goo blog サービス終了のお知らせ 

神戸まろうど通信

出版社・まろうど社主/詩と俳句を書く/FMわぃわぃのDJ/大阪編集教室講師など多様な顔を持つ大橋愛由等の覚え書き

航海には荒天がつきもの

2006年11月28日 14時09分18秒 | こうべ花気だより
かたります。
体温があたたかいわたしの手をかざします。
すこしずつみえてきます。
細身がさらに細くなったかもしれません。
「きっと」ではなく
「たぶん」という気息に似た発音。
空想上の鳥族が、われわれの間近に迫っているのかもしれません。
いるとすれば、六甲あたりに羽根を休んでいねのかしら。ちょっといじわるな奴かもしれません。


ふたりだけで

2006年11月27日 14時08分03秒 | こうべ花気だより
その決断を伝えた時、短く重い沈黙が訪れます。
そして次に、その決断を正当化する理由をみつけていきます。
決断を伝えたわたしが、こんどはその決断の正統性をひとつずつ拒否していくのです。
そしてその決断を撤回したのです、わたしが。

昨夜から日をまたいで、その人と語り合っていました。
ながくつらい数日間でした。
それはふたりにとって。
ふたりの魂(たま)がはげしく交換されます。
夜中、その人を送る時、背中をぽんとやさしく押したのです。

事務連絡は

2006年11月25日 14時05分46秒 | こうべ花気だより
メールだけはなんとか通じていたので、事務連絡をしてみました。
返事がきます。
それ対して返信。
相手からの返信。
その人は携帯メールを何度も往復するというタイプではないのでずが。
ふたたび返信を返す。
間をおいて電話がかかる。
その一本の電話がなかったら、糸は切れていた。

糸が切れそうです

2006年11月23日 14時03分27秒 | こうべ花気だより
糸をたぐろうと思いつつ、今日は特別な記念日なので、その祝祭的気分のままに自分を置いていたくて、しなかったのです。

独酌をしつつ、来し方を振り返り、これからの年月の重なりを考えて行きます。
でも、糸が切れそうなんだよね。
もうひとつわたしがかかわっている「秘匿ブログ」にメッセージは送り続けているのですが、果たして届いているのかどうか。

ある「判定」をめぐって

2006年11月21日 14時00分46秒 | こうべ花気だより
その「判定」結果を報せて以降、ぷっつりと連絡が途絶えてしまったのです。
わたしは今日『甦る詩学』を責了するために大阪の印刷会社に。
その間、その「判定」をめぐって、携帯から情報を集めます。
無事、責了をすませた後、安堵する間もなく、気になって仕方ありません。

武満徹を聴きながら

2006年11月18日 13時57分58秒 | こうべ花気だより
二人が乗ったロープウェイは山頂を目指します。
用意したMDプレーヤーから、武満徹の映画音楽「燃える秋」を流しています。
二人で聴くために、今朝LPレコードからMDに録音しておいたものです。
ハーブの香りが満ちたその山頂で、逍遥し、休息し、語り、ハーブティーを呑みます。
あえかな時間が流れています。
武満の曲が環境音楽として、閑かに、鳴り響いていたのです。

しつ しつご04

2006年09月15日 13時07分44秒 | こうべ花気だより
物語は語られているか----

「ああ、なんと近づきがたき森でしょう。蝉の群れが棲みつき、怖ろしい猛獣が満ち溢れ、猛禽どもの怖ろしい鳴き声に包まれています。いろいろな鳥どもの鳴き声がかしましいだけでなく、獅子・虎・猪や象の咆える声が加わって、耳も聾せんばかりです」(東洋文庫『ラーマー・ヤナ』第一巻p84)

その深き森は深刻に語られている。
しかし、その森を越なければ、涼やかな風、清涼な湧き水は得られないであろう。

「あなたにその勇気はあるのか」。

森を越えた時に、あえかな心持ちは変っていないのか。

森に分け入り、森を越えなくてはならない。
それがわたしたちの物語なのだから。


しつ しつ ご03

2006年09月14日 03時35分37秒 | こうべ花気だより
正直で働き者の男がいた。

朝早くから、石運びの仕事に励んでいた。
昼は畑仕事。夕方から山に柴を取りに入り、家に帰るのはいつも陽がとっぷり暮れてからであった。

一年中休むことなく、文句を言うこともなく働き続けていた。
男の耕作地は、堤防の近くにあり、何年か前の地震と大水で崩れ、その都度に、石を運んで堤防を補強していたのだった。

その石は無償ではない。
石屋から石を買うのである。しかも利子まで要求される。返済が終了するまで15年以上かかった。
代金は、柴や、畑で出来た作物を市場で売り、少しずつ返済していた。
村の者が休んでいる時も男は、石運びと畑仕事をやめようとしなかった。村の者は、「あの男は仕事ばかりのつまらない男」とささやいていた。

ところが、その男にはひそかな楽しみがあった。
仕事を終えて、家路につく途中に、思いを寄せる女性の家があり、このごろ、少しずつ会話も交わすようになっていた。
男は、その女性がいるからこそ、村の者が休んでいる日も、毎日同じ仕事を繰り返すことができたのだった。いわば、男にとって、その女性は生き甲斐そのものであった。

女性が機織りをしている時は、何も言わずに畑で出来た作物をそっと届けていた。ある時、石をその女性のもとに運ぶことを思いついたのだ。男は朝に運んだ石を作業場で、きれいに整形しているのである。それをさらに小振りにして、女性のもとに届けるのである。その女性は、この家に石垣があれば、風よけにもなるし、獣たちの侵入や、浸水被害を少なくなるのに、と嘆いていたことを思い出したのである。

男は整形石をせっせと女性のもとに運び出し積み上げる。ところが不思議なことに数日たってみると、昨晩つみあげたはずの石が崩れている。きっと風か獣が倒したのだろうと気を取り直して組み直してみる。何日かすると、また崩れている。不思議に思いながらまた新たに石を運び積み上げるのだが、その繰り返しである。

ある朝、ふと気になって、その女性の家にまず向かうことにした。するとこともあろうに、昨晩に積み上げた石を、男が思いをよせる女性が、手と足を使い、崩している姿を遠くからみてしまったのである。なぜそうしているのか、男には理解できなかった。生け垣ができることが仕事をする上で不都合だったかもしれない。しかし、昨晩もふたりで会話をしたのに、そうした話題はでなかった。男は、女性の側になにか正統な理由があって、女性のしている行為こそが正しいのだと思いたがっていた。

その日から、男は口がきけなくなってしまった。話そうとすると、なにか得体のしれないモノが発語をさせまいとコトバを奪ってしまう。男は、女性を信じたかったが、石垣崩しを見てしまってからは、なにも信じられなくなってしまい、女性の家には二度と向かわなかった。一方、女性は、男に石垣崩しを見られているとは知らず、いつもの生活を繰り返し、最近あの男が通り過ぎないことを少しだけ不思議に思っていた。

男にとって、悪いことは重なるもので、女性の石垣崩しを見てしまった日の夜から降り出した雨が大雨となり、ふたたび、堤防が決壊し、修理が必要となった。石を新たに購入しなくてはならなかったのである。

あともう少しで石屋への払いが終わるはずだったが、新たに石を大量に買わざるをえなくなってしまった。男は堤防の決壊場所を眺めて「ああ、これでわたしの残りの人生は石積みと石屋への支払いを続けるだけで終わるだろう」と溜め息をついた。この男の予想はあたり、男は数年後に畑作業の途中に息絶えてしまったのである。その時、風にのって聞こえてきたのは、機織りをするその女性の楽しげな歌声だった。

しつ しつ ご02

2006年09月13日 10時12分53秒 | こうべ花気だより
世間という語をひもとけば
「人が生活し、構成する現世社会」「日々生活する自分の回りの社会やその状況、また、そこにいる人々」(小学館版「国語大辞典」)となりましょうか、みなさん。
わたしがもうひとつ付け加えるとすれば、「日々生活する自分の回りの社会やその状況と、その時々の時代相に制限されつつも、そこから生み出される最大公約数的な価値観」としましょうか。
みなさん、「世間」というのは、時代によって変わっていくものです。
しかし、その時、その場にいる人にとって、「世間相場」というのは、ひとつしかない。
もともと多義的であるはずの時代・情況の価値観が、この「世間」という「共通認識」に、知性あるひとも意外と簡単に心性を収斂してしまう。
愛は時に「世間」に凌駕されます。しかし、その「世間」は移ろいゆくもの。時代相を超えた視座を持つという行為をその時々に獲得しないと、また次なる「世間」に回収されていくだけでしょう。

9月11日

2006年09月11日 23時52分13秒 | こうべ花気だより
                こ
                と
                ば
                が
                し
                ん
                で
                い
                く   

…のつもりが

2006年07月25日 23時01分56秒 | こうべ花気だより
毎月一回の定例のある企画をする予定で、お互い準備していたのですが、逢った途端、そのひとの表情をみて、それどころではないことを察知して、語り合いの場としました。

二人という実相は、〈ひとり/わたし〉と〈ひとり/わたし〉であるほかに、もうひとつ〈ふたり/ふたりでひとつ〉というペルソナがあるような気がします。これを〈対-つい-〉と呼んでもいいでしょう。

この三つとも、大切なこと。(アイヌの世界では、さらに第四人称というのがあって、〈わたしたち〉に加えて、さらに神-カムイ-を含んだ人称世界があるとのこと。こうした四人称の世界に到達できるかどうかはともかく、〈ひとり/わたし〉を超える〈ふたり/ふたりでひとつ〉というペルソナを獲得するのには、語りの場を多く設けることが大切ではないかと思うのです)。

編集中につき

2006年07月19日 23時45分38秒 | こうべ花気だより
今年は、この数年間とうってかわって、本の出版計画が目白押しです。

朝、寺岡良信氏の詩集『ヴカリース』の初校が届きました。今週、土曜日に著者に渡す予定です。

夜は、とある女性詩人との語り合い。この人とは講演会や展覧会に行ったりしているのですが、いつ逢っても話題が尽きることはありません。知的な、そして魅力的なひとです。