マイコー雑記

行き来するもの書き留め場

子供達の誰もが「最高の純文学」を生きている

2016年02月20日 | イメージ

私自身にとって、子育てをふっと軽く感じられる瞬間というのは、

子供一人一人の人生を、「小説」のように捉える時。

 

特に純文学的な「小説」というのは、

あれ、で、どういうこと?

こ、ここで終わっちゃうわけ?

で、何がいいたいんだっけ?

 

読み終わった瞬間、よく分からない場合が多い。

 

それでも、物語全体から、何だかじわじわと立ち上がるものがある。

行間や、一つ一つの言葉や、雰囲気に、何だかよく分からないのだけれど

心が惹きつけられ、自らの奥に、宝物が少しずつ増えていくような感覚。

 



親という立場であるから、自らも、子供達の物語の登場人物となり、

話を展開する役割を担っていて、その中で、辛かったり、悲しかったり、

笑ったり、喜んだりする。

 


それでも、時々、物語の外へと出てみる。

 

成功ストーリ、失敗ストーリ、ダメダメ人生ストーリといった「くくり」をはずし、

「純文学」のように、眺めてみる。

 

編み込まれた行間や一つ一つの言葉、全体から立ち上がる雰囲気。

子供たち誰もが、「最高の純文学」を生きている。

 


その確信と共に、

今日も、登場人物の一人として、

物語を織りなしていきたい。

 


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