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神戸まろうど通信

出版社・まろうど社主/詩と俳句を書く/FMわぃわぃのDJ/大阪編集教室講師など多様な顔を持つ大橋愛由等の覚え書き

ロルカと同世代のスペイン詩集

2008年04月18日 14時09分59秒 | 文学
ガルシア・マルケスなど中南米文学を日本に本格的に紹介したスペイン文学者である鼓直氏から送っていただいたものです。

『ロルカと二七年世代の詩人たち』(アルトゥロ・ラモネダ編著/鼓直・網野豊訳、土曜美術社出版販売)。
同著は「第8回日本詩人クラブ詩界賞」を受賞しています。

スペインは詩がさかんな土地柄であり、いまでも詩の朗読会は盛んに行われ、多くの聴衆が聞きに来ます。
私もその事実は知っているのですが、日本では翻訳詩はなかなか受け入れられないのが現状で、出版しても部数が期待できないのです。

鼓直氏に初めてお会いしたとき、神戸ですでに10年も「ロルカ詩祭」をしていることを報告したのです。
今年は氏に案内状を出すことにしましょう。

本書の中には、ロルカの新訳も入っていて、楽しみです。


神戸の女性作家を語るパネデ02

2007年09月13日 10時02分30秒 | 文学
神戸から神戸ゆかりの女性作家を語る〈詩・短歌・俳句・川柳〉パネルディスカッション


〈取り上げる作家たちのプロフィール〉が各パネラーから報告されましたので、お知らせしておきます。



◎〈詩〉-----たかとう匡子さん
◆多田智満子(1930~2003)
1956年、結婚と同時に神戸、六甲山麓に移り住んで、同年第一詩集『花火』を上梓。十数冊の詩集と評論集、歌集、句集など精力的な仕事をした。英知大学名誉教授。
学者グループとの交流もあり、しぜんとすみわけができている詩人だった。今回は詩人の一周忌に編まれた遺稿詩集『封を切ると』から神戸の大震災をにじませた「残欠の翁」一篇を採り上げて多田智満子の言葉のセンス、洗練された、シャープな詩の言葉、その良質のモダニズムの在処といったところをいっしょに味わっていきたい。―崩れた二階家は/家族もろとも片付けられた/跡地には草一本も残らない/ささやかな雑草の庭さえ失われた//地震から発掘された/残欠の翁一人/たったひとり//妻も子も嫁菜もタンポポも犬ふぐりも/何もかもが欠落した/床下の白蟻の代数学も御破算になった//すべてが終ったとき/虚空に梅が薫ったのだ/天上からの一瞬の気流のように//九十五歳の翁を立たしめるものは/密度の濃い孤独だ/すべては
瓦解するが/孤独は瓦解しない―    (「残欠の翁」前半)
 俳人永田耕衣の句に触発された詩だが、故郷神戸との関連で見ても面白いのではないかと思う。

◎〈短歌〉-----彦坂美喜子さん     
◆歌人・川端千枝のプロフィールほか。
川端千枝は、明治二十年、たけのくち炬口又郎の次女として、神戸市下山手通に生れる。父は神戸で発刊された日刊新聞「神戸ゆうしん又新日報」の経営に参加していた。
その後家族で、須磨の海岸近くの住宅地に移り、親和女学校に進学する。女学校卒業後、十八歳で淡路島の川畑隆平氏と結婚。二年後に長女を出産、その二年後に夫と死別。
短歌は自然主義的傾向で注目された前田夕暮に師事したが、後年退会。病で昭和八年四十六歳で死去している。歌集も、生前の『白い扇』と亡くなってからの『川端千枝全歌集』があるだけで、超有名な女流歌人ではない。その歌人を取り上げようと思ったのは、男尊女卑の時代の中でも女性として表現者として、自立した意志の強さをもっていると思うからである。これは、彼女の育った神戸という町の環境が影響しているのかもしれない。短歌にこだわり文学として作品主義を貫こうとした千枝の作品を手がかりに、彼女の内面や意志の強さ、意識のあり方を探っていきたい。

★作品
着なれたる紅裏とりて白絹にかへんと思ひゐたるこの春(絶詠)
ひとたびの怒りも妻に見せずして終りしといふもの足りなさか
艦伊勢○○へ出動
○○の伏字せんなしそのゆくへいづれは西の海とおもへど
吹きあぐる火事の火の粉は風に散りゆるやかに落ちてまのあたり消ゆ
物置の白壁に照る陽はあつし夾竹桃のかげあざやかに(明石なる母の家に)
冷かる瞳をもてるひと一人まじへて暗き家なりけり(須磨なる実家に帰りて)
何もかも賈りて墓のみ残る日の故郷さみしくおもほゆるなれ
道すがら化けよま黒き此の帽にひそませ送る一羽の小鳥
海越えて遠く來ませる君のため鳴門みかんをもぐ雨の中
いざわれら遠くにのがれゆくてむと人見がくれに手にぎりにけり
照り曇り陽はさだまらず風狂ふ逢ひにゆく日の甲板の上
開きたる障子重なる桟のかげくるふたてつけのままにゆがめり
はたかれし形そのまま手にのこり雨冷ゆる夜の蚊は大きかり
現身のこのらちなさよ眼にすらもとめて見がたき棘にぞうづく
蚊のくひし指のふくれに爪あてて涙ぐましき思ひはつづく
なやましき心きはまるひとときは安らなるべき死の幸思ゆ
八重の芍薬二ひら三いら散りこぼれ散り誘はれてかつ散るもろく
淋しさの身内に迫るものありて言ひてしかもよ偽りごとを
面かはりせずとかた迭みにいひかはす女心のあはれさに居て
ひとり子の愛につながれこの憂さに堪へや果つべきわれかもつひに
背くべき人をももたず背かるる人をももたぬひとりならしめ

★川端千枝の内面や、意志の強さを、自然主義の表現をとるこれらの作品からみてい
く。

◎〈俳句〉-----堀本吟さん
*  関西はいまやひとつの文化だともいいえる、どうじに神戸、大阪、奈良、京都、紀伊熊野など、それぞれ歴史性をまもり独自の文化をまもって交流しているので、そこ深い魅力をもつ。神戸はモダンな都会、異国風な港町。海と山が近接している地形でもあり、あこがれと自閉性がよじれあった複雑な境界地でもある。その街を舞台に女性の俳句をみようとするとき、神戸の同人誌などを結集した新興俳句の拠点「旗艦」、「青玄」(日野草城主宰)の系譜から、つぎの二人がうかびあがる。
*  桂信子は、「旗艦」→「青玄」→「草苑」とひとつの流れを築貴、90歳で大往生。戦後俳句の代表とも言える、夫戦死以後独身、知の殿堂神戸大学に勤務していたこともあり、戦後を生き抜いた働く女性でもあった。
*  伊丹公子は高知生。俳句界にのびのびした西洋風の詩情をもちこみ、広い世界を獲得している。「まるめろ」に参加して伊丹三樹彦とであい。以後夫婦コンビで尼崎に住み、日野草城亡き後の「青玄」をそだてる。解散後は母として後継誌「青群」をみまもる。村野四郎に学んだ自由詩のセンスがとけ込んだ旅行吟、風のながれのように動きやすくしかも明晰であり、そこに「神戸的」なる詩情を感じる。
 信子には思索的な単独者の風貌があり、公子はむしろ妻であり母であり、「青玄」では地方出の若い同人、たとえば坪内稔典氏にとっては精神的な姉であった、という。
少女の儘の母性と言うべきふしぎなカリスマ性がある。
    やはらかき身を月光の中に容れ      桂信子 (『月光抄』    
    思想までレースで編んで 夏至の女   伊丹公子(『メキシコ貝』)

◎〈川柳〉-----樋口由紀子さん
   神戸ゆかりの女性作家を語る <時実新子>
◆時実新子は平成7年の阪神大震災で自らも被災し、「他の文芸よりストレートな川柳は、災害の力をはね返す」と<平成七年一月一七日 裂ける>という一句を詠み、合同句集『わが阪神大震災―悲苦を超えて』を刊行し、大きな反響を巻き起こしました。昭和62年に朝日新聞社から出版された『有夫恋』は川柳界初のベストセラーで、川柳を知らない一般読者に川柳を広め、エッセイストとしても活躍し、多くの女性の心を揺さぶりました。
昭和62年再婚を機に神戸市に転居し、平成8年に神戸を本拠地にして月刊「川柳大学」を創刊し、会員を育てましたが、今年3月に神戸市内の病院で肺がんのため亡くなりました。
新子は女が今よりももっとモノが言えなかった時代、川柳においても男性中心の世界で、一人の女性の立場から物を言い、毅然と自我を主張しました。今日の女性作家のさきがけで、川柳界に新しい道を切り拓きました。通俗を人間の本質とみなし、そこに価値を置き、意味性の強さを前面に押し出した彼女の川柳は人を立ち止まらせる魔力があります。烈しく生きた時実新子を紹介します。

今年詩集を上梓した詩人二人の朗読

2006年12月17日 23時47分51秒 | 文学
詩の話です。
やはり、詩集を刊行したという事実は大切にしたい。
『Melange』同人で、今年詩集を出した二人に、短い朗読をしてもらいました。
ひとりは『回転子』(思潮社)をだした高谷和幸さん、そして『ヴオカリーズ』(まろうど社)を上梓した寺岡良信さんです。
朗読のバックには、フラメンコギタリストの中澤秀治さんに依頼しました。
神戸市内のCというレストランで、15分ほどの短い時間でしたが、朗読巧者の二人の朗読は、味わい深いものがあったのです。

小野十三郎賞

2006年09月28日 23時34分53秒 | 文学
本日の読売新聞新聞夕刊に、今年の小野十三郎賞の受賞作が発表されています。
たかとう匡子さんの『教室』です。
いま、たかとうさんは、詩人としても、評論家としても、のりにのっている状態です。

ただ、この賞には、わが詩誌『Melange』同人である高谷和幸さんの『回転子』も応募していたので、仲間感覚として、その親近度からすると、残念な結果と終わりました。

この『回転子』という詩集、レベルからすると、なんらかの詩賞をとってもいいと思っているのですがね。

第9回ロルカ詩祭

2006年08月01日 09時34分34秒 | 文学
8月19日(土)に、神戸て詩の朗読会〈ロルカ詩祭〉をします。この詩祭は、スペインの国民的詩人・ガルシア ロルカの生誕百年にあたる1998年から始めたものです。

二部構成になっていて、第一部は、ロルカ詩の朗読。第二部は、ロルカ的世界に委ねた自作詩の朗読です。

まずは、今回の詩祭にむけた挨拶文を読んでください。

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◆第9回 ロルカ詩祭への誘い

 「誰がロルカを殺したか?」という問いから始まる政治ミステリー映画『ロルカ、暗殺の丘』を見た。スペイン・グラナダの裕福な家庭とジプシーの村とが共存しているベガ(沃平野)の映像は綺麗で、それだけで観る価値がありそうだ。「スペインがスペインを殺した」と言われる内戦は、真っ赤なダンサーの衣装や闘牛士の煌びやかな立ち姿にも悲劇の影を落としている。映画の前編から詩祭でお馴染みの詩を朗読するシーンが何度も挟み込まれていて、言葉でロルカの不吉な死を予感させる効果をあ
げている。そして映画の最後の場面で主人公リカルドが老父と孫がサッカーを興じているのを見て、忘れるためにもっと長い時間が必要だというセリフ(生き残った人間の)に納得させられた。

 ガルシア・ロルカ役の俳優アンディ・ガルシアに銃口が向けられた暗殺の直前の表情が印象に残った。死を前に超然とした態度からは、「生きること」と「生きないであること」の意味が一瞬に交錯するように思える。

 ロルカ詩祭も第9回を迎える。思うに、ロルカの詩がいつまでも新鮮であるのは、多くを死者に依拠しているからではないだろうか。詩人の身体を突き抜けるのは、「生きること」と「生きないであること」の交錯であり、瞬間の境目の投射が言葉になると思う。そして、観客の皆様と詩人たちで作り上げてきたロルカ詩祭もいつまでも新鮮でありたいと願っている。
 
 今回は能管奏者の野中久美子氏をお招きし、精神世界を旅する能管の調べと詩のコラボを、老舗「カルメン」の料理と共にお楽しみ下さい。京都から詩人の河津聖恵氏、大阪から詩人の今野和代氏の参加があり、これも必見になります。
              (高谷和幸記/詩誌『Melange』同人)
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◆ロルカ詩祭の開催内容

------日時
8月19日(土)午後5時から第一部〈ロルカ詩の朗読〉
   ・朗読者 小崎左智子(スペイン語朗読) 富 哲世 今野和代 福田知子
   第二部は午後6時~8月
   ・朗読者 河津聖恵 今野和代 大橋愛由等 大西隆志 寺岡良信 高谷和幸 富岡和秀 福田知子 安西佐有理 栗山要 富 哲世


------場所
神戸・三宮のスペイン料理カルメンで行います。
(カルメンの場所は以下のサイトを参照してください。阪急三宮駅西口の北へ徒歩2分
の場所にあります。 http://www.warp.or.jp/~maroad/carmen/ )。

------料金
Aタイプ/特選コース料理(肉・魚からメインを一品選択、パエリア、スープ、サラダ
デザート、コーヒーつき)3000円+チャージ500円=3500円
Bタイプ/ワンフード1000円+ワンドリンク500円+チャージ500円=2000円
  Aタイプか、Bタイプを当日選んでください。

どうぞ、みなさん、ふるっての参加を。
予約と問い合わせは、スペイン料理カルメン「ロルカ詩祭」係 078-331-2228 までお願いします。

今年の「ロルカ詩祭」

2006年07月23日 23時50分31秒 | 文学
本日は、月例の『Melange』読書会・詩の合評会。

ただし、今回は、発表者はいなくて、第一部はロルカ詩祭の打ち合わせをしました。今年は8月19日(土)に行います。

今年は京都からH氏賞詩人の河津聖恵さんも参加してくれます。
伴奏楽器は、能管という横笛を吹く野中久美子さんです(京都在住)。

第一部は、ロルカ詩の朗読。午後5時からです。今年はフラメンコ・カンテのSachicoさんが、スペイン語で朗読してくれる予定です。
そして第一部では、富哲世氏の朗読に注目してください。この部のハイライトです。

第二部は、午後6時から(約2時間)。ロルカ的世界に身をゆだねた詩人たちの自作詩の朗読です。
わたしはこの二部に登場します。二年前から、ロルカの日本語訳の詩と自作の詩や俳句をまぜて、朗読を展開しています。やはり朗読というライブ感がいいですね(ついでに言うと、すでに朗読詩は何作が書いているので、どこか他でも声がかかれば出張する予定です)。

場所は、神戸・三宮のスペイン料理カルメン。
参加費は、A--ワンドリンク/ワンフード/チャージ--2000円(税込み)
     B--特選コース(スープ、サラダ、肉・魚介からメインを一品、パエジャ、デザート、コーヒー)/チャージ--3500円
     A Bいずれかのタイプを撰ぷ。


定型の快楽について

2006年06月19日 18時22分24秒 | 文学
俳句と詩の両方の世界にまたがって表現していると、時々、俳句が「不思議の国の俳句ワールド」に見えてきます。

俳句ないしは、短歌にしか通用しない〈結社〉という世界があります。いくつかの必然によって生み出され、維持されているのですが、作品までも結社ごとに系統発生するというのは、詩の世界からみると、まさに不思議な世界です。

昨日、染色をならっているオブジェ作家と話していたところ、京都の染色学校でのことが話題になりました。京友禅の本場で染めを習っていると、伝統の世界に分け入る覚悟が必要だとしみじみ感じるそうです。

わたしが俳句を作り出した時も同じ心境になったものです。つまり、俳句を作るということは、この文芸の背後にある日本の文化体系そのものを背負っていく(真正面から対峙していく)覚悟が必要であると感じたのです。そのオブジェ作家、「それなら俳句の楽しみは」と聞いてきたので「定型の快楽でしょう」と答えます。「それは染めの世界も同じです。形は決まっているのですが、その約束事の中で“遊ぶ”のです」と。

詩はこうした意味での〈定型〉というものがないので、少しずつなんらかの形で、〈定型的なるもの〉を作品の中に導入していているのではないかという意見が交わされたのです。

詩の月評と神戸うたあしび03

2006年06月01日 09時15分08秒 | 文学
『Melange』読書会にあわせて書かれた富哲世の〈詩の月評06.05〉とわたしのエッセィ〈神戸詞(うた)あしび03〉を掲載します。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆
》》》月評 03《《《
   鴨居玲のじかん     富 哲世


 古来、かげ、は光そのものをも意味しはじめていた。闇はまた明るさでもある。
 没後20年ということで、神戸でもほぼ2ヶ月間にわたり開かれていた回顧展についいきそびれて、ゴールデンウィークのはじまるころどうしても見ておきたい衝動にかられ、つぎの巡回地である広島まで足をはこんでみた。鴨居玲については、おそらく熱烈な心酔者や研究者も少なからずいるにちがいなく、その共感のうちに語られていることも多いと思うけれども、今回その作品に接して改めて感じたことを書いてみたい。

 最初のゾーンに置かれていた観音像(1948年)の荒々しい逞しさの辺りには、まだ時間と切り結ぶ追い立てられる必然を必要としない青年期の同調的・増幅的な力のようなものがかんじられて、鴨居の源泉が兆している気がしてなんだかほっとさせるものがあった。鴨居の時代とは日本にあっては、大戦から敗戦という未曾有の経験から、超消費社会におけるバブル経済の絶頂期にいたるまでの、謂わばアウラ衰亡の(と同時にそれは反動的アウラの時代でもある)時代だった。否定神学としての矜持と苦しみが、彼を逃走者として位置づけ、ついに相対化すべき日本というものをもちえなかった。鴨居の全体像を考えるとき、時間と空間のパラノイアックな乖離のようなものがそのタブローにみてとれるが、それがなにより、世界という像をうまく結ぶことのできなかった彼の不如意の、反社会的な自画像そのものなのかもしれない。〈候〉シリーズにみられるような人物像にしろ、あるいは教会にしろ、スペイン・パリ時代に見られる、奪われた自己受容の座標系のかわりに、白日の強度を追放するといった風な横断的な傷(線描やエッジ)の筆致の写実が、いわばその否定神学の外傷的な顕現としての「とき」や「空間」のドラマでもあるだろう。

 以前他でも書いたことだが、S.ベケットのモノドラマ「クラップの最後のテープ」に、母親の臨終のときを待ちながら窓のブラインドが降ろされることでそれを知った若き日の主人公の、回想のいちシーンの独白の印象深い場面がある、(「・・・瞬間。おふくろの瞬間、おれの瞬間。・・犬の瞬間。・・・・」)。安井賞受賞作品「静止した刻」(1968年)にはそのような必然を呼びだしているじかんが永遠に流れている。いまとなってはこの者たちが生者なのか亡者なのかさえよくわからないのはこの、来たるべき瞬間を永遠に誘惑するものが骰子ゲームであるということのその巷間的・猥雑な、ときのない今、場所のないこことしての生命力にあるのか。同様なじかんはまた「ドアはノックされた(アンネの日記より)」(1970年)にもながれている。ここでは破滅がほとんど絶対の顔つきをして永遠の扉を叩いている、と同時にそれはすべての希望の集まるところ、希望の永遠の氷結点である「不死」のじかんでさえある。ここにあるのはじかんの断面ではない、あるいはじかんではないと言ったほうがより正確だろうか。そうではなくて、ここではその「瞬間(とき)」にふれようとして、ときのすきまそのもの、が露出して来ているのだ。逆説的にではあれ、そこにはわたしたちの生の鋳型が、呪縛への明度が投影的に語られていると言えよう。
 そうして「出を待つ(道化師)」(1984年)がある。彼は知ってしまった。鏡のそとにはもう、世界がないのだということを。対峙する世界はすでに生の思惑とは別に、わたしすらいない無人の客席かもしれない。そうして赤い闇という死の最後の逆説のうみに、精一杯の艤装を凝らして挑み、出を待つ。わたしはなぜか田村隆一の最期の引用(ジョン・ダン)を思い出した。『死よおごる勿れ』。死は、そのように死自身を語ることは決してできない。西方の嵐が去り、雨の気配が朦朦と立つ闇の公園に、今夜ジュースの王冠を胸に飾ったタキシード姿の男がなつかしく現れても、少しの不思議もないだろう。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆
》》》神戸詞(うた)あしび《《《  03
不在と鱧と五月の京洛
                            大橋愛由等

・五月ゆえ 詩人、一篇だに 書くべからず   愛由等

 近年、どういう理由か、この五月という時期が美しく思えて仕方ないのです。美麗なる季節ゆえ、表現することがおぞましく感じることさえあり、季節そのものに投企していたい気分となってしまうのです。

 今月は、京都造形芸術大学で行われたドキュメンタリー映画「エドワード・サイード Out of Place」(佐藤真監督)の上映会に行って来ました。この作品は、サイードが死んでから制作されたもので、生前のサイードへのインタビューは一切なく、裕福だった少年時代に撮影された家族フィルムが多用され、少年サイードが何度も登場します。映画で語り部を果たしているのは、サイードの周辺にいた人たち。つまり「ここにはサイードはいない」という〈不在〉を重ねる手法を採用しているのです。「ここに××はいない」「ここにも××はいない」という事象を積み重ねることで、かえってその「××」を表出していく佐藤監督の思想系ドキュメンタリー映画の作り方は見事です。

 この作品には、アメリカやパレスチナといったサイードが住んでいた故地が登場します。シリアにあった別荘は、かつて高級別荘地だったところですが、いまは荒れ果て見る影もない。この別荘で撮影された少年時代のフィルムを見ていると、外見は大きく変わっていないものの、家具類は一切ありません。盗まれてしまったのでしょう。いま住んでいるのは不法入居者です。ここは、なんどかの政治的変化によって、所有者が変わっています。そのうちの一人の名前に注目したのです。マルティン・ブーバー。ドイツで活躍したユダヤ系宗教哲学者です。〈我と汝〉という概念が世界の原初的な出発点であると説き、わたしも少なからず影響を受けた思索者です(ただし、この汝は、″ Sie″であり、生身としての"あなた"ではなく、アガペー的な他者であることが不満でしたが)。そのブーバーが、パレスティナ人のサイードが政治的混乱をさけて別荘を手放した後で、おなじく哲学者のユダヤ系ブーバーが住んでいたことの事実の面白さを考えていきたいと思っているのです。この二人、生前に親交があったのかどうか、まだよく調べていませんが、ともに、自らの民族性に依拠しながら二〇世紀を思索してきたことに違いなく、サイードが所有していたことに、なんらかのシンパシーを感じていたのかもしれないのです。

・彷徨(さまよい)の祇園の果ての鱧はじめ     愛由等


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瀧廉太郎の仕事

2006年05月21日 20時12分48秒 | 文学
第12回『Melange』読書会は寺岡良信氏が、作曲家・瀧廉太郎について発表しました。

「花」の作曲者としてあまりに有名ですが、23歳で沃折していたとは知りませんでした。寺岡氏は、瀧が、当時の国策の「幼稚園唱歌」に対抗して、分かりやすく歌いやすい「幼稚園唱歌」を作り、普及させていったことを高く評価します。国策の唱歌は、忠臣愛国を全面にだしているために、漢語が多く、これが幼稚園児に歌わせる内容かと疑わせる歌詞が多いのですが、瀧たちが進めた唱歌普及運動は、政治性を排除した内容であったために、時代を超えて戦後になっても、子どもたちに歌い継がれるようななったのです。また、その音づくりには、本土で展開されている民謡音階(ファとシ音がない五音階)ではなく巧に西洋音階を駆使していることにも、寺岡氏は注目するのです。

会では、詩と曲との関係も話題となり、音符の1音に対して、日本語の1語を載せるという伝統的なパターンから、現在の音符数と言葉数との不一致はどのあたりから起こったのかということも話し合われました。それはどうもわれわれの知る限りでは、サザンオールスターズの桑田佳祐あたりから、変化を読みとることができるのではないかという発言も。

そういえば、桑田の言葉の音符への載せ方は、ジャズを演奏する友人たちからも熱い視線が投げかけられていました。桑田が出てきた1970年代は、ジョン・コルトレーンの"Sheet of sounds"が席巻していた時代であり、やたらに細部に音を入れ込むコルトレーンの奏法に限りない共鳴を抱いていたジャズプレーヤーたちにとって、桑田は同時代性を感得するものがあったのでしょう。

第12回『めらんじゅ』読書会・詩の合評会

2006年05月14日 09時00分22秒 | 文学
『Melange』同人のみなさん ならびに 誌友のみなさんへ

大橋愛由等@『Melange』編集人より

第12回『Melange』読書会・詩の合評会のお知らせです。

第一部の読書会の発表者は、寺岡良信氏。テーマは「瀧廉太郎のした仕事」です。

近代楽曲に大きな足跡を残した瀧廉太郎を詩人としてとらえた時に見いだされる多くの発見を語っていただけます。詩が音楽とどのようにコラボレートしていくかが、寺岡氏によって魅力的に語られると楽しみにしています。

そして今回の構成は、従来通り二部に詩の合評会をします。みなさん、ふるっての作品参加をお待ちしています。また、お知らせの後に、前回の月刊合評作品号に掲載しました富哲世氏の「詩の月評」と私・大橋愛由等の「神戸・うたあしびno.02」の文章を添付しておきます。

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◆日時=5月21日(日)午後1時00分から第1部。午後3時00分から第2部。

◆会場=神戸・三宮のスペイン料理カルメンで行います。
(カルメンの場所は以下のサイトを参照してください。阪急三宮駅西口の北へ徒歩2分の場所にあります。 http://www.warp.or.jp/~maroad/carmen/ )。

◆第1部=寺岡氏による発表。

◆第2部=詩稿締め切りは、18日(木)締め切りは必ず守ってください。送稿された作品は20日(土)朝に、みなさんあてにメール発信します。

詩の月評 連載第2回目

2006年04月27日 09時22分56秒 | 文学
さて、今月の詩誌『Melange』の読書会は、お休みで、高谷和幸氏の出版記念会をしましたが、合評会に提出した作品を掲載する月刊誌に、あらたに連載を始めました富哲世氏の「詩の月評」と、わたしの「神戸詞(うた)あしび」の二回目原稿をネットにて公開します。

時代は変わったものですね。かつては、ペーパーの発行部数でしか、みることが見ることができなかった情報がネットに載せることで、より多くの人たちに読んで頂けるのですから。

》》》》詩の月評《《《《 2006年4月 No.02

遺言と遺言執行人  
富 哲世 

「討議戦後詩」に引き続き、野村喜和夫、城戸朱里両氏によって敢行された「討議 詩の現在」(2005年思潮社刊)のなかで、第3回のゲストとして登場した吉田文憲さんが、鮎川信夫の詩作品「死んだ男」の読み直しを通して、人称の問題を語っている箇所がある。そこでの凡その討議内容は、仮に詩人自身にとって一義的には「M」が森川義信であり、「遺言執行人」が「ぼく」であったにしろ、そのいずれもが固有名や確立的な主体といったものに還元されるものではなくて、──吉田氏発言「そこに出てくる『ぼく』や『おれ』という鮎川の一人称は『M』に象徴されるようななにかその『死んだ男』の代行や表象としてあらわれてくるものではどうもないような気がするんです」、「『M』も『遺言執行人』も自分自身の引き裂かれた分身的ななにかであるし、それはいわばその語り難い不可解な体験、開いたままの傷のメタモフォーゼのような気がするんです」というものとして、「わたくし」という物語を解体し続けるものである、と言っているように見える。『おれたちは深い比喩なのだ』(清水昶「野の舟」)という具合に、内在性からはみだしたような主体の実存のあり方が比喩とみなされて語られる場面があるのだが、そもそものはじまりにおいてその主体を呼ぶ「おれ(たち)・一人称」がもっとも初発的な暗喩であるなら、わたしたちは逃げ水の自己影を追い求め続けるほかないともいえる。「ぼく」と書いてなにかしっくり来ない感じ、そういうものを現代詩の体験としてわたしたちは必ずもっているだろう。そもそも「遺言執行人」が「ぼく」であるとはこの詩「死んだ男」のどこにも書かれてはいない。ただ歴史の底なしの淵へと半ば身を持ち崩すように恢復されていった暮らしの自家中毒的な浸潤のなかから、あるいは木部のような自己組織の内部へ、それとして選ばれるよにあらわれたその者がいるだけだ。これが(すべての)無残といううつつ(=生き残り)の悪夢のはじまりである、と仮に認める者があるとするなら、そこでは「遺言執行人」とは夢魔のようななにか別の存在である。そしてこの浸潤という世界の性格がもっともよく体言されているのが括弧でくくられた四つの発話、発話主体の不明な発話であろう。わたしはかつてこれを「M」の遺言とみなしてきた。そうしてそれを「思い起こし」、「ぼくの声」として生きることがその「執行」であると。その意味ではここでは発話者は同時に「ぼく」でもあると。『さようなら、太陽も海も信ずるに足りない』これは胸の傷みのきわみであると同時にいわば死後のランボーに会いにゆくための手土産のことばだとおもっていた(見つかったぞ!/何が? 永遠。/太陽にとろけた/海。)。そしてこの一行が置かれたことにはおそらく「間際」への切なる接近があるだろうことも事実だ。あるいはしかし、この一行がここに置かれたがゆえに、そこでは「ぼく」が爾後の「ぼく」として決定的に、他者や自己から追放されてしまっているのかもしれないのだ。そこにある身振りの一切が実は永遠の乖離を前提としたもの、遺言執行の不可能性(それは「ぼく」が「ぼく」であることも「M」であることもできないということを意味している)を前提とした上にはじめて成り立つものであったろうこともまた、この一行における「ぼく」の所有、「ぼくの、ことばの憑依」に関わって明らかなことではないだろうか。執行ははじめから不可能であるというふうにその執行人はあらわれていた。彼が遺言であるとみとめたもの、あらゆる再現・剽窃・口マネ・再創造にもかかわらず、その一切が遺言であることができないことを夢魔におかされた「ぼく」は知っていた、もしそうでなかったなら、ことばの痛みを死後にかえすように、どうしてその胸に答えのない問い(傷口)を開かねばならないだろうか。


》》》》神戸うたあしび《《《《 2006年4月 No.02
越境する蝶たちの行き先は  大橋愛由等

--- 銀の滴降る降るまはりに
   金の滴降る降るまはりに  
 (「梟の神が自ら歌った謡」より。知里幸恵著『アイヌ神謡集』大正12年刊)

 南ばかり指向していたわたしが、所用で北の大地に向かうことになった。四月六日に到着した札幌は地元の人も驚くほどの季節はずれの大雪であった。北海道では、雪がふればいとも簡単に地面に雪が残ることを知る。一八〇万人の都会でわたしが見たものは、都市の喧噪ではなく、市の中心部に残されている関西とあきらかに林相が異なる白樺林から喚起されるこの地の原風景と原記憶であり、わたしの耳許に聞こえてきたものは、先住民たるアイヌモシリたちの〈うた〉であった。冒頭に紹介した詩句は、神の鳥であるフクロウを語り手とする神話世界である。わたしは、樹木や鳥たちに刻印されてたこの地の豊穣な物語世界を想い続けて二日間を過ごした。

 さて、北海道で買い求めた本に『サハリンの蝶』(朝日純一ほか著、北海道新聞社、1999)がある。冬期には雪に閉ざされている北海道とサハリンには、多様な種類の蝶が成育する。タテハチョウ科の仲間には成虫のまま越冬するものもいる事実に驚きながら、図鑑のページをさらにめくっていくと、わたしが名前をよく知る蝶とであったのである。
 
 アサギマダラ---- 1000キロに及ぶ距離を越境する蝶として知られている。三重県に住む医師が本土でマーキングした蝶を奄美大島で自ら捕獲したという記事を南海日日新聞という奄美で発行されている日刊紙で読んだ記憶がある。この蝶、わたしはもっぱら南(奄美・沖縄)に向かうものだと思っていたが、どうもそうではないらしい。北海道はおろか、サハリン(樺太)まで飛行しているのだから、創造主たる神は、この蝶に越境しつづけることを命じたのかもしれない。南に向かうアサギマダラと北に向かうアサギマダラは、同じ個体特徴を持っているのだろうか。また、その個体が越境する場所を決定する動機はなんなのだろうか。この蝶は謎だらけで面白い。同時に、もっぱらの南指向のわたしに同調してくれていると思っていたこの蝶が、北にも越境することに、複雑な思いを抱くのである。

 最後に北海道と蝶と俳句についてのことで締めくくろう。北海道在住の俳人といえば、まずわたしは西川徹郎氏を思い浮かべる。初期の作品群の中に蝶が登場する佳句があるので引用することにしたい。

・無数の蝶に食べられている渚町
・月夜轢死者ひたひた蝶が降ってくる  西川徹郎  
          (『西川徹郎句集』現代俳句文庫 ふらんす堂1992)

高谷和幸氏の出版記念会

2006年04月22日 23時37分31秒 | 文学
本日、神戸市内のレストランで、高谷和幸氏の出版記念会が行われました(写真右が高谷氏、左が大西隆志氏)。

詩集『回転子』(思潮社)は、散文詩のみで構成されているのが特徴です。つまり、行替えがなく、句読点もいっさいないのです。

参集したのは、詩誌『Melange』同人、姫路から文学関係者、大阪から倉橋健一氏、京都から河津聖恵さん、名古屋から鈴木孝さんと紫圭子さんといった多彩に顔ぶれです。

わたし、思うに、この詩集のレベルからみて、なにか賞をとりそうな予感がします。その予想があたりそうなのも、これからの楽しみとしましょう。

出版記念会の前に『Melange』同人と誌友による詩の合評会が行われ、10名の作品参加がありました。いつものことですが、出稿された作品は、一編の詩集にそのつどに仕立てています。その目次から引用してみましょう。

〈  詩  〉
     バードアイ     野口 裕    
     ヴオカリーズ 或ひは渡海記      寺岡良信   
     ビギンズ その4  (開かれた矩形) 高谷和幸     
     モノクロ      天野夢織     
     姉         福田知子     
     天の川       安西佐有理    

     舞い舞い舞いて   大橋愛由等     
     奇妙な三角形    富岡和秀      
     み  こ      富 哲世      
     雨の午後      堀本 吟       

〈  評論  エッセィ  〉
     月評-02〈〇六年四月〉「後遺言と遺言執行人」  富 哲世   
    〈神戸詞あしび〉-02  大橋愛由等 

詩は自由か

2006年04月21日 19時23分32秒 | 文学
俳句と詩の両方の表現をしていますと、俳句は短い詩型だから、充全に表現できないとは決して思わないのです。作家とその作品を17文字(程度)に凝縮することの所作がすでに俳句作品の一部であるからです。一方、詩を作っていると、口語自由詩であるといいながら、なんらかの内在律を作品の中に持ち込もうとしている(つまり俳句的な手法の導入)私の態度に気づきながら、やはり17文字(程度)の文字制限から解放された悦びを満喫するのです。

満月の契り

2006年04月14日 00時51分49秒 | 文学
今日は満月。

太陰暦のちょうど"先月"の今日からある人と、満月の日だけ詩華を交歓しています。

一年続ける予定です。私は俳句作家なので、俳句を提供します。相方は詩人です。

俳句も詩も、言葉のひとつ、表現のひとつに自らの生をかけるエクリチュールの世界の住人です。

さてさて、どのような表現が展開するのでしょう。

今年は、満月の日が、わたしにとって重要な起点となりそうです。

4月の『めらんじゅ』読書会

2006年04月04日 00時22分22秒 | 文学
四月の『Melange』読書会&合評会は、4月22日(土)に行います。

今回も構成を逆にして、第一部に「詩の合評会」、第二部に高谷和幸著『詩集 回転子』(思潮社)の出版記念会を催します。

第一部は、午後2時から、第二部は、午後5時から。
ともに場所は、スペイン料理カルメン(tel.078-331-2228/神戸市中央区北長狭通1-7-1)です。

第二部は、姫路の文学者・表現者グループが 大量に参加してくれるとか。楽しみです。にきむやかな会になりそうです。