふたたび兆民の言葉を借りれば、(帝国憲法の・大橋註)「恩寵的の民権」のなかから「恢復的民権」を克(か)ち取ってゆくことが、その世紀前半をなす大日本帝国下で、民主主義にとっての目標でなければならなかった。ひょっとすると、世紀後半をなした日本国のもとでも、占領軍による「恩寵的民権」に、「恢復的民権」の内実を盛り込むことが目標であったという、類比が成立するかもしれない」(p28)。実にすっきりする“気付き”である。こうした発見は著者の思想の明解性を表しているのかもしれない。
2.本書の中でも、熱を帯びて執筆しているジャンルのひとつに沖縄がある。著者は沖縄の思想を担っているひとびとと、交誼を重ねていることが推察される。そのうちの一人、川満信一氏のことが紹介されている。本書で引用されているのは、私が海風社勤務時代に編集担当した著作(川満信一著『沖縄・自立と共生の思想』)である。彼の主著ともいえる評論集で、沖縄を考える上で、重要な位置をしめていることに、編集者として、嬉しく思っている。ただ、「反復帰論」について、国民国家を超えて提案された「共和社会」の内容がもう少し紹介されてもよかったのではないかと悔やまれる。
こうした思いも、本書がもともと新聞という制限された文字数の連載記事に加筆したものであるという性格を考える必要があるだろう。その制約を超えて本書が提示した数々の近代思想の気付きの列挙は見事であり、「ひとびとの思想」という観点から大文字ではない近代思想の軌跡がしめされ、それらはひとびとが生きてゆく肥やしとして位置づけてもいい内容となっているのである。