正直で働き者の男がいた。
朝早くから、石運びの仕事に励んでいた。
昼は畑仕事。夕方から山に柴を取りに入り、家に帰るのはいつも陽がとっぷり暮れてからであった。
一年中休むことなく、文句を言うこともなく働き続けていた。
男の耕作地は、堤防の近くにあり、何年か前の地震と大水で崩れ、その都度に、石を運んで堤防を補強していたのだった。
その石は無償ではない。
石屋から石を買うのである。しかも利子まで要求される。返済が終了するまで15年以上かかった。
代金は、柴や、畑で出来た作物を市場で売り、少しずつ返済していた。
村の者が休んでいる時も男は、石運びと畑仕事をやめようとしなかった。村の者は、「あの男は仕事ばかりのつまらない男」とささやいていた。
ところが、その男にはひそかな楽しみがあった。
仕事を終えて、家路につく途中に、思いを寄せる女性の家があり、このごろ、少しずつ会話も交わすようになっていた。
男は、その女性がいるからこそ、村の者が休んでいる日も、毎日同じ仕事を繰り返すことができたのだった。いわば、男にとって、その女性は生き甲斐そのものであった。
女性が機織りをしている時は、何も言わずに畑で出来た作物をそっと届けていた。ある時、石をその女性のもとに運ぶことを思いついたのだ。男は朝に運んだ石を作業場で、きれいに整形しているのである。それをさらに小振りにして、女性のもとに届けるのである。その女性は、この家に石垣があれば、風よけにもなるし、獣たちの侵入や、浸水被害を少なくなるのに、と嘆いていたことを思い出したのである。
男は整形石をせっせと女性のもとに運び出し積み上げる。ところが不思議なことに数日たってみると、昨晩つみあげたはずの石が崩れている。きっと風か獣が倒したのだろうと気を取り直して組み直してみる。何日かすると、また崩れている。不思議に思いながらまた新たに石を運び積み上げるのだが、その繰り返しである。
ある朝、ふと気になって、その女性の家にまず向かうことにした。するとこともあろうに、昨晩に積み上げた石を、男が思いをよせる女性が、手と足を使い、崩している姿を遠くからみてしまったのである。なぜそうしているのか、男には理解できなかった。生け垣ができることが仕事をする上で不都合だったかもしれない。しかし、昨晩もふたりで会話をしたのに、そうした話題はでなかった。男は、女性の側になにか正統な理由があって、女性のしている行為こそが正しいのだと思いたがっていた。
その日から、男は口がきけなくなってしまった。話そうとすると、なにか得体のしれないモノが発語をさせまいとコトバを奪ってしまう。男は、女性を信じたかったが、石垣崩しを見てしまってからは、なにも信じられなくなってしまい、女性の家には二度と向かわなかった。一方、女性は、男に石垣崩しを見られているとは知らず、いつもの生活を繰り返し、最近あの男が通り過ぎないことを少しだけ不思議に思っていた。
男にとって、悪いことは重なるもので、女性の石垣崩しを見てしまった日の夜から降り出した雨が大雨となり、ふたたび、堤防が決壊し、修理が必要となった。石を新たに購入しなくてはならなかったのである。
あともう少しで石屋への払いが終わるはずだったが、新たに石を大量に買わざるをえなくなってしまった。男は堤防の決壊場所を眺めて「ああ、これでわたしの残りの人生は石積みと石屋への支払いを続けるだけで終わるだろう」と溜め息をついた。この男の予想はあたり、男は数年後に畑作業の途中に息絶えてしまったのである。その時、風にのって聞こえてきたのは、機織りをするその女性の楽しげな歌声だった。