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神戸まろうど通信

出版社・まろうど社主/詩と俳句を書く/FMわぃわぃのDJ/大阪編集教室講師など多様な顔を持つ大橋愛由等の覚え書き

山を歩くひと

2008年09月04日 12時50分02秒 | こうべ花気だより
これもなにかの変化なのでしょうか。

私は毎年夏に一週間ほど、背山の保久良山に早朝登山をしますが、Sさんはいま、近くのT山に早朝登山をしているのです。

少し前まではおおよそそのような運動をするとか、早朝に起きだして健康的なことをするといった風ではなかったのです。むしろ、なにかの病や疾患を自覚することが、自己確認のような感覚をもっていた人でした。

昼になってT山から写した携帯フォトを送ってくれました。そこには豊かなを茅渟(ちぬ)の海が遠望できるのです。おそらくSさんの身体と精神はいままさに清浄していく過程にあるのでしょう。

マイノリティーへの視線

2008年09月01日 19時43分14秒 | こうべ花気だより
ミトさん、顔の艶がいい。

この人も、逢うたびに印象が違うから不思議だ。

最近、食事の内容を大きく変えたので、いわば食のマイノリティーを選択したと言えないでもない。
マイノリティーだと書けば、ミトさんは反発するかもしれないが、周囲がマイノリティーなるものをみる視線を、観察できる立場であることは、たしかなようだ。

マジョリティーのただ中に生きている人も突然マイノリティーになったり、選択としてのマイノリティーになったりする。しかしそのマイノリティーとしての選択が、とあるグループ(地域、宗教、信条など)では、マジョリティーであることもあり、興味深いことである。

私はミトさんの選択をいま懸命に理解しようとしている途中で、時にミトさんから苛立たれることがある。選択したマイノリティーは常に周辺の人たちに対して、その選択を開陳し、説明しつづけるという煩瑣があり、身近にいる私に対して、その説明行為を疎ましく思う気持ちが苛立ちに転嫁するのである。

アンヘルはどこに行くのでしょう

2008年05月21日 13時10分01秒 | こうべ花気だより
わたしのアンヘル(Angel)はどこに行くのでしょう。
天空を逍遥している最中にも右手のペン、左手に詩集を抱えているのです。
今日の飛行はどこなのでしょう。
きっと海と山を見据えて、五月の坂の街を飛んでいるのでしようか。
羽根やすめ、気やすめ、鳥瞰やすめのため、地上に降りて来て、わたしと語り合ってほしいものです。
一カ月に一回などと私を悲しみのどん底につきおとすことなど言わずに。

隣座すること

2008年05月19日 23時20分32秒 | こうべ花気だより
ちょうどランチ時だったので混雑していて、カウンター席しかあいていません。

「ここでいいですか」
と一緒に入った人にたずねます。
「はい、横に座れますから」。

会話をするにもテーブルに座って向き合うより、横にいれば大きな声をださなくてもすむのです。
私は無遠慮な大声の持ち主ですが、その人は民度が高いインテリジェンス豊かな人なので控えめな声の持ち主。間近でぼそぼそ気味に語り合う方が合っているのです。

そういえば何日か前も同じ方向を向いて隣座していました。そこはトーアロードに面していて、春なので窓が開け放たれていて、往来のひとたちが神戸の休暇を満喫して、そして二人は映画の余韻にひたっていたのです。

今日はその人が横にいる時が短くなく、多くの語りを楽しんだのです。多くの笑顔も見ることができました。


All Or Allではだめですか

2008年05月15日 13時05分07秒 | こうべ花気だより
その人は私に深い安堵と深い不安を提供します。

例えば私に〈All or Nothing〉を求めます。
しかし、向き合う二人にこのような両極の選択肢は現実的でしょうか。
全肯定か全否定といった選択ではあまりにそぎおとされることが多すぎる。異なる極端な原理主義者どうしがぶつかりあうと妥協は困難であり、相手を否定するしかない。それを喩えて言うと、指先をケガしたから腕から切り落してしまえ、とった極端な発想と同じように思えてきます。
むしろ二人にとって、〈All or All〉の選択肢こそ常に決定していく事項ではないでしょうか。
もう少し詳しく言うと、〈All-A or All-A'〉。
〈All-A〉という生き方、考え方、二人のありかたに、困難さが生じたら、〈All-A'〉を模索していく。
否定するのではなく、相手を認め尊敬しつつ、少しずつ二人にとって良きありかたを創っていく。
指先をケガしたら、手当をしてついでに血行がよくなるように指先を含めてその腕をマッサージする。そうすることで身・心ともに癒されていくのではないでしようか。

結果は「五月晴れ」

2008年05月03日 16時41分22秒 | こうべ花気だより
三日目がめぐってきた。
急ぎ坂を昇っていった私の顔には汗と歓喜と安堵の表情が漂っていた。
たって希望した食事がそこには並んでいた。
大いなる悦び。
タビに行き損ねた今回の行状を“Inner Trip”と呼んでみた。
それは既視感のある某宗教団体のキャッチフレーズであり、その名付けを私が繰り返すたびに、二人はくすくす笑った。
三つ重ねられたわれわれの「避春行」は無事終わり、片付けを終わってその地を出た時に迎えてくれたのは、見事な五月晴れという春そのものだった。

危機を乗り越え

2008年05月02日 14時07分20秒 | こうべ花気だより
昨夜、二日目が始まる鐘の音が鳴るまでにアクシデントが起こった。
Strangerが立ちはだかったのだ。
「呼び寄せたのかもしれないわ」
というその人。
私も二日目の舞台が始まることを諦めようと努力していた。
ところが、鐘は鳴ったのである。
その悦び。歓喜の音色。
人が人として生きていく上で日々重ねていくその現場に二人は連夜たちあったのである。
そこは山端の静かな一室であり、静かな語らいがすすんでいた。

スウィーツとカフェと

2008年04月12日 20時55分48秒 | こうべ花気だより
ミトさんと、昼下がりのカフェとデザートを楽しみました。
わたし、時々カフェを飲みたくなります。
いつもは、紅茶を緑茶のごとくがぶがぶと飲みます。
その私が----たとえばミトさんと昼を過ごす時など----カフェを飲みたくなるのです。
そしてデザート。私は両党遣いのようです。
まあ、もっとも神戸に住んでいたら、この街は「スウィーツの帝国」のようなところなので、甘いものを無視しては生きてはいけないのです。
今日のミトさん、すこし顔色がよくなくて心配です。

祝杯

2008年03月10日 23時03分25秒 | こうべ花気だより
ミトさんの誕生日です。

プレゼントはミュージアムショップから選びました。
ミトさん、一時は芸大を目指したこともあるので、美学的センスはあります。
こちらも選択眼を磨いておかないと、ミトさんの笑顔は見ることは出来ません。
プレゼント選びは難しく楽しい作業でした。

ジャズを聞きながら

2008年01月04日 00時00分01秒 | こうべ花気だより
ミトさんとジャズが流れる店に行った。

その店は古く1970年代からあった。
最初にあった場所は大型書店の近くで、本を買ったばかりの読書人を多く見たものだ。
ただ、当時のジャズ喫茶は、沈黙が掟であり、私はよく店主に注意された。

「シズカニシテクダサイ」

やがて大きな地震がこの街を襲い、ジャズ喫茶Mは移転を余儀なくされ、坂の途中に引っ越した。
わたしは詩人たちとその店に何度か通い、店主と知り合いとなり「イツモシカラレテイマシタ」と告白した。

その店主、密かな思いを持ち続けていたのだ。最初と二番目の店はともに地下にあった。

「チジョウニデタイ」

うんざりしていたのだろう。〈地下生活〉が。

そして三番目の現在の場所に移ったことはミトさんが教えてくれた。
二階だった。

「ヤアヤア ヨウヤク チカセイカツ カラ ダッキャク デキマシタネ」

私は笑い、店主も笑った。

ミトさんと私のお好みの場所は、並んで座り店外の光景を眺められる長テーブル席である。

「××党 撲滅!」と勇ましいアジテートをぺたぺた張った貧弱な軽自動車が通る。

「アラ モウ 〇〇党ボクメツ デハナイノネ」
私はひとり溺死寸前のとある政党を想った。

かわったばかりの2008年の初々しい刻が、ミトさんと私の軽く接した両肩の上をすり抜けて行く。



携帯悶着

2007年11月14日 23時02分12秒 | こうべ花気だより
いま私が持っている携帯電話は、au製(casio)である。以前は、奄美に通じやすいという理由でdocomoを使っていたが、奄美に通うたびに、docomoの優位性が崩れていき、auでも同等に通話が出来ることを確認して、今年の2月に会社を変更した。もともと私はマジョリティーの会社の製品を使うのが嫌だったのだが、奄美に敬意を表していたために、どことなく官製会社の残香がただようdocomoを使い続けていたのである。

090や080で始まる携帯電話同士では同じ電話番号で移行することが出来るのだが、PHSであるwillcom(070で始まる)とは互換性がない。PHSは、通信速度が速く、パソコンのデータ通信にもいいとされている。実は私はwillcom製の電話機も持っていて、通話専門に使っている。たしかに携帯電話より音はシャープだが、野外や移動しながらかけていると、通話が途切れることがある。アンテナの数が影響しているのだろうか。

私のPHS機はsim カードが付いていないタイプのもので、とある人のPHS機も同じタイプ。その人がミニパソコン並みの能力を持つ機種に変更することになって、sim カードを購入したり、SDカードを買ったりしているとコストがかかってしまうと悲しそうに報告してきた。その人、いちど〈悲しさ感度センサー〉が働きだすと、ずいずいと悲しさモードに入っていって、そんな時に横にいたり電話で会話をしていると、今という時をこえて(過去のこと未来のことを含めて)悲しさのコードに乗せてぶいぶいと語りだすのである。しかも私の負性も同時に思い出したようにくりくりと言葉にする。もともと知性の人なので理路整然たる表現をベースにしながら感情むきだしの表現がないまぜになって、知性と悟性と感情そのままが一緒に発信されるのである。そんな時にPHS機でしゃべっていると、「どうか、willcomさま、携帯auよりも、優しさを上手に運んでこの人の荒ぶる魂を鎮めてたぼれ」と願うのである。

神戸東西徘徊

2007年11月05日 19時16分04秒 | こうべ花気だより
月曜日であるが、今週はFMわぃわぃの放送なし。
一日、神戸の東西を徘徊して過ごす。

ランチをSさんととる。
時々いくお好み焼き屋で、わたしが先に入って待つ。
店の人も連れ合いがくるのは承知のようだ。
右手にシャーペンを手に、とある人の俳句の一句評を書くために、選句する。
左手はビールグラス。「呑み過ぎですよ。金曜日も日曜日も呑んだでしょ」とSさんに注意されるのだが、待つ時間が手持ち無沙汰なので瓶ビールを一本注文。長田あたりは、まだ大瓶が出てくることが多いので嬉しい。三宮で大瓶を出すところは本当に少ない。
やがて現れたSさん。今日は艶やかな顔のふくらみを感じて、なんとも色っぽい。
映画の話や、いままでの会話の反芻など、Sさんと語っているといつも楽しい。
Sさんの休み時間はあっという間に終わり、挨拶をして別れる。

その足で、以前から目をつけていたキムチ屋で、白菜キムチ、ごまの葉、トックを買う。特に私はこのごまの葉に目がない。
一枚あるだけで、茶碗一杯を軽く食べることが出来る。そして干し鱈を一本買う。韓国産だそうだ。店のオモニとしゃべる。「わたし、FMわぃわぃで、もお13年も番組してんねん」「ああそお! でもここわぃわぃが入りずらいんよ、店の外にラジオを出さなあかんねん」。

東に歩いて、琉球ワールド二階の「琉球サンバ」へ。兼次さんと打ち合わせ。12月に琉球ワールドでフェアをするのは、与論島ではなく、与路島だそうである。びっくりした。与路島だけでフェアが出来るのだろうか。こうしたフェアが琉球ワールドでされるのも、私が南海日日新聞に書いたコラム「神戸から」の影響かもしれないと思うと嬉しくなる。兼次さんから、WEB更新の相談を受ける。そして「徳之島ちゃっきゃり大会」のことも話し合う。今日は一階の「沖縄食堂」でくだを巻くことはせずまっすぐ新長田駅に向かう。

兼次さんと話し合っている時に、山本幹夫・神戸文学館長から携帯に電話が入る。三宮に少しだけ途中下車してCに寄り、月刊『Melange』26号を二部持ち、阪急に乗り換えて王子公園駅で下車。小学校低学年の子供たちの下校時間である。海星の小学生の女の子たちが集団で歩いている。帽子が歩いているようで可愛い。わたしも仁川学院というカトリック系小学校に通っていたので、こうした制服に身を包んだ私立小学校の生徒たちを見ていると、自分の過去とだぶって微笑ましく思ってしまう。

それにしても、この王子公園あたりは、神戸有数の文教地帯である。緑が豊かで、心が落ち着く。文学館に到着して、山本館長と打ち合わせ。2008年1月12日(土)に、同館で「三枝和子--文学で結ぶ神戸と奄美パネルディテスカッション」を企画しているのである。

これは、毎年この時期に神戸にやってくる沖永良部島の前利潔氏に、せっかく神戸文学館が出来たのだから、沖永良部に関係する文学を語ってもらおうと考えたことから始まった。同文学館の周囲は、沖永良部島出身者が濃密に住んでいるエトニを形成している地域でもある。沖永良部二世の干刈あがたは、故郷の島に帰る時、神戸を経由している船ひとつで島と直結しいるこの街に島を強く感じていた。その干刈の研究者であり、かつ奄美大島・瀬戸内町の二世である小説家の三枝和子の全集編集委員でもある与那覇恵子さん(東洋英和大学)に語ってもらおうと思っているのである。

山本館長と打ち合わせを終え、館内で展示されている島尾敏雄展を見て回る。几帳面な島尾の筆跡や、生前に愛用した革靴や傘も展示されていて、興味深い。この作家はさまざまな場所にかかわったので、さまざまな島尾像が語られて面白い。私は沖縄における島尾受容の熱さを知っているので、その息吹きを神戸にいる人たちにも伝えたいと思っている。

館を出ると、小雨が降って来た。キムチのすこやかな臭いに気分をよくしながら、阪急電車に乗って、隣の東灘区に向かっていく。下車した岡本駅は、かつて谷崎潤一郎が利用した駅である。南から向かうと、駅舎の背後が六甲連山を借景としていて、おおよそ都会にある駅とは思えない趣きがある。おそらく谷崎が利用した時代と変っていないだろう(阪急以北の土地は建築規制が厳しいのと、マンションが建つ比較的大きな土地が少ないから、借景がいまだ成り立っているのである)。

コープ神戸の階上へ行き、昨日から気になっているコネホに関する小物を買って、坂を下り、帰宅の途についたのである。


映画「パンズ・ラビリンス」

2007年11月04日 23時13分09秒 | こうべ花気だより
Aさんと、映画「パンズ・ラビリンス」を観る。

これはなんとしてでも観たかった映画で、大阪の映画館は満席の盛況だった。

単なるメルヘンではなく、スペイン内戦終結後の内戦(!)がからみあっている。
不思議なことに、私がAさんだけに書き送ったメルヘン仕立ての掌編小説に少し似たところがあって、さらに驚いてしまった。

舞台は1944年。5年前にスペイン内戦は終結しているのだが、市民戦線側の残党はレジスタンスとして、山間部を転戦しながら、政府軍と闘っている。スペインは内戦終結後から独裁者フランコが死ぬ1970年代までの間、長い暗黒時代であったことは知っていたが、組織的な戦闘が終わってもなお、ゲリラ的に闘っていたことは知らなかった。

スペインは内戦が終わってから、市民戦線側にたった者たちに対して、拷問、抑圧、監視、追放などあらゆる強圧的な待遇を貫いてきた。そうした勝者と敗者の構図が決定していたと思っていた1944年にもレジスタンスとして闘っていたスペイン国民がいたことを知って、驚愕したのであった。

スペイン映画というのは、面白く、Aさんと一緒にみた「ボルベール(帰郷)」もそうだったが、最初脇役的な存在の役者が次第に作品展開のキーパーソンになっていくという構図を、今回の作品でもみることが出来た。メルセデスという大尉の生活全般を世話する女性が、少女とともに、物語を大きく展開していく役回りを与えられるのである(「ボルベール」では主人公の女性の姉が次第に大きな存在として立ち回って行くようになる。観ている方は、複線的なストーリー展開を楽しむことができるのである)。

それにしても、この映画では多くの生命(いのち)が奪われてしまったことだろう。まだ映画を観ていない人には申し訳ないが、最後まで生き残るのは、赤子ではないだろうか。白き聖衣とも思われる白い着ぐるみに包まれた赤子はなにを意味していているのだろう。祖父と父の記憶を赤子に継承しようとして拒絶されて死んでいった父である大尉。そしてその記憶の継承を拒絶したレジスタンスの人たちもおそらく徹底した政府軍の掃討作戦で死んでいったことだろう。この赤子は、スペイン再生の意味が付与されているのだろうか。映画の最後のシーンで、架空の花が登場して、ひとしれず咲いては忘れられて枯れていく。しかしまたなにかの機縁で咲いては忘れられ、そして枯れていくことを繰り返す。忘却という空白があっても紡がれていくのだというメッセージが聖衣にくるまれた赤子に託されたメッセージなのかもしれない。

私は、この映画で殺戮されてしまった人たちのなかで、一番過酷に思えたのが、農夫親子が大尉の無慈悲な激情のためにいとも簡単に殺されてしまったことである。コネホ(しかもまだ幼い)を撃っていたのにすぎない農夫親子が、その銃撃音を政府側兵士にとがめられ、必死の懇願にもかかわらず、息子は大尉が割った瓶で目をつぶされた後に、口に突っ込まれて殺され、「息子が、息子が死んでしまった」と嘆く父にはピストルを二発発射して殺してしまう(戦場ではとどめの一発を撃つのが常識なのだということがこの映画をみていて深く認識してしまった)。農夫のバックの中には、無政府思想的な言葉が書かれた紙片を大尉は発見するが、それは昔からの格言だという父の弁明を聞こうともせず、二人を殺してしまった後に、バックからコネホが本当に出て来て「私に報告する前にちゃんと所持品を調べてからにしろ」と部下に言うときの大尉の顔には、表情の変化はみられなかった。そしてそのコネホを地元有力者が集まる宴に出してしまうという残忍さ。

そしてこの主人公の少女。愛くるしく、スペイン女性らしい黒髪、少女という概念にふさわしい年齢と、いかんなく発揮される少女性。「不思議の国のアリス」で示されたロリータ的嗜好の対象にぴったりあてはまるラニーニャ。それでいて、自らの少女をもてあまし、少女を逸脱する行為もする(タブーを犯して葡萄を三粒食べてしまう)。いわば絶対受容体として措定される「絶対少女」の中の概念の中にも組み込まれている〈反少女性〉。

この映画を観ている時、不思議な感興に陥った。隣りで映画をみているAさんが、映画の中の主人公であるラニーニャと二重写しとして見えてしまったことだ。「これはAさんの少女時代だ」と思い定めてみていた。蚕が繭を作って、成虫になるための準備をするように、利発で繊細な少女たちは、繭をつくり社会・状況・家族と隔絶することで、自分の世界に閉じこもり、自閉自足な世界を構築していく。かつ自分を否定する行為もする。繭を出しながら、繭を食べている。Aさんは、いままで一緒に観た映画の中では見つめている濃度が違っていた。「ああ、こうした少女時代を送りたかったのではないか」とも思っていたのである。

この映画、メルヘンだろうか。スペイン内戦後の深刻な国内分裂状態がリアルに描かれている。連合国軍が、ノルマンディに上陸したとの新聞紙片を回し読んでレジスタンス同士で励まし合っているシーン。なんとも切なく、なんとも過酷な現実にメルヘンをぶつけている。だから反対にメルヘンが際立ったのかもしれない。わたしはてっきり最初から最後までメルヘンチックな作品だと思っていたのが大違いだった。

Aさんが面白いことを言う。もしこの映画がアメリカで作られていたら、最後のシーンで、主人公の女の子が、継父に殺される寸前に、レジスタンスの部隊がやってきて救い出し、ハッピーエンドだったかもしれない、と。でもこの映画は違った。殺戮に殺戮が重なり、ひとのいのちが簡素に散っていく。これが、戦争や内戦の現実なのだろう。それに対するわりきれなさを抱きながらも、希望や幻想はだからこそ生み出されるのだろうと思っていた。



エグザイルの両相

2007年01月03日 10時11分54秒 | こうべ花気だより
昨晩、琉球ワールドでの島唄録音の帰りに、同じ長田区内に足を伸ばし、ある人と新年の挨拶を交わしていました。
その人はその地にずっと生まれ育った人です。その町は延喜式内の古社の門前町として栄えています。
その人、わたしよりすっとエグザイル指向が強いのです。
その指向は一所で育ったから反措定として立ち上がったものではおそらくなく、もともとの資質的なものと、文学というものが胎蔵しているエグザイル性が表出したものと思われます。
面白いことに、何度か棲み家を〈移動〉した人生を歩んできたわたしは、一所に対する、根の所に対する指向が強いのです。わたしの文学と思想のありようは還相の中にあるのかもしれません。いや、それとも、両人とも、相を違えたエグザイル指向なのかもしれません。もうすこし、つっこんでその人と話し合うことにしましょう。