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神戸まろうど通信

出版社・まろうど社主/詩と俳句を書く/FMわぃわぃのDJ/大阪編集教室講師など多様な顔を持つ大橋愛由等の覚え書き

大阪編集教室の講師のあと本町から心斎橋へ

2009年06月06日 17時18分09秒 | 大阪編集教室
近江八幡市にルポルタージュを書きに行った生徒諸氏(5人を予定していたが出席していたのは4人)の文章を、講師の私がひとつずつ講評していきます。

午前10時から正午までの二時間。生徒に一人ずつ語ってもらいながら、わたしがポイントを付け加えていくのです。
私が気付いたポイントを指摘することが殆どですが、中にはなかなかに鋭い批評眼をもった生徒もいて、その内容の濃さに驚きます。

この編集教室は、4月入学生と9月入学生がいるのですが、その期によって教室の雰囲気が変るのも面白いですね。
今日、教室を見回していると、数年前より女性の割合が増えているような気がします。女性受講生の年齢層の幅が広がっているかもしれません。

講義が終了してエレベーターに一緒に乗り合わせた生徒数名とインタビューの方法について臨時のレクチャー。書くことは、人の話を聴くことでもあるので、その大切さを少しばかり語ったのです。

堺筋本町にある教室から歩いて、本町に歩き、さらに丼池、そして心斎橋筋を南下します。講義が終わった開放感で、大阪の景色がやさしく映ります。

BOOK OFFを見つけたので、新書コーナーに直進して、6冊ほどまとめ買い。新書がカバーする領域は広く、これはいくら買って読んでも追いつかないかもしれないと思いながら、カバンにつめたのです。

準備

2009年01月29日 17時52分55秒 | 大阪編集教室
土曜日(31日)に大阪編集教室の講師を務めます。
今年初めての講義となります。わたしが担当するのは、毎月あるわけではなく、だいたい三カ月に二回程度でしょうか。
教室は堺筋本町駅(地下鉄堺筋線)を下車して5分のところにあります。以前は、環状線「森ノ宮駅」だったので、大阪城の西側入り口を通って通っていました。そして現在の教室は、外から眺める光景は都心そのもの。ビジネス街です。学校は土日に開催されるので、サラリーマンは殆どいず静かですが、近くに丼池商店街があり活況を呈しています。講義が終わってからはよく丼池経由で、御堂筋まで歩くようにしています。近世からずっと都心でありつづけたこの一帯は、そこかしこに歴史の積み重なりを感じることが出来るのです。
私はかつて大阪にある出版社につとめ、神戸から通っていましたが、独立してからは大阪とは縁がなくなった時期もありましたが、今はかろうじて大阪の街とかかわっているのです。

文章作法

2006年06月17日 23時30分05秒 | 大阪編集教室
昼、大阪編集学校へ講師として赴きます。

今回も、生徒諸氏が、兵庫県たつの市に取材に行った紀行文を、わたしが講評していきます。
力の入った五編はそれぞれに個性豊か。
面白いのは、多くの人が同じ場所について書いても、人によって視点が異なり、どれひとつ似通った文章がないということです。
中には、何を書いていいのか、取材先に行く前も、現地に立った時も、たつのから離れても、テーマが決まらずに、その心の逡巡のさまを文章にしたためた人もいます。これもまた紀行文を書き記す時のパターンのひとつでしょう。

文章を書くときに大切なことは、適度な温度と湿度があるかどうか、ということです。これはすべての場合に、これこれの熱さ(情熱)と、湿度(叙情性)が必要ということではなく、その時々のテーマや、メディアの性格、そして編集者が自分にどういう期待をよせているかという現場感覚によって、決まっていくものです。

紀行文を書くのに、叙情性ゆたかに書く人もいれば、資料中心に書き進める人もいます。当然、文章に温度・湿度の差は生じますが、どちらがいいということはありません。自分の文体の性格をよく心得て、それを相対化しつつ、新しい文体にも挑戦してみるという気概が必要です。自分の生き方や文体にまず正直に向き合い、無理に逆らったり、変容したりせずに、まずは自然(じねん)に書き進めてみる。そしてそれから書き直し、調整していく。文章というのは、完成するまで何段階もあり、9割がた完成と思っていた時からが勝負と思ったらいい。この時点で読み直してみると、9割どころか半分ほどの完成度であるかもわからない。なにか違うと思ったら、ためらうことなく、元の文章を「別名保存」して書き直し全面的に変えてみる。すると不思議にうまくいくものです。

桜吹雪と開講授業

2006年04月16日 23時24分19秒 | 大阪編集教室
桜吹雪舞う中、大阪編集教室の四月開講授業を担当しました。

生徒諸氏にまず伝えたことは、

1、書くことは削ること
2、読むことは見ること
3、創ることは棄てること

なのです。

文章読本を読んでいますと、文を書くのに至って大切な"C"が三つあると言われています(『文章教室20講』馬場博治著、大阪書籍)より引用。

・Clear(明確)・Correct(正確)・Concise(簡潔)

これも大切なことです。

以下、開講授業でわたしが述べたことを、見出しを立てて、書いておきましょう。

◆〈感動させる/ネット・ゲームに勝つ〉
やはり文章を書くなら「読者を感動させる」というのが、基本コンセプトであり、単なる情報の紹介文であってはならないということ(さらに学術論文のように自己目的的であってはならないこと)です。

そしてインターネットのネット情報よりまさること。決して、ネット情報の下請けであってはならない。情報の紹介なら、いくらでもネットを駆使すればできる。今は、誰もがネット情報を閲覧できるので、それより高度な評価や紹介を心掛けなければならない。

「感動させる」ためのライバルは、ネット情報だけではない。みなさんの文章は、例えば、ファイナルファンタジーのゲームの面白さ、ムービー時の緻密さ、感動より勝たなければならない。こんな文章を読んでいるだったら、テレビゲームをしている方がマシと、次の若い世代に言われないよう努力する。

◆〈語るように書く/書くように語る〉
みなさんは、「書かれた世界/エクリチュール」に生きる人。こうした世界の住人は、日常に〈語る〉コトバからして魅力的である。つまり〈書かれたもの〉と、〈書く私〉〈生身の私〉の交歓が常日頃できている人のことを言う。たとえば、大阪在住の詩人の金時鐘氏。この人から発する日本語は、幼少期に「日本人」として教育を受けたものであっても、外国語に違いないのだが、語るコトバがそのまま、表現になり、文学・詩になにっている。みなさんもまず〈語る〉ことから、コトバを研ぎ澄ませる必要があるのではないでしょうか。

◆〈顔文字・絵文字をやめる〉
まず、そのエクリチュールたる世界の住人になるために、コトバの持つ力、喚起力、呪力を感じ、信じること。それは日々の少しずつの努力にかかわってくる。例えば、みなさんの日々の携帯利用から変えてみる。携帯メールで、まず顔文字・絵文字をやめてみよう。もちろん、将来の日本語を考えると、顔文字・絵文字が入る文章が当然のようになっていくかもしれないが、今は、顔文字・絵文字なしのスッピンのコトバ力で勝負してみよう。

◆〈語る/対話する〉
「語る/対話する」ことを修練するために、他者・友人・知人とまずオーラル言語でかわす現場を大切にしてみる。そして、携帯メールを文学装置にしてみる。つまりミニ往復書簡のような機能をもたせる。携帯メールは、〈おしゃべり〉のツール・道具ではなく、〈語り〉の文学装置にしてもいいのではないでしょうか。こうした身近な言語メディアである携帯メールから、自分の言語感覚を磨いていくことが大切でしょう。

◆〈語るように書くということ〉
今までの講義の中で、生徒諸氏が自作品を読んでいると、しらずしらずのうちに、自分の〈おしゃべり〉のリズムが書き言葉に反映されていることがわかる。声に出して自作品を読むと途端に、その人の言葉のリズムがわかる。書くということは、いままで自分がしゃべってきたコトバの体系の似姿(鏡像)であることがわかる。

それをどう克服していくか。そのままでは、文章のプロではない。いかに自分のコトバ環境を克服していくかが、課題でしょう。「書かれた世界/エクリチュール」の住人になるためには、やはりアスリートのごとく、基本練習、反復練習が必要です。例えば、ギターは誰でも音が出せる。プロでもアマチュアでも音を出せるのは、オーボエなどと違って簡単。しかし、上手に弾くためには、基本練習と基本知識が必要で、さらに上達するためには、反復練習がいる。

つぎに、〈しゃべる/話す〉と〈語る〉を区別してみる。わたしはラジオ番組のDJを10年間ほどさせてもらっているが、出来るだけ同音異義語が多い漢語、概念語は使わない。耳あたりのいい和語を使う。そして漢語・熟語を使う時は、言い換えをすぐその後に言い添える。だから〈しゃべる/話す〉を公共の電波にのせていても、決してそれは「書かれた世界/エクリチュール」ではない。

◆〈ブログ文体を考える〉
みなさんの中で、ブログをしている人はすでに何人かいると思う。ブログには、すでにブログ文体のような形式が出来上がっている。文字の大きさ、色、配置、そしてテンプレート(ページデザイン)選択という、雑誌ページの編集のような感覚で自由にさぐることが出来る。中には、特に編集コースの人なら、真似したいデザインも多いことでしょう。このブログも徐々に、日本人の文体に影響を与え始めている。かくいう私も、電子メール文体というコンテンツを受け入れている。

タイトル名や短い文章やでいかに、アクセス数という"視聴率"をあげるかということに一喜一憂するようになる。もちろん、わたしの場合はカウンター数を意識せずに、書く場合が多いのですが。この視聴率・カウンター数をかせぐための努力も、読者という存在を意識し、読んで感動してもらうおうとするキッカケを創出するわけですから、ある程度必要でしょう。

◆〈コトバに責任を持つ/表現に命をかける〉
先週の花見の宴のエピソードです。表現者(詩人、俳人、川柳人ほか)、ジャーナリスト、宗教者などが集まったわたしの花見での宴で、ちょっとしたコトバの行き違いで、激昂した人がいて、喧嘩騒ぎになった。激昂したのは、在日韓国人の人で、いくつかの大学で韓国語・朝鮮語を教えている。日頃、日本語と朝鮮語というバイリンガルに生きていることもあって、コトバに敏感である。

そうした彼になげつけられた整理されていない無遠慮なひとことに激昂したのです。もちろん、殴り合いにならない前に、その人を理解して愛する友人たちが間に入ったけど、表現者、ジャーナリスト、宗教者など、それぞれの立場から、一つのコトバで生死を分けること、一つのコトバの重みを充分知っているだけに、その在日の人の激昂が充分に、いたいほど理解できるのです。

みなさん、こうしてコトバに生きる人、ひとつの表現にこだわり続けている「書かれた世界/エクリチュール」の世界の住人の先輩たちがいることを忘れないで欲しい。モノを書くということ、それと響き合って編集作業をするということは、生命をかけるということなのです。

ペーパーはネットを克えられるか

2006年03月19日 23時15分20秒 | 大阪編集教室
本日は、大阪編集教室の授業を担当しました。

生徒諸氏が、執筆から編集まで担当した「花ぎれ55号〈特集*発見〉」という雑誌に書かれている文章を講評したのです。

三月で卒業する27名の作品を取り上げたのですが、それぞれの個性がきらきら輝いています。

ひとつひとつ丁寧に読んでいると、表記に文体に、時代の波が確実におしよせていることがわかります。

例えば、ブログ文体がひたひたと、影響しているということです。ある人の文章を取り上げてみますと、絵文字の通常使用、ひらかなにカタカナを交ぜる、一文の中で、行替えをしてみる、本文の中で級数を変えてみる…など、「乱れた日本語」そのものなのですが、私に言わせると「正しい日本語」なんてくそ食らえなのです。国語学者の故・金田一春彦氏も「永い言葉の歴史の中で、日本語が乱れなかった時代はない」といった趣旨の発言をされているようです(この表現は正確ではありませんが)。そうです、言葉は常に"乱れ"という動的要素を伴いながら、その時代に即応し続けているのです。

ただ、モノを書いて生きる人間は、あくまでもエクリチュール(書かれた文字)の世界に生きる人たちです。つまり、今の時代に容認された言葉・表記の規範をしっかり踏まえておく必要があるということです。ブログ文体を使うのもいいでしょう。しかし、それはあくまでも戦略的に使う場合に限るという条件が課せられるのです。

もうひとつ、全体をみて感じることは、ネットメディアとペーパーメディアとの互換性とひの相互利用についてです。

ペーパーメディアに、説明に徹する文章や、紹介に終始している文章を時々見受けますが、そうした事実に即した内容は、いまやインターネットで検索すればいくらでもそれ以上の情報を得ることができるのです。しかも、紹介する対象がホームページを開設している場合、そのコンテンツを要約した内容にすぎないのであれば、ネタ元がはっきりしているので、あえて、ペーパーメディアで展開する必要もないのです。

いまや、ネットメディアとペーパーメディアが同居するのは当たり前で、ペーパーメディアは、ネットのコンテンツをいかに克えた中身を提示できるかが課題だと言えるでしょう。

大阪編集教室/コラム講評

2006年02月18日 22時10分18秒 | 大阪編集教室
午前10時から2時間、大阪編集教室ライターコースの講師を務めました。

四人の生徒の文章(コラム)をひとり30分かけて講評するのです。

書かれたテーマは、「断食」「高齢化」「天才」「省エネルギー」といった多様さ。

モノを書いてメシを喰っていこうとする若い人たちですので、それなりに筆力のある人ばかりです。

ただ、自分が撰んだひとつひとつのテーマについてもう少し突っ込んだ書き込みがほしいところです。

文章に直接反映しなくても、わたしが質問すれば、そのテーマについて淀みなく答えられるように思惟を深くしておかなくてはなりません。書き直すことで、よき文章になることを期待しています。


11月の大阪編集教室授業

2005年11月19日 21時50分19秒 | 大阪編集教室
大阪編集教室の生徒のみなさんへ。

本日、午前の部で講師をした大橋愛由等です。

「街ダネ」についての文章を5人分、講評しましたが、今回は、具体的にひとつひとつの文章にそって発言するというより、講義の中で気付いた全般的なことを箇条書きに書いておくことにします。

(1)文章の量は750文字ということですが、この長さでも充分、印象に残る記事は書けるものです。このジャンルは、小説や評論、研究論文といった長い分量で展開するものではなく、陸上でいえば、短距離走、定型詩でいえば、俳句や短歌といった全力疾走で一気に駆け抜けるものでしょう。その中で、いろいろな文章作法を駆使して、いかに伝えたいことを書ききるかが、ボイントになります。

(2)この長さの記事の需要は少なくありません。文章を上達するためには、日頃から、多くの記事を読んでおくことです。そしてその日常の行為の積み重ねから、文章作法に通じるいくつかの書き方の技術を学んでいけばいいのです。

(3)「街ダネ」もので、たとえば自分が見知った場所のことを書くことととしましょう。いままで日常風景の中で溶け込んでいた光景が、書くことによって、あらためて分かることもあるでしょう。モノを書くというのは「発見」することなのです。すこし視点をずらすだけで、今まで見えてこなかったモノ/コトが見えてくる楽しさ。これが文章を書くことの面白さなのです。

(4)でも現実は、慣れ親しんだ光景だから気付かないことが多いのです。ですから、日頃、ものごとを見抜く感性を養うことが大切です。これには、芸術的な刺激(映画、美術、音楽、演劇、都市探訪など)もありますが、身近に出来ることは、とにかく多くの活字に接することです。

(5)「読むことは見ること」というのが、私のひとつの講義のテーマです。つまり、750文字の記事はヴィジュアル的に言っても、そう大きくないスペースに印刷されるはずです。そして最近は、パソコンの普及によって、自分が書いたモノをプリントアウトして、いきなり活字で読むことが可能です。そうして書いてみた文章を読むと同時に、文字のかたまりとして「見る」ことも大切です。見ることによって、漢字が多すぎる文面は読みづらいし、「しかし」「だが」といった接続詞がやたら出てきて"うるさい"場合もある。さらには、自分がいいたい箇所が、その文面の中で、どれだけスペースが確保されているのか、といったことも、「見る」ことによって、確認でき、前置きが長いか短いか、文体の緊張感が最初から最後まで保けたれているのかどうかが、分かるのです。

まあ、こうしたポイントを書き出すと、きりがないので、少しずつ書き進めることにします。この「神戸まろうど通信」のカテゴリーの中に「大阪編集教室」の項目を設けていますので、いつでもまとめて読んでください。

「花ぎれ/龍野特集」について

2005年09月11日 06時19分33秒 | 大阪編集教室
9月11日(日)

大阪編集教室の生徒の皆さんへ

本日、雑誌「花ぎれ 特集 龍野」を講評した際、私が発言したり、まとめた内容について、その一部を書き記しておきます。

◆まず、今回対象とした文章をあえて、五つのパターンに分類してみました。

(1)小京都・龍野に接して"なつかしい"と思う自分がいた
(2)龍野へ行った見た感動した記(モノ・コトタイプと、ひとタイプ)
(3)龍野紹介を全面に出すことで、あえて作者を無人称化した
(4)龍野というトポス(場所)に展開される歴史・ひと・産業のなりわいに感応する
(5)龍野という鏡に映ったのは作者本人だった

◆講義の中で、私が評した個々の作品についての内容は省略しますが、みなさんの文章を読んで私が感じたことを書いておきます。今後の参考になれば幸いです。

(A)小京都ということ----
"小京都"と言われる都市は日本国内にいくつかあります。これらの都市と住民は、「小京都」という名辞が冠せられたことで、他者(他都市住民)に向かって開かれた立場を獲得していることになります。つまりそれは、日常的に"観光客"という他者の視線を取り組んでいるということであり、様々な印刷・放送媒体で、"小京都"というコンテンツのもとに、自分の街が再編集されつづけている現実に直面しつづけるということでもあるのです。

奄美の与論島や、おそらくハワイも、観光地として、他者/他郷出身者の視線がすでに、その地の文化を形成している地平まで至っています。ですから、そのような土地に住まう住民たちは、見ず知らずの人に対しても、常に自分の街がこうであるということを自覚し、説明する能力を磨いているのでしょう。

(B)龍野という記憶----
こういう地方中核都市で、醤油産業(ヒガシマル)と素麺というふたつの確かな地場産業が存在し、今でもある程度の全国シェアを誇っているのは、注目していいのではないでしょうか。龍野は、一見ヒガシマルの企業城下町にも見えますが、この企業の成立を考えると、近世まで遡ることが出来、どうも一企業の色に染まっていない印象を持ちます。

しかも、薄口醤油の生産に一役買ったのは、脇坂藩主だったということも面白いですね。藩主=殿様といっても、その統治範囲は、今の市町レベルの広さであり、世襲首長のようなものでしょうか。また、当時も、産品の全国ブランド化を目指していたという現象が今と変わらぬ商品経済の規範にのっとっているところが共通しています。

同じく"小京都"と呼ばれる篠山には丹波黒大豆というブランド品があることから、なにがしかの産品の全国発信力があるのですね。これはもともとその地に秘められた発信力なのか、"小京都"という付加価値を与えられたから触発されて増幅された発信力なのか、面白いテーマだと思います。

(C)観光という"罠"----
どこか見知らぬ場所へ足を運び、現地に立ち、見て感じてなにかを学びとるということは大切な行為です。しかし、その行為の中に、「観光」という一方的なベクトルのまなざしはないでしょうか。つまりポスト・コロニアリズム的な視点です。

もともと「観光」という行為は「先進的な」西洋社会の住民が「未開な蛮地」を訪れることで、観光者が属する価値観そのもので、その地の「未開性」をおもしろおかしく確認するという一種の暴力装置なのです。かつて日本を訪れた西洋社会の人たちにとって、われわれ日本の社会と住民は、感嘆詞"Woderful!"の対象だったのです。

日本には"物見遊山"という旅のコンテンツは昔から確立されていますが、その対象とするところは温泉や名所旧跡という最初から仕立てられた歌枕的な場所であり、近代以降の、西洋的な「観光」は、日常そのものを見るという行為なのです。

特に"小京都"と呼ばれる場所に身を置くと、現在住んでいる大阪や神戸などの都市環境と違うことから「なつかしい」という感情表現がすぐ思い浮かびます。しかし、自分たちが置かれた環境と違うからといって、その地を〈見る〉対象とばかり見る特権的立場を貫くことが出来るのでしょうか。

つまり〈見る/観る〉ということはすなわち、対象としているはずの観光地/蛮地から〈見られる/観られる〉ことでもあるのです。観光地というのは、じつは観光者にとって一つの鏡なのです。その地に行って、みているつもりが、実は対象から見られている、見ているつもりが見えてきたものは〈見ている自分〉だったということになるのです。