神戸まろうど通信

出版社・まろうど社主/詩と俳句を書く/FMわぃわぃのDJ/大阪編集教室講師など多様な顔を持つ大橋愛由等の覚え書き

奄美紀行09/ライバルを撃て

2008年01月26日 09時15分43秒 | 出版
ひどい二日酔いで苦しみ、ひとり久岡氏の車で寝ていたら、鳥がバックミラーに何度もぶつかっていきます。どうやら鏡に写った同族の鳥を、自分のテリトリーへ侵入してきたものとみなして攻撃しているようです。私が車にいる間に7、8回やってきました。

場所は奄美空港の近く。笠利地区の自然が豊かな場所なので車も珍しいのかもしれません。

奄美紀行08/2009年に向けて

2008年01月23日 14時30分00秒 | 出版
根折の和泊歴史民俗資料館では先田光演館長と面談。

福田さんが歌った「島口説」に正名は粟が特産と歌われていることを契機に、例の1609年の薩摩軍の沖永良部攻略の際、正名の人たちが粟粥を作ったというくだりを、先田館長は文献から実証して疑問を呈したのです。これはかなり面白い(先田館長には、粟粥を正名で作って薩摩/鹿児島の人たちに食べてもらおうか、などと挑発的な提案もしたのです)。

また来年には「沖永良部から問う--薩摩侵攻400年を考える」(このタイトルは先田館長の前で私が提案したものです)イベントをする予定だということです。これも極めて面白い。

また徳之島の口説「まんま口説」の話では、各島によっては民話や他の芸能で表現されていること。沖永良部のヤッコ踊りが、ヤマトと琉球の要素を兼ね合わせてこの島で独自に展開したこと。沖永良部の行政区分が、三間切/方あったうち、琉球服属時代は琉球に近い現・知名町に統治の中心を設定。薩摩が乗り込んでくると、三間切という数字は変更せずに集落をバラバラにして地域としての一体感を解体しようとしたこと、さらに薩摩藩が黒糖徴収の利便性のために再び19世紀になって三つの「方」に変更したこと(他の奄美の島々では間切をいくつかの「方」に分けること。徳之島では間切の下の「方」をアツカイとしたこと--これは宮古にもアツカイの行政区があった--などが確認され、薩摩〈あるいは琉球も含めて〉行政区の扱いは島毎に展開されていたこと)。また集落の間切所属の変更ばかりでなく、個人の農耕地も島役人から配置がえがあったらしく、便宜を図ってもらおうと、担当役人の田地役人に「賄賂」を送ったことなどが確認されたのです。

奄美紀行07/ユリ農家

2008年01月22日 13時35分48秒 | 出版
南海日日記者・当田さんに連れられて、ユリ農家を訪問。

訪れたのは、歌手としてメジャーデビューした大山百合香の父・大山茂豊さんの作業所です。

周年出荷を実践していて、訪れた時も出荷作業の最中でした。

写真はいま流行の商品で、島の園芸農家は徹底したマーケティングに基づいて商品を開発しているのですね。

もうすぐ船で徳之島に渡ります。


奄美紀行05/正名のしまうた録音

2008年01月21日 16時14分47秒 | 出版
知名町の公民館で知名町正名集落のしまうたを録音をしています。

福田原里さんに歌ってもらいます。

1.ちゅっきゃり節
2.サトヨー節(正名独自の節回し)
3.想(うむ)よ加那(正名独自の歌)
4.禁酒節(正名独自の歌)
5.アンチャメーグヮ
6.イチキャ節
7.サイサイ節
8.十番口説

です。
1の「ちゅっきゃり節」では臨時に歌詞を作るなど、クリエイティブな雰囲気もあります。





奄美紀行01/鹿児島へ

2008年01月21日 09時55分13秒 | 出版
今日から恒例の「奄美ふゆ紀行」に出かけます。

神戸は見事な六甲冠雪。山容は墨絵のようでした。

トランジットで鹿児島に降りました。同行している野口さん親子の友人に連れられて、空港周辺を車で移動中です。

南日本新聞に行くには時間不足であきらめたのです。

最初についたのは、加治木町の金山橋。見事なアーチ型石橋です。島津家が開発した金山に掛けために明治13年ごろ築造した橋です。

李宝英氏が神戸に

2008年01月17日 23時01分23秒 | 神戸
昼過ぎに大阪・枚方に住むフォーク歌手の李宝英氏の夫人から連絡が入り、神戸の在日が多い街でゲリラライブをして自主制作したCD「命」を売りたいとのことで紹介したのが最初が新長田、続いて三宮に移動したのです。

今日の神戸は「忌み日」という雰囲気が広がっていました。

三宮南の東遊園地に移動してからは、今日あたらに知り合ったフォーク仲間と、「イムジン河」などを歌います。私の知らない歌詞で歌います。いい歌手です。読者のみなさん、この人の歌声を一人でも多く聞いてください。ひとの痛みを充分に知るよき歌い手です。


追悼式典

2008年01月17日 22時10分23秒 | 出版
電車がまだ通っていないために、タクシーで鷹取教会に乗り付け、キリスト教・仏教合同ミサ・法要に参加しました。

まず最初は、神田親父の挨拶と賛美歌合唱。震災が起きた時間には日本仏教青年団による法螺貝がいっせいに鳴らされました。続いて「般若心経」が読経されるなか、焼香が行われたのです。

儀式が終わり、豚汁が振る舞われ、ほっと安堵。知り合いの記者と雑談して、それぞれの長い1.17が始まったのです。